ゆかえもん、ぼちぼちやっとるがね

趣味のお城のことや日常のいろいろなことを書いていきます。

愛知県春日井市 上条城

2007-04-30 01:24:24 | 尾張の城
先々週の土曜日。
この日は前から行きたかった春日井市にある上条城へ行った。
この城には森があり古い建物(民家というか屋敷?)があったのだが 駐車場に
するため 屋敷は壊され森はなくなってしまった。
幸いにも春日井市が文化財調査をしているためまだ遺構は残っているが
いつまで現在の状態が続くのかはわからない。

上条城。愛知県春日井市上条町。
健保6年(1218)小坂孫九郎光善が築城。永禄元年(1558)13代盛重は領地を
織田信長に献上し 廃城となった。
天正12年(1584)小牧・長久手の戦いの時 池田信輝が一時 居城した。

遺構は土塁、堀、櫓台跡と思われる土壇。


北側にある堀。



北側にある土塁。その向こうに堀がある。



城跡全景。


夏になったら草がいっぱいで 遺構が見えにくくなるなぁ。
城跡を一般公開してくれるとありがたいなぁと思うのだが・・・。
そうはいかないのだろうな。

この後は 小牧市へ移動し 小牧大草城へ行くことにした。




浜名湖パルパル!でも ここは実は・・・

2007-04-28 00:23:04 | 静岡県の城
4月3日(火)。相方が有休をとり 浜名湖にある遊園地パルパルへ行くことにした。
平日だし~火曜日だし~と思い すいているだろうなぁと思っていたら・・・
以外や以外!
春休みということもあり 人気アトラクションには行列ができていた。
「ミニコースター」という4歳の幼稚園児でも乗れるジェットコースターに
乗ることにした私たち。
小さな子どももたくさん並んでいた。
私はまるおと乗り ちゅんたろうと相方はそれぞれ1人ずつ乗ることにした。
(と、いうか・・・。相方とちゅんが一緒に座れないのが理由なんで(^皿^)
小さい子ども用だから全然怖くない。ところが・・・
もうすぐ終わるというときにまるおが小さな悲鳴をあげ 泣き始めたのだ。
怖かったらしい。
それからまるおはジェットコースターが嫌いになっちゃった


こういう静かな乗り物は平気なまるちゃん。



桜を堪能しているちゅんたろう。でも1人でこぐのはつらかったらしく(自転車みたいにこぐ乗り物)
「なんでママも一緒に乗ってくれなかったの!」と大ブーイング。


いろいろな乗り物で楽しんだあと 最後に観覧車に乗ることにした。
実はこのパルパル、堀江城跡なのだ。
城跡はパルパルの隣にある「ホテル九重」と遊園地の北半分だ。
観覧車は丘のいちばん上にあり下の段から見上げたときその斜面が
「切岸みたいだなぁ~。観覧車が主郭で。。(^~^)ん?いかんいかん。
ついついお城病が・・・」なんて思ってしまった。
そして乗るときには「うーん この下の段はひろーい帯曲輪みたいだねー。
ハッいかんいかん またまたお城病が。。。」
重症だな、こりゃ(^^;)


観覧車から撮った「ホテル九重」。ホテルの前にある小山が堀江陣屋の跡らしい。


家へ帰ってから堀江城について調べてみた。
そしたら・・・ありゃまびっくり!
観覧車付近一帯は堀江城の本丸跡なんだとか!
いやぁ 私のカン?も冴えているねぇ。えっ?やっぱりお城好き病かしらん。
遺構は何もないけど 遊園地は楽しかったしお城にも行けた、ということで
大満足の1日だった。


岡崎市の城 秦梨城

2007-04-27 00:00:06 | 岡崎市(合併後)の城
旧額田町の鍛冶屋城の次は 岡崎市の秦梨城へ行った。

秦梨城。岡崎市秦梨町字神谷。
城主の栗生氏は鎌倉時代の喜元3年(1305)三河守護・足利氏の被官として秦梨郷
郷司職に任ぜられこの地に来た。
戦国時代の永禄年間に松平氏に屈して栗生永信と子の信盛らが秦梨を去るまで
約300年間 ここを本拠としていた。
秦梨城は栗生信盛の屋敷と伝えられている。


