ゆかえもん、ぼちぼちやっとるがね

趣味のお城のことや日常のいろいろなことを書いていきます。

静岡の古戦場跡 一言坂の戦い、犀ヶ崖古戦場

2008-05-25 03:04:52 | 静岡県の城
社山城の次は 一言坂の戦い跡へ。

静岡県磐田市の国道1号から 北へ入り 西方面へ下る坂が一言坂。
元亀3年(1572)武田信玄と徳川家康の戦いが起こり 袋井市の三箇野川での戦い
で敗れた家康は 浜松城を目指して敗走したが 一言坂で追いつかれた。
ここで戦いが起こったのだが 敗走する家康を本多忠勝が救い 見事に敵を
退却させた。


一言坂の戦いの碑。1号線沿いにある。



1号線から北へ入り すぐ西の坂。ここが一言坂。


ここで まるおはお昼寝中。起きそうになかったので そのままにして
坂を見学した。


次は 犀ヶ崖古戦場へ。

浜松市にある 犀ヶ崖古戦場。
ここは 夜営をしていた武田軍を徳川軍が 崖の下へ追い落としてしまった場所。
今でも 深い谷がある。


この木々の下に 谷が。深さ約10m。今でも 薄暗くて もしこの下を歩く歩道
があったとしても 歩きたくないなぁ。

今回は ここでおしまい。
またまた 巡城組のみなさんにお世話になりました。
ありがとうございました

静岡県磐田市(旧豊岡村)の城 社山城

2008-05-15 23:55:06 | 静岡県の城
清瀧寺の次は 社山城へ行った。

社山城。静岡県磐田市社山。文亀元年(1501年)に今川氏に斯波義雄は破れて
二俣城に退却した。今川氏がこの城を支配し、匂坂氏、菅沼氏が在城したとされ
る。永禄十二年(1569年)に今川氏が滅亡後、元亀三年(1572年)には武田信玄が
侵攻し、この城を改修した。元亀四年(1573年)には、徳川家康が二俣城奪還のた
めこの城を改修したとされる。

場所は・・・ちえぞーさんの後ろをひたすらついていったので 説明ができません(^^;)

社山城の場所


城跡は 公園になっているが はっきり言って山林。
主郭に 神社がある。


城跡の北から入っていくと 写真のような 土橋がある。



本曲輪。



本曲輪の南から西にかけてある 横堀。


今回 まるおは ともさんに抱っこされて 堀切の下へ下りることができた。
体重20㎏以上はあるので 重いですよ~と言ったが 「だいじょうぶ!」
とのことで 連れていっていただけた。
まるおは すごく喜んだ
高さがあったので 私と二人だけだったら 確実に
「そこで(上で)待ってなさい」
だもんなー。

この城も 再訪なんだけど 本曲輪の神社しか覚えていない。
本曲輪の北にある 二重空堀とか その他の堀切、竪堀、横堀など
全然記憶がない。
結構楽しめたので 再訪できてよかったと思った。

