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移転しました(2014/1/1)

2・26

2012-02-26 | ヒストリ:近代MTS

2・26事件の日でした。
斎藤実、高橋是清、渡辺錠太郎の命日になります。
青年将校らに襲撃されたものの命拾いした人々もいて、それが岡田啓介、鈴木貫太郎、西園寺公望、牧野伸顕になります。
岡田啓介は広瀬武夫の同期、当時総理大臣。
鈴木貫太郎は広瀬武夫の1期上、佐藤鉄太郎の同期。当時侍従長。太平洋戦争を終わらせた総理大臣。
西園寺は言わずと知れた最後の元老で、牧野は大久保利通の次男、当時は…特に何もないのか。元内大臣で伯爵。
今日は何かを書くつもりでいたのですが、いまこの件を書いている段階で既に22時24分…
大した事も書けないなあと思いながら、点々と思いつくままですが。

有馬頼義という小説家がいます。
頼義というと八幡太郎義家の父を思い出しますが、この方は「よりよし」ではなくて「よりちか」と読む。
伯爵有馬頼寧の嗣子で、世が世なら久留米のお殿さま。
母親は皇族(北白川宮家)、そして父方の祖母が岩倉具視の娘になる。つまりヒイじいちゃんが岩倉具視。
うーん。ハイソですな。
有馬頼寧は政治家でしたが、競馬とも縁のある人でして、日本中央競馬会の理事長も務めていました。
有馬記念の「有馬」はこの方の事です。

「兵隊やくざ」という映画がありますが、有馬頼義はその原作者になる。
どちらかというと推理作家らしいのですが、私はあまり知りません。
で、この方、幾らか226事件について書いています。何故かというと、この方、実は斎藤実の親族にもあたるのです。
有馬の姉が、斎藤実の嫁だった。(※嫁=息子の妻のことです…)
斎藤実と春子夫妻の間には実子はおらず、斉氏を養子に迎えています。
で、その妻が有馬の姉になる。
有馬頼義にとって斎藤実夫妻は姉の舅姑だったんですな。

この頼義氏、2月25日にその姉夫婦の家に泊っていた。斎藤実の家の前。
26日の未明に物音で目が覚め、ある部屋からそっと窓の外を見た。
ら。
目の前にある斎藤家の門は開けられ、門外の正面に軽機関銃が据えられて、将校がひとり立っていた。
また大通りまである幅の狭い道に兵隊が四列縦隊で続いている。
何が起こっているのか分からなくて、しかしその様子を見ているうちに、家の中から出て来た将校が「目的は成功した」。
引き上げる際に彼らは万歳三唱をして引き上げて行った。

斎藤実にしろ高橋是清にしろ渡辺錠太郎にしろ、随分酷いやり方で殺害されています。
鈴木貫太郎も同様に襲撃されていますが、撃ち込まれた銃弾が急所を外れていたことと妻の行動、あと襲撃した将校の人間性だろうな…
それによって奇跡的に生きながらえている。
股や胸に弾丸は命中し、喉元に拳銃を当てられ正に撃たれようかという時に奥さんが「とどめは止めて」と懇願した。
そんな中でも鈴木の意識はあった(!)のですが(死んだと思われたため、とどめはされなかった)、大至急やってきた医者が見ている間に意識が飛び、脈が止まったけれど、輸血でなんとか持ち直した。
レントゲンで見てみると、4発の弾丸が命中。
その内、こめかみに入ったのは耳の後ろに抜け、胸(心臓の辺り)に打たれた弾丸は背中に残っていた。
鈴木、69歳です。本当によく助かった。
 
岡田啓介の場合は、義弟(妹の夫)松尾伝蔵が間違われて殺害されている。
岡田のケースはよく分からない事が多いです。
事件が起こったのは2月26日。正月の挨拶に陸軍将校が多く首相官邸を訪れていたらしく、それを岡田本人も不思議がっていたそうです。
後から考えたらそれ、首相官邸の間取りや岡田本人を見に来てたんですよ。
しかしながら彼らが岡田だと思って殺害したのはその義弟であった訳で。
遺体と写真を見比べ、首実験までしていたのに松尾の遺体を岡田だと断定した。
違う人物だという声も上がったものの、スルーされている。

首相官邸を襲撃して首相殺害の目的を果たし、そのまま立ち去るかと思いきや、豈図らんや彼らは首相官邸にとどまった。
いや、岡田啓介、そこにいる訳ですよ…
「軍隊が来てるならもうどうしようもないじゃん」
「あいつらと話するわ。話せば分かるんじゃない?」
とか言い出すのを説得して、屋敷の人々が風呂場やら押し入れやらに岡田を隠すのですが、生きた人間ひとりを隠すというのは大変で。
当事者たちの談話を見ていると、岡田の生存は、首相官邸を占拠していた数人の兵にはばれていたっぽい。
だって爺さん押し入れで大イビキで寝てたりするんだもん…
それに押し入れに手を突っ込まれて、明らかに存在を確認されても、スルーされている。
動員された兵士たちは自分たちが何をさせられるか分かってなかったようですし、そういう事もあるんでしょうね。
結局岡田は官邸脱出の為に招かれた高齢者弔問客の中に紛れて虎口を脱出する訳ですが、鈴木や岡田を見ていると運不運では語れない何かがあるような気がします。

牧野伸顕も助かっていますが、個人的には牧野よりも牧野を襲撃した青年将校、河野寿が印象に残っています。
15年くらい前かな、もりたなるお『雪辱』という2・26事件の青年将校側の話が新聞紙上に連載されていた。
読んでいましたが、2・26事件自体あまりよく分からなかったし、なんかね…
やっぱり納得いかないんですよねえ… そう言う事位しか覚えていない。
ただ鮮烈に覚えているのが河野で、彼は牧野襲撃に失敗します。
その際牧野の護衛に拳銃創を負わされ入院し、そこで自分たちが叛乱部隊となった事を知り自決します。
彼の兄が果物と共に差し入れた果物ナイフで腹を切った。
勿論果物ナイフなんかで腹が切れる訳がなく、何度となく頸動脈も切るなど、ずいぶん苦しんだようです。
どんな話だったか、本当にほとんど覚えていないのですが、この場面だけはものすごく鮮烈に覚えている。



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2 Comments

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Unknown (ジゴロウ)
2012-02-27 02:18:59
時代といいますか…

今では東京麻布のお寺で、将校たちの遺族が、法要をやってるんですよね。

ついでに、うちの祖父。
ラジオでこれを聞いて、自転車で現場に見に行って、追い返されたそうです。
あと歴史好きだそうで、隔世遺伝を信じることにしました。
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>ジゴロウさん (ヒジハラ)
2012-02-27 21:58:14
その後の話を聞くと青年将校の遺族は本当に大変だったと思います。
でもそういう話はされても被害者の方の話には本当になりませんねえ。
あまりにむごたらしく殺害されて、現場を見た家族関係者が思い出したくないという事も大きかったようですが。

しかし御爺様…^^;
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