Shpfiveのgooブログ

主にネットでの過去投稿をまとめたものです

Yahoo!知恵袋で見かけたトンデモ議論(20) 日ソ中立条約を先に破ったのは日本などというような人に日本国政府をバカにする資格などない その2

2019-01-31 22:05:20 | 政治・社会問題
こちらの続きです。

・米国ダレス国務長官に恫喝され4島返還主張から後に引けなくなった。


これは、いわゆる「ダレスの恫喝」と呼ばれる、1956年8月19日に当時のアメリカ国務長官だったジョン・フォスター・ダレスが、ソ連と平和条約の交渉中だった日本の外務大臣だった重光葵に

とにかく千島のソ連帰属を認めるということは認められない。いわんや択捉・国後まで含めて認めることなどは認められない。もしも日本がそういう態度をとる場合には、サンフランシスコ講和条約の第二十六条を注意してもらいたい。サンフランシスコ条約不参加の国とのあいだには、サンフランシスコ条約と同一の内容で日本が講和するのが原則であって、もしも条約で規定している以上に、その国に日本が譲歩するというならば、すでに条約を結んでいる国は日本に追加の代償を請求することができる

高野雄一『国際法からみた北方領土』(岩波ブックレット)P42より

と言ったとされるものです。

この時、ダレスは

もし千島をソ連領として認める、いわんや択捉・国後まで認めるという場合には、たとえば沖縄をアメリカが併合することだってあり得る

(上掲書P42より)

とも言ったとされ、重光葵は相当に腹を立てたようです。

重光は、当時日ソ国交正常化の全権として交渉にあたっていた松本俊一に、その憤懣を語っています。

重光外相はその日ホテルに帰ってくると、さっそく私を外相の寝室に呼び入れて、やや青ざめた顔をして、「ダレスは全くひどいことをいう。もし日本が国後、択捉をソ連に帰属せしめたなら、沖縄をアメリカの領土とするということをいった」といって、すごぶる興奮した顔つきで、私にダレスの主張を話してくれた。
このことについては、かねてワシントンの日本大使館に対して、アメリカの国務省からダレス長官が重光外相に述べた趣旨の申し入れがあったのである。しかしモスクワで交渉が妥結しなかったのであるから、まさかダレス長官自身がこのようなことをいうことは、重光氏としても予想しなかったところであったらしい。重光氏もダレスが何故この段階において日本の態度を牽制するようなことをいい、ことに米国も琉球諸島の併合を主張しうる地位に立つがごとき、まことに、おどしともとれるようなことをいったのか、重光外相のみならず、私自身も非常に理解に苦しんだ。


松本俊一『日ソ国交回復秘録』(朝日新聞出版)P125~126

では、重光外相、松本全権をはじめとするソ連との国交正常化交渉に当たっていた政治家たちは、この「ダレスの脅し」に屈して、それまでの方針を変更し、急にソ連側に対して「四島返還」を要求するようになったのでしょうか?

実は1955年6月にソ連との国交正常化交渉がスタートした当初より、松本俊一日本側全権は歯舞諸島、色丹島、千島列島南樺太が歴史的には日本の領土であるということを前提に主張していました。

これは松本俊一全権が1955年6月7日に、ソ連側のマリク全権に手渡した覚書にも明記されています。

該当箇所を抜粋します。


(3) 歯舞諸島、色丹島、千島列島及び南樺太は歴史的にみて日本の領土であるが、平和回復に際しこれら知識の帰属に関し隔意なき意見の交換をすることを提案する。

『日ソ国交回復秘録』P26より


それを踏まえて1955年8月16日に日本側がソ連に提出した条約案にはこうあります。
(言うまでもなく「ダレスの恫喝」より以前のものです)

第五条
一 戦争の結果としてソヴィエト社会主義共和国連邦によつて占領された日本国の領土のうち、
(a) 択捉島、国後島、色丹島及び歯舞諸島については、この条約の効力が生じた日に日本国の主権が完全に回復されるものとする。
(B) 北緯五十度以南の樺太及びこれに近接する諸島並びに千島列島については、なるべくすみやかにソ連邦を含む連合国と日本国との間の交渉によりその帰属を決定するものとする。

『日ソ国交回復秘録』P205 「附属資料」より

さすがに、日本側としてもサンフランシスコ平和条約で正式に放棄している南樺太、「千島列島」の領有権は主張していませんが、同地域が「帰属未定」であるとの判断は示しています。

「ダレスの恫喝」と呼ばれる、日ソ国交回復交渉に対するアメリカの介入は、あくまでも日ソ間の交渉の末に二島返還に落ち着きかけた時に行われたものであって

「ダレスの恫喝」があったから、急に日本側が無理やり四島返還を主張し始めたわけではないんです。


ネットに流布された情報ばかりを信じるのではなく

ちゃんと参考書籍くらいは読みましょう。


Yahoo!知恵袋で見かけたトンデモ議論(20) 日ソ中立条約を先に破ったのは日本などというような人に日本国政府をバカにする資格などない 

2019-01-31 06:56:33 | 政治・社会問題
先日、Yahoo!知恵袋でこのような質問が投稿されました。

NHKの日露首脳会談を見ていて疑問に思ったのですが、これまでの戦後交渉を説明するビデオのところで、「日ソ共同宣言で平和条約締結後に2島を返還することなどが約束されたが、
冷戦によりソ連が領土問題は解決済みであると主張するようになったため、約束が果たされなかった」というナレーションが入っていました。
つまり、アメリカの圧力により日本が約束違反の4島一括返還を主張しだしたため実現不可能となった事実を完全に無視し、もっぱらソ連の身勝手のせいで解決されなかったような説明でした。

NHKは事実を歪めて国民を洗脳するプロパガンダ機関ですか?

