ここ数年、旅行らしい旅行に出かけたことがなかった。いつも何かに追われているようで踏ん切りがつかなかったことも理由の一つだし、第一、心の余裕もお金の余裕もなかったから、旅行に行こうなどとは考えも及ばなかったのが正直な理由だろう。
ところが、旅行に出かけるきっかけは、追い詰められて心の余裕がなくなった瞬間に訪れた。ものすごいスピードで振り子が振れている方向に向かっているうちは、まさか中空の一点で振り子が止まるものとは思えないのだが、限界点に達するといとも簡単に瞬間的な静止状態が訪れる。そんな感じだった。
自分なりにベストを尽くして仕事をしている最中、突然、これまでごく自然に紡ぎだされていた言葉が出なくなる。しかし、本人はけっしてスランプなどとは思っていないもので、原因不明の不調の原因を他人のせいにしたくなってくる。これではますます埒のあくはずもなく、ずるずると蟻地獄にはまっていくみたいに仕事に専念できない状態が続いていく。
そんな時だった。
「リセットしてみたらどうだろう」
心の奥底から声がする。
思い出してみると、数々の不義理をしていることにも気付く。その中の一つに、佐賀に住む義理の姉への不義理がある。義姉は数年前に夫を亡くしたのだが、葬式はおろか墓参りさえ行ったことがなかった。そこで、仕事に支障がないように月曜日の午前中に3日分の作業をすませ、佐賀への家族旅行をすることを思い立った。今携わっている仕事にしても、ほんの少しは関わりがある「自然環境」というテーマもこじ付けながら理由付けにはなる。
因島から佐賀までは、車で6時間以上かかった。盆前ということもあり、高速道路は心地よいドライブを楽しませてもくれた。1日目は、車の移動だけだったが、2日目は以前から興味のあった潟の見学に出かけることにしていた。
目的は、ムツゴロウ見学。
ハゼ科のこの魚は、6月から7月にかけて干潟を飛び跳ねるパフォーマンスを見せてくれるそうだが、見学に行ったときにもこのパフォーマンスを目撃することができた。
前鰭で干潟を比較的速いスピードでノソノソと歩き回り、時折、思いっきりジャンプする。もともと魚だけに泳ぎもうまい。干潟にはムツゴロウの他に砂蟹科のシオマネキもいて、豊かな自然が多くの生命を育んでいるようすが手に取るようにわかる。
途中で土産物屋に寄ったとき、店の人からムツゴロウの捕獲方法についての話を聞いた。
「警戒心が強かけん、掘って捕るんが一番です。体を傷つけたら、ゴミですから。2メートルほど掘ったら取れますよ」
家族も義理の姉も初めて聞いた事実に唖然としている。瀬戸内海で魚の餌にする本虫という環虫類を捕るときでも、せいぜい1メートルぐらいしか掘らないのに、ムツゴロウを一匹捕まえるためには2メートルも掘らなくてはならない。しかも、店の人によれば、名人にもなると一日で100匹も捕まえると聞いて、ますます驚いてしまうのだった。
そこで、実際の干潟を体験してみることにした。有名なガタリンピックの会場では、潟スキーの体験もできると聞いて、一同そろって体験してみることにしたのだった。
干潟は、想像以上の広さがある。水平線まで続いていると思えるような干潟のほんの岸辺で、数人の観光客が潟スキーを楽しんでいた。体中を泥だらけにして、泥の中に体を放り出し、リラックスしている人もいる。体験コーナーの職員の人に聞けば、干潟の泥は皮膚炎にも効くし、美容にもいいそうだが、はたしてどんな感触なのかは体験してみるしかなさそうだった。
受付に行き、専用の足袋を借りる。潟に下りると、職員の方が丁寧に潟スキーの扱い方を説明してくれた。見ていると簡単そうに扱っているので、内心は安心していたのだが、実はたいへんな勘違いをしていたことに後で気がつくことになる。
