ゆかえもん、ぼちぼちやっとるがね

趣味のお城のことや日常のいろいろなことを書いていきます。

愛知県東郷町の城 諸輪南城、北城、中城、達智屋敷

2008-12-28 01:25:39 | 尾張の城
残りの諸輪地区3城と達智屋敷のことを・・・(^^;)

諸輪南城。愛知県愛知郡東郷町曙。
天正11年ごろ 土豪の柘植道昌によって築かれた。柘植氏は後に真野氏と
改められ諸輪村の庄屋となった。この屋敷が諸輪南城である。

諸輪南城の場所


城跡は 尾三消防本部消防署とその南付近一帯。田んぼが広がり 遺構はない。


次は 諸輪北城へ。

諸輪北城。東郷町諸輪後山。
天正12年ごろの築城。丹羽氏の末流・丹羽右近太夫氏識が居城した。

諸輪北城の場所



城跡は 上城保育園とその南付近一帯である。保育園の東側から見ると
城跡は高台にあったことがわかる。


次は 諸輪中城へ。

諸輪中城。東郷町諸輪中市。
永禄7年(1564)丹羽氏識の築城。氏識は「道休」と号し清安寺を創建している。
その後 次郎三郎氏重が城主となり、氏重は天正12年(1584)岩崎城で
戦死している。

諸輪中城の場所



城跡の西に隣接している 清安寺。付近は宅地で道が狭いのでご注意を。
遺構はない。


東郷町の城 最後は達智屋敷へ。

達智屋敷。東郷町春木北反田。
達智賢了上人の屋敷。祐副寺という寺を創建する前に住んでいた屋敷といわれる。


達智屋敷の場所



現在は 東郷町総合体育館の前にある 公園になっており 遺構はない。


これで 東郷町の城めぐりはすべて終了。
東郷町の城跡は すべて近くにあるので ラクだった~



愛知県東郷町の城 傍示本城、諸輪下城

2008-12-27 00:54:08 | 尾張の城
9月5日。愛知県東郷町の城めぐりをした。

最初は 傍示本城。

傍示本城。愛知県愛知郡東郷町春木市場屋敷。
応永年間、丹羽氏勝が築城した。後に 岩崎城主 丹羽氏次の弟である
氏重が城主となったが 小牧・長久手の戦いで岩崎城の留守を預かっている
時に池田氏に攻められ戦死。その後 廃城となった。

傍示本城の場所



傍示本公民館の敷地内に 城跡碑が建っている。



城跡付近から見下ろした風景。高台に城はあったようだ。

公民館周辺が城跡で 現在は宅地となっている。遺構はない。

次は 諸輪下城へ。

諸輪下城。東郷町諸輪中市。築城年など詳細不明。

国道153号を名古屋方面から来た場合は「北山台5」を左折、豊田市方面から
の場合は右折し 県道36号に入る。そのまま県道を進み右手にサークルKを
過ぎた次の交差点に喫茶店があるが その北側の住宅地が城跡である。

諸輪下城の場所



城跡の東にある 常夜灯。

宅地で 碑もなく遺構もない。

次は 諸輪南城へ。

岐阜県高山市 高山陣屋

2008-12-26 00:18:35 | 岐阜県の城
8月6、7日と飛騨へ行った。(冬だというのに 夏の話・・・)
宿泊地は 下呂温泉。
翌日は 高山へ行った。

今回は相方も一緒。いわゆる 家族旅行だ。
高山へ来たならば せめて陣屋だけでも~も思い 行きたいなぁと言ったところ
あっさりとO.K。

高山陣屋。岐阜県高山市八軒町1-5。
高山陣屋は、高山城主金森家の下屋敷(向屋敷)として使われていたが
直轄領となってからは陣屋として代官や郡代がここで飛騨の政治を行った。
以来、慶応4年(1868)に至るまで176年間、江戸幕府は25代の代官、郡代を
派遣して飛騨の国を支配してきた。

高山陣屋の場所


玄関。とにかく 観光客が多いので 写真を撮るのが大変。



広いゾ~~!