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10202328780


個人的には私もNHKは確かにご都合主義なことを言っているな、となら思っています。

が、それは別として

当該案件の質問者の方がどのようなご判断でベストアンサーを選択したのかは、ちょっと分かりかねるのですけど

いずれにしても、ここで選ばれた「ベストアンサー」なるものがトンデモ回答であるのは否定しようがないので、あえて、ここで引用します。

さすが安倍さまのNHK。

客観的事実を述べればよい。


・ソ連は米国大統領ルーズベルトに唆されて進軍した。
・日ソ中立条約を先に破っていたのは日本。
・日本がポツダム宣言受諾後も戦闘は続いたが、自衛の戦闘を続ける
日本軍に武装解除を命じたのはマッカーサー。
・米国ダレス国務長官に恫喝され4島返還主張から後に引けなくなった。



日本政府は肝心な記憶がすっぽりと抜け落ち、痴呆なのか?というぐらい愚かな主張を繰り返し、まーこればっかりは安倍さんだけのせいではないけれど日本政府の愚かさは中国さんや韓国さんを笑えないですね。


どこが「客観的事実」なんでしょうね(笑)。

私にはこの人こそ「アメリカに洗脳されている」としか思えませんけど…

まず

・ソ連は米国大統領ルーズベルトに唆されて進軍した。

ここは「アメリカをはじめとする連合国に唆されて」とすべきでしたね。

単なる事実として言えば、ソ連は「ポツダム会談」の時点でも、まだ対日宣戦については態度を保留にしていました。

その理由は以下のようなものです。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E3%82%BD%E4%B8%AD%E7%AB%8B%E6%9D%A1%E7%B4%84

日本の敗色が濃厚になっていた大戦末期の1945年(昭和20年)4月5日、翌年期限満了となる同条約をソ連政府は延長しない(ソ連側は「破棄」と表現)ことを日本政府に通達した。この背景には、ヤルタ会談にて「秘密裏に対日宣戦が約束されていたこと」がある。さらに、ポツダム会談で、ソ連は、「日ソ中立条約の残存期間中であること」を理由に、アメリカと他の連合国がソ連政府に「対日参戦の要請文書を提示すること」を要求した[1]。

これに対して、アメリカ大統領ハリー・S・トルーマンはソ連首相ヨシフ・スターリンに送った書簡の中で、連合国が署名したモスクワ宣言(1943年)や「国連憲章103条・106条」などを根拠に、「ソ連の参戦は平和と安全を維持する目的で国際社会に代わって共同行動をとるために他の大国と協力するものであり、国連憲章103条に従えば憲章の義務が国際法と抵触する場合には憲章の義務が優先する」という見解を示した[1][2]。

この回答はソ連の参戦を望まなかったトルーマンやジェームズ・F・バーンズ国務長官が、国務省の法律専門家であるジェームズ・コーヘンから受けた助言をもとに提示したものであり、法的な根拠には欠けていた[3]。


スターリン、つまりソ連側は疑う余地なく「日ソ中立条約の残存期間中である」と認識しており、それを理由に、アメリカと他の連合国がソ連政府に「対日参戦の要請文書」、つまり「お墨付き」を要求し、トルーマン、つまりアメリカ側もそれに応える形で文書を用意しているんです。


・ソ連は米国大統領ルーズベルトに唆されて進軍した。


少なくとも対日宣戦に関する限りでは、スターリンはこの時点までは態度を保留にしていましたので、その意味においてソ連はルーズベルト大統領に唆されたから対日宣戦を行ったということはできません。

また

・日ソ中立条約を先に破っていたのは日本。

どこが「客観的事実」なんだ?

こちらの記事でもふれていますが、ソ連の日ソ中立条約破棄は「国際法違反」と考えるのが妥当です。

・日本がポツダム宣言受諾後も戦闘は続いたが、自衛の戦闘を続ける
日本軍に武装解除を命じたのはマッカーサー。


これも嘘、というよりマッカーサーに対する過大評価でしょうか?

日本軍の武装解除は日本国政府の「ポツダム宣言受諾」に伴うものですが、例えば占守島の例なども見てもわかるように「自衛のための戦闘」は引き続き行われており、ソ連軍に対する降伏も現地軍の判断で行われています。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%A0%E5%AE%88%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

そもそも軍の降伏というのは順次個別になされるのが通例であり、例えばマッカーサーが命令したから「はい、そうですか」と目の前の相手に対して降伏できるわけではありません。
(この件、キチンと説明すると長文になるので、後日別なところで改めたいと思います)

そして

・米国ダレス国務長官に恫喝され4島返還主張から後に引けなくなった。


アメリカ国務長官だったジョン・フォスター・ダレスによる、いわゆる「ダレスの恫喝」と呼ばれるものがあったのは本当のことですけど

日本全権だった松本俊一は、それ以前から四島返還を前提にしてソ連側と交渉していました。

これについては、次の記事で詳しく述べたいと思います。

続きは後ほど、あらためて。