飯山水害「なぜ皿川堤防は決壊したのか」の1

2021-06-23 22:26:23 | 日記

前述したように千曲川の水位上昇に伴って皿川の水が千曲川へ流れ出さなくなりました。その理由として流出が人為的に遮断されたのか、それとも自然に遮断されたのか、2つの可能性がありますが今はその真偽を問わずに話を進めます。

いずれにせよ流出できなくなった皿川の水は樋門の前に溜まりはじめ、皿川ダム湖を作りはじめます。そうしてついには満水に至り、左岸M建設側の道路へと越水し始めました。その時に皿川水位を確認しに来ていた楽農家さんが越水を確認して市役所に一報を入れました。これが皿川越水の第一報でした。

しかし後日明らかになった事はこの左岸側への越水よりも早く実は右岸堤防のある部分から越水が始まっていたのでした。その部分とは右岸堤防とJR飯山線の線路が交差する部分、その部分の堤防高さはほかの部分に比べて70センチほど低くなっており、この部分が皿川堤防の一番低い場所でした。

堤防決壊場所の修復は現在終わっており、現状でもJR線路との接続部が一番低く、標高は317.12mである、と長野県は言っています。そうしてここが低くなっている理由はJR線路に降った雨水の排水の為であり、したがって決壊前も修復が終わった現在でもその部分はJRが持っている基準に合わせて作られているものと思われます。(注1)

従って決壊前にその部分の標高がいくつであったのか、実測値は公表されてはいませんが、現状の値から大体の推測は出来る事になります。

それで左岸越水場所の標高は地図読みでは317.5mですので、その場所よりはここは40センチほどひくくなっていたと思われ、従って左岸越水よりもこの場所、右岸堤防とJR線路接続部の方が先に越水していたものと思われます。

それに加えてこの場所の皿川の水に接触する堤防の部分は耐水化されておらず、土で固めただけの構造でした。(注1)

従って越水を始めた皿川の水によって堤防のその場所の上端部は簡単に洗掘され、右岸越水開始後2時間程で決壊に至ったのでした。

決壊現場の状況

・皿川決壊現場(10/13 午前 6 時) : https://archive.md/KCeME

・皿川決壊現場(10/13 午前 6 時) : https://archive.fo/SWNru

・皿川決壊現場(10/13 午前 6 時) : https://archive.fo/Hjg28

・皿川決壊現場(10/13 午前 6 時) : https://archive.fo/gIso6  :  流れ出す泥水が決壊場所でJR線路側に流れ出し、線路下の土台を削り込んでいる写真。泥水はその反動で反時計回りに渦を巻きながら線路の反対側にあたる堤防の土を丸く削り取っている。

・その場所で少し左側を見る : https://archive.fo/mWE0a :左側から線路方向に向かって泥水が勢いよく流れ込んでいるのがよく分かる。

・皿川決壊現場(10/13 午前 6 時) : https://archive.fo/uIwKu :同上シーンのより決壊場所に近づいた写真

・同上シーンの左上部の写真 写真の奥方向は皿川の下流になるのだがまるでそちらが上流の様に見える。つまり「泥水はそちら側(下流側)から決壊場所に流れ込んでいる様に見える。それはつまり「皿川の下流側の水面の水位が決壊場所の水位より高い」という事である。それで「どーしてそんな事が可能になっているのか」と言うのが大問題なのである。: https://archive.fo/D1brr

なぜ皿川堤防は決壊したのか

一言でいうならば皿川右岸堤防はJR線路を堤防の一部として組み込んでいた、不完全堤防であった、という事になる。線路と言うものは堤防の代替えにはならず、堤防の上を線路は走る、と言うのが基本であるからである。(注1)

これは今回水害の前の皿川堤防かさ上げ、それから法面の耐水化や幅の拡充などの対応がとられてきてはいるが、それでもその弱点は残ったままであった。ちなみに残念な事には今回の決壊した場所の法面の耐水化は行われてはいなかった。その事が2時間と言う越水から決壊までの時間が相当に短いという印象を与える原因の一つになっている。(注2)

