「皿川氾濫・決壊に対する避難勧告発令」の3

2021-07-30 07:30:08 | 日記

さて次は最も避難勧告が遅れたエリアについてである。

・氾濫3時間後に避難勧告 すでにひざ下浸水、千曲川支流 (朝日) : https://archive.fo/3Lsij 

上記は飯山市の報告にある

『10 月 13 日(日) 
 6:40 福寿町・本町・肴町・上町・新町・鉄砲町・奈良沢・栄町・県町・北畑 避難勧告』

について朝日新聞が報じたものである。

(・令和元年台風19号関連災害経過報告【第2報】 :4.勧告等 を参照のこと)

記事によれば『飯山市は「・・・排水機能が失われることは想定外で、その時点では精いっぱいの判断だったと捉えている」としている。』と主張している。

実際に職員が現地で皿川氾濫を把握したのが2時半であるから、実はほぼ4時間後に上記市街地のエリアに避難勧告を発令した、という事になる。それほどにこのエリアに対して避難勧告の発令が遅れた理由として飯山市は

・排水機能が失われることは想定外で、その時点では精いっぱいの判断だった

と正当化しているのである。(注1

さてそれで、これほどに避難勧告の発令が遅れたもう一つの市長が言った言い訳は「夜は暗くて避難をするのが危険だから、朝になって明るくなるのを待った」という「いかにもあとからこじつけた釈明」もあるが、これについては改めて後程検討するものとしたい。(注2

それで、このページで検討するべき内容は「城山雨水排水ポンプ場が動いていたら」つまり「ポンプ場が耐水化されていて、ポンプ場外に氾濫水が水位1m程も押し寄せてもポンプ場内に氾濫水が浸入する事はなく、従ってポンプが異常停止する事が無かった」としたら、飯山市の主張は本当に成立していたのか、という事になります。

勿論この場合の飯山市の主張は「避難勧告を出すエリアは有尾区、北町区、そうして田町区で十分であった。」という事ですね。

つまり「それ以外の場所には氾濫水は押し寄せる事はなかった」と飯山市は主張しているのであります。

その主張は「氾濫水は北町区、田町区を浸水するものの、雨水排水下水路に流れ込んで排水ポンプ場に導かれ、そこから千曲川にポンプアップされて排水されたであろう。」という事になります。(注3

それはまた「排水ポンプ場の能力は飯山市街地に降った雨水を排水する事に加えて、皿川からの氾濫水を千曲川に排出するのに十分な余力があった」という主張でもあります。

さて以上の主張は成立していたのでしょうか? 

実はポンプ場の排水能力は不足していた

1-1ポンプ場が動いていても6時40分時点で市役所(福寿町)地点、40センチ浸水 : 福寿町区 https://archive.fo/TWjQy

以下、上記で紹介した「飯山市プレス発表第二報」の最終ページにある時系列表からの引用になります。

『5:40 城山雨水排水ポンプ場のポンプ室内に浸水が始まるが、土嚢等で防止。
城山雨水排水ポンプ場3台フル稼働等しており、市街地の内水対策は、機能していた。
・・・
6:40 福寿町、本町、肴町、上町、新町、鉄砲町、奈良沢、栄町、県町、北畑に避難勧告
・・・
7:00 城山雨水排水ポンプ場が、浸水によりポンプ3台が機能停止に陥った。』

つまり飯山市は「7時まではポンプ場の排水ポンプによって皿川からの氾濫水は千曲川にしっかりと戻されていた」、したがって「上記で示した避難勧告発令エリアには皿川からの氾濫水の浸水は無かった」と主張している事になります。

・・・あれれ、おかしいですよねえ。新聞記事によれば

『ただ、市役所などがある地域に避難勧告を出したのは午前6時37分だった。その時点で市役所付近ではひざ下まで浸水している状態だったという。』(注4

という事だそうで、この事は後日の飯山市議会での飯山市の答弁でもそうなっていました。

さてそうすると「6時40分、この時はまだポンプ場のポンプは停止しておらず、千曲川に排水を続けていたはず」ですが「市役所ではすでに40センチほどの浸水があった」という事が事実であります。

つまり6時40分時点では「ポンプ場のポンプが正常に稼働していても皿川からの氾濫水を千曲川に排出するだけの余剰能力はポンプ場には無かった」と言うのが事実なのです。

1-25時時点でポンプ場貯水池オーバーフロー状態(栄川の城見橋で浸水5センチ)

この事に関連してもう一つの事実を挙げておきましょう。

『市街地で洋品店を営むYさんはこう話しています。
「13日午前5時ごろ家の横を流れる川は、道路から5㎝程まで水位が上がっていた。大急ぎで商品を高いところに上げ始めたが、水が店に入って来た。水が床上20㎝ぐらいまで作業を続けたが、どんどん水が入って来て1時間程で70mになり2階に避難した。
もう少し早く皿川の危険性や、越水の情報が早ければ、商品を濡らさずに済んだのにと思う。』(注5

https://archive.fo/GkFwJ : 上記で言及している川は栄川であって、この画像はそこにかかっている橋(城見橋)を示しています。

それでこの場所の道路の標高は315.1mであって、従ってこの場所で午前5時には315.15mまでこの周辺の水位が上昇していた事になります。

他方でポンプ場の標高は314.7mであって、従って午前5時の時点でポンプ場外周部では最大で45センチほどの水深であった可能性があります。

という事は少なくとも5時時点でポンプ場貯水池は満水状態をこえて水はそこからあふれ出していた、という事です。

事実、飯山市の報告(上記第2報)では「5:40 城山雨水排水ポンプ場のポンプ室内に浸水が始まるが、土嚢等で防止。」とされており、5時40分時点でポンプ場周辺の水深が20センチ~30センチほどであったとしている。

つまり5時40分時点で市街地に降った雨水と皿川からの氾濫水でポンプ場に到達していた水を加えたものはポンプ場の貯水池には収まりきれずにそこからあふれ出しており、ポンプ場周りの水深は30センチにも達していたのです。(注6

しかし飯山市は事実がそのようであるにもかかわらず

『5:40 城山雨水排水ポンプ場のポンプ室内に浸水が始まるが、土嚢等で防止。
城山雨水排水ポンプ場3台フル稼働等しており、市街地の内水対策は、機能していた。』

と主張するのでした。

しかし事実は5時時点ですでにポンプ場貯水池はオーバーフローしていたのです。

つまり「ポンプ場の排水ポンプは貯水池に集まってくる雨水+氾濫水を十分に排出できなくなっていた」という事になります。

にもかかわらず、よくもまあ飯山市は「5:40 ・・・市街地の内水対策は、機能していた。」などと言えたものです。

ちなみにYさんは「栄川が増水によって氾濫した」と認識していますが、実はこの時にYさんの店を襲った水は4時15分に皿川右岸堤防が決壊し、濁流となって市内を北から南側に流れだした皿川からの氾濫水なのでした。


