できるだけごまかさないで考えてみる-try to think as accurately as possible

さまざまなことを「流さずに」考えてみよう。"slow-thinking"から"steady-thinking"へ

福見友子の悔しさは言葉にできない

2011-08-30 04:08:45 | Weblog

8月23日火曜日、夜10時からの島田紳助の記者会見以降、日本のマスコミは一斉に「島田紳助モード」となった。

 

しかし、日本時間の同日夜、地球のほぼ反対側にあるパリでは、世界柔道2011の初日、女子48キロ級の試合が行われており、そこで一人の柔道家の命を張った戦いが繰り広げられていたことを、どれだけの人が覚えているだろうか。

 

昨年の世界柔道2010(東京)を私は見ていたので、この女子48キロ級では、日本代表の二人が順当に勝ち進めば、昨年の決勝戦と同じ組み合わせ、すなわち福見友子と浅見八瑠奈による決勝になると思っていた。

そして私は、福見友子に勝ってほしいと心から思っていた。

それはなぜか。北京オリンピックの前年、2007年に、福見は全日本選抜柔道体重別選手権大会の決勝で、当時48キロ級では女王として君臨していた谷亮子に、出足払いで有効を奪って勝利したからだ。wikipediaによると、福見は2002年にも、谷亮子に勝っている。あの谷亮子に、2回も勝っている日本人は福見友子、その人だけなのだ。

 

<右が福見友子>

<出足払いで有効、勝利!!>

 

しかし、2008年北京オリンピック女子48キロ級は、「これまでの実績」を重く見るという理由で、谷亮子が代表として選出された。その谷は、北京では銅メダルだった。

 

1階級、一カ国から一人しか代表を出せない現制度の下で、自分が倒した選手が銅メダルになったときの気持ちはどのようなものであろうか。「自分ならもっと上をめざせた!!」というものかも知れないが、私は、「出られなかったのは、実績を積み上げなかった自分が悪い」という自責の念の方が強かったのだろうと、僭越ながら愚考する。

柔道とはそういう武道なのだと思う。それは私が柔道が強いからではなく、2000年のシドニーオリンピックで、いわゆる「疑惑の判定」で金メダルを逃した篠原信一(現男子日本代表監督)の言葉があるからだ。

「自分が弱いから負けたんです。もういいですか。」

wikipediaには載っていないが、「もういいですか」という言葉を私は今でも忘れられない。「自分が弱いから負けた」よりも、「もういいですか」の方に、

終わってから何を言っても終わり。柔道家なら柔道で答えを出せ。

という、柔道における大命題と、その大命題の前で、呆然と立ち尽くす篠原の心が痛々しいほど伝わってきた。

 

福見友子にとっても、柔道家として、48キロ級で日本代表に選ばれるためには、谷亮子という巨大な壁を、完膚無きまでに叩きのめさなければならないということを、己に言い聞かせ続けてきたのだろうと思う。

それが柔道の宿命なのだろう。

 

 

北京オリンピックが終わり、2009年、福見はロッテルダムの世界柔道で金メダルを取る。

 

これで、実績としても谷亮子に並んだと思ったのであろう。このまま世界選手権で金メダルを取り続ければ、ロンドンオリンピックでは48キロ級代表に選ばれる。それは奢りでも自惚れでもなく、誰から見ても成り立つ当然の仮定だった。

 

しかし、昨年2010年の世界柔道東京で、伸び盛りのライバルとぶつかることになる。それが浅見八瑠奈である。

<日課の道着上り下り>

 

結果は、福見への警告2枚(=相手の有効1回)、浅見が新女王となった。

 

<画面中央左下に注目。福見にイエロー(警告)2枚が出たせいで、浅見に有効1がついている。>

 

柔道の神は、福見友子の前に1年だけしかいなかった。その後も浅見はさまざまな大会でポイントを重ね、世界ランキングも浅見が1位、福見が2位という状態で、今年の世界柔道を迎えた。

福見としては、自分の前を過ぎ去っていった柔道の神を、再び自分の前に座らせるべく、この大会に臨んだ。

 