この点は堤防を管理・メンテナンスする責任をもつ長野県のミスであろう。この事については長野県は責任を免れない

それから、当方の見解では「樋門が開いており、そこから千曲川の泥水の無尽蔵の供給があった」という事も、越水から堤防決壊までの時間が短い事に寄与していると推定している。

もしこの千曲川からの泥水の供給がなければ、たとえば決壊までの時間が2時間ではなく4時間に延びていたかもしれない。あるいは越水は起こったが決壊そのものは免れたかもしれない。

そうであれば「皿川樋門を開けっ放しで台風19号を迎える」と計画し実行に移した飯山市と河川事務所もまたこの皿川堤防決壊の責任を免れる事はできないのである

右岸堤防決壊の飯山水害に与えた影響

皿川樋門が閉まっていたら、堤防が決壊しても市内にあふれる水の量は皿川ダム湖のおよそ3分の2~4分の3ほどの水量が、決壊しない場合に対して増えるだけであった。

だが皿川樋門が開いていた場合は、千曲川の水位上昇に伴ってほぼ無尽蔵に千曲川の泥水が皿川ダム湖をバイパスして右岸堤防決壊場所から市内に流れ出すことになる。

そうして市内に流れ出した水量、それからあとに残された膨大な量の泥の量を見るならば、千曲川の泥水が皿川を経由して市内に流れ出した、という事は明らかなのである。

つまり「皿川樋門が開いていた」という事と、「右岸堤防が決壊した」という事の相乗効果によって飯山の市街地は致命的な被害をこうむったのである。

 

注1:皿川堤防にあった2つの弱点に関しての内容詳細は以下の記事を参照ねがいます。

 ・その16・皿川堤防にあった二つの弱点
そうしてそのような重要な事実を知ろうともしない飯山市と河川事務所。
その為に「左岸から水があふれた」という住民からの重要な情報は全く生かされなかった。

注2:今回の堤防決壊を受けて長野県が行った決壊場所の修復完了の姿を示す。:・現状完成形 <--2020年3月25日現在

今回の災害が発生する前までにこの姿まで堤防の完成度を上げていなかったのは、長野県の怠慢、落ち度である。(=北信建設事務所の怠慢) 

決壊場所にコンクリートブロックを投入した状況を示す: https://archive.md/93ysb :

この画像から分かる様に、決壊場所の左側までは堤防の法面がコンクリートで耐水化されていた。

だが決壊場所は単に土を入れて固めただけで、法面の耐水化は行われてはいなかった。

北信建設事務所はそのような状態で皿川堤防を放置していたのである。

ちなみに前の北信建設事務所の所長は副市長のにいのみ氏その人である。

 

それから、飯山市議会答弁での関連する部分を以下に引用する。

『飯山市議会議事録より:令和元年12月12日(木曜日)

◆6番(松本淳一)
・・・ 千曲川が国、皿川が長野県の管理であっても、住民の生命財産を守る責務は飯山市にあります。
そのため、市長には避難勧告、避難指示を出す強い権限があるというふうに理解しています。
皿川堤防が本堤防より1.7メートル以上低い、そういう状態が57年、58年の水害の後、堤防が整備されたと思っていますので、30年以上そのままになっていたということについて、飯山市に責任はないのかお尋ねをします。


◎建設水道部長(坪根富士夫) 
 皿川につきましては、昭和60年度から平成8年度にかけ、築堤及び護岸工、橋梁工の工事を県が実施しております。
その後、平成18年(2006年)に、同年7月の千曲川洪水を受け、皿川のかさ上げを含む堤防強化等について県へ要望しております。

 当時、堤防のかさ上げについて要望しましたが、かさ上げについては、計画降水にプラスされる余裕高は確保されているという理由で実施されませんでしたが、平成20年度から平成23年度にかけ(2008~2011年)、護岸工を174メートル、堤防腹づけ工を150メートルについて実施をしていただいております。
このように、これまでも長野県において改修整備が実施されてきております。

