Forth!

移転しました(2014/1/1)

激動の明治国家建設@憲政記念館 1

2009-11-26 | ヒストリ:近代MTS
※サイトに追記改訂版をUPしました。
そちらの方が読みやすいと思います。
お時間がありましたら、このブログのリンクからサイトへどうぞ。
サイト>史跡・旅行レポ>展覧会・特別展訪問記 



 

行ってきました!
どういった展覧会かと言うのは以前書きましたので、「憲政記念館、特別展」をご覧ください。

 

場所は国会議事堂の直ぐ近くにある憲政記念館です。
三宅坂、戦前は陸軍省や参謀本部があったあたり。

やっぱりというか当然というか、とても見応えのある展示会でした。
展示の内容としては

1:西南戦争と維新の三傑の終焉
2:議会開設前夜
  自由民権運動のはじまりと展開
   点景 私擬憲法
  明治十四年の政変と諸政党の勃興
   点景 自由民権激化事件
  内閣制度創設と大日本帝国憲法の誕生
   点景 大日本帝国憲法発布
3:人物回想
4:時代を彩った人々
5:明治時代アルバム

こういう感じでしたが、ふたつ目の「自由民権運動~」の段階で既に見学時間1時間が経過…流石に焦る ;´Д`)
取捨選択で私擬憲法、民権運動激化の辺りはさらっと流す程度になってしまいました。
1・2の辺りは西郷・大久保・木戸といった維新の元勲、その後目立って展示が多かったのは伊藤博文でした。
伊藤はまあテーマから大体の想像が付きますけれども。
あとは井上馨、山縣有朋、福澤諭吉辺りでしょうか。

沢山の展示品が出ていたので、目立ったものを…



1)西南戦争と維新の三傑の終焉

この辺りはまあおなじみと言うか、何と言うか(笑)
西南戦争に至る迄の佐賀、萩、神風連の各乱関連の史料が出ていました。
中でも目を引いたのは佐賀の乱、江藤新平の写真が出ていました。
指名手配写真になった分です。
後藤象二郎が指名手配するから写真を出せと警察に言われて、
「友人を売れるか」
と拒否した写真じゃないかと思います。
小さかった…
名刺程の大きさで、鶏卵紙かな?随分色褪せていましたが、顔ははっきりと分かりました。
また戦に敗れ逃亡中の江藤が東京の諸参議に宛てた書簡も出ていました。
写真と一緒に見ると内容にちょっと涙…
江藤の字を見たのは初めてでしたが、それほど神経質な人でもなかったのかな、という印象を受けました。

萩の乱に関しては木戸の岩倉宛書簡が出ていた。明治9年10月30日。
縣之子弟如此次第は必竟私共誠心之不相届邊に而 實に面目を失し 愧辱千萬に御座候
といった一文があり、故郷萩で起きた乱に対する苦渋が感じられるものでもありました。

一番多かったのはやはり西南戦争関連でこれは田原坂資料館、鹿児島の黎明館や維新ふるさと館、西郷南洲顕彰館辺りからの出品が多かった。
割とよく見るかなと思うものから、初めて見たと思うものまで。

篠原国幹の軍服が来てた。

 思わずメモる。笑。

多分鹿児島で見てるよなー…記憶が遠い…
これとチョッキっぽいの見てるかな?
チョッキと言えば辺見のを直ぐに思い出すのだが。篠原で言えばあとは背嚢か。
胸の金釦と腕の金条、襟首から釦の合わせの部分に近衛の赤があしらわれている位で、派手さは全然なかったです。
冬一郎さんだけに何故か派手さを求めてしまう(笑)
そしてズボンのチャック部が全部ボタンだった。大変そう。色々と(←?)
見ているとあんまり大きな人ではなかったのかな~という感じを受けます。
服だけ見た印象と着た印象って違うもんなんでしょうけど。

あと「おお!」と思ったのは河野主一郎の追想録、「河野翁十年戦役追想談」。
大きさはA4のノートほど、和綴本。赤い罫線。写本。

明治10年2月7日の伊藤博文宛て大久保利通書簡も良かったです。
(註:西郷の)其底位を推し候得は兼而御承知有之通之気質故丁寧反復説諭する流儀に無之
一握に方向を稔ち廻はさせ候例之方便上に出候訳に而決而無名之軽挙をやらかす趣意に無之と信用仕候

追々話してきた通り、去年までの行きがかり上止むにやまれぬ事になり今日のような事になったのだろう。

鹿児島の挙兵は西郷の本意ではないと信じている、という内容。

この初めの方の展示は本当に書ききれない程あれこれ来ていたんですが、中でも嬉しかったのが木戸孝允日記。
古文書練習用の図版やなんやらで写真は見たことがあったんですが、



びっくりした!小さくて!
青い罫線が切ってある和綴本でした。大きさは見開きでB5位。
開かれていた所は明治10年5月6日。
木戸は明治10年5月26日に病気で亡くなるのですが、この5月6日条は木戸の最後の日記なんだそうです。
解説には最後まで西南戦争の戦況を案じていたとありますが、この日記の最後の文章が、
黒田清隆今日より帰郷に付八代口日記と戦地図を贈れり

他は大久保利通が利用した香炉や印章、木戸の扇面、西郷隆盛の水滴や東郷平八郎が揮毫?した西郷隆盛の手本帖。
別府晋介の書簡や西郷隆盛を介錯した刀、田原坂の戦いの激しさを偲ばせる武器弾薬等々。
西南戦争の最後の段階で山縣有朋が西郷に宛てた書簡がありますが、その草稿も栃木の山縣有朋記念館から来ていました。

はーい。続きまーす。




帰ってきました。
今回は美味しいランチにもカフェにも恵まれなかったなー
なのでどこで何を食べたかは書きません(^^ゞ
でも和カフェは京都が一番だと再認識した。もう東京では行かんぞ(笑)
偶然弟も上京していたので一緒に晩御飯を食べたんですが、時間も全然なくて(50分位)手近な居酒屋へ。これがまた不味い!びっくりした。
居酒屋で不味い所なんてそうそうないよ?(笑)
まあ久しぶりに弟にあえたんでいいかな~と彼を見送った後うろうろしてたら、自分のスケジュールが相当ヤバい事になってしまい、バス乗り場に着いたのが発車1分前でした。ヒイイイイ
乗れてよかった。こんなギリギリ感はいらん。

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