次は 一言坂の戦い、犀ヶ崖古戦場へ。


清瀧寺へ

2008-05-14 00:15:57 | 静岡県の城
ずいぶんとほったらかしで すみません。。。。。

二俣城近くにある 清瀧寺からです。

清瀧寺。静岡県浜松市天竜区二俣。
二俣城で自刃した家康の嫡男、信康を供養するために建立された寺です。
信康他 大久保忠世らの墓もあります。


信康廟。



左から 吉良於初、大久保忠世、中根正照、青木吉継の墓。



復元された 二俣城の井戸櫓。


信康のお墓へたどり着くまでに 門が2つありました。
2つめが 写真にある赤い門です。

二俣城主だった 大久保忠世の墓があるのには驚きました。

次は 社山城へ。

静岡県旧天竜市(現・浜松市天竜区)の城 二俣城

2008-04-20 17:57:55 | 静岡県の城
長いこと 更新しておりませんでした。すみません・・・。

3月8日。巡城組のみなさんと 城めぐりをした。
今回は まるおが初参加。

私は 二俣城で合流した。今回は自宅からなので 名古屋から行くよりは近い。

二俣城。浜松市天竜区二俣町。はじめは 今川氏の支城であったが 永禄11年
(1568)徳川家康が攻略した。元亀3年(1572)10月 武田信玄が城の水の手である
井戸櫓の釣瓶を破壊し 2ヶ月後に城は陥落した。
天正3年(1575)5月 長篠の戦いに勝利した徳川家康は 武田勢を一掃すべく
二俣城の攻撃に着手した。武田軍は7ヶ月で兵糧が尽き 城を明け渡した。
二俣城には 大久保忠世が入城し 家康が関東移封となる天正18年(1590)まで
在城した。
家康の長男・信康が若くして父に切腹させられた悲劇の地としても知られる。


城の入り口。通路になっているが 一応 腰曲輪だったところ。
ここを通ると 城の説明が流れる。初めてだとびっくりするかも。



北曲輪。二俣城は南北に曲輪が造られている。



本丸。天守台が残る。石垣は野面積み。



天守台からの眺め。眼下に天竜川が流れる。



本丸の南東に二の曲輪があり さらに南東に蔵屋敷と呼ばれる曲輪がある。
草がボーボーで・・・(^^;)
整備されているのは 二の曲輪までですな。



蔵屋敷にある石垣。わかりにくいけど(^^;;



蔵屋敷の南東にある南曲輪との間の堀切。



南曲輪。竹やぶだし(^^;;;


二俣城は2回目なのだが 本丸までしか記憶がない。
蔵屋敷の方には 来ていない、と思う。しかも 天守台しか覚えていなくて
本丸へ入る食い違い虎口とか 土塁とか その他いろいろ記憶ナシ!
石垣だけ見て すげーなーで終わってしまったのかもね、私の中では

まるおは南曲輪までついてきたが もっと暖かくなったらそこまでは
行けないかもしれない。今回は1人分通れる道があったから良かったけど
もっと草刈りしてくれるといいのにな。。。

次は 清瀧寺へ。



2007年 城納め 浜松城

2007-12-31 23:41:11 | 静岡県の城
今年も あと僅かで終了です。。。
年末はバタバタで 夜は10時を過ぎると もうウトウト・・・で
久々にパソコンつけてます。

ブログの更新が何日もほったらかしですみません

今年最後のブログは 城納めとして行った 浜松城のことを。

浜松城。静岡県浜松市元城町100-2。
元亀元年(1570) 徳川家康が旧曳馬城を拡張して浜松城を築城し 17年間
在城した。
家康の後は 代々の諸大名に守らせ 浜松藩260年の間に再任を含めて
25代の城主が在城した。

実は この日浜松へ行った目的は うなぎパイ工場の見学。
ちゅんたろうの長期の休みを利用して 毎回どこかの工場見学へ行くのだが
近場の工場見学はだいたい行ってしまったので 他県へ足をのばしたのだ。
うなぎパイのあま~い匂いをかいでいたら パイが食べたくなってしまい
「お得用」を買ってしまった(^^;)

工場見学の次は 城見学。
浜松と言えば 「浜松城」。
今年 最後の城としてふさわしいということで お城へGo!


