新世界まちなか案内所NOW    

 Shinsekai Hondori Shoppingstreet Blog
 『新世界観光ブログ』観光案内所通信

新世界まちなか案内所 NOW

☆新世界ルナストリートで盆踊りが開催されました☆

2010年09月23日 | <新世界の出来事>

 通天閣本通商店街にある新世界ルナストリートで、9月18日(土)、
七海りか&オンドスタ−ズ による盆踊りと歌謡ショ−が開催されました。




七海りか さんと言えば、ジャンジャン横丁のテ−マソング「恋してジャンジャン」を歌っておられる、
あの七海さんです。


河内音頭もされている七海りかさんの「新世界で盆踊りを開催するのが夢です」との熱い気持ちを受けて、
新世界援隊と新世界女性会の協力で、規模は小さいながらも開催することになりました。

新世界では、45〜50年程前、1回だけ通天閣の下で盆踊りが開催されたことがあったと聞いています。
今回は約半世紀ぶりに新世界での盆踊りが復活、そして将来、通天閣の下での盆踊り復活の第一歩です。

このように新世界では盆踊りの風習がなく、開催前は、どんな雰囲気になるのか心配していましたが、
始まれば心配御無用、皆さん
元気いっぱい踊っておられました。








写真は前半の場面ですが、後半になると、踊り手さんも増えていき、盛況な新世界の盆踊りになりました。

途中、新世界援隊代表の大西さんの挨拶、そして新世界女性会の衣川会長の挨拶もありました。

                【写真左…大西さん 写真右…衣川さん】


また「通天閣から通天閣うちわ」を協賛していただきました。

いろんな方々の協力で開催できた新世界での盆踊り、これからも継続していきたいですね。


■新世界ルナストリートHP→(コチラ

※NOTE;
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[編集部]


☆今秋の企画はトップシークレットです☆

2010年09月23日 | <新世界のイベント情報>
 先日、当ブログで紹介したように、地下鉄堺筋線恵美須町駅3番出口から
出たところに通天閣本通商店街があり、新世界の北玄関になっています。


この商店街は通天閣をバックにした写真を撮るなら絶好のスポットで、観光客の記念写真はもちろん、
テレビ等の撮影にも利用されています。


通天閣より南エリアのイメージは、串かつの街、店頭に並ぶ大きなビリケンさん、「づぼらや」のふぐの提灯、
大衆演劇、スマートボ−ル、パチンコ、そして
世界の大温泉スパワ−ルド、ジャンジャン横丁、まさに観光地、
繁華街であり、賑わいのある街です。

通天閣本通商店街は北エリアに位置し、南エリアとは街の雰囲気が違い、静かな商店街です。
串かつ専門店はありませんが、こだわりのある飲食店や物販店が並んでいます。

そんな通天閣本通商店街にあるイベント会場「新世界ルナストリート」で打ち合わせをしました。


打ち合わせに来てくれたのはこの方です。
「あの〜、写真を撮るんで〜、前向いて下さい(笑)」



新世界援隊が企画する新世界ストリートライブ
でも歌ってくれた期待の
女性シンガー、Fu-Ko さんです。



打ち合わせの内容はトップシ−クレット。
今秋、通天閣本通商店街で新たな企画が飛び出すかも。
詳細が解り次第、当ブログで掲載します。



fu-koの日記館→http://ameblo.jp/happy19861115/

※NOTE;
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[編集部]

クイズ☆新世界、知っとかNIGHT!初代通天閣

2010年09月22日 | <通天閣の関連情報>
クイズ☆新世界、知っとかNIGHT~!

2012年は新世界の100周年です。
同時に通天閣も初代通天閣が完成してから数えて、100周年になります。


初代通天閣のあった場所は、今の通天閣より約50m程南にあり、「ライオン歯磨」
(写真下)の広告が取り付けられていたり、タワーの形状や高さなど今の通天閣とは
違っているところがたくさんありました。
ここで問題です。


問題
今の2代目通天閣の高さは103mですが、初代通天閣の高さは何mだったでしょうか?