 なお、内水排水対策につきましても、飯山市千曲川等災害対策連絡協議会を通じまして、県へ内水排水施設設置の要望を継続しているところでございます。』

そうして、残念な事にこの時の改修では今回決壊場所の法面の耐水化は行われず皿川堤防は未完成のまま放置されたのです。

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台風19号 飯山水害の研究・一覧

 


飯山水害 皿川堤防決壊の前と後の皿川氾濫状況

2021-06-23 21:11:10 | 日記

皿川の氾濫は2つのステージに分かれます。

一番目は皿川が決壊するまでの、皿川ダム湖満水による皿川から越水した水によって引き起こされたもの。

もう一つは皿川堤防が決壊する事によって引き起こされた、いわゆる飯山水害のメインの部分です。

そうして特例的にこの2つの場合のいずれでも冠水していたのがお宮下道路でした。(後述します。)

以下の文章にでてくる皿川に関連した場所の情報について、必要な方は注1を参照願います。

1、皿川堤防決壊前 (13日の4時15分まで)

最初の越水は左岸M建設前の道路で確認されました。場所の確認用として以下の画像を上げておきます。

右岸堤防中ごろから千曲川方向、皿川橋をみたものですが、左側の屋上に看板がでているあたりがM建設前道路となります。

・午前6時30分頃 千曲川堤防方向 : https://archive.fo/6PpWP :堤防上で排水ポンプ車が排水作業中 画面左、軽トラが止まっている駐車場の前あたりの道路から左岸越水 左端の赤い屋根の後ろの建物が有尾中継ポンプ場

・同上 10月13日午前8時57分 : https://archive.fo/Z1VHE

皿川ダム湖の水位はこの時にはすでに決壊場所から外に流れ出す水量が多いために相当に低下しており、左岸の高さからも相当に低くなっている事が確認できます。

この初期の皿川氾濫で浸水被害を受けた有尾中継ポンプ場の画像はこれです。

・有尾中継ポンプ場 : https://archive.fo/WF6Y0 :左岸越水場所道路からすぐ下ったところにある飯山市の施設。ここが氾濫した水で浸水被害額3000万となった。

この場所の浸水は13日の2時15分から同日4時15分までの2時間でした。と言うのも4時15分には右岸堤防の上部が決壊しそこから市内に大量の水があふれ出した為に皿川ダム湖の水位が低下し、左岸越水は終了となったのでした。(注2)

実は左岸越水時には右岸堤防のJR線路接続部の上下(東側と西側)から越水があった事は前述した通りです。そうして西側に越水した水はまずはその場所の田んぼを満たし、その西側にある住宅地、さらにはそれを超えてその西側まで浸水したものと思われます。

・有尾橋を右岸堤防から撮影 : https://archive.fo/nUm9q

・有尾橋より上流、右岸の状況 : https://archive.fo/Tyohj

・同上 その位置からさらに左側の状況 : https://archive.fo/8YCsg

・有尾橋を渡った辺りから下流、右岸の状況 : https://archive.fo/zzzNp

同上 有尾橋を渡った辺りから南側の状況 :この辺りの場所のポイントは皿川の泥水は氾濫したのだが、千曲川の泥水はこの高さまでは来なかった、という事である。したがって、この場所では「粘着する千曲川の花泥」は確認されていない事になる。つまり「残った泥を洗い落す為の掃除は簡単だった」のである。それに対してお宮下の冠水道路は千曲川の泥が残っていたので、掃除は大変だったのである。->  https://archive.fo/pZnmM 

・皿川決壊現場(10/13 午前 6 時) : https://archive.fo/wSUAB :JR線路を越えた西側の状況。これは西側の右岸堤防がやはりJR線路との接続部がひくくなっており、そこから満水時の皿川ダム湖の水が右岸田んぼへあふれ出したのである。そして線路東側の堤防決壊によって皿川ダム湖の水位がさがり、その時点で右岸田んぼへの越水は終了した。

