「曽宮一念と地域の作家たち」展を観た。
富士宮市制65周年という事で、静岡県立美術館が移動美術館と称し、
市民文化会館で開かれたものだ。
曽宮は富士宮市を代表する洋画家で、
戦前はアトリエを東京の下落合に構えていた為、
近所の佐伯祐三や中村彝(つね)、
今回曽宮の肖像で出品されている鶴田吾郎らとも、交友が深かったらしい。
戦前は独立美術協会の会員、また戦後は国画会の会員にもなって、
日本の洋画界の重鎮のひとりとして活躍した。
静岡県立美術館の資料によれば、
東京から戦争の為、疎開で富士地区に来て、
101歳でなくなるまで、終生富士宮で過ごされたらしい。
(途中80代の時、失明で画業を廃業するが、
戦後ずっと富士宮で制作していたという。)
今回とくに曽宮が10代の頃に描いた現存する最も初期の明治時代の作品や、
大正時代や戦前の作など、
初期作品を観れたのはなかなか機会が無い為収穫だった。
初期は後期印象派の影響を感じ、
戦後はフォーヴィズムの影響を感じられるが、
のびのびとした独特のタッチが印象深い。
他にも明治・大正・昭和と、
地元にゆかりのある作家達の作品をみれたのは興味深かった。
富士宮市制65周年という事で、静岡県立美術館が移動美術館と称し、
市民文化会館で開かれたものだ。
曽宮は富士宮市を代表する洋画家で、
戦前はアトリエを東京の下落合に構えていた為、
近所の佐伯祐三や中村彝(つね)、
今回曽宮の肖像で出品されている鶴田吾郎らとも、交友が深かったらしい。
戦前は独立美術協会の会員、また戦後は国画会の会員にもなって、
日本の洋画界の重鎮のひとりとして活躍した。
静岡県立美術館の資料によれば、
東京から戦争の為、疎開で富士地区に来て、
101歳でなくなるまで、終生富士宮で過ごされたらしい。
(途中80代の時、失明で画業を廃業するが、
戦後ずっと富士宮で制作していたという。)
今回とくに曽宮が10代の頃に描いた現存する最も初期の明治時代の作品や、
大正時代や戦前の作など、
初期作品を観れたのはなかなか機会が無い為収穫だった。
初期は後期印象派の影響を感じ、
戦後はフォーヴィズムの影響を感じられるが、
のびのびとした独特のタッチが印象深い。
他にも明治・大正・昭和と、
地元にゆかりのある作家達の作品をみれたのは興味深かった。