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アテルイ伝 #3悲しき宿命

2013-01-28 | ヒストリ:オール

火怨・北の英雄 アテルイ伝 (3)悲しき宿命
 
色々と酷くて見てるのがほんとに辛い。
漫画化にしても映像化にしてもアテルイは何でか恵まれない。
というかNHKの高橋克彦作品の扱いは全般的に酷い。高橋克彦はそろそろ怒っていいと思う。
このドラマは音楽もいいし野外ロケの映像も美しく、従来の歴史劇とは取り扱う時代や人々が違うといういい持ち味があるのに、何だか色々台無しな点が多い。
『火怨』は私は最後まで読んでいないけど、高橋克彦の今までの歴史小説の傾向から田村麻呂の人物像と決着のつけ方が大体想像付くわ~
次回で終わりですが、このままいくとドラマでは原作とはかなり違う田村麻呂になるんじゃない? 
 
780 伊治呰麻呂の乱
784 長岡京遷都。翌年藤原種継暗殺される
788 第1回蝦夷征討。征東大使紀古佐美(翌年アテルイらに惨敗) ←今回この辺り 
791 第2回蝦夷征討(~94) 征東大使大伴弟麻呂 ←今回この辺り
794 平安京遷都
797 第3回蝦夷征討 征夷大将軍坂上田村麻呂 
802 胆沢城設置(鎮守府移転)

●788年~ 第1回蝦夷征討
桓武天皇から節刀を賜った紀古佐美が征東大使として陸奥に赴きました。
この時の戦が国家側が初めて大軍を投じて蝦夷を討伐しようとした戦で、率いられた軍は総勢5万。
結構な数です。
まあ5万人とは言うけれど、実際に戦った人数はそんなには多くなかっただろうと想像。
ドラマからはあまり様子が伝わってきていませんでしたが、第1回目は蝦夷に大敗を喫しています。



衣川というこのブログでよく扱う地名が出てきてました。平泉の北側になります。
川の名前であり、地名でもあります。
時代が下って前九年の役の頃(11世紀初)にはこの辺りが蝦夷の世界との一応の国境になっていた。
当時の蝦夷(朝廷に恭順しているので俘囚)側の大豪族は安倍氏ですが、実際には衣川より遥か南方まで勢力を及ぼしていました。
それに加え安倍氏が税を納めなくなったなど諸々の事情が重なって前九年の合戦が始まります。
衣川はそうした因縁がある土地ですが、藤原清衡はそこから一歩南に進んで平泉に奥州を治める中心的都市を築いた事になります。

ちなみに安倍氏の末裔が安倍晋三首相になります(安倍貞任の弟宗任の系統)。
そういや以前系図を見ていて驚いたのだけれど、麻生太郎財務大臣と安倍首相、婚姻関係で繋がる遠い親戚だった。
(こんだけ遠けりゃ赤の他人だろうなと思う程度の遠さ)
  
 昔の衣川
 
征東大使紀古佐美は軍をこの衣川に置いています。
衣川の3カ所に布陣したようで、その場として指定されている場所が2ヶ所ある。
 
 衣川の営跡@サンホテル衣川

もう1ヶ所あるのだけれど、そこはまさに叢しか写っていないのでパス^^;
上衣川の古戸地区の方です。
 
●巣伏の戦い
衣川を後にした朝廷軍の中軍・後軍4000が東岸へ渡り北上。
それを300の蝦夷が迎え撃つも、攻めたり引いたりして巧みに奥深くまで誘導していきます。
前軍は渡河した上他軍と巣伏村で合流する手筈であったものの、それを阻まれている内に、中・後軍が800の蝦夷に襲われている。
後退すれば更に400の蝦夷に退路を塞がれ、逃げ場が無くなった朝廷軍の兵は多くが川に逃げた。
結果、戦死者25人、矢での負傷者245人、溺死者1036人を出した上、甲冑を捨てて裸で逃げ帰った兵士が1256人といった有様。