御白州でござる。


歴史に興味のない相方が 以外とじっくり建物見学をしている。
ちょっとびっくり。
子分たちは 屋敷内をうろうろとしていて はしゃいでいる。
最後に 米蔵を見て 陣屋を出た。

この日は高山といえど 暑くて皆ぐったり。
古い町並みを少し歩き アイスクリームを食べた後は 人力車に乗ることにした。
と、いっても 家族全員乗ることはできないので 子分たちのみにした。
私も 乗りたかったけど 料金がちと高いので・・・
相方が乗ったら?? 人力車のお兄さんが気の毒だワ



初めての人力車に ごきげんな2人。

暑かったけど 泊まったホテルも良かったし 大満足でした



三重県伊賀市の館跡 沢氏東館、中林氏館

2008-12-25 23:40:51 | 三重県の城
前回から かなりあいてしまいました

伊賀上野城の次は 帰り道ということもあり また、気になっている館跡が
あったので 旧伊賀町の川東地区へ行った。

6月に伊賀町川東地区を訪れたとき、沢氏の館跡へ行ったのだが 東館へ
時間がなくて行けなかったのだ。
他に 川西地区の県道沿いに土塁に囲まれた民家があり 気になっていた。
せっかく伊賀へ来たのだから 寄っていこう、ということになった。

沢氏東館。三重県伊賀市川東。

沢氏東館の場所



屋敷を囲む 土塁。



入り口付近の土塁と石垣。

この館跡から東の方向に 春日山城がある。


壬生野インターへ向かうため 来た道を戻ることにした。
インターへ行く途中に 川西地区があり県道沿いに 土塁に囲まれた民家がある。
中林氏館である。

中林氏館の場所



屋敷北側の土塁。


川西地区にも館跡がたくさんあるようだが 遺構がないのもあるらしい。

今回は 子分たちも楽しめた伊賀の訪城。
次に 伊賀を訪れるなら 館めぐりがいいな~。
でも 子分たちがいやがるかも・・・。

三重県伊賀市の城 伊賀上野城

2008-12-02 01:35:37 | 三重県の城
7月19日。久しぶりに子分たちを連れての訪城。
場所は 伊賀上野城。
伊賀へ行った目的は もちろん城であるが 子分たちに忍者屋敷を楽しんで
もらったり ある食べ物を食べてもらいたかったためだ。
どういう反応を見せるか・・・楽しみだなぁ

伊賀上野城。三重県伊賀市上野丸之内。
天正13年(1585)伊賀に入国したのが、大和郡山城主 筒井定次である。
定次は天正15年から築城を開始し、文禄年間に完成した。
後に定次は改易され 慶長13年(1608)伊予から藤堂高虎が移封。
高虎は自ら縄張りをし 堀を深くして高石垣で囲むなど 筒井古城を大改修し
現在の伊賀上野城を築いた。

伊賀上野城の場所

最初に訪れたのは 忍者屋敷。
くの一さんが隠し扉を使い説明した後 「やってみたい人!」とお客さんに
声をかけた。
すると まるおが大きな声で「はぁい!!」と返事。
てっきり ちゅんたろうが先に手をあげるかと思ったけど。
まるおがにこにこしながら戻ってくると くの一さんがまた声をかけたので
今度は ちゅんたろうが手をあげた。
2人とも忍者屋敷の説明に興味津々で聞いていた。

次は 忍者体験館へ行き 展示物などを見た後は 昼食をとることにした。
ここで 私は 「忍者うどん」を注文。


何も具がないうどんを見て ちゅんたろうが一言。
「普通のうどんだね。何もないし。」
予想どおりの反応。ふっふっふ・・・。



ちくわ発見!「あ、あれ??ちくわが出てきたよ。あっ今度は あげ?」
これまた 予想どおりの反応だっ

「おもしろいねぇ このうどん!具が後からいっぱい出てくるよ!」
楽しそうに食べているちゅんたろう。
喜んでもらえてよかったよかった

うどんを食べたら いよいよ天守へ。
天守閣内には入らず 外観の撮影だけにした。


伊賀上野城天守閣。
写真がちょっと暗い感じだが 実はこの日デジカメを忘れる、という大失態を
してしまい 携帯で撮影した。



筒井古城の石垣。



高石垣と水堀。


じっくりと城見物したかったけど まるおが疲れたのかぶーぶー言い始めた。
暑いし しょうがないよな~と思い 上野公園を後にした。

次は だんじり会館へ行き クーラーがよく効いている室内でゆっくり休憩。
ここへは まるおの
「忍者の服が着たい!」という要望にこたえるために来たので さっそく
衣装を借りた。



おもちゃのヌンチャクを持っている ちゅんたろうと戦うまるお?

忍者の衣装が気に入ったまるお。
さっそくアニキと戦いごっこを始めてしまった
気分は ヒーローかしらん。

いっぱい楽しんだ2人は 帰りの車の中で眠ってしまった。
このまま 帰るのもいいけど 私はどうしても寄りたい場所があり・・・。
名阪国道を途中でおりた。