▼初代通天閣
 


↓↓
↓↓
↓↓
↓↓


[答え]
  「75 m


1912年に完成した初代通天閣は高さ75mの鉄塔で、東洋一を誇り、当時では
高い物の象徴でした。

初代通天閣は3万個あまりのイルミネーションで飾られ、優雅な姿をそびえさせ、
ルナパークと並ぶ新世界の目玉でした。


塔の下はア−チ状になっていて、さらに下はルナパークに入園する門になっていました。


家電産業の草分けだった松下幸之助氏が、配線工だった1912年、開業直前の通天閣
のイルミネーション工事に参加し、10日間程
通天閣の天井裏で暮らしたというエピソード
があります。




…参考文献…
・通天閣50年のあゆみ:発行・通天閣観光〈株)
・大阪新名所 新世界(大正2年6月20日発行)

■通天閣観光株式会社HP→http://www.tsutenkaku.co.jp/

[編集部]

☆東京国際大学の学生さん☆

2010年09月21日 | <新世界の出来事>
 東京国際大学って、東京にあると思いがちですが、実は埼玉(川越市)にあるんですって。

というわけで、先日、新世界援隊メンバーは東京国際大学の学生さんとお話をする機会が
ありました。
ゼミの研究で、"新世界事情"について調べるとかで、いろいろな質問に答えたり、新世界の
ことを説明したり、少しは役に立ったのかな(笑)


学生さんの研究の中で新世界に興味を持ち、レポートを書くために、わざわざ東京から、いや、埼玉から
2泊3日で大阪に来られたそうです。




ゼミの研究のために、バイタリティー溢れる行動には頭が下がります。
そして、新世界の事に関心を持っていただいたことが嬉しいですね。



ちなみに、学生さん達と話をした場所は通天閣の下にある
通天閣」という喫茶店です。




落ち着きのある店内で、ゆっくり話ができるスペースです。



喫茶「通天閣」では、席に座ったら
水とオシボリがでてくるのが嬉しいですね。
紙オシボリではなく、オシボリです。
新世界では、オシボリを持ってきてくれる喫茶店が今なお残っています。

以前、ある新聞記者さんが「昭和の喫茶店の条件」の一つとして、「オシボリが出て来る」という項目を
挙げておられました。
喫茶「通天閣」も条件の一つはクリアです。

ちなみに、他の条件は「ミックスジュ−スがある」「店内にシャンゼリアがある」など、確か、全部で5つ程
あったように思います。

喫茶店「通天閣」はミックスジュ−スもあるし、かなり昭和の喫茶店に近いですね。

最後に、東京国際大学の学生さんの新世界滞在が、これからの研究に役立ち、すばらしいレポートが
完成することを願っています。


■東京国際大学ホームページ→(コチラ

※NOTE;
 当blog掲載の写真・動画等、無断での複写(コピー)及び、コンテンツの転載転出を禁じます。

[編集部]

クイズ☆新世界、知っとかNIGHT!初代通天閣

2010年09月21日 | <通天閣の関連情報>

クイズ☆新世界、知っとかNIGHT~!

2012年は新世界の100周年です。
同時に通天閣も初代通天閣が完成してから数えて、100周年になります。


初代通天閣のあった場所は、今の通天閣より約50m程南にあり、「ライオン歯磨」
(写真下)の広告が取り付けられていたり、タワーの形状や高さなど今の通天閣とは
違っているところがたくさんありました。
ここで問題です。


問題
今の2代目通天閣の高さは103mですが、初代通天閣の高さは何mだったでしょうか?