さらにもう一つの事実を以下に示します。

1-325m道路アンダーパス北側エリア(@福寿町)は2時過ぎには浸水が始まっていた : 福寿町区 https://archive.fo/TWjQy

この場所の標高は314.2mでありポンプ場貯水池のふちの標高314.7mよりも50センチ程低い。(注7

そうして2時の時点では飯山市の第二報によれば『1:50 城山雨水排水ポンプ場 3基にて稼働開始。』であって、もちろん皿川は越水はしておらず、ポンプ場に流れ込む水は市街地に降った雨水だけでした。

しかし2時の時点でポンプ場貯水池の水位はあふれ出す高さにあと50センチまで上昇しており、従って2時過ぎには「ポンプ場の排水ポンプを3台動かしたにも関わらず」「25m道路アンダーパス北側エリア」では雨水下水路のグレーチングから雨水があふれ出していたのです。(近所にお住いの方の証言から引用)(注8

勿論アンダーパス南側は北側よりも標高が低い(313.9m)のであれば、2時前にはその場所(上町区 堤防沿い : https://archive.fo/gPk9C )で雨水下水路(中央下水路)のグレーチングから水があふれ出していたのです。(注9

そうであれば『上町区堤防沿いのAさん・・・「13日4時に起きたら30㎝も浸水していてビックリした。慌てて車をNTTの駐車場に避難し、近所へも知らせた』というような証言が出てくるのです。(注10

但しこの時にAさんをびっくりさせた水は皿川から越水してきた氾濫水ではなく、ポンプ場が排水できなかった雨水でありました。そうして後ほど時間が経過するにつれて皿川からの氾濫泥水がここまで流れてきて、このあたりを1m以上の水位になるまで満たしたのです。


さて、以上みてきました様に、「飯山市の雨水下水路は2時前には機能不全に落ちいっていた」のであります。(注11

そうしてその原因はもちろん「ポンプ場の排出能力不足」です。

そうしてそれはまた「飯山市がポンプ場の排水ポンプのメンテナンスを怠ってきたから」というのがその能力不足の根本原因です。

そういうわけで「排水ポンプ場の能力は飯山市街地に降った雨水を排水する事に加えて、皿川からの氾濫水を千曲川に排出するのに十分な余力があった」という飯山市の主張は成立していない事が分かります。

それどころか「市内に降った雨水を千曲川に十分に排出できていなかった」という「本来ポンプ場が果たすべき役割すら十分に行えていない」という状況でありました。

これは「現在飯山市がもっている内水処理の重大な欠陥」であり、飯山市が公表したがらない事実であります。

 

注1:この「ポンプ場が動いていれば大丈夫だった」という主張はその後の飯山市議会の答弁の中でも飯山市が再度、公言している釈明でもあります。

注2:・参考資料 補足・市長は何と言ったか :・今回水害に対する飯山市長の弁解、言いのがれ、正当化、謝罪なし、反省なしの「とんでも発言集」参照のこと。

『・・・しかし深夜で真っ暗だったわけです。
それで飯山市街地の人口というのは、避難勧告をしました北町等を除いて、およそなんですが、6,000人ぐらいの方々がいらっしゃるわけなんです。
この中には高齢者の方もいますし、それから子どもさんもいますし、赤ちゃんもいらっしゃるということで、これは安全に避難させることが何よりも重要であるというふうに私は考えたわけでございます。・・・

したがって、そういう中で、明るくなって大勢の方々が安全に避難できるのが私はベストだというふうに判断をしたわけでございます。』

注3:・飯山市HP記載 雨水排水系統図 : https://archive.fo/Mfb18

図中の城北1号および2号下水路が飯山市が想定したであろう「皿川氾濫水をポンプ場まで誘導する下水路」となります。

注4:・氾濫3時間後に避難勧告 すでにひざ下浸水、千曲川支流 (朝日) : https://archive.fo/3Lsij 

福寿町 : 田町のさらに南側に隣接するエリアで市役所もこのエリア内にある : https://archive.fo/EY2a8

注5:・もう少し早く皿川の危険性や、越水の情報が早ければ、商品を濡らさずに済んだのにと思う。2020-01-20  : https://archive.fo/07r7c :から引用。ちなみにこの方のお住まいは田町区(避難勧告発令は4時50分)であって道を挟んで向こう側が福寿町となります。

その意味では田町も福寿町も標高には変わりなく、田町に4時50分に避難勧告を出したのに、福寿町への避難勧告が6時40分になった、と言うのはどう考えても説明ができない、「異常な事」であります。

注6:栄川は上記注3の「雨水排水系統図」では「栄川下水路」と表示されているものになります。そうして城北1号および2号下水路と栄川下水路の3つともにポンプ場前の貯水池につながっており、雨水と皿川氾濫水はそこで合流してポンプ場内のポンプでポンプアップされ、千曲川に排出されるであろう、と飯山市は想定していたのでした。

しかしながら、なにぶんともに排水ポンプの能力が不足していた為に、貯水池に集まってきた水はそこですでに貯水池からオーバーフローしていたのです。 

・貯水池 : https://archive.fo/87wUx

・ポンプ場と内水ゲート このあたりが5時40分ごろに20~30センチの浸水。写真で示されている線は浸水ピーク時の水位 : https://archive.fo/whxFk

・中央排水区(城山雨水排水ポンプ場)のしくみ : https://archive.fo/db83r

注7:ポンプ場の貯水池と雨水排水下水路(中央下水路、真宗寺下水路)とそれぞれの場所に設置された、本来はそこからその場所近傍に降った雨水を下水路に流し込む為のグレーチングはサイホンを構成しています。・サイホンの絵 : https://archive.fo/04yhA

この絵から分かる様にポンプ場の貯水池と雨水排水下水路でつながっているそれぞれの場所のグレーチングがある入り口部分はポンプ場の貯水池とサイホンを構成しているので、ポンプ場の貯水池の水位とグレーチングのある入り口部分の水位は同じ高さになります。

そうして残念ながら25m道路下のアンダーパスのあたりの標高はポンプ場の貯水池のふちの標高よりも低いのです。・ポンプ場貯水池の写真 : https://archive.fo/fgyIC :この池のふちの高さはアンダーパスのある場所の高さよりも高い。

そうであればポンプ場の貯水池が満水になってしまうと、ポンプ場ではぎりぎりで水は外にはあふれませんが、アンダーパス周辺ではグレーチングから水が噴き出す事になります。

そうして台風19号の折にはまさにそのようにして「市街地に降った雨水だけでポンプ場の貯水池は満水となり、2時の時点でアンダーパス周辺で浸水被害を発生させていた」のでした。 

注8: https://archive.fo/0BeoE : アンダーパス北側から南側を見る。手前に2つ、グレーチングが見えるが、ここから水があふれ出した。

アンダーパスの北側入り口から南側を見る :  https://archive.fo/8juyB

注9: https://archive.fo/TgPQH : アンダーパスの南側のエリアからアンダーパス方向をみる。黄色の車の左奥がアンダーパスになっている。アンダーパスの上を走っている道が確認できる。

少し遠くからの画像 :  https://archive.fo/Ikfu7 : このアンダーパスに通じる道沿いにいくつもの中央下水路のグレーチングが配置されており、そこから雨水が逆流しあふれ出した。: グレーチング :  https://archive.fo/Semwd

