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ブログという「庭」とツイッター

2011年10月17日 | 人として

 私はツイッターをやらない。(まっ、もともとそんなものやる必要もないのだが)
 

 理由は、短い文字数で「伝える」「交流する」という事が私は苦手だし、そこには誤解と勘違いが数多く発生するのは間違いないと思うからだ。「つぶやき」という名前通り、単につぶやくだけで、「つぶやいて交流するだけ」が目的なのだからそんなに深く考える必要はないんだ!という見解が殆どかもしれないが、本意でない伝わり方をして誤解を与えてしまう可能性のあるツールをわざわざ使う必要が私にはない。

 最近はブログにもフェイスブックやツイッターがリンクされているのが殆どで、たまにはその中身を覗いて見ることもあるのだが、こんなもので意思疎通が出来る訳がないとつくづく思う。しかしよくもまぁ頻繁に携帯やipadなりPCなりを触る機会があるものだと思ってしまう。移動が多い人やそれぞれのライフスタイルがあるのでそれはそれで一向に構わないし、ニーズがあるから多くの人々のコミュニケーションツールとして確立しているのだろう・・・。しかし私はやっていないし、今後も多分必要としないと思う。 

 
なぜこういう話題から入るかというと、原発関連の記事で頂いたコメントを見るに、2人(きょん・hide)に共通する「言いっ放し」というか「吐き捨て型」というか、2ちゃんねる宜しく、自分の向こう側にある環境に全く配慮や想像がない自分主体のコメントととれ、こういうスタイルのコメントはこれまではあまり無かった。このブログも2007年からやっていて、休止期間があったもののこれまでの間に議論こそあれ、そういう「言いっ放しコメント」は少なかったように思う。

 アクセスの高いブログを覗いても、交流のあるリンク先にも「そういった類」のコメントを目にする機会は確実に増えた。
その原因はなんだろう・・・? ココ昨今のネット事情の変化といえば・・・。
ひょっとするとツイッターとブログを混同している安易なコメンテーターが増えたからではないか? と、勝手に想像し仮説が出来た。彼等がツイッターをしているかしていないかは知らないが、していようとしていなかろうとツイートまがいのコメントを見慣れて、ブログのコメントとツイッターでのつぶやきの境界線がぼやけてしまったせいではないか、と。

 

 はっきり言って、ココはブログだ!

しかもコメント返しをしない有名ブロガーなんかでなく、コメント欄を承認でなく100%公開し、100%コメントを返すスタイルを貫いている。広告や完全な悪戯以外は気に入らないコメントだって削除しない。 君らにその意味がわかるか?


 なぜこんな事をいちいち書かないといけないのか鬱陶しいが、私と同じ感覚を持っているブロガーも沢山居るかも知れないと思ってググると沢山あった。(いろいろあったが、その一つを貼っておく ↓ )

コメントのマナー - 「いさはやサイズ」&「マイタウンいさはや」運営者のブログ

この方の(3)と(7)が的を得ている。
 

 様々な話題で意見ブログを書いてオープンにしている以上、批判コメントはあるのが当たり前だが、記事やコメントの一部分だけ手前勝手に都合よく抜粋し、記事の主張に対する批判なら一向に構わないが、会った事もないのに「人的批判」をするのは許せない。

 また、そうしたコメントを貰っても「適当に誤魔化してスルーするなり相手にしない方が大人だ」という意見もごもっともだが、自分のブログにそういうコメントを置いていて気持ちが良い筈がない。 それに、勘違いな「してやったり」と思わせたままにしておく気にはなれない。私は自分から喧嘩を売る事はないが、売られた喧嘩は買う主義だ!
 そう、そういう行為は、netの匿名性を利用した自分に被害が及ばないと思ってる卑劣な臆病者が喧嘩を売ってる行為である。そんな卑劣な臆病者に対して「真摯な態度で遠慮」する気になどなれない!

 自分やその人達だけでなく、それ以外の沢山の方が見ているからといって、「大人な態度で接する」のは、逆にそういう輩を増殖させてしまう結果にもなり兼ねないので、それが「大人な態度」とは思わない。
 そうした一見大人な対応は、言い換えれば「事なかれ主義」と紙一重であり、その延長が「無関心・無気力」であり、そういった「大人しい日本人」を演じてきた為に、露・中・韓との外交の現状や、それこそ「原子力ムラ」を蔓延らせた現状があると思っている。
 そうした考えの下にあえて怒っているのであって、そういう意味を含めても「ガキだ・子供だ」と言うなら好きに言うがいい。意見・主張を持っている者はとかく短気に映るものだ。

 なので私も、あえてこうして記事という形に表し、オープンなブログには、本人を攻撃や誹謗の対象にするコメントではなく、記事の中身や意見に対して、キチンとした感想や見解のコメントがあるべき姿だと思い望む。
 上の方の(7)の通り、議論は大いに結構!その為に書いてるといっても過言でない。
しかし、「人をバカにするだけ」・「中身を煮詰めず上から目線でナメた発言をするだけ」といった人的批判コメントは自分のブログで書け!それか2ちゃんとか他でやれ!