はずだったのだが・・・。

 

以下、昨晩のNHK「アスリートの魂」で初めて知ったこと。

世界柔道の2ヶ月前の、全日本の合宿でのこと。

 

<組み手を制してもタイミングが合わず、得意の背負いが決まらなくなった>

<格下の選手に投げられる場面もあった>

 

今までは、無心の境地で、何も考えずに組み手から背負いまで素早く持ち込めた、いや、そんなことすら意識せずに淡々と背負いができていた福見が、ここに来て、自意識と戦うことになる。

 

ほんの少しのボタンの掛け違いなので、意識しなければ元に戻れるだろうと思っていたのに、どんどん悪くなる。それを修正しようと思って仕方なく意識しても良くならない。

そこで、腰を据えて意識しても、それでも良くならない。

 

自意識との戦いである。

 

また僭越な推測で申し訳ないが、「絶対に負けられない」という気持ちがほんの少しのズレになってどこかが狂い、それを勢いなどで押し切ろうとしても体が言うことを聞かないという、かなり追い込まれた精神状態に陥っていたのではないかと思う。世界一レベルのアスリートになると、本当にほんの少しの「ズレ」が、全てを狂わせることもあるということを、私はバルセロナやアトランタでの田村亮子(当時)を見て、現実として見せつけられてきた。あの時の田村と、この福見は、直観的にきわめて似ていると思った。

 

<合宿三日目。福見は、古傷の左膝を、また痛めてしまった>

<痛みで、練習もできないほどになっていた>

 

 

 

<合宿後半、そこには、無の境地を取り戻すべく、徹底的に自分を追い込む福見がいた>

そして、技も少しずつかかるようになっていった。

 

 

そして迎えた8月23日。世界柔道、女子48キロ級、決勝戦。予想通り、福見と浅見の対戦となった。

 

しかし福見、背負いがかからない。一方で浅見は、組んだらすぐに投げてくる。福見が元気だろうが疲れようが、徹底的に「すぐ組んですぐ投げる」を守って攻め続けている浅見の方が、明らかに好調だった。

 

残り一分、防御一辺倒の福見に対し、指導(イエロー)が1枚与えられた。これで福見は攻めるしかなくなる。

 

そして残り30秒、福見が組んでいるにもかかわらず、攻め手に迷っていると見た浅見が大内刈りをかける!

 

有効!

 

この後、福見は最後に背追いをしかけるも、不発で、有効一つリードで浅見が世界選手権2連覇をなしとげた。

 

この結果により、来年のロンドンオリンピックの女子48キロ級代表は、浅見八瑠奈へ向けて大きく傾いた。

 

 


 

2002年、2007年に谷を破り、2009年は見事に世界女王に輝いたのに、2010年、2011年と浅見に世界女王を奪われ続け、今後、

「谷を2回も破ったのに、一度もオリンピックに出られなかった悲劇のヒロイン」

と言われかねない状態に陥ってしまった福見の無念さは、どのような言葉でも表すことができない。

この後、どれだけの実績を積み上げれば、また浅見と同位に見られ、平等に扱われ、直接対決で勝ってロンドンに出られるか。今福見は26歳、浅見は23歳。ロンドンを逃すと、福見がオリンピックに出られる可能性はきわめて低くなる。

 

こんなことをいちいち書かなくても、言葉にしなくても、福見友子はそれら全てを一瞬にして理解している。しかし、必死にもがき苦しんでも、どんなに努力しても、無心の境地にどうしても戻ることができない。決勝戦の畳の上での福見は、球の投げ方を忘れたピッチャーのように戸惑っていた。

 

しかし、私はそんな福見に、ロンドンオリンピックに出てほしいと今でも思っているし、なんの根拠もなく、浅見に一矢報いる機会が必ずやってくるだろうと思っている。そのためにこれだけの画像加工をして、今回の記事を書いた。

 

福見友子の復活を待っている人間は決して私だけではないはずだ。一度地獄の淵まで見た人間が、どれだけ強いのかということを、柔道で示してほしい。

私は、福見友子を、待っている。

 



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