歴史群像太平洋戦争シリーズ54戦艦「大和・武蔵」に載っている主砲搭の模型はこれまでのどれとも違う形状をしていました。が、もっとも信憑性が高い様に思えます。既に1基出来上がっていますが形状を近づけて行きたいと思います。
詳細な資料が見当たらないのですね。0.3mmのプラ棒と0.2mmの真鍮線を束ねただけです。場所によって補助支柱の格納方向が違うようです。
ニトリル手袋を切り取って使っていましたが、皺の数が少なく実感にかけるので作り直します。
キャンバスのない状態、砲眼孔は間違って角型に削っていますが正しくは上下とも丸型です。キャンバス止めのみ上部が角型になっています。
キャンバスには書道用の上半紙を使用しました。35年ほど前の極薄ですが丈夫なものです。
ニトリル手袋を使用していて、もとからこの色です。もっと薄いものがあるようですが、着色できるものかどうかわかりません。(傷保護シート:0.01mm厚)
ボンドでつけているので気になったらまた貼り替え可能です。留め具は納得いってからつけましょ。
扶桑のキャンパスはこんな形でした。ひっくり返しているので多分、左砲用。砲眼孔防水覆。
砲眼孔の形はご存知のとおり武蔵と扶桑は違います。出っ張り部分を切り取って砲眼の上部フラット部と長さを合わせて貼り付けます。正確な寸法はわからないのと砲塔前面の傾斜角も同じではなさそうですので少し大きめに。砲身の真下で張り合わせるとこうなります。
キャンバスの厚みは1.3mmの帆布を2枚重ねでした。スケール的には13μmになります。厚みが大きいので皺の入り方が足りません。
砲身に貼り付けます。
動かせます。
皺は砲身への貼り付け方で変わります。1/100など大型のスケールではもう少し見栄えがよくなりそうです。
リアルでかつ稼動するキャンパスはどう作ればいいのか?
別の材料で試してみます。これなら鋲の表現もできそうです。
砲身側にどうやって貼り付けるかまだよくわかりません。
紙ナプキンを張った後、垂れ下がりを出すために木工用ボンドを塗っています。
紙の補強もかねています。少し幅広な印象になってしまいました。
次はキャンパス押さえに悩みそうです。
Windowsのシステムが飛んでしまったのでデーターを修復中です。うまく復元してくれればよいのですが。。
帝國工房さんの扶桑、nakanoさんの大和など貴重な写真がすべてとんでしまいました。しばし呆然です。
なんとか1基出来上がりそうです。
測距儀を付けてみました。
手摺は支柱を0.2mmのピアノ線、0.08mmの銅線です。ジャッキステーは0.2mmの真鍮線です。
ぶつけそうな部分は強度のある材料を使っています。
写真からドアとなにかひさしのようなものがあるようなので。砲台長用観測鏡防護はこの形が正しいようです。
はしご作っています。タミヤの1/350大和、武蔵が発売された頃にMAで紹介された方法です。MAでは煙突部のはしごを真鍮線とミシン糸で組んでいましたが、砲塔には巻きつける場所がないので組み上げてから貼り付けます。もみあげさんの手法を参考に下に両面テープを貼っています。
こんな風になります。エッチングパーツの幅でかすぎ(怒)
早くキャンパスを張ってみたい今日この頃。キャンパス支持で印象が変わります。砲口の色は銀に金を少し混ぜています。
砲塔上の出っ張りをいろいろ作っています。
大和の空撮では演習照準機が見えません。演習砲とセットで装備したのでしょうか?
演習砲はつけない予定なのでオミットしようかと思います。
砲塔上にはいろんなものがついています。ジャッキステーはΦ16なので1/200では0.08mmです。かなりのオーバースケールになってしまいます。白点は天幕支柱用のものだと思われます。
砲身に巻きつけてある薄板は上下2分割されネジで留められています。扶桑の図面集を参考にしたいと思います。
艦船模型は一次資料が乏しいのとそれらを手に入れることができる限られた方が本当はああだった、こうだったと議論している世界です。自分のような地方の者は一般に販売されている雑誌や先人の模型を頼りにするしかありません。当時の税金によって創られたこれら資料はもっと公にされるべきでじゃないかと思います。模型の腕はつたないものですが、これから武蔵を作られる方のためにもできるだけ判っていること、自分が判断したことは、このBlog に載せていきたいと思います。
適当な銅線があったのでジャッキステ-を付け替えました。見ての通りオ-ディオ用ピンプラグのコードをばらしています。