福岡万葉散歩

街の様子や木々や草花を眺め乍ら、先人の俳句や和歌を織り込んで、今の季節を楽しみたい。たまには万葉散歩も楽しみたい。

2007.1.15(月) 菅原道真 謫居(たっきょ)の地 榎社を訪ねる

2011-09-25 | まち歩き

指の怪我の軟膏付け替えをして、その足で太宰府の水城東門址から
昔の官道を通り、都府楼址正面から真南にまっすぐ伸びていたろう
朱雀大路(都大路)の約400メートル地点にある菅原道真の謫居(たっきょ)の地
といわれている榎社(えのきしゃ)を訪ねた。

謫居(たっきょ)とは広辞苑によれば
罰をうけて、ひきこもっていること。また、辺鄙(へんぴ)の地に
配流されていること。また、そのすまい。
とある。

菅原道真は配流の身となり901年(昌泰四年)2月1日、京の家を
離れて筑紫のここ大宰府の南館(今の榎社)に向かっている。この年の
四月か五月の自詠に

 離家三四月   家を離れて三四月(みつよつき)
 
 落涙百千行   落つる涙は百千行(ももちつら)

 万事皆如夢   万事 皆 夢の如し

 時々仰彼蒼   時々 彼の蒼(そう)を仰ぐ

とある。そして903年(延喜三年)2月25日、59歳の生涯を閉じたと。


福岡から太宰府の水城大提東門址を通る。右手に大提が続く


水城大提東門址入り口にある水城大提の碑を左に見ながら旧官道を
太宰府の都府楼址方向へ行く


太宰府の都府楼址方向へ続く旧官道だ


菅原道真の謫居(たっきょ)の地といわれている榎社(えのきしゃ)である。
現在は太宰府天満宮に属しているとか。現在の新社殿は平成13年8月に竣工。
現在の社殿に建替える前に老朽化した社殿を除いて発掘調査を行ったところ、
その下から掘立柱建物を検出。その建物の方向は現在の社殿と一致する方向と
規模を持っていたとのこと。平安時代後半から明治時代までの間に建設されたと
推定されている。
ただし、その下までは発掘を行わず、埋め戻して新社殿を建立したという。


菅公館址の碑がある榎社右正面から見る


社殿から正面方向である南の方を見る
この参道の下から轍(わだち)の跡が数条見つかったと。九州では
珍しい発掘成果だと。


社殿の後ろに淨明尼を祀る祠がある。
西日本人物誌(12)西日本新聞社刊によれば
道真は罪人同様の生活を強いられ、謫居(たっきょ)の大宰府南館は
老朽化して雨漏りもひどく、床は朽ち縁も落ちている廃屋状態。食事
にも事欠くという悲惨な暮らしぶりを見かねた近くの老婆(淨明尼)が、
梅の枝に粟餅を巻き付けて道真に差し入れた。(梅ヶ枝餅伝説)
道真の死後、この老婆が道真臨終の地に淨明尼寺を建立(榎寺、明治の
廃仏棄釈後は榎社)し道真の菩提を弔ったという。


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