注10: https://archive.fo/114f5 :この件、左記の記事を参照願います。

注11:飯山市が主張する「市街地の内水対策は、機能していた。」という状態は「市内のどこにも雨水による氾濫、浸水被害がない」という事と同じであり、したがって「上町の堤防沿いで浸水被害が出ていた」ということは「市街地の内水対策は、13日の2時には機能していなかった。」という事になります。

追記:上町地区のアンダーパス北側、堤防沿いの場所は市街地の中ではもっとも標高が低い場所のひとつであり、従って2020年7月豪雨として記録されている飯山水害でもこの場所が浸水被害に遭いました。

  ・なぜ同じところで浸水被害が出るのか~すぐに検証し対策を急ぐべき~15日夜~市街地の浸水 (2020-07-16 ) : https://archive.fo/753H6

この時のこの場所の状況は台風19号襲来の折の13日の2時前の状況と同じであり、上記で説明した様に「このときもポンプ場の貯水池が満水に近づいたためこの場所で浸水被害が発生した」のでした。

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台風19号 飯山水害の研究・一覧

 

 

 

 


「皿川氾濫・決壊に対する避難勧告発令」の2

2021-07-22 10:28:56 | 日記

前のページでは以下の様に記した。次はこの部分に続くところから始めよう。

『そうして上記初動対応で出された避難勧告を以下に示しておく。

10 月 13 日(日)
 3:20 北町 避難勧告 (3時05分の市民からの皿川越水の第二報を受けて)

 これ以降の避難勧告については初動対応とはいえず、対策本部は状況を見ながら以下の様に順次出していく事になる。そうしてこの部分については「なぜもっと早く避難勧告が出せなかったのか?」と大いに非難されたのである。

4:00 有尾地区(皿川沿い一部) 避難勧告 

 4:50 田町 避難勧告(田町は北町の南側に隣接したエリアであって、2時~3時に北町に流れ着いた水は当然3時以降には田町地区を浸水していった。)

 6:40 福寿町・本町・肴町・上町・新町・鉄砲町・奈良沢・栄町・県町・北畑 避難勧告 』

避難勧告の遅れ(皿川越水確認以降、皿川堤防決壊直前まで)

1-1「4:00 有尾地区(皿川沿い一部) 避難勧告 」について : 有尾 https://archive.fo/euyR5

有尾区への避難勧告は市役所職員が左岸越水を現地確認・報告した2時半直後には何の問題もなく発令可能であり、またそうすべきであった。しかし対策本部はそのようにしなかった。

これは有尾区区長と懇意にしているその地区の消防団員にして委託樋門操作員、M氏が「皿川が氾濫しそうだから避難した方がいい」と2時10分に「私的に連絡を区長に入れたから」である。そうしてこのM氏が今回の皿川氾濫の真実を証言できる唯一の方なのである。ちなみにこのM氏の自宅も皿川が氾濫した場合には浸水する事になる場所にあった。(注6

その連絡に応じて区長は有尾区民を避難させ始めた。そうして、その事を知った対策本部は「避難勧告は市長にしか出せない」という事を忘れていて「ああ、それなら有尾区は避難連絡済み」とした。

だが4時に至ってようやく「避難勧告は市長にしか出せない」という事を思い出して、それで遅まきではあったが正式な避難勧告を有尾区に対して発令した、と言う次第である。(注1

この事から分かる様に「当時の対策本部は混乱の極みに在った」。

したがって前ページで検証したように「初動対応で対策本部がやった事」は「左岸越水を確認した事」と「3時20分に北町区に避難勧告を発令した事」だけだったのである。(やる必要があった15項目の内2項目しかやっていない、まことに出来の悪い対策本部なのである。

1-2「 3:20 北町 避難勧告」について : 北町 https://archive.fo/HS5Vk

この避難勧告は3時05分の市民からの「皿川右岸越水」という「皿川越水の第二報」を受けて発令されたものである。この時に有尾橋右岸でひざ下10センチ、それは水深40センチほどの浸水が発生していた。

同様にまた右岸北町住宅あたりでは3時に水深30センチ、かろうじて自動車の移動が可能であった状況であった。

さらにはその場所から皿川橋に通じる市道に出て道沿いに南に350m程行った場所では2時~3時頃にすでに浸水が始まっていた。(注2

同市に住む40代男性は、10月12日の夜は2階の寝室で寝ていたが、翌午前3時ごろ、1階から異音が聞こえたため様子をのぞき込むと、既に床上1メートル近く浸水していたという。
 防災無線より前に鳴っていた半鐘には気づいていたが、無線による避難指示はなく、避難をためらった。同3時半ごろ防災無線の避難勧告を聞いて家族での屋外への避難を決意。水につかりながら安全な場所に逃れた。注3

コメント:上記は北町区に住んでおられる方の報告でしょうが、1m以上の水に浸かりながら避難しなくてはならない状況、というものは「明らかに避難勧告が遅かった」という事であります。

Yさんは台風が上陸した10月13日の午前3時ごろ、1階の居間で就寝中、足に違和感を覚えた。起きてみると、足元にまで水が来ていることに驚き、衣服や通帳など必要なものを慌てて取り出して避難の準備をした。その最中にも浸水が続き、屋外に避難しようと玄関に向かった。
 居間に置いてある市の防災無線が避難を呼び掛けたのは同3時20分だったが、玄関付近にいて、膝まで水につかっていた状況に動揺もあり、無線は「聞こえなかった」という。
 同時刻に無線を聞いた隣人は「城山公園に避難する」と膝まで水につかりながら避難していったが、山本さんは「もう避難できる状況じゃない」と屋外への避難を諦め、2階にとどまることを決めた。無線より前に地元の消防団が皿川の堤防決壊に気づき、半鐘を乱打して知らせたが、皿川から離れた山本さん宅には聞こえなかった。注3

コメント:この方も北町在住の方です。隣人は膝まで水に浸かりながら高台に避難。ご当人は2階に避難です。そうしてやはり「避難勧告が遅かった」という事になります。


参考として時間帯は異なりますが、いま議論している場所についてのドローンによる撮影画像があります。

・水門の閉鎖、国伝えず 長野・飯山の皿川、堤防決壊 (中日) : https://www.chunichi.co.jp/article/39265 <-写真をクリックすると拡大できる。皿川で排水作業中のポンプ車1台、確認可能。ちなみにこの画像は昼ごろ飯山市がとばしたドローンによるもの。

画像右側の住宅は北町区に相当します。水がない時はこんな感じであり、当時は一階部分が完全に水没していた事が分かります。: https://archive.fo/6KNKR

この画像から推察できる事は安全な場所、たとえば「城山公園に避難する」のでさえ大変な事であったという事が分かる。

つまり「 3:20 北町 避難勧告発令」ではこの時点ですでに遅かった、という事です。

なぜそうなったのか、といえばもちろん「皿川は氾濫しない」という飯山市の思い込みのせいです。

ちなみに2時半に市職員が「左岸越水を確認」した直後に左岸には避難指示、右岸には少なくとも避難勧告を出す事が必要でした。(注4

1-3「4:50 田町 避難勧告」について(田町は北町の南側に隣接したエリアであって、2時~3時に北町に流れ着いた水は当然3時以降には田町地区を浸水していった。):田町 https://archive.fo/nNy6T 

