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移転しました(2014/1/1)

案に違う

2013-02-27 | ヒストリ:オール

図書館で『森鴎外と日清・日露戦争』という本を見つけた。
結構な分厚さがあった上、森鴎外の脚気関係の本は色々な意味でものすごく消耗するので(だって救いがない…)、借りはしませんでした。
しかしこの10~15年の間にぽこぽこと出ていますね、鴎外の脚気ネタの本。
とは言え、近代(の軍隊)における脚気の歴史については「右に出るもの無し」的な研究書があり、既に研究極まれりといった雰囲気の漂う分野になっている。
史料新出!といった類のものでもないので、どうしても真新しさが少なくなっていく。

医学史の方向で触る所がないとなると、スポットの当て方を変えるしか手が無くなってくる訳で。
しかしながら「森鴎外×脚気」というスポットの当て方だと既に『鴎外最大の悲劇』という先出の書籍があってだな。
うん。
つまりこの本の内容は今まで出た本とほとんど一緒じゃないのか、っちゅう^^;
気にならない訳ではないのだけれど、手にとっても時間の無駄になるのでは…

と、ここまで書いた所で密林さんの所に行ってみた。
レビューが妙。
なんだか脚気の話ではないような雰囲気が漂っている。
なぜかというと、このページ、レビュー(2件しか無かったけど)を含めて脚気という単語がひとつもない。
うーん…
確かに日清日露で森鴎外なら脚気だろ、と勝手に思い込んではいたのだけれど。

「近代日本の文学は、戦争の何を書き、何を書か(書け)なかったか?日清・日露戦争に陸軍軍医部長として従軍し、内側から関わった文豪・鴎外の謎に迫る渾身の書き下ろし評論」

…と本の説明があるのだけれど、そういう内容でまさか脚気ノータッチ?まさかね^^;
少しググると新聞に載った書評が幾つか出てきたのだけれど、そういう話は出ていないなあ…
まったく触れてないという事もないのだろうけど。
いやー見つけた時にめくってみたら良かったわー却って気になるわー(笑)
 
で、滅茶苦茶ゆっくり読んでいる『幕臣勝麟太郎』ですが、勝海舟が面白い。
大変面白い。
長崎伝習所で学んだ学問の中に数学があるのですが、数学っちゅうか算数が、算数が苦手だったらしい勝海舟。
あんた長岡外史と私の仲間か(笑)
勝は伝習所にいた時点ですでに30歳を超えていたのですが、その年で乗除計算から始めるんだぜ…
これは流石にきつい。
掛け算割り算なんて日常的過ぎて分からないという事がちょっと分からない世界ですが、勝と同じく算数数学に苦しむ生徒が結構いたようです。
武士はお金の計算は賤しいものだとして遠ざけていたので、そういう感覚が薄かったのかとも思いますが。
ただそれが加減乗除となると素質とかいう以前の問題で、訓練を受けていないとこうなるという見本のような話ですな。

ただ中には天才的な数学的センスを持っている人がいて、その人の職業は天文方。
言ってみれば数学のプロ、テクノクラートです。
昨年『天地明察』が映画になったのでご存じの方も多いかと思いますが、実は日本の和算、すごいんですよね。
和算で計算とか、私だと問題を見た時点で「何言ってるかちょっとよく分からない」の世界ですけど^^;

関孝和なんて和算で微積分の計算していたり、江戸中期の天文方のホットな話題は「地球の大きさはどれくらいか」だったりするわけです。
ちなみにこのホットな話題が契機となって伊能忠敬の全国地図ができた。
地球の大きさを知りたくて伊能が北海道の地図を作ったのが切欠だったのね(※その出来が良すぎて全国展開)。
維新成って後、それなりにスムーズに西洋の技術を受け入れモノにすることができたのは、数学に限らず様々な分野でこうした高いレベルの蓄積があったからだろうと思います。

脱線しましたが、勝海舟。
伝習所での日々は楽しい事も多かったが大変な事も多かったみたい。
数学が分からないと使いものにならないのに分からないし、しかも肝心の乗船時には酔ってしまう。
海軍軍人にはまるで不向き(笑)
その上生徒たちの世話役の一人であったから、色々と煩わしい世事も多い。
そんなこんなで半年位でちょっと嫌になってきて、「小普請役(無役のこと)で好き勝手やってる方がいい」という愚痴を親友に漏らしていたり(ちなみに「どこに行っても煩わしい事はあるもんでしょ」と窘められている)。
自分よりも格上の人が生徒としてやってくると、中々モノが言い辛かったり。

ちょっと意外。
勝海舟ってアメリカから帰って来た時にえらい人たちの前で、
「あちらでは身分が上がるほど賢くなります。我が国と違って」
と言い放ったというエピソードのある人だから、そういうイメージがなかった。
案外普通…
とまでは流石に思わないけれど、あの勝海舟でさえ中間管理職的な苦労をしてたのかと思うとちょっと面白くて、親近感が湧く。笑
 



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2 Comments

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Unknown (ジゴロウ)
2013-02-28 02:25:54
お久しぶりです。自分も、算数も計算もましてや数学なんて…でございます。

こういう数字的なものって、海軍系の人や技術者が強かったそうで。(ならざるを得なかったんでしょうけど)

佐賀の人は特に優秀とか云われてたらしいですよね。
甲賀源吾も強かったそうで、話題の新島襄も習いにいったそうです。

和算から洋算で、表記がわかりやすくなったとはいえ、両方出来たこの時代の人には、頭が下がります。
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>ジゴロウさん (ヒジハラ)
2013-02-28 06:06:46
お久しぶりです^^

問題は練習を積んで解けるけれども、原理を理解していないから本当には分からなくて次のステップに進むごとに壁に当たっていたのでは?
…という著者の言葉に受験の頃の自分が重なりました(笑) あれは辛かった…
伝習所では加減乗除から始めて代数幾何までだったようですが、本当に大変だったと思います。
 
和算も表記への慣れ不慣れが大きいかと思いますが、やっぱり分かり辛いですよねえ。
『天地明察』でも問題文の所は読み飛ばしました。笑
 
天文方等技術者が強かったのはやはり職業からでしょうね。
江戸中期末期を見ると身分問わず取り立てられている人もいますし、一種実力主義的な所があったのでしょう。
月食日食の計算やフネを動かす能力に、身分だけでは何の役にも立ちませんからねえ。

佐賀は江藤新平の没落で色んな所がポシャってしまいますが、中でも被害を受けたのは海軍ですか。
実は佐賀の乱まではほぼ「佐賀の海軍」なんですよ。
「薩の海軍」はその後からです。
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