主郭。アンテナのようなものが建っている。



城址碑。



主郭の東にある 堀切。


この城の見どころは 堀切かな~。
堀底へおりる間 まるおは待っていてくれた。
おりる手前まではついてきたけど それ以上は危ないからダメって言ったら
素直にきいてくれたのでびっくり。
ダダをこねるんじゃないかな~と思っていたんで(^-^)

今回の城めぐりはおしまい。

明日からはG.W!
遠征に行けそうです・・・たぷん(^^)

旧額田町の城 鍛冶屋城

2007-04-26 14:46:32 | 岡崎市(合併後)の城
日近城の次は鍛冶屋城へ行った。

鍛冶屋城。岡崎市鍛埜町字際田。
天野貞国が文明4年(1472)鍛冶屋に屋敷を構えた。4代源太郎貞氏は岡崎松平家に
仕えた。

このお宅には 現在も天野氏の末裔の方が住んでいる。


天野家の門。岡崎城の裏門とのこと。明治の始めに岡崎城が壊されるときに天野家
が譲り受けたものらしい。



鍛冶屋城全景。


県道35号沿いにある鍛冶屋城。日近城のある広祥院の前に県道35号があるのだが
それを西へ走れば鍛冶屋城へたどりつく。
さらに県道を走れば秦梨城へも行ける。
と、いうことで 次は 秦梨城へ行った。

愛知県旧額田町(現 岡崎市)の城 日近城

2007-04-24 15:13:58 | 岡崎市(合併後)の城
桜の花がまだなんとか残っていたある日。
山城シーズンが終わりに近いので まるおと行けそうな城へ行くことにした。
旧額田町の城と岡崎市の城。
日近城、鍛冶屋城、秦梨城。
最初は日近城から。

日近城。愛知県岡崎市桜形町字般興。
文明10年 奥平3代目貞昌が日近に進出し 広祥院を中興した。
日近城はこのころに築城されたと思われる。
貞昌は次男貞直を日近に配し、日近奥平家の初代とした。
貞直は今川氏についていたが弘治2年(1556)離反して織田氏に属したことから
日近合戦となった。この時は今川の攻撃に耐えたが半年後の雨山合戦で今川軍に
負けた本家作手の奥平貞勝により貞直は追放され、長男彦九郎は討ち取られた。
その後、日近は本家の支配となり 天正18年(1590)関東移封にともない
廃城となった。

広祥院という寺の裏から城への登城道がある。
比高70mほどだが まるおでもなんとか登れるだろうと思い 登っていくことにした。


日近城への入り口。広祥院への入り口でもある。



登城道をはりきって?登るまるお。



三の曲輪。眺めがいい。三の曲輪の上に二の曲輪があり虎口を経て主郭へと行く。



虎口。



主郭。くの字になった土塁がめぐる。
主郭の南には帯曲輪がある。



主郭の東にある堀切。堀切の東には 大土塁がある。


この時期になると虫たちが出てきて 動きも活発になっている。
まるおは蝶々以外の虫が苦手で 「虫、嫌い!怖いよぉ」と言いながら
早く帰りたがっていた。
私としては もっと見たいのだけど・・・(TT)

山をおりる途中で 左方向へまがり さらにおりていった。
歩いていくと 墓があり 「おふうの墓」となっていた。
武田方の人質として送られた 奥平本家の仙千代と日近家家老の娘 おふう。
奥平家が武田氏にそむいたので 人質となっていた仙千代とおふうたちは処刑された。
さらし首になっていた3人の首を乳母や僧永順らが奪い この地に葬った。
お家のためとはいえ 人質になりその後 処刑されるとは・・・。
戦国の世とはいえ 悲しいなぁ。。。

次は 鍛冶屋城へ向かった。




旧足助町の城 安代城

2007-04-17 15:11:13 | 豊田市(合併後)の城
天気のいいある日。足助の城へ行ってみるか~と思い まるおとともに出発した。
訪城したのは 安代城、足助陣屋。

安代城。豊田市豊岡町寺洞・深沼・花ノ木。
原田氏の居館であったといわれている。元亀2年(1571)武田氏に攻められ落城した。

城は民家の裏山にある。山の所有者宅へ行こうとしたらその家のおばあさんが
気がついてくれて 見学したいとお願いしたら快く承知してくださった。
さらに城跡まで案内してくださる、とのことでありがたく思い おばあさんに
ついていくことにした。