それも出来ないクセに人を批判して喧嘩を売るなら上等だ!

お前らのやってる行為は、人ん家に上がりこんで唾を吐いて帰る行為だ。

 

ローカルルールについて |  * 初心者向けネットマナー(ネチケット)講座

 ↑ これは少々古く現在ほどのnet人口が多くない頃の話でしかも「掲示板」について説明しているが、基本をついてるので載せておく。

 
そして、これ ↓ などはそういった現状を忠告している。


ネット依存症 コミュニケーション能力の低下




ではここで、改めてブログというモノの私の考え方を述べておく。

掲示板とは違い、確実にブログは個人のものだ。

いうならば、「個人の庭」と表現しよう。


個人の家の庭であるから、法を犯さず他人に迷惑をかけなければ基本的に表現は自由である。

そこに「桜」を植えようが「松」を植えようが、大きな庭石を置こうが自由である。

それが、ブログ上の自身の表現(主義主張)で、表札もあり、簡単なプロフィールまであり、なんと外壁には(この家の主はどういう考え方の持ち主か知る事の出来る)過去記事まで読もうと思えば自由に読めるように書いてある。
(この過去記事が非常に重要で、普通人と会話をするのに、その人がどういう人間で、どういう考えの持ち主かをある程度知っておかないと意見交換はスムーズに運ばないし、ましてやいきなり批判をするのなら尚更である。しかし、最近のnet事情はそうした行為を省き、自分の言いたい事だけ書きなぐる傾向がある)


それがブログというモノである。

そしてコメントとは、いうならばその家(庭)の前を通る「通行人」である。

私は、ブログとコメントの関係についてこう考えている。


家主と通行人と考えた時、常識で当てはめれば、答え(ルール)は明確になると思う。

その家の前を通ろうと思えば通行人は何時でも通れる。家はずっとそこにあるし、もし引っ越したとしても、殆どの場合引越し先まで明記してくれている。

じゃあ、通行人は本来どうすべきか?

 

まず、挨拶が当たり前!

別に現実の世界と同等になんて思ってないが、最低、初めてなら「はじめまして」とか、せめて「こんにちは・こんばんは」くらいは述べるべきではないか (それはブログ紹介のページにも明記してあるが・・・)

そして、庭の「松」に賛同したならその意図を書けばいいし、

どこか「枝っぷり」がどうしても気に入らないなら、

まず、「これはどういう意味でこういう枝っぷりにしているのですか?」と、

意図とか真意を問うべきだ。

「こういう枝を作るという事は、私には〇〇という意味にしかとれないのですが・・・?」とかね。

別の狙いがあってあえてそうしているのかも知れないし、そうしたくても出来ない事情があるかも知れない・・・。

だから、異論がある時は、必ず、真意や事情を先に確認すべきである。

それらを踏まえ「聞き手・読み手」が感じた感想と、家主の主張とが一致して始めて「こっちの方が良くないですか?」とか「こうした方が良くないですか?」の議論になる訳だ。

それらの行為を全くせず、読み手の一方的な一瞬の感想(批判)を書きなぐるという行為は、

いきなり人の庭に入ってきて、
「この松の枝っぷりおかしくね?」とか、
「あははっ なんだこの枝?」なんていうのと同じだ。

それだけならまだしも、
「こんな松を植える人っておかしいんじゃないの?」とか、
「こんな美的センスの持ち主ってかわいそうな人・・・」とかって人格否定までしだす始末・・・。

 

ちょっと待て、と・・・。

最初から違うでしょ、と・・・。


先に述べた様に、これは自ブログだけの問題ではなく、他のブログを訪問しても、最近顕著に現れている傾向なのは間違いない・・・。だから問題なのだ。

 

では、2人の具体例を検証してみよう。

まずきょん氏は礼儀を知らない批判屋で、最近の傾向通りのタイプなので、後ほどするとして、私的に意外というか「してやられた感」が強いのは、hide氏の方が酷い・・・。

 

>シリーズの連載お疲れさまでした。
>しかし、きょんさんねぇ、にわか反原発派を一括りに「ゴキブリ」扱いするご自分もまた感情的だということを自覚された方がいいのではないですか?