勢いを付けて、いざ干潟へ出発、とここまでは順調だった。ところが、10メートルも進まないうちに潟スキーは言うことを聞いてくれなくなる。いくら足で泥を蹴っても前に進まないし、焦って手で漕いでいるうちに、腕がダルンダルン状態になってしまった。その点、体重の軽い息子は飄々と潟スキーを前に進ませ、悪戯っぽい笑顔を向けてきたかと思うと、いきなり両手に泥をすくってこちらへ投げかけてくる。日ごろの説教もこの日ばかりは全く役に立たないばかりか、逆にその反動がパワーになって息子の攻撃は留まるところを知らなかった。
すっかり泥だらけになり、力尽きて、頭の中にはあったはずのムツゴロウのイメージも掻き消え、陸へ戻ろうと思った刹那、体の疲労感はピークを迎えていた。足を泥の中に突っ張ってもせいぜい20センチくらいしか進まないし、手で漕いでも5センチほどしか前には進まない。ぬるぬるの泥が潟スキーの表一面を覆って、まるで潟が陸へ戻ることを拒んでいるようだった。
強烈な日差し、干潟の照り返し、消耗した体力。人間の力など、所詮、自然の前ではちっぽけなものだと改めて実感させられる。
やっと陸に上がってみると、腕だけの疲れだけではなく、足もガタガタの状態で、泥を落とすために設えられたシャワーに入った途端、頭の中が完全にリセットされていた。心地よい冷たいシャワー、きらきら光る夏空の煌き、それだけが世界を支配している。
自然の生物の偉大さは、どんな環境にも適応できる能力にこそある。
ムツゴロウの偉大さは、それを実感させてくれたことにあったのかもしれない。
ところが、旅行に出かけるきっかけは、追い詰められて心の余裕がなくなった瞬間に訪れた。ものすごいスピードで振り子が振れている方向に向かっているうちは、まさか中空の一点で振り子が止まるものとは思えないのだが、限界点に達するといとも簡単に瞬間的な静止状態が訪れる。そんな感じだった。
自分なりにベストを尽くして仕事をしている最中、突然、これまでごく自然に紡ぎだされていた言葉が出なくなる。しかし、本人はけっしてスランプなどとは思っていないもので、原因不明の不調の原因を他人のせいにしたくなってくる。これではますます埒のあくはずもなく、ずるずると蟻地獄にはまっていくみたいに仕事に専念できない状態が続いていく。
そんな時だった。
「リセットしてみたらどうだろう」
心の奥底から声がする。
思い出してみると、数々の不義理をしていることにも気付く。その中の一つに、佐賀に住む義理の姉への不義理がある。義姉は数年前に夫を亡くしたのだが、葬式はおろか墓参りさえ行ったことがなかった。そこで、仕事に支障がないように月曜日の午前中に3日分の作業をすませ、佐賀への家族旅行をすることを思い立った。今携わっている仕事にしても、ほんの少しは関わりがある「自然環境」というテーマもこじ付けながら理由付けにはなる。
因島から佐賀までは、車で6時間以上かかった。盆前ということもあり、高速道路は心地よいドライブを楽しませてもくれた。1日目は、車の移動だけだったが、2日目は以前から興味のあった潟の見学に出かけることにしていた。
目的は、ムツゴロウ見学。
ハゼ科のこの魚は、6月から7月にかけて干潟を飛び跳ねるパフォーマンスを見せてくれるそうだが、見学に行ったときにもこのパフォーマンスを目撃することができた。
前鰭で干潟を比較的速いスピードでノソノソと歩き回り、時折、思いっきりジャンプする。もともと魚だけに泳ぎもうまい。干潟にはムツゴロウの他に砂蟹科のシオマネキもいて、豊かな自然が多くの生命を育んでいるようすが手に取るようにわかる。
途中で土産物屋に寄ったとき、店の人からムツゴロウの捕獲方法についての話を聞いた。
「警戒心が強かけん、掘って捕るんが一番です。体を傷つけたら、ゴミですから。2メートルほど掘ったら取れますよ」
