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重慶爆撃は国際法違反か?

2017-06-02 21:35:50 | 近現代史関連
重慶爆撃というのは、日中戦争において日本軍により重慶に対して断続的に行われた218回に及ぶといわれる戦略爆撃のことです。
対日徹底抗戦を決定した国民党政権の重慶への首都移転実行により、大本営は地上軍による重慶の攻略を計画しましたが、要害の地である事などの様々な問題のため地上部隊を投入することができませんでした。

このため大本営は1938年12月2日、中支那方面軍に対し「航空侵攻により敵の戦略中枢に攻撃を加えると共に航空撃滅戦の決行」との指示を出します。

ただし、当時の日本軍には大規模な爆撃を行なう能力はなく、また中国軍の航空部隊の迎撃も無視する事は出来ませんでした。

中央統帥部も現地部隊に対し

「航空侵攻作戦は概ね1939年秋以降に実施するので、各部隊はそれを目処として、整備訓練に勤めるように」

と通達し、結局、稼働率や航空性能の劣るイ式100型重爆撃機(イタリアフィアット社製BR.20、陸軍の九七式重爆撃機が完成・配備される迄の代用機)や防御火器が貧弱な九三式重爆撃機では、中国軍の迎撃や対空砲火で被害が増大したため、防備の固められた重慶に対しては、より新鋭の九七式重爆撃機、九六式陸上攻撃機を主体とする陸・海軍の航空兵力による長距離侵攻を実施する事となったわけです。
臨時首都・重慶に爆撃を繰り返した爆撃は、218回に及ぶとされ、空襲による直接死者だけで1万1885人に上るといわれます。

軍事目標と市民を区別しない無差別爆撃は1937年4月、ドイツ空軍がスペイン内戦下で実行したゲルニカ爆撃が最初とされていますが、結果的にははるかに大規模の連続無差別爆撃となりました。

なお1938年12月26日の爆撃の前日に陸軍第一飛行団長寺倉少将による

「飛行団ハ主力ヲ以テ重慶市街ヲ攻撃シ敵政権ノ上下ヲ震撼セントス」

「目標ハ両戦隊共重慶市街中央公園都軍公署(以下略)」

という指示をあったとされており、戦意喪失を狙ったいわゆる「戦略爆撃」の走りとして、非軍事施設を目標とした事は、否定できないでしょう。

さて、まずハーグ陸戦条約の交戦規定について確認してみます。

ハーグ陸戦協定

第2款「戦闘」中の第1 章「害敵手段、攻囲及砲撃」に爆撃規制に関わる条項がありますが、このようになっています。

まず、害敵手段に関しては第22条にの次の規定があります。

第二二條 交戰者ハ、害敵手段ノ選択ニ付、無制限ノ權利ヲ有スルモノニ非ス。

この規定は、害敵手段全般にわたる規制ですが、当然、爆撃の場合も、使用兵器と攻撃対象の双方で、重要な規制基準として機能する事になります。

次に第23条には、害敵手段に関して次のような禁止事項が規定されています。

第二三條 特別ノ條約ヲ以テ定メタル禁止ノ外、特ニ禁止スルモノ左ノ如シ。

このうち

(ホ)不必要ノ苦痛ヲ与フヘキ兵器、投射物其ノ他ノ物質ヲ使用スルコト
が、使用兵器と攻撃対象の双方で、規制基準に該当します。

それから第25条~27条までは、主に爆撃そのものに関する規制を定めています。

第二五條 防守セサル都市、村落、住宅又ハ建物ハ、如何ナル手段ニ依ルモ、之ヲ攻撃又ハ砲撃スルコトヲ得ス。

これについて、重慶は攻守された都市であり、第25条には該当しない、という反論も考えられます。
当然、空爆を予期していなかったはずの広島、長崎と状況は異なるという論も成り立つでしょう。

ただし、前田哲男氏(軍事史研究家・評論家、元東京国際大学国際関係学部教授)ほか戦争と空爆問題研究会による、『重慶爆撃とは何だったのか もうひとつの日中戦争』(高文研)には、こうあります。