田町区住民の例

市街地で洋品店を営むYさんはこう話しています。
「13日午前5時ごろ家の横を流れる川は、道路から5㎝程まで水位が上がっていた。大急ぎで商品を高いところに上げ始めたが、水が店に入って来た。水が床上20㎝ぐらいまで作業を続けたが、どんどん水が入って来て1時間程で70mになり2階に避難した。
もう少し早く皿川の危険性や、越水の情報が早ければ、商品を濡らさずに済んだのにと思う。注5

4時50分に避難勧告が発令された時点では田町のこの場所ではすでに浸水が始まっていた模様である。そうしてこの方が指摘している様に「もう少し早く皿川の危険性や、越水の情報が早ければ、商品を濡らさずに済んだのに」そうしなかったのは飯山市の落ち度である。

隣接した田町地区には2時半の時点で避難勧告を発令するのが妥当であった。少なくとも「皿川越水の情報」は伝えて、警戒態勢をとる必要があった。

それで、そのように対応できていなかったのは、飯山市の判断力、対応力の無さを示すものである。

そうして前の記事でも述べたが「皿川は樋門を開いておけば氾濫しない」という「勝手な思い込み」の為に皿川氾濫の可能性を排除し排水ポンプの事前準備を怠り皿川水位の監視を怠った市役所の怠慢が上記3つのエリアへの避難勧告の遅れを招いたのである。

 

注1:・水門閉鎖、飯山市に通知せず 国交省 皿川 30分後に越水 (信毎 紙面): http://archive.fo/Q7J1l :左上囲み記事部分に「樋門操作員が2時10分ごろに地元区長(有尾区長)に『・・・避難した方がいい』と連絡。」との取材報告あり。

注2:・消防団がいてくれたから気付いた・市の情報もっと早ければ対応できた (北信ローカル) : https://archive.fo/YhORN :『12日3時には浸水が始まっていて、、、』

・消防団の経験生かす・車とバイクは高台へ (北信ローカル) : https://archive.fo/SJ1gS : 『13日 2~3時頃から水が入りはじめ、4時には濁流でタイヤや軽いものが流れてきた。1階の車庫と倉庫が約1m、腰の高さまで浸水し、、、』

上記よりこの濁流は北町の南隣、田町に向かって流れ込んだものと思われます。

注3: https://archive.fo/gmlh4 : 台風19号 豪雪地帯・飯山ルポ 戻らぬ生活、迫る厳冬 浸水の1階住めず、災害ごみ山積み /長野 :毎日 2021年6月5日(土)

注4: 被災地のいま 飯山市 住民の意識に深い爪痕 : https://archive.fo/oxFSY

注5:・もう少し早く皿川の危険性や、越水の情報が早ければ、商品を濡らさずに済んだのにと思う。2020-01-20  : https://archive.fo/07r7c :から引用。ちなみにこの方のお住まいは田町区(避難勧告発令は4時50分)であって道を挟んで向こう側が福寿町となります。

注6:但しこのM氏の車は無事に避難が出来たそうです。M氏曰く「避難できたのは消防団の特権」だそうです。さて今回の水害では飯山中で200台を優に超える車が水没ー>廃車になった模様です。そうであればこのM氏が主張するような「一部の特権をお持ちの方のみ避難が出来る状況」というものは、改善される事が必要であります。

ちなみにM氏の自宅も浸水被害を受けた模様で、公費で取り壊されて家を建て直され、いまでは新しくなった家に住んでおられる模様です。

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台風19号 飯山水害の研究・一覧

 

 

 

 

 


「皿川氾濫・決壊に対する避難勧告発令」の1

2021-07-12 11:23:42 | 日記

千曲川についての避難勧告の状況は前述した通りである。

従って次は皿川氾濫・決壊に対して飯山市がどのように避難勧告を出していたのかを、市長と飯山市の主張を交えながら見てゆくことになる。

事前準備

10月11日~12日にかけて 「台風19号襲来に備えて皿川樋門を閉める」という水防計画を立てなかった。(飯山市がしなかった事の1)(注1

これは「皿川樋門を閉める必要がある程の千曲川の水位上昇が起こりうる」という事を飯山市が理解していなかった為である。あるいは言い換えれば「どのような台風がきても皿川樋門は開きっぱなしで大丈夫である」と勘違いしていた、という事でもある。

そうしてまた、それゆえに皿川に対しては今井川、日光川に対して行った様な「事前の排水ポンプ車の手配」を行わなかった。(飯山市がしなかった事の2)(注2

加えて「飯山市街地の住民が避難する事態の発生」を想定しておらず、そのための避難所の開設の準備もしていなかった。(対策本部がしなかった事の3)(注3

それから台風19号襲来の折、対策本部は飯山市にある水防上重要な樋門・樋管について、そのゲートが今開いているのか、閉まっているのかという情報を全くつかんでいなかった。(対策本部がしなかった事の4)(注4

氾濫に対する初動対応 (2時15分 左岸越水~3時20分 北町区 避難勧告発令まで)

10月13日 2時15分 皿川越水・氾濫(市民目撃の第一報)

『だから「溢れたよ」の第一報(しかないけど)を入れた時、電話の相手が「え!溢れた?」って反応だったのか』11月8日記事 (注5

市役所はこの情報をうけて職員一人を現場確認の為に現地に派遣。皿川橋に到着した上下水道課の職員はそこから下水道中継ポンプ場に越水している皿川の水を確認した。(2時30分ごろ:市議会答弁から引用

状況を確認した職員は電話で対策本部に連絡。だが対策本部は水があふれ出している左岸有尾区への避難勧告を越水を確認した職員からの連絡を受けた後で速やかには出さなかった。(対策本部がしなかった事の5)(注6

そして対策本部が左岸有尾区への避難勧告を出したのは、なんと越水を職員が確認してから1時間半後の4時である。

同様にして皿川氾濫で影響が生じる可能性がある右岸、市街地側に対して「皿川左岸に越水した」という情報を防災無線で知らせず、市民に対する注意喚起を怠った。(対策本部がしなかった事の6

また対策本部は確認した左岸越水場所に対しての土嚢積みを消防団に指示しなかった。(対策本部がしなかった事の7

同様にして消防団に対して半鐘をたたいて知らせる様に依頼しなかった。(対策本部がしなかった事の8)(注12

そうしてまた皿川越水・氾濫を確認したにもかかわらず、河川事務所に対して「早急に排水ポンプ車をよこせ」と依頼する事をしなかった。(対策本部がしなかった事の9)(注7

同様にしてまた消防団に対して「排水ポンプで皿川の水を排水せよ」と依頼しなかった。(対策本部がしなかった事の10)(注13

同様にまた対策本部、および現場で左岸越水を確認した職員は「右岸堤防は大丈夫なのか?」という事に注意を払わず、現地確認担当の職員は右岸堤防の上を歩いて状況を確認する事を怠った。(対策本部がしなかった事の11

市長はその言い訳として「夜は暗くてそのあたりまで見通せなかった」と「夜の暗さの為」と説明している。(注8

この怠慢の為に飯山市は皿川右岸堤防で何が起こっているのか、当時はそれを全くつかむ事が出来ていなかった。(対策本部がしなかった事の12)(注9

従って越水し始めた右岸堤防の、その後は決壊に至る場所ではあるが、その場所に対して速やかな土嚢積みの指示を消防団、あるいは北信建設事務所に出すことをしなかった。(対策本部がしなかった事の13)(注10