城の入り口近くにある 井戸。写真だとただの草むらにしか見えないのが残念(^^;)



主郭。以前は畑として使っていたようだが 今はほとんど使っていないとのこと。



主郭の東方にある 堀切。


堀切のすぐ近くに城主の墓がある。前は畑近くにあったようだが 畑に「こえ」を
まいたりするので城主が気の毒だと思い 今の場所に移したらしい。
近くにある徳用寺に城主の位牌があるとか。

他にも 主郭の南西方向に近田屋敷と呼ばれる場所があるのだが 竹藪で何も
見えないし 入ることはできなかった。

私が堀切を見にいっている間 まるおをみていてくれたおばあさん。
案内をしてくださったりお世話になりました。
本当にありがとうございました。

ウルトラマンが怖いって・・・

2007-04-16 15:32:44 | 子分たち
昨日15日はとある場所でウルトラマンのショーがあった。
ウルトラマンが大好きな子分たちが喜ぶだろうと思い 連れていくことにした。

11時すぎに会場へ到着。ショーは始まっていた。
子どもはやはり男の子が多い。
出演はウルトラマンメビウス、ヒカリ、セプン、レオの兄弟たちと ザムシャーと
いう宇宙人、ザラブ星人、エレキング。

戦っているウルトラマンたちに声援をおくる子どもたち。
我が家の子分たちも喜んで見ていた。
だが 小学生のちゅんたろう、ショーより気になるものがあるようで・・・。
それは 私たちが座っている目の前にある、役者さんの控え室(テント)。
中を覗きたくてしょうがない感じのちゅんたろう。
それを察した私は「ちゅん、テントの中を見ちゃダメよん」
と注意を促す。

やがてショーは終わり、続いて握手会へ。
見ていた人々は我先にとばかりに並びだす。
気がつくと ちゅんたろうがいない。が、少し遅れて私とまるおのそばに来た。
そして 私にちゅんたろうは言った。
「ボク、握手しない」
「えっ、なんで~~??」と聞いても理由を言わないちゅん。

やがて順番がきて ウルトラマンたちが近づいてきた。
すると まるおが「ボク、怖い。握手はいやだ」と言い出した。
「ええーっ!ウルトラマンは怪獣をやっつけてくれるいい人たちだよ。怖くないよ」
いつもDVDやテレビで見ているのに・・・。
いやがっているまるおに気がついた司会のおねーさんも
「怖くないよ~。ウルトラマンが待ってるよ♪」と声をかけてくれた。
なんとか握手をすませ、待っているちゅんたろうと合流した。

それから 約1時間後・・・。
メビウスとヒカリがショーの時間ではないのに出てきてくれた。
会場にいた子どもたちは大喜び!
みんな写真を撮ったり 握手をしている。
で・・・ウチの子は・・・。
まるお「いやだ。怖いもん」・・・やれやれ。
ちゅん「ボクも・・・怖いの」・・・なにぃぃぃ!!
「だから握手がイヤだったの」
な、なんで怖いんだよぉ。
まるおなんて ほぼ毎日メビウスのDVD見てるのに。
それに 小学生のちゅんが怖いだなんて(相手は怪獣じゃないのに)どういうことやねん。

で。。。家に帰ってから二人に聞いてみた。
まるおは「ウルトラマンの目が光っていないから怖かったの。」
たしかに テレビではウルトラマンの目が光っている。
タイマーが切れてダウンすると目の光りは消えてしまうことをまるおは知っている。
うーーーん。光っていないと死んで(表現は悪いけど)いるのに動いているみたいな?
よくわからんなぁ。
ちゅんたろうは「ショーが終わった後 テント(控え室)が少しだけ開いていて
ボク 見ちゃったんだ。そしたら・・・メビウスが頭を出していたの。その人
ミライくんじゃなかった・・・」
あちゃー。。。。。見ちゃったんだ。
メビウスが人間になっている時は「ミライ」って名前になっているのだけど
そのミライくんが中に入っているとちゅんたろうは思っていたらしい。
私たち大人はウルトラマンという着ぐるみの中には専門の役者さんが入っていて
演じている俳優が入っていないことを知っているけど子どもにしてみれば
「ミライ」を演じている 五十嵐隼士くんという俳優が入っている、つまり変身
していると信じているんだろうなぁ。

