世界のすみっこで

ふと思ったこと、そのときどきをかいてます。(不定期更新)

2004年12月04日 00時22分37秒 | Weblog
夢を自分に対する、無意識からのメッセージであると考えたのは、フロイトである。
紀元前の昔から、夢は心に語りかけるものとして知られていた。
また、重要なお告げであるとも考えられた。

紀元前50年ころ、元老院の策略によって、自国ローマへの進軍を余儀なくされ、悩むカエサル。
そんなある日彼は、自分の母を犯すという夢を見る。
彼は不安を感じ、同行の占い師に相談する。しかし、占い師は、それを吉兆と考えた。
「母」とは、母なるローマそのもの、そしてそれを手に入れることであると。
ここにカエサルは、「サイは投げられた」の言葉とともにローマ市への進軍を果たす。


自分は時々、車に乗る夢と兵士になる夢を見ることがある。
車の夢は、大抵ブレーキが利かない。走り続けるしかない。クラクションを鳴らし、交差点を駆け抜ける。
兵士の夢は、行動に参加している場合と、直前で脱退を求めるシーンがある。

この2つに共通するような気がすることは、「自分の力では止められない」事である。
きっと自分を取り巻く流れへの、不安が姿を変えたものかもしれない、と思う。


現代では、夢は心の動きに迫る一学問として存在している。しかし、全ての夢がメッセージを持つわけではなく、またその解釈も一通りではない。
なのであまり考え込まず、夢に映る自分の姿をもっと観察してみよう、と思い直した。
きっと悩むところに不安は付きまとう。