重慶爆撃の思想とは、地上戦との関係はまったくなく、ともかく空から爆弾、それも殺傷兵器をひたすら投下し続けるというものだ。何のためか、敵国国民の「継戦意志破壊」がそれである。日本軍は、首都となった重慶を徹底的に破壊することによって、蒋介石政権の降伏を導き出そうとしたのである。「テルミット焼夷弾」といわれる「弾着の衝撃で発火すると激しく燃え上がり、2000~3000度の熱を10分間以上発し続ける」、「7番6号爆弾2型」という、「着弾すると固形油脂剤が溶け出して火災を拡大させる」、「カ4弾」という陸軍が開発したそれは、「空気に触れると自然発火」し「ひどい悪臭と白煙を放つ」という(イスラエルがガザに撃ち込んだものも、こういう特性を持っていた)。そのような爆弾が、重慶に無数に投下されたのだ。まさに無差別爆撃である。
時に対空砲火などで爆撃機が「被害」を受けることもあろうが、しかし地上の被害と、投下する側の「被害」には圧倒的な差がある(非対称性!)。一種の「虐殺」
(67頁)。

こう考えたとき

第26条による爆撃予告の原則

第二六條 攻撃軍隊ノ指揮官ハ、強襲ノ場合ヲ除クノ外、砲撃ヲ始ムルニ先チ其ノ旨官憲ニ通告スル爲、施シ得ヘキ一切ノ手段ヲ盡スヘキモノトス。

が、意味を持ってきます。

あるいは第27条により

第二七條 攻囲及砲撃ヲ爲スニ當リテハ、宗教、技芸、学術及慈善ノ用ニ供セラルル建物、歴史上ノ記念建造物、病院並病者及傷者ノ収容所ハ、同時ニ軍事上ノ目的ニ使用セラレサル限、之ヲシテ成ルヘク損害ヲ免レシムル爲、必要ナル一切ノ手段ヲ執ルヘキモノトス。
被囲者ハ、看易キ特別ノ徽章ヲ以テ、右建物又ハ収容所ヲ表示スルノ義務ヲ負フ。右徽章ハ予メ之ヲ攻囲者ニ通告スヘシ。

により、原則的には軍事上の目的に使用されない限り、損害発生回避の措置義務があることもあきらかです。

なので、第25条に違反していないことを根拠に「国際法違反ではない」という結論を導き出すことはできません。

ちなみに 東京地方裁判所昭和38年12月7日判決(広島・長崎原爆投下事件 下田事
件)(下民集14巻12号2435号)(甲C11ないし甲C14)判決には、こうあります。

空襲についての国際法について「空戦法規案はまだ条約として発効していないから、これを直ちに実定法ということはできないとはいえ、国際法学者の間では空戦に関して権威のあるものと評価されており、この法規の趣旨を軍隊の行動の規範としている国もあり、基本的な規定はすべて当時の国際法規及び慣例に一貫して従っている。それ故、そこに規定されている無防守都市に対する無差別爆撃の禁止、軍事目標の原則は、それが陸戦及び海戦における原則と共通している点からみても、これを慣習国際法であるといって妨げないであろう。

言うまでもなく、私自身は東京大空襲は残虐な無差別爆撃である、と認識しています。

ただし、無差別爆撃の先例としての重慶爆撃を考えたとき、同様の理由によりこれを「国際法違反ではないと断じるのも、またダブルスタンダードということになります。

日本軍による空爆が戦略思想の転換をもたらし、アメリカの対日政策に大きな影響を与え、より大規模な無差別絨毯爆撃となった、と考えられる以上、東京空襲、日本各都市空襲、広島、長崎への原爆投下が「国際法違反」である、と断じるのであれば、重慶爆撃も
「国際法違反」と考えざるをえません。

もちろん、東京空襲、日本各都市空襲、広島、長崎への原爆投下が「国際法上合法」と考えるのであれば、それは一つの考え方ですし、実際にアメリカは「合法」と主張しています。