紀古佐美はあまり戦に積極的ではなかったのではないかと感じます。
この戦いも桓武天皇に「早くしろ、早くしろ」とせっつかれて開始しているし。
上記した通り、集めた兵士は5万。
巣伏の戦いでの数的な損害だけを見れば1割にもならないのですが、紀古佐美はここで戦争を止めてしまう。
蝦夷側も14村を焼かれるなど軽微とはいえない損害が出ていますし、朝廷側がここで諦めずに2回3回と攻めて立てていれば、その後はどうなったかなという気がする所です。
しかし戦意喪失そのままに都に帰って桓武天皇にめちゃくちゃ怒られる^^; 
  


写真は北上川。東岸が巣伏の辺りらしい。
水沢は「アテルイの里」ということで、町おこしの一環もあるのか、10年くらい前からアテルイ没後1200年記念とかで「アテルイの里づくり」をしています。
地元ではアテルイを顕彰しようという活動もありますし、あちらでは色々イベントもされているんだろう。分からん。
巣伏は北上川東岸というだけで場所の詳細は分からないらしいけど、現在は石碑と櫓?が組まれています。
記念公園みたいな感じになっているのか。

水沢駅前には商店街がありますが、駅からそちらに進んでどんつきの方(だったと思う)にアテルイ関係の石碑が建っていた記憶がある。
水沢と言うと私にとっては斎藤実と高野長英と後藤新平のまちで、アテルイの影が薄いんだよなあ^^;
しかもその石碑、斎藤実記念館に向かう途中とか、そういう辺りにあるので普通にスルーしてた…
写真の1枚や2枚撮っておけばよかったな(笑)
 
●北上川 
文字では日高見川と出ていました。
テロップの間違いではなく、北上川の古代名は日高見川になります。
北上川流域は日高見国と呼ばれていたそうで。
1話で現代のばーちゃんの姓が確か日高でしたが、多分ここから取っているのだと思われます。
見ていてあれ?と思ったのだけれど、ドラマの台詞では「北上川」って言ってなかったか…
 
●初位の位階
アテルイの兄ちゃんが初位(そい)の位階を貰ったと言っていました。
従三位とか正四位下とか、そういう位階の一番下の段階。
しかしから舎人にってなれるもんなの?からの抜け道はあると思うけど…よく分からない。

●第2回蝦夷征討(791年~)
すいません前回のレビュー間違ってた。
征夷大将軍は坂上田村麻呂からと書いたけれど、大伴弟麻呂からだった。
見てみると大伴弟麻呂は就任当初は征東大使(790年)、そこから征夷大使になり(792)、征夷大将軍(794)になっている。

「東」が「夷」に変わったのは、討伐の対象が明確になったからだとある本を読んだ事があります。
ただ第1回征討の時点でアテルイの名前は史書に出ていて、これが首魁だという事は、朝廷側もある程度は分かっていたのだと思う。
だからこそ万の大軍をピンポイントに胆沢地方に放りこもうとしたのだし、それを2回目で対象が明確にって…うーん?
東、確かに都から見たら東だけれど、『東夷西戎』の「東」という意味はなかったのかな、とか。
征夷大将軍は江戸幕府の滅亡まで続く役職ですし、ちゃんとした研究がありそうですがそこまで調べようという気はない(きっぱり)。

794年の際は朝廷軍の動員数が10万人とかなり大規模になってきました。
しかし1~3回目までの征討の内、詳細が分かっているのは1回目の巣伏の戦いのみで、2回目3回目はよく分からない。
2回目に関して言うと蝦夷側に多数の死者と捕虜が出たことは分かっていますが(457人、150人)、それでも朝廷軍は彼らを屈服することはできずに3回目へと引き継がれています。

ただ岩手県の北部か、その辺りの蝦夷で朝廷側に帰順するものが出てくる。792年。
蝦夷と言うだけでは一枚岩にはなれなかったようでもあります。
何となくアメリカのインディアンを想像してしまうのは私だけでしょうか…
それに軍が動いて実際の戦闘が行われるまでの間、朝廷側が何もしなかったかと言われたらそうでもないでしょうし。
熱い戦いの間には冷たい戦争もあったんじゃないか。推測だけど。


 
次回で終わりですね。あーやっと終わる。
色んな意味で見ているのが辛いドラマです。高橋克彦のじゃなかったら1話で見るの止めてたわー



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