▼初代通天閣
 


↓↓
↓↓
↓↓
↓↓


[答え]
  「75 m


1912年に完成した初代通天閣は高さ75mの鉄塔で、東洋一を誇り、当時では
高い物の象徴でした。

初代通天閣は3万個あまりのイルミネーションで飾られ、優雅な姿をそびえさせ、
ルナパークと並ぶ新世界の目玉でした。


塔の下はア−チ状になっていて、さらに下はルナパークに入園する門になっていました。


家電産業の草分けだった松下幸之助氏が、配線工だった1912年、開業直前の通天閣
のイルミネーション工事に参加し、10日間程
通天閣の天井裏で暮らしたというエピソード
があります。




…参考文献…
・通天閣50年のあゆみ:発行・通天閣観光〈株)
・大阪新名所 新世界(大正2年6月20日発行)

■通天閣観光株式会社HP→http://www.tsutenkaku.co.jp/

[編集部]


☆通天閣地下のフィッシュセンター☆

2010年09月20日 | <通天閣の関連情報>
 以前、当ブログで通天閣の地下に
昔、水族館があったことを掲載しましたが、その時
は詳細が解らず、私がぼんやり記憶している範囲での紹介でした。


文献「通天閣~50年の歩み~」に通天閣地下の水族館について掲載されてました。

その名を「通天閣フィッシュセンター」と言っていたそうで、要するに水族館です。


1968(昭和43)年、通天閣の地下に面積900平方メートルのフィッシュセンターができました。
今でこそ水族館は珍しくもないですが、当時としては水族館施設は大阪市内ではただ一つというだけに
大きな注目を浴びました。


入場料は無料で、8月1日に開館すると、なにわ名物がまた一つ増えたとマスコミも大きく取り上げました。

特に注目されたのは熱帯の海水魚はじめ淡水魚、金魚、コイなど世界各地から集められたことです。
ピラニア、ブラックシャ−ク、コロソ−マ、カイヤン、ナイフフィッシュ、アラパゴなど、約300種類の魚類が集め
られました。
このフィッシュセンターはその後、5年間
通天閣の新名所として続けられ、多くの市民に親しまれました。


通天閣の地下に水族館があったなんて信じられませんが、私の子供の頃の思い出になっています。


その後、1976年には通天閣の地下に囲碁将棋センターが開設され、最盛期には朝日新聞社、
読売新聞社主催でアマチュア日本一を決める西日本大会や南日本大会が開催されました。



現在、通天閣地下STUDIO210では、毎週土・日曜の松竹芸能お笑い寄席「TENGEKI」、毎週月曜日の
通天閣歌謡劇場、そして毎月最終水曜日には大西ユカリさんのライブ、他にも楽しい催しが開催されています。


今も昔も通天閣地下ホ−ルは多くの方が気軽に楽しめるスペースであり、これからも「通天閣の名所」
「なにわ名物」であり続けてほしいですね。


…参考文献…
・通天閣~50年の歩み~

■通天閣観光株式会社HP→http://www.tsutenkaku.co.jp/

[編集部]

☆新世界みやげには【くしたんグッズ】☆

2010年09月19日 | <新世界の出来事>
 新世界の串かつキャラクターであり、新世界名誉町民
に認定された「くしたん」のグッズが登場しました。


くしたんキ−ホルダー」と「くしたんストラップ」です。



なかなか可愛く仕上がっていて、個人的に気に入ってます。
これからの新世界みやげは、くしたんグッズで決まりですね。

現在、くしたんグッズは新世界串かつ振興会のお店で取り扱っています。

これからも、いろんなグッズが登場すると思います。
くしたんグッズはどこのお店でも取り扱うことができます。
興味のある方は、くしたん事務局までお問い合わせ下さい。


☆くしたん事務局☆
 ・TEL 06-6910-0094
 
 ・e-mail PR@94tan.com

「くしたん」HP→http://www.94tan.com/

[編集部]

かすうどん屋で食べる「まぐろ丼」☆

2010年09月19日 | <新世界のお店情報>
 通天閣本通商店街にある、かすうどん「ひこまる」さんは
コラーゲンたっぷりの「かすうどん」が美味しい。
だって、かすうどん屋さんですから。




秋休のファン「秋っ子」の皆さんにも人気のお店です。

♪♪通り雨が過ぎるまで〜かすうどんをお召しあがり下さい!