浜松城天守閣。野面積みの石垣がいい感じ~♪



天守曲輪。土塁がある。



天守曲輪にある 井戸。
井戸は天守閣の地下にもある。


この城へ来たのは2回目。
前回は 天守を見ただけでその周りをじっくりと見ていなかったせいか
初めて来たような感じだった。
荒々しい野面積みの石垣が こんなにかっこいいと思えたのは初めてだ。

天守閣内部にも入ったのだが 子分たちがちょろちょろと動き回るので ゆっくり
と見ていられない。
2階へ上がろうとしたら まるおが階段の下から上を見たとたん 行きたくない
と言った。
「どうして?」と聞いても 「もう出よう」と言うばかり。
変だなぁと思い もう一度上を見たら 外国人の観光客がいたのだ。
あーなるほど。外人さんが怖いんだ。。。
まるおにそうなのか尋ねたら 大当たり。
ちゅんたろうはすでに2階にいるし 困ったなぁと思っていたら ちゅんが
まるおを呼びに来た。
「おもしろいものがあるよー。」と誘われたまるおは 怖いことなんて
どこかへいってしまったようで お兄ちゃんと一緒に上がっていった。

2階へ上がってからも チョロチョロと落ち着かない2人。
他のお客さんに迷惑がかかってもいけないと思い 早々に出ることにした。

天守閣の南側下には 小さな公園があり そこで子分たちはしばらく遊んでいた。

時間がなくなり 今回はこれでおしまい。
浜松城の前に 陣屋跡へ行ったのですが また後日報告します。
他にも 岐阜の城や旧下山村の城にも行きましたが これも後日(^^;)

今年もたくさん城めぐりができて 楽しかったです。
来年は 私が一番大好きな城へ行く予定です。(どうなるかわからないけど)

「ゆかえもん ぼちぼちやっとるがね」をご覧いただきありがとうございました。
来年も 書き続けていきたいと思います。
では みなさま よいお年をお過ごしください



 

静岡県袋井市の城 久野城

2007-06-30 15:22:50 | 静岡県の城
天方城の次は 袋井市の久野城へ行った。

久野城。静岡県袋井市鷲巣字上末本。
久野城は在地領主久野宗隆が築いたとされ、その年代は明応年間とも、永正年間
ともいわれる。
宗隆の孫、元宗の頃には今川氏の配下に属していた。
永禄三年(1560)桶狭間の合戦にて今川義元とともに元宗が討死すると、跡を
継いだ元宗の弟、宗能は徳川家康の旗下に入って掛川城・高天神城攻撃、小牧長久
手の戦いにて戦功を立てる。
天正十八年(1580)、家康関東移封により久野氏は下総(千葉県)に移封され
ると久野城には松下之綱が入り、次いで松下重綱、久野宗能(再任)、久野宗成、北条氏重
にいたるまで150年間居城したが正保元年(1644)廃城となる。

場所は東名袋井インターから東へ3㎞弱の所。
袋井インターをおりて「可睡斎」への道案内に従って行くと途中から「久野城→」
のような小さな看板もある。
東名からも 「久野城址」とかかれた看板がよく見える。


久野城の縄張り図。



北側の堀跡



二の丸から本丸へ上がっていく右側にある井戸。フェンスで厳重に囲まれている。



本丸。草ボーボーだぁ!!



北の丸から三の丸をのぞむ。


土塁と表示されていても 竪堀があるらしくても 遺構がしっかりと残っていても
草がすごくてなーんもわからん。
人が歩きやすいようにある程度は草刈りがしてある。
それはありがたいけど・・・けどぉぉ
でも 曲輪の位置はわかりやすいし 堀跡とかわかりやすいので 冬に再訪したい
と思っている。

ちょっとした出来事があり 時間がなくなってしまったのて帰りは110~120㎞
というスピードで(小さい車だから110㎞でもかなりの速度なの)高速を突っ走って帰宅したのであった。




     

静岡県周智郡森町の城 天方城

2007-06-29 00:52:19 | 静岡県の城
6月28日。天気がいい、ということで なぜだか静岡の城へ行きたくなった。
ここのところ 子分たちの体調不良で休日は全然動けず、おまけに梅雨入りして
天気が悪いので城めぐりができず‘お城行きたい病’になっていた。
まるおを連れていざ出発!