と、普通に読むと、ずっと連載を読んで頂き、内容には特別感想はないが、きょん氏とのやりとりできょん氏に呆れた事だけは伝えたいコメントととれる。

なので私はこう返した ↓

>☆hideさん
> >シリーズの連載お疲れさまでした。
ありがとうございます。駄文で幼稚な記事にも関わらず、労いのコメント有難うございます。

きょん氏は・・・(笑)
失笑しかありませんね。
暇が出来れば本当に記事にしてやります!
お待ち下さいね(笑)

すると、驚く事にこんなコメントをくれるのである。


>きょんさんの態度は言わずもがなですがあなたもたいがいですよ。それに、あなたのツッコミ所の多い文章も元凶の一つではないんですか?
記事にするのはあなたの自由ですから止める気はありませんがそんな事をしたところであなたの品格をさらに陥落させるだけですよ。もう少し落ち着いた方が・・・そもそも待ってませんし。
記事を読ませていただいたお礼に加え、きょんさんに指摘しただけです。


これを読んだ私の感想はこうだ。

なるほど、記事内容には大して興味はないが、きょん氏とのやりとりできょん氏の態度は酷いにしても、私の対応もきょん氏と同等で、その対応の仕方にhide氏自身も若干の嫌悪感が元々あって、1回目のコメントはさぐりを入れてみたと、すると私が調子に乗った(hide氏から見て)コメントだったので、元々引っ掛かっていた私の対応にこれ幸いと苦言を呈したのだと・・・。

そうでないなら(普通に労いときょん氏への指摘だけが目的なら)2回目のコメントは要らない筈である。とすると、1回目は探りである。探りで罠にはまった私がhide氏に「思っていた嫌悪感を述べる」チャンスを与えてしまったと。

そう考えるのが私は普通だと思うが・・・?
上で述べた私のブログの考え方を考慮し、逆の立場で考えてもらいたい。

 

そもそもが昨今のコメント事情を憂い、現状を嘆いているのであえて、きょん氏には対抗したのだ。
元々、私は「目には目を」のタイプである。それにも理由があって、このあたりの記事が今回の件にはピッタリ当てはまるので是非一読して貰いたい。

 

ここまでのhide氏の態度を極端な例(本当に極端ではあるが)でたとえるなら、

「こんにちは~、お疲れ様で~す、大変でしたね」と寄って来て、

こちらが「あっ、どうもどうも、そうなんですよ、まぁ良くある事ですから」と右手で握手を求めたところ、

空いた顔面に「バチン!」とジャブを入れ「ざまぁみろ」と言うようなものだ・・・。

人に会って、実際にそんな事が出来るか? 

実際に私がそんな事をされたらね、

若干かがんだ姿勢から左アッパーを突き上げ、

体勢を左外側に出して思い切りウェイトの乗った右ストレートを打ち込んでアゴを砕いてやる!

 現実社会でそんな事は出来ないだろうが、それに等しい行為がnet上では日常茶飯事になっているのが嘆かわしいので、大人げないと言われようが売られた喧嘩は買ってやる!

なので、私はこう ↓ 返したのだ。

 

>☆hideさん

あはははっ
な~んだ、きょん氏のお友達ですか(笑)
(本当にお友達かどうかは別として私から見れば同類だ)

>あなたもたいがいですよ
どこがどう「たいがい」なんだ?明確に示せよ!
>あなたのツッコミ所の多い文章も元凶の一つではないんですか?
だからツッコミ入れないでそういう表現だけでやめるなよ、具体的にツッコミいれてから言え!

>そんな事をしたところであなたの品格をさらに陥落させるだけですよ。もう少し落ち着いた方が・・・

大体人の記事に具体的な中身でない批判をしてくる方が喧嘩売ってんだろうが、喧嘩売られてなんで大人に冷静にならんといけないんだ?

あんたの今回のコメントで決めました、君らの事を含め昨今のマナーのないコメントについて記事にする、それこそ待っとけ!

