写カットライフ

写真を通して人生を楽しみたい。
道具に凝るのもよし、撮影技術を磨くもよし、写真をテーマに楽しみ方を綴ったブログです。

東北地方太平洋沖地震 感じたこと 情報の大切さ

2011年03月18日 21時37分41秒 | 思ったこと

現在も身内や友人、知人の安否情報の少なさや、捜すすべのないことにもどかしさを感じている人がたくさんいる。IT技術の進んだ現在でもまだまだ実質的な無力さを感じざるを得ない。
会社の携帯電話とメールを使った安否確認のシステムも携帯電話側のトラフィックの集中による通信トラブルにより機能を発揮しなかった。全員が通信しても余裕がある状態にするには莫大なインフラ整備が必要で、維持費も莫大になり今の通信料金が数倍に跳ね上がってしまうという試算もある。会社などでは最大の負荷を想定して設備を決めているのでオーバーフローになることは少ない。社会全体ではコストとの兼ね合いでそうもいかないのだろう。


会社ではこのような災害もしくはインシデントがあると社員の家族も含めた安否を確認する。携帯電話が復旧している現在、その確認はたやすいものと皆が思っていただろう。直接的なの被害が少なかった東京でも通信に関しては悲惨な有様であった。
会社でも家族でもそれぞれの状態が確認できて次の対策ができる。会社で仕事が出来るようであれば、事業を継続するためどれだけの人的資源が活用でき、それが顧客や社会にどれだけのサービスを提供できるか判断できる。逆にわからないと、頼りにされたとき裏切ってしまうようなことになりかねない。
ITはあくまでも道具だ。安否確認でも確認される側でいる限り情報のスピードは半減する。お互いが求め合うことが重要だと思う。組織が大きければ小さなグループ単位でも良い。グループのリーダーが部下を把握し、上長はグループを把握する。部下はリーダーや上長に連絡をとる努力をする。そうしたチームワークで動くことが危機を回避し、次の手を打つことができるようになる原動力になっていくと思う。そうしたところに使われる道具の一つがITだ。ITはあくまでも道具だ。



<水元公園にて>


世の中便利になるとITがすべての仕組みを作っていると勘違いしてしまう。情報の基本は会話であり読み書きである。電話がなければ移動して会って話をする。移動が困難であれば手紙を書く。昔で言うとのろしなどが有効な伝達手段であっただろう。このようにして伝達のスピードが上がっていった。
災害地域の中では通信ができなくても災害地から正常地への通信は比較的出来るようだ。逆はダメである。我が家では伝言の中継場所を自分や妻の実家としている。


何が起こってもコミュニケーションを早く確立し、情報を収集し現状を認識することが次の一手を考え、希望を見出す基本だと思う。

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