それゆえにまた右岸北町区への避難指示を適時(2時半過ぎ)に出すことをしなかった。(対策本部がしなかった事の14

それで市民からの「右岸にあふれた」の第二報(3時05分:有尾区の司法書士事務所よりの連絡)を受けてようやく3時20分に北町区への避難勧告を発令したのである。(注11

 

まとめ : 以上の事から分かる様に「氾濫するはずがない皿川が氾濫した」という事実は対策本部を混乱の極みに落とし込んだ。

したがって「初動対応で対策本部がやった事」、「やれた事」は「左岸越水を確認した事」と「3時20分に北町区に避難勧告を発令した事」だけだったのである。

その原因はもちろん・水防計画の失敗による事前準備の不足 であり、それが致命的であった。

加えて飯山市の・想定外の事態が起きた時の対応力の無さ が露見したものでもある。

ちなみに上記初動対応で出された避難勧告を以下に示しておく。

10 月 13 日(日)
 3:20 北町 避難勧告 (3時05分の市民からの皿川越水の第二報を受けて)

 これ以降の避難勧告については初動対応とはいえず、対策本部は状況を見ながら以下の様に順次避難勧告を出していく事になる。そうしてこの部分については後日「なぜもっと早く避難勧告が出せなかったのか?」と大いに非難されたのである。

4:00 有尾地区(皿川沿い一部) 避難勧告 

 4:50 田町 避難勧告(田町は北町の南側に隣接したエリアであって、2時~3時に北町に流れ着いた水は当然3時以降には田町地区を浸水していた。)

 6:40 福寿町・本町・肴町・上町・新町・鉄砲町・奈良沢・栄町・県町・北畑 避難勧告 

 

注1:この事についての内容詳細は以下の記事を参照願います。

・その7・なぜ2年前の台風では皿川樋門は開きっぱなしでよかったのか? ーー>「その8」
2年前はピーク水位が8mであり、この値が皿川樋門あけっぱなし対応の限界値。
10年ほど前までは台風の時は皿川樋門を閉じてすぐに排水ポンプ車で排水をしていた。

・その8・合理的な検証抜きで、経験則のみに頼っている飯山市と河川事務所の判断ミス -->「その20」
皿川樋門開きっぱなし対応の限度は千曲川水位が8.0mまで。

・その20・過去の3つの災害事例と今回の台風19号事例についての要因分析
千曲川の水位の上昇タイミングと皿川上流域にいつ、どの程度の最大降水量が発生したかがポイントとなる。
そのような複合タイプの基準で皿川の状況を判断しないと今後も判断ミスをすることになる。

注2:この事についての内容詳細は以下の記事を参照願います。

・その10-1・今回初めて排水ポンプ車の事前準備なしで皿川樋門を閉じました。
今回の飯山皿川の悲劇は「妥当な水防計画を飯山市が立てる事ができなかった」という事にすべて起因しています。注記にて飯山市が手配した今井川、(日光川)、広井川への排水ポンプ車の手配状況を記述した。

注3:唯一事前に計画され実行に移されたのが「常盤・木島地区対象の避難勧告発令とそれに合わせた避難所の開設」であった

『10 月 12 日(土) 20:15 常盤・木島地区 避難準備情報
         20:45 常盤・木島地区 避難勧告 

5.避難所
 10 月 12 日(土)21:30 当初設置箇所(飯山市開設は2か所のみ)
 城南中(50 名)<--飯山市開設:避難対象者 木島地区
 城北中(50 名)<--飯山市開設:避難対象者 常盤地区
 木島平村若者センター(90 名) <--木島平村開設 協定により飯山市木島地区の避難者も受け入れる』:・令和元年台風19号関連災害経過報告【第2報】 :より加筆、引用

残念な事にそれ以外の避難所の開設はずっと遅れており、この事が市街地の住民に対する避難勧告の遅れにつながった一つの大きな要因であると推定できる。

注4:飯山市の職員がゲート操作をする事になっている唯一の場所である城南樋管の状況はつかんでいた。また常に開けっ放しである事が正常である飯山樋管と栄川樋管の状況も了解していた。

だがそれ以外の飯山にある残り30数か所の樋門、樋管のゲートの状況を対策本部はリアルタイムでつかんではいなかった。

注5: https://archive.fo/lEUqK : 皿川の水門を閉めたのは… : https://archive.fo/F45JX

注6: 飯山市の言い訳は「千曲川以外の河川については避難勧告を出す基準がない」と言うものであるが、皿川については基準は存在し、マニュアルに記載されていた。:

・「避難勧告等の判断・伝達マニアル」変更履歴 : https://archive.fo/Hr34x

・「避難勧告等の判断・伝達マニアル」内水氾濫発令基準 : https://archive.fo/Ge9M7

さて現物によれば「判断基準」も「避難区域」も決められている。くわえて目の前で川から水が住宅地に向けてあふれ出している時に「基準が・・・」という様に考える対策本部のアタマはおかしい。まずは「逃げろ」と言うのが常識であろう。

注7:『3:30 皿川へ排水ポンプ車の配備を千曲川河川事務所へ要請。』:・令和元年台風19号関連災害経過報告【第2報】 :最終ページの時系列表参照

注8:・11月29日付「北信ローカル紙」の報道 : https://archive.fo/DdTXX :2019年11月の市長の記者会見の様子

注9:『皿川右岸のJR鉄橋の上下流から越水。(後日の聞き取り)』と言うように「13日当日には右岸の決壊場所で何が起きていたか、把握していなかった」: ・令和元年台風19号関連災害経過報告【第2報】 :最終ページの時系列表参照

注10:『5:00 頃 皿川の越水箇所への土嚢積みを指示。』と言うように「右岸越水の連絡を受けてから2時間後に土嚢積みの指示をだす」という対策本部の怠慢。:・令和元年台風19号関連災害経過報告【第2報】 :最終ページの時系列表参照

注11:・ひざ下10cmは、40cmもの浸水~「住民から避難勧告は出ないのかと電話」~緊急事態なのに~ : https://archive.fo/Pl49q

注12:・https://archive.fo/gmlh4 : 台風19号 豪雪地帯・飯山ルポ 戻らぬ生活、迫る厳冬 浸水の1階住めず、災害ごみ山積み /長野 :毎日 2021年6月5日(土)ーーーーー↓

・『同市に住む40代男性は、10月12日の夜は2階の寝室で寝ていたが、翌午前3時ごろ、1階から異音が聞こえたため様子をのぞき込むと、既に床上1メートル近く浸水していたという。
 防災無線(引用注:3時20分 防災無線で北町への避難勧告を聞いた)より前に鳴っていた半鐘には気づいていたが、無線による避難指示はなく、避難をためらった。同3時半ごろ防災無線の避難勧告を聞いて家族での屋外への避難を決意。水につかりながら安全な場所に逃れた。』

