ゆかえもん、ぼちぼちやっとるがね

趣味のお城のことや日常のいろいろなことを書いていきます。

愛知県小牧市の城 北外山城

2008-03-25 22:50:53 | 尾張の城
宇田津砦の次は 北外山城へ。

北外山城。小牧市北外山。織田与四郎の居城であった。廃城となっていたが天正
12年(1548)の小牧・長久手の戦いの際に 織田・徳川連合軍が修復して 連砦
とした。

北外山城の場所

問屋スーパーの前にクリーニング店があり その西側に細い道がある。
(目印は石碑)自動車は進入不可。その道を入っていく。
道がクランク状になっているところを過ぎて 少し歩いた先の左手にある個人宅
周辺が城跡である。
(城址碑が個人宅の庭にあるので 許可をとってから見学させていただくように
してください。)



北外山城の城址碑。


今回は これで終了。
小牧・長久手の戦い関連の城や砦を今まで見て回ってきたが すべて見終わるのに
もう少しだ。

前回 小牧をまわったときも天気が悪かったので 今度はいい天気だといいな・・・。





愛知県小牧市の城 宇田津砦

2008-03-22 22:47:47 | 尾張の城
小牧山城の次は 宇田津砦へ。
ここは現在 企業の敷地内にある。事前に見学許可をとっており 約束の時間より
前に到着してしまったが 見せていただけることになった。

宇田津砦。小牧市東3丁目1番地。
小牧・長久手の戦いの際 織田・徳川連合軍が築いた連砦の1つ。

名神小牧I.Cをおりて 国道41号を南下し 「花塚橋南」の信号を左折し県道
25号に入る。県道を東進し 「哥津」信号そばの企業の敷地内に城址碑がある。



城址碑。


碑があるまわりは 木々があり 社員の方たちが休憩していた。
写真を撮りたくても ちょっと撮りづらかったなぁ。

次に 北外山城へ行った。



小牧山城に登ろう!

2008-03-19 01:17:09 | 尾張の城
2月23日。小牧山城を初めとする 小牧・長久手の戦い関連の城や砦へ行った。
小牧山城は麓の遺構を見たことがあるが 山へは登ったことがない。
さっそく 大手道とされる所から登山を開始した。

小牧山城。小牧市小牧町八幡前。
この城が築かれたのは永禄6年(1562)頃のこと。築城者は 織田信長。
しかし 信長の在城期間はわずか4年ほどと短く廃城 その後 岐阜へ移り
岐阜城を築いた。
それから月日は流れ 天正12年(1584)秀吉と家康&織田信雄が対陣した小牧・長久手の
戦いがおこる。
その時 家康は小牧山城を整備し 陣城として利用した。

名神小牧I.Cをおりて 国道41号を700mほど南下した「弥生町」交差点を
左折し 前方に見える山が小牧山である。
登城口は何カ所かあるが 最短コースは小牧市役所の上にある大手道かな?
駐車場は市役所や山の北側にある小牧署の近くの駐車場など。



大手道。なだらかな階段なので 苦にならない。


この大手道を少し登ると 左手にほそーい道があるのを発見。
人1人しか通れないのだが 何があるのかな~と歩いていったら 祠があった。
「吉五郎稲荷」というのだそうだ。他に道があり そちらの方がしっかりとして
いた。
お稲荷さんを見た後 近くに空堀のようなものがあったので それを写真に撮る
ため さらに歩いていったら・・・

ガサガサッ!!
「なっなにっ!!」
何か動物が逃げていった・・・。
きつね? そんなもの、いるわけない。ここは街だし。
たぬきとは違うし。
耳が三角で しっぽがふさふさと太かった。色は 黄土色っぽかったけど。。。。。
いたちかな~ とにかく正体がわからない。
犬や猫ではないことは確かだ。
山の中で動物と遭遇したのは2回目。1回目は野うさぎだったので 今のところ
かわいい動物との遭遇ばかりだ。
熊や猿にいつ出くわすかもしれないので 気を付けなければ(××)

再び 遊歩道に戻り 山頂へ向かって登りだした。


城跡の中央ぐらいに位置する 竪堀。途中で右へ折れ 横堀となる。この竪堀は
見ごたえあり!



