川西町結崎「面塚」
「糸井神社」と寺川を挟んで対岸にあるのが「面塚」です。
室町時代のある日のこと、一天にわかにかき曇り、空中から異様な怪音とともに寺川のほとりに落下物があった。
この落下物は、一個の翁の面と一束の葱で、村人は能面をその場にねんごろに葬り、葱はその地に植えたところ見事に生育し、戦前までに『結崎ネブカ』として名物になりました。
その話の原点と言える場所がこの地。
元々散楽から猿楽として神社仏閣の奉納演舞であったものを芸術、芸能の域に高めたのが世阿弥とされます。
古くは、「猿楽の能」といわれ、南北朝時代、円満井(磯城郡田原本町西竹田付近が本拠・金春)、結崎(磯城郡川西町結崎・観世)、外山(桜井市外山・ 宝生)、坂戸(生駒市平群町・金剛)の「大和猿楽四座」が大和の有力社寺、とくに興福寺の庇護を受けて活動していました。
中でもここは「観世流、結崎座」発祥の地として特に散楽を能楽の地位にまで高めた観阿弥、世阿弥親子が活躍した所。
「糸井神社」と寺川を挟んで対岸にあるのが「面塚」です。
室町時代のある日のこと、一天にわかにかき曇り、空中から異様な怪音とともに寺川のほとりに落下物があった。
この落下物は、一個の翁の面と一束の葱で、村人は能面をその場にねんごろに葬り、葱はその地に植えたところ見事に生育し、戦前までに『結崎ネブカ』として名物になりました。
その話の原点と言える場所がこの地。
元々散楽から猿楽として神社仏閣の奉納演舞であったものを芸術、芸能の域に高めたのが世阿弥とされます。
古くは、「猿楽の能」といわれ、南北朝時代、円満井(磯城郡田原本町西竹田付近が本拠・金春)、結崎(磯城郡川西町結崎・観世)、外山(桜井市外山・ 宝生)、坂戸(生駒市平群町・金剛)の「大和猿楽四座」が大和の有力社寺、とくに興福寺の庇護を受けて活動していました。
中でもここは「観世流、結崎座」発祥の地として特に散楽を能楽の地位にまで高めた観阿弥、世阿弥親子が活躍した所。
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