桃おやじの歴史散歩

我が町は 記紀に記載の七代孝霊天皇黒田廬戸宮の比定地。
古代史を中心に、奈良の観光や地域情報を気ままに書いています。

「三宅町屏風」 “#桃おやじ”の“#奈良盆地のへそ”散歩   其の5「太子道(筋交い道)」-1

2019-05-26 22:00:19 | 歴史

「屏風白山神社」

面塚から旧道(太子道、法隆寺道)へ入って式下中学を少し南へ行くと左に大きな「屏風杵築神社」、右手に形だけの「白山神社」が祀られています。

神社らしき形は見られませんが、屏風の名前の元になった大使の「腰かけ石」と愛馬「黒駒」にまたがり従者「調子麿」を従えた太子像が建っています。

入口には太子駒繫ぎ柳が有ったのですが今は無くなってしまいました。

斑鳩宮から小墾田宮へ通う途中、聖徳太子が休憩したと伝わるこの場所ですが、風が強くゆっくり休む事が出来ません。
その際に気の毒に思った村人が屏風を立てて太子をもてなしたことから、ここの地名が「屏風」になったとか。


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