「悪も善を知る必要な要素」
悪を無くそう、
自分の嫌いな部分をなくそう、
でも、これは無理。
悪がなければ、善もない。
悪が存在しなければ善の存在も無くなる。
自分の嫌いな部分も必要な悪。
「自分の嫌いな部分があってこそ、自分の良い部分」
「それも含め素の自分」
「悪も善を知る必要な要素」
悪を無くそう、
自分の嫌いな部分をなくそう、
でも、これは無理。
悪がなければ、善もない。
悪が存在しなければ善の存在も無くなる。
自分の嫌いな部分も必要な悪。
「自分の嫌いな部分があってこそ、自分の良い部分」
「それも含め素の自分」
「悪も善を知る必要な要素」
☆つぼさん
そういう意味です。
そっちの方が「ピッタリ」ですね。
少し極論過ぎましたが、
必ず誰にでも悪はあって当たり前。
無くそうと思うのが間違いで、
「認めないといけない」と思います。
☆マギーさん
人間、今まで味わった事のない悲しみや苦しみ等、窮地に立たされた時、
自分でも気付かなかった「部分」を発見する事がありますね。
それが、とても嫌な部分の時、
自己嫌悪にもなると思います。
でも、「発見」出来た事が「新しい進歩」であり、
そういう部分があるという「現実」は変わりようのない事実ですから、
それを、まず認める事が大切だと思うんです。
「それも含め、自分」だと。
そして、仮にそういう部分が無くなったとしても、
また違う嫌な部分(悪)は必ず生まれてくると思うんです。
そういう意味では「悪も必要」なんだと思います。
黒があるから白が分かるというか・・。
「発見」出来たのは「いい事」です。
そういう自分も認めてあげて下さい。
自己嫌悪の必要はないと思います。
私、生意気ですね、すみません。
それでも、私は、近年、大きな悲しみと苦しみを味わった時
自分にこんなに汚い部分があったのか、と
自己嫌悪に陥る事があり、それを昇華するのは中々難しいです。
”きれいな水には魚は住めず”
ですか・・・。