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9月の泣き言シリーズです。
スト決行。
スト2日目。
プロ野球初の選手によるストライキ。
ストライキを決行することによって勝ち得たものはなんだったんでしょう。
ゼロかヒャクか、ならば私にとってはゼロでした。
なぜなら、このストを決行すると決めた時にはすでに、選手会側は
「合併を覆すことはもう不可能だ」
と判断していたからです。
ご紹介した記事にも書きましたが
「これはゲームセットのコールに等しい」
と思いました。
この時点で、もうすでに「選手会しか頼れるものがない」という気持ちになっていたせいだと思います。
その選手会が、球団合併そのものは凍結させることはできなかったと言ってしまっては、もう他に頼るものがない。
例えば、元凶の偉いさんたちが自分達の利益に関することで内輪もめでもしてくれて白紙に戻るなどという形でしかもうこの決定を覆すことはできないのだろう、そんな気がしました。
それでも、古田はじめ選手会を責める気にはなりませんでした。
彼らと私では目指すものは全然違っていたとは思います。
でも、少なくとも目標は同じところにあったはずでした。
そして、選手として戦うほかに会議などに出て戦っていたこと、それは、多分、他の誰よりもファンに近いところでいてくれたからだということを私は今でも信じたいと思います。
もっともらしい理論を並べる評論家や、訳知り顔の球界関係者の人たち。
その誰よりも、「この合併でBuとBWが消滅すること、それを心から苦しむファンがいること」を思いやった発言をしていてくれたのが選手会(というか古田…)でした。
人気がない、球場に人がこない、だから経営が成り立たなくなる……
その少なくても必死でそのチームを愛して応援しているファンが、まるで価値のないもののように言われてきました。
むしろ、少ないこと自体をその少ないファンが批難されるという理不尽な目にもあってきました。
でも古田は、数は少なくても、愛する球団を失うファンの痛みについて、きちんと言葉にしてくれていたんですよね。
だから、スト決定の内容には絶望もしたけれど、選手会支持の看板だけは下ろすまいと思っていました。
あの日、「すぽると」出演中に古田が流した涙。
それを見て、私が共に流した涙は別の意味を持っていたけれど。
野球のない休日。
報道は無責任に、これが「野球人気」に与える悪い影響を懸念すると垂れ流していたあの日。
藤井寺球場で選手たちにサインをしてもらってまわったあの日。
もう「最後」なのかもしれないという絶望と必死に戦っていた私がいました。
スト決行。
スト2日目。
プロ野球初の選手によるストライキ。
ストライキを決行することによって勝ち得たものはなんだったんでしょう。
ゼロかヒャクか、ならば私にとってはゼロでした。
なぜなら、このストを決行すると決めた時にはすでに、選手会側は
「合併を覆すことはもう不可能だ」
と判断していたからです。
ご紹介した記事にも書きましたが
「これはゲームセットのコールに等しい」
と思いました。
この時点で、もうすでに「選手会しか頼れるものがない」という気持ちになっていたせいだと思います。
その選手会が、球団合併そのものは凍結させることはできなかったと言ってしまっては、もう他に頼るものがない。
例えば、元凶の偉いさんたちが自分達の利益に関することで内輪もめでもしてくれて白紙に戻るなどという形でしかもうこの決定を覆すことはできないのだろう、そんな気がしました。
それでも、古田はじめ選手会を責める気にはなりませんでした。
彼らと私では目指すものは全然違っていたとは思います。
でも、少なくとも目標は同じところにあったはずでした。
そして、選手として戦うほかに会議などに出て戦っていたこと、それは、多分、他の誰よりもファンに近いところでいてくれたからだということを私は今でも信じたいと思います。
もっともらしい理論を並べる評論家や、訳知り顔の球界関係者の人たち。
その誰よりも、「この合併でBuとBWが消滅すること、それを心から苦しむファンがいること」を思いやった発言をしていてくれたのが選手会(というか古田…)でした。
人気がない、球場に人がこない、だから経営が成り立たなくなる……
その少なくても必死でそのチームを愛して応援しているファンが、まるで価値のないもののように言われてきました。
むしろ、少ないこと自体をその少ないファンが批難されるという理不尽な目にもあってきました。
でも古田は、数は少なくても、愛する球団を失うファンの痛みについて、きちんと言葉にしてくれていたんですよね。
だから、スト決定の内容には絶望もしたけれど、選手会支持の看板だけは下ろすまいと思っていました。
あの日、「すぽると」出演中に古田が流した涙。
それを見て、私が共に流した涙は別の意味を持っていたけれど。
野球のない休日。
報道は無責任に、これが「野球人気」に与える悪い影響を懸念すると垂れ流していたあの日。
藤井寺球場で選手たちにサインをしてもらってまわったあの日。
もう「最後」なのかもしれないという絶望と必死に戦っていた私がいました。
かくいう自分も、2005年の開幕が永遠に訪れないまま時計が止まってしまい、「毎日がストライキ」な1年を送ってくる中で、色んな思いが日々ちょっとづつ少しづつ薄れていくことに、えもいわれぬ歯がゆさを感じていたりします。
あの日はあの日で色々なことを思ったり考えたりしたんだけど、いまあらためて「あのストって一体何だったんだろう」「ストによって何かが変わったのか」と考えると、やりきれない虚しさがこみあげてきます。
後者の私がこっちのブログの記事を書かせているわけですが。
真っ只中にいた昨年には、「このストが球界全体にとってどういう意味を持つのか」にまで深く考える余裕がなかったように今となれば思います。
ただただ合併をギリギリで阻止するための何らかの力にならないのかと正直そればかりでした。
1年経ってゆっくりと考えてみると、結局ストがもたらしたものは「近鉄バファローズもブルーウェーブもいない12球団2リーグ制」それしかなくて、その他のものは何も変わっていないということに気づきぞくぞくと背筋が寒くなる思いです。
今の関西マスコミの報道ぶりを見ていると、「1年前何があったか」を忘れているような気がしてなりません。
今回の総選挙関連の報道(さらには春の尼崎の列車事故報道しかり)もそうですが、「ただその場の雰囲気に流されて情報を垂れ流している」だけのメディアの責任は重いと感じます。
全ては、どこかで繋がっているのかもしれません。
乱筆乱文失礼しました。
昨年の出来事を誰も踏まえることが出来ずに今年のシーズンが終わった気がしてなりません。
「改革元年」という言葉が浪費され、記号化してしまってもうすでに意味を成さない言葉になってしまったのも、球界に限らずマスコミがよく犯してしまう罪の一つではないかと思います。
そしてそのマスコミの足元にすら火が…。