竪堀の西側にある 曲輪。土塁で囲まれている。



竪堀の東側にある曲輪。



本丸のすぐ下にある 石垣。



本丸に建つ 資料館。



山中にある 井戸跡。


小牧山城は麓に空堀が復元してあったり 北側には井戸跡や土塁の断面が見られる
ようにしてある。

山の遊歩道は散歩をする人たちがたくさんいた。
この日は天気がいまいちよくなくて 本丸へ着いたころには雨がふりだしてきた。
ところが 数分でやんでくれたので 再度見学開始。
登ったり下りたりして なかなか楽しめる城だった。

次は 宇田津砦、北外山城へ向かった。

愛知県蒲郡市の城 竹谷城発掘調査

2008-03-17 00:37:32 | 東三河の城
今さらながら 蒲郡市の竹谷城発掘調査のことを報告です(^^;)

2月19日。竹谷城の発掘現場に行った。

竹谷城。愛知県蒲郡市竹谷町。
松平宗家三代 信光の子、守家が天文17年(1548)に築城した。以来 竹谷松平家
となる。

塩津中学校の200m東の小山(竹やぶと言った方がいいかな)に城跡はある。
県道383号「土生」の信号を北へ曲がり 1本目の道を右折する。
そのまままっすぐ進み 左手に見える小山が城跡だ。

城の周りには 家やマンションが建ち この小山だけなんとか残っていたようだが
とうとう マンションや住宅が建つことになり 緊急発掘調査が行われた。



今回 発掘された空堀。もともと空堀はあったようだが さらに掘り進めたところ
石敷きが発見された。通路としても利用されたらしい。



主郭。以前は竹やぶで見えにくかったらしい。奥にみかん畑があり、そこまでが
主郭と思われる。



城の下から 1500年前の石室が発見された。石がきれいに並べられているが
このきれいな状態で発掘されたとか。すげ~。
古墳は有力豪族のものとみられ、石室は15世紀の築城当時に解体され埋め戻されたらしい。
東海地方で城の直下に古墳が見つかるのは日進市のの岩崎城跡に次いで2例目だということ。
ちなみに 発掘された石室は既に解体されている。



主郭の南にある曲輪からは 柱穴が発掘されている。



石碑。


ワタクシ 今回 城よりも 古墳にびっくりだった!
しかし 墓の上に城をつくるなんて。。。
まぁ、古墳の上に 砦を築く、なんてのもあるぐらいだから 少なくとも
「たたりがある」なんて昔の武将は考えなかったのかもしれないね。

あれから 1ヶ月たつけど 現場はもう埋められてしまっているのだろうか・・・。

3月14日は・・・

2008-03-14 21:00:32 | 子分たち
3月14日は 

ホワイトデー♪

作りましたよぉ、クッキー。

20数年ぶりに 作りましたよぉ。

今は クッキーミックスという かなーり便利なものがあり
カンタンに クッキーを作ることができました。

ちゅんたろうは ☆とハートの型抜きをしてもらいました。
甘くていい匂いがする クッキーの素をこねていたら ちゅんたろうに
つまみ食いされてしまいました。
まだ 焼いていないのに 甘い香りに負けてしまったちゅん。

型抜きをした クッキーをいよいよ焼きます。
しばらくして できあがったクッキーを見てちゅんは
「うまそーーー!!食べてもいい??」

冷めてから 包んで かわいい袋へ入れます。
それを見ていたちゅんは
「そんなにたくさんあげちゃうの?」
バカモン!文句を言うんでない。
甘いものが好きなちゅんは 自分がたくさん食べたくてしょうがないようです。

