天方城の次は 袋井市の久野城へ行った。
久野城。静岡県袋井市鷲巣字上末本。
久野城は在地領主久野宗隆が築いたとされ、その年代は明応年間とも、永正年間
ともいわれる。
宗隆の孫、元宗の頃には今川氏の配下に属していた。
永禄三年(1560)桶狭間の合戦にて今川義元とともに元宗が討死すると、跡を
継いだ元宗の弟、宗能は徳川家康の旗下に入って掛川城・高天神城攻撃、小牧長久
手の戦いにて戦功を立てる。
天正十八年(1580)、家康関東移封により久野氏は下総(千葉県)に移封され
ると久野城には松下之綱が入り、次いで松下重綱、久野宗能(再任)、久野宗成、北条氏重
にいたるまで150年間居城したが正保元年(1644)廃城となる。
場所は東名袋井インターから東へ3㎞弱の所。
袋井インターをおりて「可睡斎」への道案内に従って行くと途中から「久野城→」
のような小さな看板もある。
東名からも 「久野城址」とかかれた看板がよく見える。
久野城の縄張り図。
北側の堀跡
二の丸から本丸へ上がっていく右側にある井戸。フェンスで厳重に囲まれている。
本丸。草ボーボーだぁ!!
北の丸から三の丸をのぞむ。
土塁と表示されていても 竪堀があるらしくても 遺構がしっかりと残っていても
草がすごくてなーんもわからん。
人が歩きやすいようにある程度は草刈りがしてある。
それはありがたいけど・・・けどぉぉ
でも 曲輪の位置はわかりやすいし 堀跡とかわかりやすいので 冬に再訪したい
と思っている。
ちょっとした出来事があり 時間がなくなってしまったのて帰りは110~120㎞
というスピードで(小さい車だから110㎞でもかなりの速度なの)高速を突っ走って帰宅したのであった。
久野城。静岡県袋井市鷲巣字上末本。
久野城は在地領主久野宗隆が築いたとされ、その年代は明応年間とも、永正年間
ともいわれる。
宗隆の孫、元宗の頃には今川氏の配下に属していた。
永禄三年(1560)桶狭間の合戦にて今川義元とともに元宗が討死すると、跡を
継いだ元宗の弟、宗能は徳川家康の旗下に入って掛川城・高天神城攻撃、小牧長久
手の戦いにて戦功を立てる。
天正十八年(1580)、家康関東移封により久野氏は下総(千葉県)に移封され
ると久野城には松下之綱が入り、次いで松下重綱、久野宗能(再任)、久野宗成、北条氏重
にいたるまで150年間居城したが正保元年(1644)廃城となる。
場所は東名袋井インターから東へ3㎞弱の所。
袋井インターをおりて「可睡斎」への道案内に従って行くと途中から「久野城→」
のような小さな看板もある。
東名からも 「久野城址」とかかれた看板がよく見える。
久野城の縄張り図。
北側の堀跡
二の丸から本丸へ上がっていく右側にある井戸。フェンスで厳重に囲まれている。
本丸。草ボーボーだぁ!!
北の丸から三の丸をのぞむ。
土塁と表示されていても 竪堀があるらしくても 遺構がしっかりと残っていても
草がすごくてなーんもわからん。
人が歩きやすいようにある程度は草刈りがしてある。
それはありがたいけど・・・けどぉぉ
でも 曲輪の位置はわかりやすいし 堀跡とかわかりやすいので 冬に再訪したい
と思っている。
ちょっとした出来事があり 時間がなくなってしまったのて帰りは110~120㎞
というスピードで(小さい車だから110㎞でもかなりの速度なの)高速を突っ走って帰宅したのであった。