コメント:この防災無線での避難勧告の連絡よりも前に鳴っていた半鐘は、消防団の団員が個人の判断でたたいて周辺住民に警報を出したものと思われます。そうして、この「皿川が氾濫した」と言う情報は消防団長には伝わっていなかった模様であり、消防団としての統一された組織的な対応はこの時点では行われた形跡が見当たりません。消防団長はこの時(どこで何をしていたのか、不明ですが)半鐘が鳴っていた事を知らなかったものと思われます。

そうであれば「皿川左岸越水場所に土のうを積む」という消防団が防災訓練の時にやっていた土のう積みを実際の場面で生かす、という事はかったのである。

注13:消防団が排水の為に動員されたのは13日の朝方、明るくなってからでした。このあたり木島平村の対応とは大きく異なります。木島平村では夜通しの必死の排水作業が消防団によって行われていました。

・消防団出動 : https://archive.fo/kaAqM  :10月13日午前8時ころ 中央橋西詰から城山雨水排水ポンプ場ポンプ場方面を見る

動画 : https://twitter.com/zakkey_zzr/status/1183155046533386241?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E1183155046533386241&ref_url=https%3A%2F%2Fmatomedane.jp%2Fpage%2F39432

その様に出動したのは「何もしなかった事よりはマシ」ではあるが、その出動も昼過ぎには終了し消防団は撤退した模様。遅れて出勤し、誰よりも早く帰る、サラリーマンの鑑であります。

長野県飯山市における 2019 年台風 19 号水害について: https://www.shinshu-u.ac.jp/faculty/science/life-nature/activity/assets/iiyama-suigai.pdf :の冒頭にある右側の写真が 図2飯山市水害状況(10 月 13 日 13 時iネット提供):この空撮画像はiネットが13日の13時ごろの千曲川堤防付近を撮影したもの。拡大すると良く分かるが、朝方から堤防に排水の為に出動していた消防団はこの時にはもうそこには見当たらない。

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台風19号 飯山水害の研究・一覧

 

 

 

 


飯山市と河川事務所の芝居は成立していない

2021-07-08 19:24:18 | 日記

さてそれで次の話題は「飯山市と河川事務所の芝居について」である。もちろん素人がやった芝居だから正確には「田舎芝居」という事になる。

まずは時系列に注目すべきイベントを見ておこう。

10月13日 2時15分 皿川越水・氾濫

13日中の市から県への報告 バックウオーターにより中継ポンプ場浸水:千曲川からの逆流が原因の認識 :  https://archive.fo/pl709 

14日~16日 どのようにプレス発表するのか河川事務所と飯山市との間で相談が行われ、その結果「バックウオーターが氾濫の原因」は取り下げられ、実際は開けっ放しだった皿川樋門ではあるが、「樋門を閉めた」と発表する事になったと推察する。

17日 第一報プレス発表 皿川樋門は2時に閉めた:操作員2時頃に連絡(どこに連絡したかは明示されず):・令和元年台風19号台風関連災害経過報告

19日・氾濫3時間後に避難勧告 すでにひざ下浸水、千曲川支流 (朝日新聞記事): https://archive.fo/3Lsij 

21日・基準がない 避難勧告遅れた飯山市 支流氾濫は想定外 (朝日新聞記事): http://archive.fo/i0unC

28日 第二報プレス発表 皿川樋門は1時44分に閉めた:操作員2時頃に連絡(どこに連絡したかは明示されず):・令和元年台風19号関連災害経過報告【第2報】 (注1)

28日 議員全員協議会開催:そこで市より市議会議員全員に示された資料はプレス発表第二報そのものであった。


11月21日 河川事務所 信毎を呼んで河川事務所の主張を伝える:「皿川樋門を閉めて操作員を退避させたことを飯山市に知らせていなかった」とした。(注2)

24日 信毎記事:皿川の水門閉鎖、国交省が飯山市に通知せず 30分後越水し中心部浸水 :飯山市は「河川事務所との間で『情報共有などの連携がうまくいかなかった』と説明。」した。:https://archive.md/jBxn9

25日 市長記者会見 :「(河川の氾濫に関する)状況がよく分かるので、本来であれば水門を閉めた後に(引用注:河川事務所から)連絡をもらえればよかった」(12月2日中日新聞記事より:ソースは下記参照)

29日 「北信ローカル紙」の市長記者会見報道 :https://archive.fo/DdTXX


12月2日 中日新聞 皿川氾濫取材と市長記者会見フォロウ記事 :水門の閉鎖 国 伝えず :中日新聞は専門家の意見として「情報伝達の仕組みの整備が必要」と伝えた。:http://www.gensai.nagoya-u.ac.jp/wp-content/uploads/2014/05/20191202_sonaeru170.pdf

◯12月3日(火)市議会始まる

2019・12・11 飯山市議会議事録 一般質問 : https://archive.fo/gzfZi :から以下引用

『◆4番(飯田健一)  ・・・
 次に、皿川の氾濫をめぐる経過であります。・・・

信毎の報道では、皿川樋門閉鎖を(引用注:河川事務所は)市に通知していなかったとしてありますけれども、

10月28日の議員全員協議会では、皿川の樋門は1時44分に閉鎖としたと操作員から報告ありとの説明が(引用注:市役所から議員に)ありました

市は、皿川樋門が閉まったことをいつ誰から報告を受けたのですか。

◎総務部長(栗岩康彦) 
 皿川の樋門が閉まったことの報告ということでありますが、樋門管理受託者から(引用注:13日の)2時過ぎに情報提供があったということでございます。

・・・

◆13番(小林喜美治) 
 あまり時間をかけたくないんですが、ただ、これも今問題となっている皿川について、マスコミの報道では、閉めたということが国のほうから飯山市のほうに連絡がなかったということが、つい最近の新聞であったと。しかし、飯山市の時系列の中には、何時に閉めたというのを、その樋門を管理している人が飯山市のほうへ来ていると、閉めましたという、そういう連絡が(引用注:飯山市の方に)来たというのが、飯山市の文書の中に入っているんですよ。

問題は、樋門を閉めれば内水の処理が求められるわけで、この千曲川河川事務所との連携共有というのが十分だったのかどうかという問題、

それから何か所、何か所とさっき箇所数を言いましたが、地元区となっているんですが、地元区と同時に消防団にもお願いしてあると思うんです。
そういう判断がどうだったかということも、たしか消防団の中には優先順位があってどうのこうのという話もちらっと聞いたことがあるんです。

 だから、そういう中ではあるんですが、千曲川河川事務所との連携はどうであるかという、その辺については確認をしたいと思いますが、よろしくお願いします。

◎建設水道部長(坪根富士夫) 
 皿川の件に関して申し上げますと、国のほうからは飯山市のほうには特段連絡はございませんでした。

◆13番(小林喜美治) 
 無かったというのは事実なんですね。(注3)

・・・

以上の市議会での飯山市の答弁から分かる最初の事実は「河川事務所から直接、樋門を閉めた、と言う連絡はなかったのは事実である」という事。

だがしかし2つ目の事実は「樋門操作員は樋門を閉めた後2時過ぎに飯山市に樋門を閉めたと連絡をいれた、と飯山市が認めている事」。

但しここで注意が必要な事は「実際に皿川樋門が閉められたのかどうか」という事はまた別の問題である、という事であり、その事についてはここでの議論とは切り離して論じなくてはならない。(注4)