・同上位置から線路西側を見る : https://archive.fo/wiSm8 :有尾橋を南側に渡り切った所にある住宅あたりと手前の田んぼの浸水状況。右下に堤防の通行止めポールが確認できる。 

・同上場所の時間がもっと後(10/13 午前9時44分 )の写真 : https://archive.fo/COn7j :右岸堤防のJR線路に向かって低くなり始める手前に通行禁止のポールが4本、たっているのが分かる。決壊場所にももちろんこのポールはあったが、流されてなくなっている。

さてでは線路東側に越水した水はどうだったのか?堤防が決壊する前ですから濁流となって流れ出す、ということはなく西側と同様の景色が広がっていたものと思われます。水深については西側報告によればひざ下10センチあたりという事ですので、その程度の浸水が東側でも確認できたものと思われます。(注3)

それで残念ながらこの時点での東側の浸水状況を記録した画像は入手していません。

さてそれで右岸堤防のJR線路との接続部から西側への越水は東側の堤防の上部が決壊する事で皿川ダム湖の水位が低下し、左岸への越水同様に4時15分頃には終了となりました。

だがしかし東側への越水、ではなくもうこの時点では堤防の決壊による氾濫水の流出になりますが、それが4時15分から本格的に時始まった事になります。(注2)

2、皿川堤防決壊後(13日の4時15分以降)

今回の話の舞台を確認しておく。: https://archive.fo/1TV1g :JR線路と堤防の交差する所が決壊場所。その皿川の下にある2つの建物が北町住宅。その住宅の南側直下に道がある。その住宅から千曲川の堤防と千曲川を見渡す事が出来る。

・皿川決壊現場(10/13 午前 6 時) : https://archive.fo/uIwKu :決壊場所から外側にある遊園地(滑り台が見える)に流れ出す泥水。この泥水が左側にある北町住宅に向かって流れる。

・皿川決壊現場(10/13 午前 6 時) : https://archive.fo/EncRq :少し左側をみる。奥に写っているのが北町住宅。

(・同上の水が引いた後の景色 : https://archive.fo/0O1iv :左端に水没したかわいそうな軽トラが写っています。<-次の画像でメインで登場)

・上記画像の左側部分にある遊園地の写真 フェンスの左側が遊園地 : https://archive.fo/hJCg5 :この泥水が北町住宅をはさんで南側と北側から皿川橋に通じる市道に向かって流れ出す。

・これは川ではない。決壊場所から流れ出した直後の濁流の姿であり、北町、県営住宅直下の南側道路を流れ下る泥水である。 :13日10時35分 この状況では濁流の中は歩けない。北町住宅孤立化。

・これは湖ではない。同上の位置から少し西側を写したもの。奥に見える建物は飯山高校の校舎。 :13日10時35分

・川の中に家が建っているのではない。北町住宅から流れ出した泥水の先にある北町の浸水状況 : https://archive.fo/GZ4NE :10月13日朝撮影 赤い屋根と後ろの青い屋根のあいだに市内から皿川橋に北上する道路が走っていて、その道の奥が畑になっている。青い屋根の後ろが千曲川堤防でその後ろが千曲川。

さてこうして見てきたように、これだけの水量の泥水を千曲川の支流に過ぎない一本の山から下ってくる渓流が生み出している、と見るのであれば、その人の感性、常識と言うものを当方は疑う事になる。:普段の皿川の流れ 2019年12月3日 : http://archive.fo/oSOTT : 

 

注1: ・その25-1・皿川のフォトアルバム を参照願います。

注2:飯山市公表第二報時系列表から抜粋:『◎皿川 4時15分頃 左岸堤内地の水位が低下、右岸堤内地の水位が上昇したため、この時に、決壊したと思われる。
(但し、13日の当日は、越水か決壊か不明であった。)』

注3:東側越水について、北町住宅住人の方の投稿があった。

『長野県は、飯山は、大丈夫だと思ってた。
夜中に起きたら、外は膝下まで水位上がってて。
3時に起きて、母とともに車を高台へ移動。
今は、家の裏の川が決壊してしまった。
消防の人が安否確認に来てくれただけで安心した。
身の安全を守ろう 皆さんもお気をつけて!!!』