そんなかすうどん「ひこまる」さんで、私は「まぐろ丼」を食べました。



何故、かすうどん屋さんに「まぐろ丼」があるのか。
店長さんによると、居酒屋の系列店があって、まぐろが手に入りやすい、
そして、かすうどん屋さんにまぐろ丼っていうのも珍しくて良いかも…と
、おっしゃってました。

最近はお客さんからの注文も増えているそうです。
「ひこまる」さんは、かすうどんも美味いけど、これからは、まぐろ丼もよろしくお願いします。


■「ひこまる」」の所在地:新世界商店街地図(①通天閣本通商店街)→(こちらへ)
                            (当通商店街のまんなかあたり)
[編集部]

大阪国技館跡

2010年09月19日 | <新世界の出来事>
スパワ−ルド大階段の下の広場にひっそりと石碑が立っています。
大阪国技館跡」という文字が見えますね。




大阪国技館は、1919年9月12日、現在の大阪市浪速区恵美須東のルナパーク南側に、大阪相撲を中心とした
興行開催を目的にオープンしました。
建坪500坪、収容人員10,000人(公称であり、実際はもっと少なかったという)で、丸屋根の優美な洋風建築の
外観を持った建物でした。




大阪相撲協会が本拠を構え、オープン翌日から大阪・東京合同による大相撲が行われるなど、大阪相撲の
発信拠点として機能しました。




注)上掲の画像は大阪市立図書館 OSAKA Municipal Library
(Webギャラリー)より複写し転載しています。


建物は、1945年の大阪大空襲で焼失。現在は、跡地(スパワ−ルド大階段下の広場)に石碑が残るのみ。

あまりにも目立たない石碑です。
昔、この場所に大阪国技館があったことが夢のようですね。


尚、「大阪国技館跡」の碑は浪速区の名所・旧跡に指定されています。

…参考資料…

フリー百科事典『ウィキペディア』
・大阪市立図書館 OSAKA Municipal Library

[編集部]

天王寺七坂とバイク通り☆

2010年09月18日 | <その他の情報>
 
社用で谷町筋辺りまで行っておりました。 新世界からは自転車で行けるエリアです。
天王寺区内には上町台地の西端から下の地への境界には、今なお情緒豊かな坂道が
多く存在します。


新世界へ帰るのに、谷町筋から松屋町筋に抜ける道として「学園坂」があります。
静かで風情のある学園坂です。





学園坂を下り、松屋町筋に出てきて、少し南に行くと「口縄坂」とかいう坂がありました。
坂の下から眺めると、道の起伏が「くちなわ(蛇)」に似ているところから、この名が付けられたそうです。



そこから松屋町筋を南に行くと、通称「バイク通り」が広がります。
新世界にいてても「バイク通りは何処ですか?」と聞かれることがあります。







近くには「安居神社」があったり、寺町の風情がある中にバイク通りが同居していたり、
久しぶりに歩いてみて、町並みのおもしろさを感じました。







谷町筋から松屋町筋、そして新世界への下り坂をぶらぶら歩くのも楽しい観光コ−スですね。
いつもより、時間の流れがゆっくり感じる寺町でした


[追記]
天王寺七坂(てんのうじななさか)
は、大阪市天王寺区の上町台地にある7つの坂の総称です。
←〈画像は天王寺区ホームページより引用〉

北から順に、
■真言坂(しんごんざか)
生國魂神社の北側にある南北の坂。かつては真言宗の寺院が六坊あった。

■源聖寺坂(げんしょうじざか)
坂の下に浄土宗・源聖寺がある。

■口縄坂(くちなわざか)

■愛染坂(あいぜんざか)
坂の上に勝鬘院(愛染堂)がある。

■清水坂(きよみずざか)
清水寺の北側にある。

■天神坂(てんじんざか)
安居神社(天神(菅原道真)が祀られている)へ通じる坂。

■逢坂(おうさか)
一心寺の北側の国道25号線の坂。

これらの坂のある地域一帯はいわゆる「寺町」であり、江戸時代に大阪城下より移転させられた
仏教寺院が多く集まっている。

上記の7つの坂に学園坂を加えて天王寺八坂とも呼ばれる。


…参考資料…
フリー百科事典『ウィキペディア』

[編集部]