高速道路に入っていきなり渋滞。
予定では 森町の天方城と真田城へ行くはずだったが渋滞で時間がかかってしまい
変更することに。
最初に天方城へ 次に袋井市の久野城へ行くことにした。

天方城。静岡県周智郡森町向天方。
この城がいつ築かれたのかははっきりとわからないが 応永年代にはすでに山内対馬守の居城であった。
城主天方山城守通興の代になり戦国の世を迎えた。通興は今川氏に仕え 徳川家康
が浜松に入城してからも徳川に従わなかったため 1569年6月、家康は天方城を
攻め 通興は降伏した。
翌 1570年10月には家康の命に従わず軍兵を集め城に立てこもったため 再び
攻められ通興は降伏した。
1572年9月 今度は武田信玄に攻められ戦うことなく降伏、武田家に従うこととなる。
1574年3月 家康は天方城を攻め 3日のうちに落城させ その後軍兵をおいた。

天方城は城ヶ平公園となり 駐車場もあり整備されている。
比高250mもあるが城跡まで車で登ることができるのでラクラク山城だ。
でも 城跡までの山道は狭くて車同士のすれ違いが不可能な所がたくさんある。
途中、茶畑があり ホントにこの道なの~なんて不安になるが到着したら
広い駐車場があるのでびっくり。


主郭北側の空堀(内堀)。北側と西側に空堀がある。この城の見どころだ。



主郭。城趾碑もある。



城跡、というよりは 日本庭園!?



じゃ、ボク帰ります。と城とお別れするまるお・・というわけではないが。



まるおが大好きな遊具もありました~♪


下草をきれいに刈ってあるので歩きやすいし遺構も見やすかった。
それに この時期の私の天敵、蚊もいなかった。
ただ、手入れをされすぎて 曲輪は1つだけ?なのかよくわからない。

帰り道は前方から車が来てしまい めちゃ焦った。
地元の方の車のようで 何メートルが下がってくださりすれ違うことができた。
でも。。。私が下がってもすれ違えないことをわかっていたようで(^^;)

次は 袋井市の久野城へ

浜名湖パルパル!でも ここは実は・・・

2007-04-28 00:23:04 | 静岡県の城
4月3日(火)。相方が有休をとり 浜名湖にある遊園地パルパルへ行くことにした。
平日だし~火曜日だし~と思い すいているだろうなぁと思っていたら・・・
以外や以外!
春休みということもあり 人気アトラクションには行列ができていた。
「ミニコースター」という4歳の幼稚園児でも乗れるジェットコースターに
乗ることにした私たち。
小さな子どももたくさん並んでいた。
私はまるおと乗り ちゅんたろうと相方はそれぞれ1人ずつ乗ることにした。
(と、いうか・・・。相方とちゅんが一緒に座れないのが理由なんで(^皿^)
小さい子ども用だから全然怖くない。ところが・・・
もうすぐ終わるというときにまるおが小さな悲鳴をあげ 泣き始めたのだ。
怖かったらしい。
それからまるおはジェットコースターが嫌いになっちゃった


こういう静かな乗り物は平気なまるちゃん。



桜を堪能しているちゅんたろう。でも1人でこぐのはつらかったらしく(自転車みたいにこぐ乗り物)
「なんでママも一緒に乗ってくれなかったの!」と大ブーイング。


いろいろな乗り物で楽しんだあと 最後に観覧車に乗ることにした。
実はこのパルパル、堀江城跡なのだ。
城跡はパルパルの隣にある「ホテル九重」と遊園地の北半分だ。
観覧車は丘のいちばん上にあり下の段から見上げたときその斜面が
「切岸みたいだなぁ~。観覧車が主郭で。。(^~^)ん?いかんいかん。
ついついお城病が・・・」なんて思ってしまった。
そして乗るときには「うーん この下の段はひろーい帯曲輪みたいだねー。
ハッいかんいかん またまたお城病が。。。」
重症だな、こりゃ(^^;)