北町住宅あたりの3時頃の越水状況は西側と同程度であり、ひざ下までの水深はあったが歩いて移動、あるいは車の移動も可能であった模様。

もう一人の方の証言も上げておこう。この方の住宅はコシナより南側の市道に面した場所。 : ・消防団の経験生かす・車とバイクは高台へ (北信ローカル) : https://archive.fo/SJ1gS

『午前2~3時頃から水が入りはじめ、4時には濁流でタイヤや軽いものが流れてきた。1階の車庫と倉庫が1m、腰辺りまで浸水し・・・』とある。前半部分の「午前2~3時頃から水が入りはじめ」は東側への越水をしめしており、「4時には濁流で」は堤防決壊後の状況を示している。そうしてその時点であの場所で水深が1mであるから、その流れ出した流量たるやすごいものであった。

さらにもう一方。この方の住宅もこの皿川橋に通じる市道に面した場所である。: ・消防団がいてくれたから気付いた・市の情報もっと早ければ対応できた (北信ローカル) : https://archive.fo/YhORN

『午前3時には浸水がはじまっていて・・・』の内容は同上の方と同じ。『泥が20センチもつもり・・・』は決壊した後の泥水1mがその場所に残した泥の厚さである。

上記お二方の住宅のある場所は、といえば : https://archive.fo/Td9og :飯山市立しろやま保育園とある「園」の字に近い場所である。そうであれば、越水場所から相当に離れた場所にまで決壊前にすでに水が浸水していた事が分かる。:https://archive.fo/lyQ81 <--画像の奥が皿川橋になっている。この道を奥から手前に4時15分に皿川堤防が決壊した事によって発生した濁流が下って行ったのである。

そうして、以下の様な報告をされた方もある。

・あの日の時系列<訂正> : https://archive.fo/r4y4U :0334 救急車現場を出発→中町交番前→本町信号左折→中央橋西右折R117堤防バイパスへ→ローソン静間店前の道路が南進車線冠水の為、反対車線に半分ハミ出して走行→古牧橋を通過→0357 病院到着

救急車で皿川橋あたりから北信病院まで搬送された。その時の記録。3時35分には市内から皿川橋に通じる道路は浸水はあったが通行可能であった模様。そうしてまた3時45分ごろにはバイパスローソンまえで千曲川からの浸水が始まっていた事がわかる。その場所の標高は319.3m。

・右岸越水場所に一番近い所の一戸建て住宅にお住いのT男さん(ちなみにこの方は氏子総代とのこと)の証言。

Y崎市議「・・・T男ちゃ(決壊現場に一番近い家の主)が堤防を見に行ったら水が溢れ始めてたって言ってた」・・・

↑まあ2時頃には右岸のJR接続部から越水していた、ということでしょうね。でもこの方は市役所には連絡しなかった模様。この時はまだ「漏れ方があまりひどくはなかった」と言う可能性があります。

・台風19号による内水氾濫により、飯山市北町にある「長野県営住宅北町団地=2棟56戸」も浸水〜 : https://ameblo.jp/mto193914/entry-12541021761.html : https://archive.fo/sNygb

『北町団地は、台風19号による内水氾濫による飯山市街地の浸水の大きな要因となった皿川のすぐ近くにあります。
特にB棟の西側近くには、今回越水し、決壊したと言われる皿川右岸堤防と、JR飯山線の接合部分があります。今朝(11月1日)、この北町団地に住むKさんからこのような話をお聞きしました。

「13日、午前2時30分ごろ、Aさんが車を出そうとした時に団地内に水が流れていたと言っていた」
「すぐ裏の皿川越水する可能性があることも、越水して決壊したという情報もなく、20台以上の車を、みすみす水没させてしまった」
「もっと的確な情報が欲しかった」
「午前4時15分に決壊したというが、皿川の水は、もっと早くから団地内に溢れていた」』

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台風19号 飯山水害の研究・一覧