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大槻三賢人の資料、一関市博に寄贈

2013-03-15 | ヒストリ:オール

読売新聞(2013/3/14) 大槻家の資料 一関市立博物館に寄贈
毎日新聞(2013/3/15) 一関市博、子孫から資料寄贈 目録作成後に公開

大槻玄沢を始めとする大槻家の資料5100点が一関市博物館に寄贈されたそうです。
5100点。
流石にすごい。昨日書いた重文指定された岩倉具視の資料でも1700点ですよ。
これでも大分あるなと思ったけれど5100点!
更に読売の記事には
「明治の文豪、森鴎外や、首相や日本銀行総裁などを歴任した高橋是清など著名人から玄沢の孫に宛てられた手紙など、これまで一般には知られていなかった大槻家の交友関係を示す資料もあり」
とあります。

>森鴎外
>森鴎外
>森鴎外

ワロタ。
知人の消息を尋ねる内容だそうです。

これだけの点数があるのは玄沢、磐渓、文彦、所謂「大槻三賢人」と言われた当時一流の三代の資料が纏まって残っていたためだと思われます。
記事によると昨年5代目さんが亡くなり、ご遺族が史料を散逸させてはならないとして博物館への寄贈に踏み切ったとのこと。 
何故一関かと言うと、一関は大槻家のホームグラウンドでして、一関博には関連資料があるんですな。

幕末以外の江戸時代の話に触れるのはひっさびさですが、大槻玄沢、このブログでも何度か名前を出しています。
サイトの方では写真も出しとるがなー

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/58/0d5eecd406d26799f2578fc545a23ac8.jpg?random=08c9c64f75cbbf441f422578f2b93d0f

一関には、
「一関に過ぎたるもの二つあり 時の太鼓と建部清庵」
と称された優れたお医者がいたのですが、この建部が杉田玄白と文通していました。
医学問答か何かそんな内容。
このふたりは会ったことがなかったようですが、この交流が高じて建部は優秀な弟子数名を江戸へと送り出すことになった。
その内のひとりが建部の息子で、もうひとりが大槻玄沢です。
息子の方は後に杉田の養子となり、杉田伯玄と名乗っています。

大槻は杉田玄白と前野良沢に師事していたため、両者から一字ずつを貰って「玄沢」と称したと言われますが、それはどうも違うみたい。
ウィキペディアを見てたら「1字ずつもらってつけた」とありますなあ…うん…
これは2・3年前に読んだ割と古い本(だったと思う。書名忘れた)で研究者が考証を重ねた上で否定していた。
確か「くろ(玄)」「さわ(沢)」で故郷を表すとか、そういうことだったと思う(うろ覚え)。
斎藤実の号「皋水」(こうすい、水沢という意味。斎藤は岩手水沢出身)みたいなもんかと。
何をした人かと言うと蘭学で大きな足跡を残した人物で、蘭学の入門書「蘭学階梯」やら「解体新書」の改訂版を出している。
蘭学の爛熟期、田沼時代の終わりかけの頃で交流関係を見ていても非常に面白い所です。

ちなみに杉田玄白門下、つまり大槻の同門に高野玄斎がいます。
江戸に出て蘭学を学んだ後、故郷水沢に帰っている。
この高野の養子が高野長英になります。
養父から蘭学の手ほどきを受け、祖父からは医学を習い、教えられる事をぐんぐん吸収していく。
天才的…というか、所謂神童だったみたい。
高野長英の実家は後藤家でして、「大風呂敷」として知られている後藤新平はここの家の人で、後藤から見たら長英は大叔父になる。
長英も江戸に出て蘭学を学ぶのですが、杉田伯玄の塾に入っていた時期もあります。
狭い世界ですな。

資料は『言海』の大槻文彦のものが一番多いようですが、幕末に活躍した磐渓のものもあるという事で、奥羽越列藩同盟とかあの辺りに関しても今後新しい発見なんかもあるのじゃないかな~と。あったらいいね。
数が数だけに目録作りだけで数年がかりになるようですが、研究が進みそうで何よりです。

記事を読んでいて更に驚いたのは、この史料群が東京大空襲を生き延びていたこと。
何でも当時家が東京根岸にあったそうです。
山本夏彦の本で読んだのだけれど、大震災の火災と大空襲の戦災を免れた所が都心にはふたつある。
それが神田連雀町と根岸。
同じく根岸にあった子規庵は大震災では持ち堪えたものの、空襲で焼失しています。
その事を思うと大槻家の資料は本当に運が良かったんですね…

ちなみに先月東京の老舗蕎麦屋が火災で全焼していましたが、あの建物の創建は大正12年でした。
へ?と思ってニュースを見ていたら、その辺りが神田連雀町だそうで。
大震災で家屋が倒れて作りなおしたものだったのでしょう。
そして暖簾分けされた店が大阪にあると聞いた。



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3 Comments

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Unknown (ジゴロウ)
2013-03-16 01:52:11
すげぇ~!!
と思わず言ってしまいます…
お下品な言い回しですが、
大槻家パネェ…

玄沢さんは、自分も杉田+前野と思ってました(笑)
伯玄さんの、玄白をひっくり返した説は、さすがに嘘臭いとは思いますが。

それにしても、水沢のあたりって、すごいですよね。
合併して奥州市は、いまだにいただけません…
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>ジゴロウさん (ヒジハラ)
2013-03-16 05:57:57
ほんと、パネェですよ大槻家(笑)
史料だと51件でも結構あるなーという感じなのに桁が違う(笑)

玄沢の名前は私もそう思ってました^^;
15年ほど前の本でも新しいと言えてしまう当たりの歴史なので、基本的に新しい本が次々とという分野でもないかなー、だから結構知られているのかと思いきやそうでも無いようで。
ややこしい名前の付け方したなあ^^;

私も水沢に限っては水沢市の方が…奥州市って受ける印象がなんだか違いますね。
こういう歴史を感じられる市町村名は大好きですが。
ただ旅行者が訪れる寂れてきたなと感じる程なので…色々な面で止む無しという所もあったのかなと。
返信する
>ジゴロウさん (ヒジハラ)
2013-03-16 07:30:00
旅行者が訪れる→旅行者が訪れても

ですorz
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