家族も義理の姉も初めて聞いた事実に唖然としている。瀬戸内海で魚の餌にする本虫という環虫類を捕るときでも、せいぜい1メートルぐらいしか掘らないのに、ムツゴロウを一匹捕まえるためには2メートルも掘らなくてはならない。しかも、店の人によれば、名人にもなると一日で100匹も捕まえると聞いて、ますます驚いてしまうのだった。
そこで、実際の干潟を体験してみることにした。有名なガタリンピックの会場では、潟スキーの体験もできると聞いて、一同そろって体験してみることにしたのだった。
干潟は、想像以上の広さがある。水平線まで続いていると思えるような干潟のほんの岸辺で、数人の観光客が潟スキーを楽しんでいた。体中を泥だらけにして、泥の中に体を放り出し、リラックスしている人もいる。体験コーナーの職員の人に聞けば、干潟の泥は皮膚炎にも効くし、美容にもいいそうだが、はたしてどんな感触なのかは体験してみるしかなさそうだった。
受付に行き、専用の足袋を借りる。潟に下りると、職員の方が丁寧に潟スキーの扱い方を説明してくれた。見ていると簡単そうに扱っているので、内心は安心していたのだが、実はたいへんな勘違いをしていたことに後で気がつくことになる。
勢いを付けて、いざ干潟へ出発、とここまでは順調だった。ところが、10メートルも進まないうちに潟スキーは言うことを聞いてくれなくなる。いくら足で泥を蹴っても前に進まないし、焦って手で漕いでいるうちに、腕がダルンダルン状態になってしまった。その点、体重の軽い息子は飄々と潟スキーを前に進ませ、悪戯っぽい笑顔を向けてきたかと思うと、いきなり両手に泥をすくってこちらへ投げかけてくる。日ごろの説教もこの日ばかりは全く役に立たないばかりか、逆にその反動がパワーになって息子の攻撃は留まるところを知らなかった。
すっかり泥だらけになり、力尽きて、頭の中にはあったはずのムツゴロウのイメージも掻き消え、陸へ戻ろうと思った刹那、体の疲労感はピークを迎えていた。足を泥の中に突っ張ってもせいぜい20センチくらいしか進まないし、手で漕いでも5センチほどしか前には進まない。ぬるぬるの泥が潟スキーの表一面を覆って、まるで潟が陸へ戻ることを拒んでいるようだった。
強烈な日差し、干潟の照り返し、消耗した体力。人間の力など、所詮、自然の前ではちっぽけなものだと改めて実感させられる。
やっと陸に上がってみると、腕だけの疲れだけではなく、足もガタガタの状態で、泥を落とすために設えられたシャワーに入った途端、頭の中が完全にリセットされていた。心地よい冷たいシャワー、きらきら光る夏空の煌き、それだけが世界を支配している。
自然の生物の偉大さは、どんな環境にも適応できる能力にこそある。
ムツゴロウの偉大さは、それを実感させてくれたことにあったのかもしれない。
どうバランスをとるかは、人それぞれですよね。
今の順風さん、それでいいんだと思います。
あなたのお仕事を見守り、
応援している人は、
きっと大勢いらっしゃいますよ。
某Kさんから、
こちらのアドレスを知りました。
MIXIへのカキコミ、
ありがとうございました。
キムピット
しかも暢気にムツゴロウ見物?
高校時代、
試験前になると活字中毒が悪化して、
徹夜でドストエフスキーなんか読んでましたから。
きっとその癖が未だに抜けないんです。
でも、
いい気分転換になりましたよ。
干潟に入ると、打たれ強くなるのかな。
お陰で、マイペースを取り戻せたようです。
時々、ちらちらと読んではカキコミしたい衝動に駆られ、我慢してましたが、とうとう弾けちゃいました。もともと茶目っ気のあるブログが好きなので、ついついカキコミした次第です。
今後もともお付き合い願います。