ここで議論している問題は「飯山市と市長は、それから河川事務所も、国から飯山市に連絡をいれなかった事があたかも避難勧告の遅れを生んだ原因であるかのような発言をしている。」という所にある。

そうであれば足立市長は信毎の報道を受けて

25日 市長記者会見 :「(河川の氾濫に関する)状況がよく分かるので、本来であれば水門を閉めた後に連絡をもらえればよかった」(中日新聞記事)

と言うような発言を記者会見の席上で言っているのである。

そうしてそれに誘導される形で中日新聞が『水門の閉鎖 国 伝えず 』と言う記事を書きそうして中日新聞は専門家の意見として「情報伝達の仕組みの整備が必要」と伝える事になったのである。

これが飯山市と河川事務所が必要とした最終的なマスコミの飯山水害に対するとらえ方であった。(注5)

そうであればこの中日新聞の記事こそが飯山市と河川事務所が行った芝居の目的が達成された姿なのである。


だが実際は「樋門操作員から樋門を閉めた後で連絡をもらっている」と飯山市は認めている。

ここでポイントとなる事は「その事実を知っているのは市議会議員だけである」という事であって「マスコミに対してはその事実は公開されていない」という所にある。

こうして中日新聞はまんまと飯山市と河川事務所の芝居にだまされた、という事になったのである。

しかしながら市議会でのやり取りを含めた形で全体を見渡すならば「飯山市と河川事務所の芝居は成立していない」という事が明らかになるのである。

 

注1:だが一番最後のページに付けられた時系列表をみると「河川事務所と樋門操作員のあいだでやり取りがあった」かのような記述がされた。これによって「樋門を閉めた後で樋門操作員が報告をしたのは河川事務所である」と資料を読む者に思わせる効果が生まれている。

注2:しかし注1で述べた効果はあまりにも暗示的すぎてあまり期待したような結果を飯山市にはもたらさなかった。したがって「より明示的な誘導策が市長記者会見の前にとられた」と推察される。

この辺りの状況詳細については以下の記事を参照願います。

・その18・黙っていればバレないのに自分からミスをばらしていく、不思議な河川事務所についての考察
当初飯山市は県に対して「皿川樋門は開いていた」と取れる報告を上げていたが、それがいつの間にか「皿川樋門は閉じていた」に変わっていった、というお話。

注3:一般質問のこの辺りのやり取り詳細については以下の記事を参照願います。

・参考資料の2 : ・飯山市議会議事録から 国が飯山市に水門を閉めた という連絡を入れなかったのがまずかった という河川事務所と飯山市の主張の不自然さについての考察。実際は樋門操作員から2時過ぎに市役所に連絡が入っており、だがしかし、市役所はその連絡を受けてもポンプ車の手配等、必要な事はなにもしなかった、という事になる。

注4:皿川樋門が本当はどうであったのか、については以下の記事を参照願います。

飯山水害 皿川樋門は開いていた

「河川事務所の報告は成立していない」の1 

「河川事務所の報告は成立していない」の2

「河川事務所の報告は成立していない」の3

注5:河川事務所は「確かに樋門は閉められた」という認識をマスコミに与える事、ひいては世間に与える事に成功した。

そうしてまた飯山市は「国が飯山市に連絡をしなかったのが悪いのだ」と言う印象をマスコミに与える事、ひいては世間に与える事に成功したのである。

追記:河川事務所が出してきた報告書にも「操作員はゲートを降ろした後で飯山市に連絡した」という記載がある。

・情報公開請求によって河川事務所から提示された皿川樋門操作記録:https://archive.fo/NOD6b  : https://archive.fo/ffrn2

そうであればもともと河川事務所は信毎を呼んで「我々が飯山市に連絡をしなかったのが悪いのだ」などという様な事を言う必要などどこにもないのである。

なんとなれば委託契約をしている担当者が河川事務所が定めた手順に従ってちゃんと市役所に連絡している事になっているからである。

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台風19号 飯山水害の研究・一覧

 

 


皿川氾濫・「飯山市の主張は成立していない」

2021-07-06 01:38:44 | 日記

次に皿川氾濫対応についての飯山市の主張を見ていきましょう。

・氾濫3時間後に避難勧告 すでにひざ下浸水、千曲川支流 (朝日) : https://archive.fo/3Lsij : 2019年10月19日 12時58分

『皿川の氾濫(はんらん)情報から少なくとも3時間以上経った後に避難勧告を出した地域があったことがわかった。』<--つまり「避難勧告の発令が遅すぎるのでは?」という批判に対しては、

小さな川すべての氾濫情報までは把握できない。

排水機能が失われることは想定外で、その時点では精いっぱいの判断だったと捉えている。

と飯山市は主張している。

そして次のニュースでは

・基準がない 避難勧告遅れた飯山市 支流氾濫は想定外 (朝日) : https://archive.fo/l3CPz : 2019年10月21日07時48分

『市が想定したのは千曲川の氾濫。ところが今回は支流から市街へと水がなだれ込んだ。想定外の事態に慌てた市は、会議を開くものの「基準がない」ために勧告を出せないまま。その間に市役所1階を含む市街地が水没した。・・・皿川は市街地の北を西から東に流れ、千曲川に注いでいる。氾濫を想定していないのだから、氾濫した場合に被害がどう広がるかも考えられていなかった。』

この時点での飯山市の主張は2つ。

皿川氾濫は想定外であった。

「基準がない」ために勧告を出せなかった。皿川氾濫時の浸水範囲の想定はしていない。

以上の4つの主張について順に見ていきましょう。

 

小さな川すべての氾濫情報までは把握できない。

飯山市は市議会答弁で「重要水防箇所は巡回・監視していた」と答弁している。それらの重要水防箇所は「過去に水があふれた事のある場所」あるいは「水があふれると大変な事になる場所」の事である。

そうしてもちろん「皿川は重要水防箇所に指定されるべき場所」であった。だが飯山市は今回の皿川氾濫があるまでは皿川を「重要水防箇所に指定していなかった」。これは飯山市の怠慢、「皿川は県の管理だから県に任せておけばよい」とでもいうようなものである。

それで皿川を「小さな川」と表現するのであれば、その時にすでに飯山市は自分の責任を放棄している、自分の出来の悪さ、能力のなさを示している事になる。そうしてこのようなあきれてしまう様な「開き直りの態度」というものはこれからもしばしば目にするのである。

それで実際に今回は皿川樋門を閉める対象から外し、したがって排水ポンプ車の事前配置もなしとし、当然そこにいるべき樋門操作員もそこにはおらず、誰も皿川を監視してはいなかったのである。これはあきらかに飯山市がたてた水防計画のミスである。

排水機能が失われることは想定外で、その時点では精いっぱいの判断だったと捉えている

この言い訳は飯山市の本音であろうか、その後の市議会の答弁でも「その様な言い訳」を繰り返している。つまり「排水ポンプ場が動いてさえいれば、こんなには浸水範囲は広がらず、避難勧告が遅れた、と非難される事もなかった」という態度である。