いずれにしても重慶爆撃が、都市爆撃と焼夷弾とを組み合わせ、民間人を殺傷し、戦争遂行の戦意を挫くことを目的とした戦略爆撃であった、という事は否定できません。

前記、前田哲男氏作成の「都市無差別爆撃の先例としての重慶爆撃」意見書(甲A5)によると

東京空襲と重慶爆撃との関連について、Ⅰ「空の戦争」の誕生、Ⅱ日本における航空主兵理論の生成と展開、Ⅲ重慶爆撃の実態、Ⅳ「重慶爆撃」と対日都市爆撃との項目の考察、論証をなし、以下を結論としています。

① 重慶に対する日本軍の空襲は、都市無差別爆撃の先例として世界に開示された。そこは臨時首都であったので、米・英・ソ連などの在外公館が設置されており、また多くの外国特派員も駐在していた。したがって、空襲の実態は即座に各国政府およびメディアにより(日本を除く)世界に伝達された。イギリスのチャーチル首相が「ゲルニカの暴虐」を対独地域爆撃に利用したように、ルーズベルト大統領も、中国諸都市への爆撃 を「野蛮な日
本」イメージに転化させ、対日無差別爆撃の口実に使うことができた。

② 直接的にも、アメリカの空軍力運用に、それまでタブーだった対都市爆撃の戦略が 採り入れられ、それまで保有していなかった焼夷弾開発に進むのは、「真珠湾以後」ではなく「重慶以後」である。ついで、ヨーロッパでは自制した都市無差別爆撃を日本に対してためらうことなく実行した背景にはー遠因としての「人種偏見」、または直因としての「真珠湾攻撃」や「バターン死の行進」があったとしても、近因に「重慶爆撃」が介在していたことは 明らかである。

③ 1944年、B‐29爆撃機が完成すると、ただちに対日都市爆撃が推進された。6月から、四川省・成都周辺を発進地とする対日爆撃が開始されるが、初期の「昼間高々度精密爆撃」が効果不十分と判定されるや、指揮官は更迭され、ヨーロッパ戦線から転戦してきたカーチス・ルメイ将軍が、クレア・シェンノート将軍(中国空軍顧問として「重慶爆撃」を観察し、焼夷弾攻撃の有効性を政府に進言した人物) の助言を受けつつ、「夜間低高度無
差別爆撃」に戦術転換する。この変更にワシントン政府は一切口をさしはさまなかった。

これらの時系列的な対日観の醸成経過と政策決定過程を見ていくかぎり、「重慶に対する無差別爆撃が東京空襲の先行行為となった事実」は動かしがたい。すなわち、「重慶爆撃」が「東京空襲への道」となったものである。

以上のように前田氏は、「重慶爆撃」が「東京空襲への道」となったと結論づけています。

また同氏は「戦略爆撃の思想」でも

重慶爆撃とアメリカの日本都市爆撃は同根とし、「日本軍が重慶爆撃に当たって採用した戦術は、第二次大戦中および、それ以後の地域戦争において米軍が採用する原則とまったく変わりない。同時にそれは20世記後半の核抑止戦略の中に生き続けている思想とも同根のものである。

と指摘しています。

本来は、東京空襲も重慶爆撃も、そして原爆投下も極東国際軍事裁判が掲げた国際法に違反する犯罪行為に該当するもののはずです。

裁かれなかったのは、はっきり言えば国際政治上の力学によるものではないでしょうか?

ご判断は、ここまでお読みいただいたすべての方にお任せします。

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2 コメント

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Unknown (omizo)
2017-10-22 17:36:15
約束事を、なぜ、相手に守らせるか。と、言うことに尽きると。そのために、こちらが、それを厳守するかと。  その意味では、ドイツも大日本帝国も、自業自得。

管理人さんに、確認なのですが、日ソ中立条約より、優先される、文(条約、憲章、etc)と、言うには無いと、現在も認識されておられますか。
一応、参戦時では、憲章草案103.107、わが国は、憲章に、加盟時に署名しております。
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Unknown (omizo )
2017-10-25 08:14:27
失礼しました。誤写です。 107ではなく106でした。

日本側の松岡、陸軍が主張する、三国同盟が優先すると、米国が主張する、モスコーが優先する。 どちらも相手側が署名してませんから双方の正当性の主張ですが、国連憲章草案には、50か国等が署名していますことから、日本も加盟時に署名していますし
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