チョコをくれた Aちゃん宅へ持っていきました。
しばらくしてから Aちゃんママからメールが。
「おいしかったよ~。ありがとう。」
喜んでもらえて よかったです。

ちゅんは
「今度は 誰にもあげないクッキーを作ろうよ。」
と言いました。
焼きたてのクッキーがかなり気に入ったようです。

今度は 生地をこねるのも ちゅんにやらせてみようか、と思います。

愛知県瀬戸市の城 品野城

2008-03-10 00:57:19 | 尾張の城
瀬戸市最後の訪城は 品野城。
品野城。愛知県瀬戸市上品野町。品野城は、建保年間(1213~1219)に山田重忠の家
臣、大金重高が築城したと伝えられる。
その後、信州からやってきた戸田宗忠が城主となる。宗忠は後に落合城に移り
子の宗繁は応永の末頃 尾州戸田城へ移った。戸田氏が去った後 織田信秀の
家臣 坂井秀忠が居城したが 松平清康に攻められ落城した。その後 松平信定が
城主となり家重、家次と続いた。さらにその後 今川義元の命を受けて 松平信一
戸田直光が城を守ったが 永禄3年 信長の総攻撃にあい 品野三城(品野、桑下
落合)は落城した。

東海環状道 せと品野I.Cをおりて 信号(上品野町)を右折する。
国道363号に入り 700mほど東進すると 右手に稲荷神社の鳥居がある。
その鳥居の奥にある神社の裏山が城跡である。



稲荷神社境内。この神社は高台にあり ここも城域じゃないのかな~? 
社の裏から 山へ登って行けそうな道があった。
しかし 登っていっても 途中高速道路で寸断されているらしい。
東海環状道を建設する際に 城跡がかなり破壊されたようだ。

この付近は ホントに道が狭くて 駐車スペースがない。
なんとか とめられる場所を見つけたけど・・・。

この日 瀬戸へ来て思ったのは 豊田市より寒いかも?ということだった。
なぜなら 日陰になる場所に何日か前につもった雪がしっかりと残っていたから。
豊田市内では 日なたはもちろん、日陰にも雪はない。
東海環状道の猿投トンネルを出たとたん 雪があるんだもの。
びっくりしたなぁ。

今回は 4城でおしまい。
瀬戸なら 暑い季節の城めぐりにいいかもしれないので またそのうちに訪れたい。


愛知県瀬戸市の城 落合城

2008-03-07 00:24:27 | 尾張の城
阿弥陀ヶ峰城の次は 落合城へ。

落合城。愛知県瀬戸市落合町。戸田宗忠が元中年間(1384~1392)に築城した
といわれる。
その後 長江利景、桜木氏、と城主が変わり 再び 戸田氏が城主となった。
戸田家光の子 直光の時 今川義元の命を受けて品野城を守ったが 織田信長
に品野三城(品野、桑下、落合)を総攻撃され 落城した。

落合城の場所


城があったとされる付近。遺構はないようだ。



城跡の南側を流れる川。堀の役目をしていたようだ。


品野三城である 桑下城、落合城と見てきたので 最後は 品野城で〆!とした。

愛知県瀬戸市の城 阿弥陀ヶ峰城

2008-03-01 01:18:13 | 尾張の城
桑下城の次は 阿弥陀ヶ峰城へ。

阿弥陀ヶ峰城。愛知県瀬戸市品野町1丁目。
文明14年(1482)桑下城主・長江利景と今村城主・松原広長が対立。品野勢は長江
利景を首将とし阿弥陀ヶ峰に砦を構え、大激戦の末 今村勢は敗走した。
元禄元年(1558)信長の家臣 竹村長方の品野城攻めの際にもこの阿弥陀ヶ峰城が
使用されている。

東海環状道 せと品野ICを下りてすぐの信号を左折する。800mほど西進し
「品野前交番」の信号を左折し 1㎞ぐらい行き右手の路地を入っていくと
左手に「全宝寺」がある。この寺の付近一帯が城跡である。



全宝寺。付近より 高台にある。



お寺全景。


遺構はない。
写真と 付近をさっと見ただけで 次の城へ向かった。

・・・それにしても さっきの雪がウソのように晴れたなぁ。