小学生にもなって、と思うけど なんだかかわいいなぁと思った私であった。
で、ちゅんたろうがメビウスを怖がった理由は・・
あ・・・ショックだったんだなぁ


四日市市北部の城 蒔田城

2007-04-15 02:05:31 | 三重県の城
四日市市の城 最後の場所は 蒔田城。
四日市市蒔田2丁目。
現在は 長明寺となっており 水堀が残っている。
蒔田城についての詳細は不明で、文治年間には蒔田宗勝が居城したようである。

この蒔田という地名なんだけど・・・。
地元の人は 「まいた」っていうのだが 電柱にある町名の表示は「まきた」
になっているんだよね。。。
でも 市の広報誌の城跡紹介のページは「まいたじょう」となっていて(^^;)
うーーーん どっちやねん???


寺の周りを囲んでいる水堀。



寺の西側の水堀。

寺の東方には東海道がある。道幅はそんなに広くないのに車の往来がかなりある。
国道1号の抜け道?みたいな感じになっているらしい。

今回の訪城はこれで終わり。四日市には行きたい城がまだあるので またの機会に
行きたいと思う。 



四日市市北部の城 羽津城 茂福城

2007-04-11 14:41:07 | 三重県の城
1週間ぶりの更新・・・。お久しぶりです(^^;)
パソコンをゆっくりと見る時間がなくて更新もできず・・でした。

さて 四日市市の城の続きです。
羽津城。四日市市羽津町城山。
藤原盛宗が築城。盛宗の後 宗久、宗善、宗慶、宗昌と続いたが 元亀3年(1572)
6代近宗の時、織田信長に滅ぼされた。

羽津城には土塁が残っている。城跡は近鉄の線路で分断されてしまっている。


城趾碑。



線路の西側に残る土塁。



城跡公園を分断している線路。


この公園には 子分たちの大好きな遊具があり ちょこっとだけ遊んだ。
まるおは電車が通るたびに「電車だぁぁ!」と喜んでいた。

羽津城の次は茂福城へ。

茂福城。四日市市茂福町里ノ内。
築城年代は不明。越前朝倉から来た 平貞冬が築いた。
永禄10年(1567)城主 茂福掃部輔盈豊は長島城で殺害され 残った茂福城の
城兵は織田信長の家臣 滝川一益と戦ったが攻め落とされた。
その後 滝川一益は目代として山口氏を置き この地を治めさせた。 

線路のそばに こんもりと盛り土のようなものが。


城趾碑と土壇。そばには説明板もある。

この土壇のある場所は城の主郭の北西角にあたるらしい。

次は 蒔田城へ行った。

三重県四日市市北部の城 萱生城

2007-04-03 23:58:11 | 三重県の城
3月31日(土)。三重県四日市市に用事があった私は せっかく三重県に来たんだ
しぃ(^^)と思い 四日市市北部の城へ行くことにした。
行った城は 萱生城、羽津城、茂福城、蒔田城。

まずは 萱生城へ。
萱生城。三重県四日市市萱生町。
室町時代に春日部宗方が築城。春日部俊家が城主の時、永禄11年(1568)織田連合軍
に攻められ落城した。

城跡は現在 暁学園の校舎が建つ。
縄張り図を見ると 天守台があったと思われる場所には校舎が建ち 堀切は・・・
なくなっちゃったのかなー??
唯一の遺構が井戸。土塁もあるらしいけど よくわかりませんでした(TT)


井戸の碑。



「髪のびの井戸」。悲しい言い伝えがある。



天守台があったと思われる(あっているかな~?)場所に建つ校舎。
堀切は・・・写真の斜面のどこかにあったのかな??うーん・・・。


井戸をのぞき込んだ ちゅんちろうとまるお。
まるおは「こわーい・・・」と何度も言い、ちゅんは「うわー深そう・・・」と言った。
やっぱ ちょっと不気味というか 怖い感じがしたんだね。

次は 羽津城へ行った。