通称「ども又」で歌昇君が渾身の熱演でした。
亡き吉右衛門丈の当たり役(どれも彼が勤めると当たり役になるんですが)を播摩屋一門として、正しく継承しようとする
使命感にも似た意気込みが伝わってきました。
当然ながら吉さまに及ぶはずないのは誰もが承知していて、それでも果敢に挑戦する姿にジンワリ涙が止まりませんでした。
歌昇君も泣いてましたね。
汗かなと思ったら、涙。
二列目中央なので、細かい息づかいまで伝わってきました。
浅草は他の劇場より小さいため、前方のお席だと生の臨場感を味わえるのがお楽しみの一つ。
義太夫は人間国宝の葵太夫。
彼が浅草歌舞伎にご登場とは嬉しいサプライズでした。
吉右衛門@ども又で語りを勤めてこられたので、見届けたいとのお気持ちもあったのでは? と推察しました。
あの粘り付くような濃密な声が吉右衛門丈の奥深い芝居と相まって何とも言えない心地よさだったのを思い出し、それも落涙の一因。
もう一つの「連獅子」は待ちわびた舞台。
どんな役者にとっても過酷な演目で稽古が万全なのは当然、連日このハードな舞踊をやり続ける覚悟も問われるように思われます。
そのため滅多にお目にかかれず、今回は若手の修行の場にもなっている浅草歌舞伎で初めて観劇することに期待度マックスで出かけました。
良かったですね~。
もともと親獅子の松也君も子獅子の莟玉君も「連獅子」をやる家ではありません。
通常、実の親子(仁左さまは孫の千之助君と♪)でやるものを普段はあまり共演機会もなく、家も異なる(音羽屋と高砂屋)二人が
組んで勤めるなんてありえない、素晴らしい!
彼らの並々ならぬ意欲を感じます。
毛振りも単にブンブン回さず、揃ってました。
そして長い!!
「もうおやめになってよろしいのでは?」と客が心配になるほど。
最後の方は松也君の足元はふらついてました。
同行者は、むしろそこに感じ入ってました。
亡き勘三郎丈が息子たちへの言葉として、「明日のために余力を残すなんてあり得ない。全て出し切ってこそ新たな力が湧いてくる」
と語った言葉が忘れられません。
二人はまさに出し切り、燃焼し尽くしたといった域に到達してました。
劇評に「ちょっと足元がおぼつかない場面もあった」と意地の悪~い指摘もありましたが、若い二人の挑戦に好意的な内容。
歌舞伎ファンは、こういうものを見たいのよね。
そう言えば三年ぶりの浅草歌舞伎でのお楽しみ、役者日替わり制「お年玉舞台挨拶」は生では行われませんでした(録音?)。
私が出かけた日は巳之助君。
生じゃないけど、本当に立派なご挨拶ができるようになったもんだわとグッときました。
浅草歌舞伎ってホント最高!
一等席で真正面、劇中のヒソヒソ会話も全て聞こえてくる近さでお値段も歌舞伎座の約半分。
来年は昼夜、一等席で行くわよ~。
24日千穐楽。
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