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移転しました(2014/1/1)

虎の皮を被った猫

2013-05-20 | ヒストリ:オール

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/1e/712728c52ec042df777a89f0a6f915e3.jpg?random=

森鴎外はバタバタしていて期間内に読めなさげだったので返した。
どーせそんなに読みたい人もいないだろうし、借りたい時に借りられるだろうと思って。
そうしたら誰かが既に借りていて、読みたい時に読めない事態に(笑)
ちょ、森鴎外と脚気やで!?(人のこと言えない)
 
『満つる月の如し』を読んだ。あと『等伯』も読んだよー。
どちらも面白かったのだけれど『等伯』の方は久しぶりに読んだ歴史小説らしい歴史小説でした。
直近で読んだ歴史小説というか時代小説というかが『のぼうの城』とか『天地明察』とか『早雲の軍配者』とか歴史ライトノベルだったのでなー(※『相棒』はファンタジーにカテゴライズ)。
直近と言いつつ何年前だよという感じ。それくらい久しぶり。
良かったー爽やか好青年の成長物語じゃなくて。
 
長谷川等伯については前も書いたけどお猿の絵位しか知らんのだ。
ひとつの絵を見るにしてもその向こうにあるストーリーというか、歴史背景や人間関係が分かればすごく興味が湧く。
何年か前に京都国立博物館で長谷川等伯展をしていたけれど、今の状態で見たら随分面白いだろう。
そして友人が狩野派は好きじゃないと言っていた理由が遅ればせながら分かりました…

『満つる月の如し』
私は政治家と武人ばかりに目を向けているので芸術の方は本当に手薄で、小説とはいえ定朝の話なんて読むのは勿論初めて。
仏像を作った所で実際に苦しむ人々は救われるのかというのは、中々難しい問題だよなあ…
自分を引き上げてくれた恩人(僧)との間に生じた埋められないギャップ(身分から生じた)には、ああそうだろうなと思う。
時代としては藤原道長・頼道の頃で、岩手で起きた前九年の役と少し被る。
という事は源平合戦から大体100年ほど前の話で、まだ法然がいない。
法然の考え方は念仏を唱えれば皆が平等に極楽往生できるといったものだけれど、これが革命的だった。
それまでは極楽往生できるのは厳しい修行をした僧、写経を寺に納めたり仏閣を建てたりできるような貴人。
つまり仏が救ってくれるのは一部の特別な人だけで一般庶民には関係なし。
大雑把に言うとこんな感じだった。
 
だから、
「定朝の仏像は庶民の為ではなく身分の高い人々の為に作られるべき」
そう主張した隆範は当時としては滅茶苦茶普通だった筈だけど、その辺りの歴史的背景への言及がないので、単に身分が違うから定朝の想いを理解出来ない人、のようになってしまう可能性がありそうだなー…とは思った。
その後の展開がよかったので、よかったけど。

『等伯』の等伯にしても、『満つる月の如し』の定朝にしても、自分の絵や仏像の為に命を投げ出そうとしたり人を死に追い込んだり。
業の深さが出来上がるものに反映されている気がして、なんというか、罪つくりですなあ…
しかし『満つる月の如し』、定朝の一人称「僕」はどうにかならんかったんか。
若さを出したかったのだろうと思うけど、「僕」はやっぱり幕末からだろう。
  
絵と言えばこの前「とら虎トラ」という展覧会を見に行った(大谷記念美術館@西宮)。
甲子園と阪神タイガースにちなんでの展覧会で、出ているのは虎の絵ばかり。
若冲やら円山応挙やら谷文晁やらが地元に来る事なんてまずないので喜び勇んで行ったのだけれど、江戸時代の虎の絵ってほんと猫みたい。
実物を見たことがないので中国から来る絵を見よう見まねでとか、虎の毛皮の敷物に人が入ってポーズを取らせて描いたとか…
そういう話を聞いた事があるのだけれど、とにかくニャーと鳴きそうな虎ばかり。虎ならワイルドに吼えてくれ…
これがww猛虎www虎気取りの猛き猫ですね分かりますwwww
↑ほぼこんな感じだったのだけれど、面白かったのはある絵師のビフォーアフター。

それが岸駒(がんく)という江戸時代中期の画家で、当時虎の絵と言えばこの人だったそうです。
ビフォーは猫なんだけど(別窓、一番下「猛虎之図」)、アフターは虎(別窓、一番左の個人ブログ掲載の写真。「真虎図」)。

何があった。

虎の骨を手に入れて毛皮を被せ、つぶさに模写した結果らしい。
面白かった。



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