桃おやじの歴史散歩

我が町は 記紀に記載の七代孝霊天皇黒田廬戸宮の比定地。
古代史を中心に、奈良の観光や地域情報を気ままに書いています。

「面塚」 “#桃おやじ”の“#奈良盆地のへそ”散歩   其の4「川西町」-4

2019-05-22 16:54:58 | 歴史
川西町結崎「面塚」
「糸井神社」と寺川を挟んで対岸にあるのが「面塚」です。

室町時代のある日のこと、一天にわかにかき曇り、空中から異様な怪音とともに寺川のほとりに落下物があった。

この落下物は、一個の翁の面と一束の葱で、村人は能面をその場にねんごろに葬り、葱はその地に植えたところ見事に生育し、戦前までに『結崎ネブカ』として名物になりました。

その話の原点と言える場所がこの地。

元々散楽から猿楽として神社仏閣の奉納演舞であったものを芸術、芸能の域に高めたのが世阿弥とされます。

古くは、「猿楽の能」といわれ、南北朝時代、円満井(磯城郡田原本町西竹田付近が本拠・金春)、結崎(磯城郡川西町結崎・観世)、外山(桜井市外山・ 宝生)、坂戸(生駒市平群町・金剛)の「大和猿楽四座」が大和の有力社寺、とくに興福寺の庇護を受けて活動していました。

中でもここは「観世流、結崎座」発祥の地として特に散楽を能楽の地位にまで高めた観阿弥、世阿弥親子が活躍した所。


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