 

という訳で今回のこんな嫌な記事を書いたという訳だが・・・、

更にhide氏のコメントはこう続く・・・

>お友達(笑)そして手のひら返し、もうほんとにかわいそうな人ですね
きょんさんと暴言を吐きあってる時点であなたもたいがいということですよ。そんなことも分かりませんか?それとも「向こうがやってきたんだからやり返す」という幼稚極まりない思考回路の持ち主なんですか?
ツッコミ所については(きょんさんにとってという言葉が抜けてしまいました。失礼)きょんさんに聞いた方が賢明かと・・ いろんな人に意見を聞くことも大切ですよ。
私はきょんさんに「あなたも感情的では?」と指摘しただけですから。あなたと原発問題について特に議論する気はありませんよ。
そして私が誰に喧嘩を売ったんでしょう?しかも「喧嘩売られてなんで大人に冷静にならんと・・・」とは(笑)あなたもういい歳なんでしょう?少しは落ち着いてはいかが?指摘=喧嘩を売られているなんてほんとに危ない思考回路ですよ。
また、マナーのなっているコメントについて是非ご教授願いたいのですが。ちなみに連載については本当に読ませていただきましたよ!


 >もうほんとにかわいそうな人

このコメントに対しても返しているが、よくもこういう表現が出来るものだ・・・。

>暴言? 

暴言の定義がhide氏とは違うようですな。

上記のような表現の方がよほど人には突き刺さると思いますがね・・・。

>ツッコミ所については(きょんさんにとってという言葉が抜けていました。失礼)

失礼では済まん、意味がまるで違ってくるやんか、

ところが、

>きょんさんに聞いた方が賢明かと・・ いろんな人に意見を聞くことも大切ですよ

と、続くことによって、意味は一緒になってしまったが(笑)

>そして私が誰に喧嘩を売ったんでしょう?

結果的には私にとっては貴方もそうだが、このコメントの時点ではきょん氏の事を言ってるのだが?

>しかも「喧嘩売られてなんで大人に冷静にならんと・・・」とは(笑)あなたもういい歳なんでしょう?少しは落ち着いてはいかが?指摘=喧嘩を売られているなんてほんとに危ない思考回路ですよ。
 

何様だ? これまでの説明で意味が分かったか?

分からなくても構わないが、2回目の苦言コメントを入れてきた心境だって一緒じゃないのか?

言葉がどうだろうと、

黙ってられなかったんだろ?

一緒だよ、一緒!


なのに、「自分は大人で冷静です」みたいにかっこつけんな。

 

よく居たんだよ、

若いモンが喧嘩はじめて、仲裁気取りで中に入っていって、

喧嘩してる片方から「お前は関係ないだろ!すっこんどけ!」とか言われて、

「なんだとぉ~、誰に言ってんだぁ~!ゴラ~!!」とか言って、

喧嘩を横取りする奴!

それと似たようなもんだ。

 

部外者が入ると話しがややこしくなるし、どっちかがどっちかに加勢すると論点がずれるんだよ。

私が、大人気なくて気に入らないんだろ?

分かった分かった。

それで結構!

私の考えは上で述べた通りだ。

 

上記の中でも過去記事の「正当防衛」だけは読んどいてくれ。

 

以上だ。


 

きょん氏についてはもう書かないかも知れん・・・。疲れた・・・。

 


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5 コメント

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Unknown (hide)
2011-10-17 16:35:22
なるほど ありがとうございます。
ではコメントについてのマナーを踏まえてご自分の記事やコメントを少しは読み返してみては?ブログのタイトルを「価値観と優先順位」と銘打っておいて人に価値観を押し付けるのもあなた自身ですし・・・自分と考え方、価値観が違う人が許せないのでしょう?幼稚な考え方を少しは改めては?
要するにあなたは人に言っておきながら自分ではやらない、やろうとしない典型的なひとです。40にもなって情けない・・
お子さんの教育だけはどうかしっかりなさってください。本当にかわいそうですから
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ビンゴ! (TK)
2011-10-20 13:11:39
☆hideさん

なんと見事な想像通りのコメントをありがとう!
凄いね・・・。
こちらの言ってる意味はまるで関係なし!ですね。
ジェンダー全開、君が代で起立しない女教師と同じ匂いがするなぁ・・・。

では、次回のエントリーで考察します。
(貴方は読まなくていい、読んでも理解は無理でしょうから)
返信する
Unknown (hide)
2011-11-09 14:10:56
そりゃ40代のガキの言うことなんか一般人には誰も理解できませんよ。
早く自覚してくださいね
返信する
Unknown ()
2012-02-07 14:28:49
低下したのはブログ主の人格とブログの質です
返信する
下がり代 (TK)
2012-02-08 08:56:18
☆あ さん

おはようございます。

人格もブログの質も低下するという事は下がる部分がまだあったという事ですね(笑)

別に私など人格者とも良いブログを書いているとも思っていないので構いませんよ。

有難うございました。
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