観覧車から撮った「ホテル九重」。ホテルの前にある小山が堀江陣屋の跡らしい。


家へ帰ってから堀江城について調べてみた。
そしたら・・・ありゃまびっくり!
観覧車付近一帯は堀江城の本丸跡なんだとか!
いやぁ 私のカン?も冴えているねぇ。えっ?やっぱりお城好き病かしらん。
遺構は何もないけど 遊園地は楽しかったしお城にも行けた、ということで
大満足の1日だった。


遠江の城 掛川古城

2007-02-02 00:44:58 | 静岡県の城
掛川城の後は最終目的地、掛川古城へ行った。

掛川古城。掛川市掛川。
文明年間(1469~87)今川義忠が朝比奈泰煕に築城させた。
だが文亀元年(1501)信濃の小笠原氏が遠江に侵攻すると朝比奈氏は古城と
丘陵続きの南西500m先端、竜頭山に新城の構築を計画し、泰煕の没後
永正10年(1513)泰能の代に新城が完成して移った。
明暦2年(1656)掛川城主北条氏重は掛川城の鬼門にあたるこの地に幕府に
願い出て三代将軍徳川家光の霊牌を安置し、大猷院霊廟を造営した。


家光の霊廟。古城の本曲輪に建てられている。



霊廟の東側にある土塁。



土塁の東にある堀切。



二の丸跡。今は公園になっている。


家光の霊廟がある 龍華院は掛川城天守閣が完成したばかりの時に天守閣の後に
訪れた。
でも その時はこのお寺が城跡だなんてまったくわからず 文化財である
霊廟をみる目的で訪れたのであった。

ここへ来て ちゅんたろうのパワーが全開!
まるおも公園があって大喜び。
少しの時間だったけど 2人とも遊具で遊び楽しんでいた。
最近まるおは お城+公園がいいらしく ここへ来るまで
「公園は?公園はないの~」と言っていた。
最後の城に公園があってよかったよぉー。
名古屋から出発したので ちょっと遠かったけど静岡の城は楽しかった。
予定していた勝間田城へ行けなかったので またの機会に訪れたいと思う。

遠江の城 掛川城

2007-02-01 01:16:14 | 静岡県の城
諏訪原城の次は 掛川城へ行った。

掛川城。掛川市掛川。
文明元年(1469)、駿河国を支配する大名・今川義忠が家臣の朝比奈泰煕に
本格的に築城させたのが、今の掛川城の前身である。
天正18年(1590)豊臣秀吉は徳川家康を関東へ移すと 家康旧領地には秀吉配下
の大名を配置し 掛川城には山内一豊が入った。一豊は城の改築や城下の整備を
行うとともに、この時初めて天守閣をつくった。その後 城主は何人も変わり
1746年、江戸城を築城した太田道灌の子孫・太田資俊が入城すると
以後は明治維新まで7代続くことになった


復元された大手門。実際の位置より50m北にあるのだとか。



大手門の裏には 大手門番所がある。
1854年の大地震で倒壊後、1859年に再建された現存する番所である。
ただ、掛川藩廃藩後は 元静岡藩士の家に移築されていたとのこと。
昭和53年に元藩士の子孫より掛川市が譲り受け 現在の場所へ移築・復元した。



復元天守閣。木造建築。



太鼓櫓。かつては三の丸にあったとか。



復元された 三日月堀。すぐ近くに長方形の十露盤堀(そろばん堀)がある。



掛川御殿内部。御殿は他に二条城、高知城、川越城に残っている
チビ家老が歩いているゾ


掛川城を訪れたのは2回目。以前は天守閣が公開されたばかりの時だったので
土塀が完成しておらず 壁土が丸見えだった。
復元とはいえ 木造建築の天守閣はいい。階段は登りにくいが現存天守閣の
階段も登りにくいのでその感じがとてもいい。
御殿では まるおがなかなか帰りたがらず困ってしまった。
居心地が良かったらしい。

次は 今回の最終目的地である 掛川古城へ行った。