この飯山市の主張は以下の2つの点で間違えている。

一つ目の間違いは「排水ポンプ場の排水能力には十分な余裕があった」という認識である。実際には市街地に降った雨水を十分に排水する事すら出来ていない状況であった。したがって、それに加えて皿川からの氾濫水を千曲川に排水する事など始めからできなかったのである。

だが飯山市は「いや、動いていれば、浸水によってポンプ場が異常停止する事さえなければ排水できた」という。これは全くの間違いなのであるが、詳細をここで述べるのは長くなりすぎる為に今は結論だけを示しておいて、内容詳細については後述することとする。(注3

二つ目の間違いは「市内に排出された泥水の量の読み間違い」である。「13日当日では皿川堤防は越水だけなのか、決壊したのか、対策本部はつかんでいなかった」と言っている。だが実際は堤防は決壊しており、そこから皿川の水と皿川を逆流した千曲川の泥水が大量に市内にあふれ出したのである。

そのような「最悪の状況」であったにも関わららずその状況をその時にリアルタイムで把握する努力を怠り、単に「楽観的な推測で」「皿川からすこし水が越水しただけだ」とし、従って「ポンプ場の排水ポンプで対応可能である」と読んでその様に行動した、つまり「ぐずぐずと避難勧告を後回しにした対応」に終始したのである。

そうして、付け加えるならば「水があふれた」ならば「避難勧告」ではなくて「避難指示」を発令すべきだった。この点ですでに飯山市は「発令すべき内容そのものを間違えていた」という事ができる。

皿川氾濫は想定外であった。

1番で指摘した内容と重なるが飯山市は「皿川については樋門を開けっ放しにしておけば大丈夫、何の問題もない」と判断していた。そうであれば飯山市にとっては「想定外」であったであろうがそれは飯山市の出来の悪さを示す以外の何物でもなく、そこで「想定外」と言い切るのは「飯山市の無能力さを示すもの」である。

「基準がない」ために勧告を出せなかった皿川氾濫時の浸水範囲の想定はしていない。

飯山市はここで事実と異なる事をマスコミに伝えている。「基準はなかった」のではなく「基準はあった」。それを書いたマニュアルは存在したのである。以下に現物を示す。

・「避難勧告等の判断・伝達マニアル」変更履歴 : https://archive.fo/Hr34x

・「避難勧告等の判断・伝達マニアル」内水氾濫発令基準 : https://archive.fo/Ge9M7

さて現物によれば「判断基準」も「避難区域」も決められている。という事は「存在していた基準」を「存在しない」とマスコミに伝えていた訳だな、飯山市は。そういうのは世間では「ウソつき」と呼ばれるのだよ、市役所の諸君。(注1)

その事に関連して以下に市議会でのやりとりも載せておく。

飯山市 令和 2年  6月 定例会(第372回) 06月16日-02号

◆6番(松本淳一) 
 松本淳一です。
 発言が許されましたので、通告に基づいて順番に質問をしてまいります。5点質問したいと思っております。

 まず、昨年の水害時の水害のマニュアルというのがあるんですが、その内容と実際の運用についてうかがいます。
 昨年の市街地の水害では、新聞などでマニュアルが存在しなかったかのように報道されていました。
しかし、実際は存在をしております。「避難勧告等の判断・伝達マニュアル」といいます。(引用注: マニュアル詳細は https://archive.fo/aBN7N )

コメント:新聞社に、マスコミにウソを言ってはいけないよ、市役所さん!それはつまり「世間をだます、市民をだます」ということだな。

(松本淳一) 昨年の台風19号で、「避難勧告等の判断・伝達マニュアル」とそのマニュアルの実際の運用についてお尋ねをいたします。
 まず、マニュアルはどのような経緯で策定されていったのかお尋ねします。
初めて作られたのは、いつのことでしたでしょうか。

◎総務部長(北爪英紀) 
 最初にマニュアルが作られたのは、平成24年度でございます。

・・・

◆6番(松本淳一) 
 再度おうかがいしたいんですが、お答えになれないところもあったんですけれども、全体として見ると、千曲川の場合も皿川の場合も、マニュアルが使われていないんじゃないかというふうに私は思っているんですが、この点いかがですか。

◎総務部長(北爪英紀) 
 千曲川と皿川ということでよろしいでしょうか。
 昨年の台風のときには、避難勧告の発令に際し、判断の参考として活用しておりました。

◆6番(松本淳一) 
 それでは、端的な聞き方ですけれども、警戒本部にはちゃんとマニュアルがあったというふうに判断してよろしいですね

◎総務部長(北爪英紀) 
 ございました。』(注2)

さて以上の様に対策本部にはマニュアルがあり、基準がありそれを見ていた。だがマスコミに対しては「基準がない」と事実と異なる事を伝えていた。

さてどう思いますかマスコミの諸君。こういう飯山市の態度・やり方については?

さて実はマニュアルに書かれている事を読めば1、の「無視してもよい小さな川」には皿川は相当しておらず、当然皿川は監視対象とするべき河川であったことが分かる

そうしてまた3、の「皿川氾濫は想定外であった。」というのもウソで「すでに想定は済んでいた」が事実である事が分かる。

まあそういう訳で「飯山市の主張は成立していない」という事になるのである。

 

注1:関連するブログ記事については以下を参照の事。

・千曲川氾濫危険水位の見直しに対応した「避難勧告等の判断・伝達マニアル」の改訂と~市民への周知を~ (2020-10-10 ) : https://archive.fo/aBN7N

注2:市議会でのやり取り詳細については以下の記事を参照願います。

・参考資料の13-1 :・松本議員の「存在しない、とマスコミには答えていた避難マニュアルが実は存在した」という件と、そうしてそのマニュアルにかかれている内容を市役所はまるで無視していたという件についてのやり取り、あるいは単なる市役所の逃げ。関連して水害発生時についての新聞記事(複数)の紹介。

注3:この件、内容詳細につきましては以下の記事を参照願います。

22・「城山の雨水排水ポンプ場は能力不足」の1 :

『2、ポンプ場に流入する雨水が増えてもいないのに、何故3台目のポンプを動かす必要があったのか?

実は1時50分の時点ではそれまでよりもポンプ場に流入する雨水の量は減っていました。にもかかわらずポンプ場貯水池の水位は上昇を続け、つまりは2台の排水ポンプを稼働させただけでは排水量が足りず、したがってポンプ場の担当者は3台目のポンプを稼働させることになったのです。

ほほう、何故そんな事になるのですか?千曲川の水位が上昇した為です。・・・』

23・「城山の雨水排水ポンプ場は能力不足」の2 :

『・・・当初我々は「それはどこからかは知らないが雨水のほかに排水ポンプが排除しなくてはならない水が貯水池に流れ込んできたためだ」と推測しました。(注3)これは市長の「1台あたり1分間に110トンの排水能力をもつ排水ポンプだ」という主張を鵜呑みにした結果でした。

しかしながら市長のこの発言・主張は千曲川の水位上昇の影響を排水ポンプが受ける事を無視した「お話にならない主張だった」のです。

事実はと言えば「1時50分のタイミングでは2台の排水ポンプが動いていたにも関わらず貯水池の水位は上昇し続け、あふれ出すまであと50センチを残すほどにまでなっていた」のです。・・・』

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