柴犬ランの飼い主教育日記

人もすなるブログといふものを犬もしてみむとてするなり。
保護センターからレスキューされた柴犬の日記だよ。

元禄の犬屋敷跡

2012-02-19 | 柴犬・ドッグラン
中野の犬屋敷跡に行ってきました

徳川300年の中でも,ひときわ輝く元禄文化の時代を治めた名君・徳川綱吉公。その綱吉公の時代に野犬の保護施設として「お囲い御用屋敷」が四谷・大久保・中野に設けられました。

10万匹ともいわれる野犬が収容されていたといいます。
野犬保護だけでなく,野犬を江戸市内から隔離し治安を維持する目的もあったと推察されます。

中野区役所前の記念碑


地元ライオンズクラブにより,区役所の南側に犬の銅像が設置されています。
ボクも仲間入りしてみました




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綱吉公に関する資料です。興味のある方は読んでみてね
「徳川綱吉」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2012年2月16日 (木) 14:18 UTC


一般的に「苛烈な悪法」「天下の悪法」として人々に認識されているが、江戸時代史見直しと共に徳川綱吉治世の見直し論も起こり、この令も再検討されている。また、動物愛護法をはじめ、刑法の保護責任者遺棄罪や児童福祉法、児童虐待防止法として現代においても同様の法令が制定されるに至っている

綱吉は「側近の寵臣以外の意見を軽視し、悪法で民衆を苦しめた」という否定的評価がなされる一方で、元禄4年(1691年)と同5年(1692年)に江戸で綱吉に謁見したドイツ人医師エンゲルベルト・ケンペルの「非常に英邁な君主であるという印象を受けた」といった評価も受けている(ケンペル著『日本誌』)。ケンペルの綱吉観や両者の交流については中公新書刊行『ケンペルと徳川綱吉』(ベアトリス・M. ボダルト・ベイリー・1994年 ISBN 4-12-101168-6)に詳しい。

綱吉の治世下は、近松門左衛門、井原西鶴、松尾芭蕉といった文化人を生んだ元禄期であり、好景気の時代だったことから優れた経済政策を執っていたという評価もある。また、治世の前期と後期の評価を分けて考えるべきだという説もある。前期における幕政刷新の試みはある程度成功しており、享保の改革を行った8代将軍徳川吉宗も綱吉の定めた天和令をそのまま「武家諸法度」として採用するなど、その施政には綱吉前期の治世を範とした政策が多いと指摘されている