写カットライフ

写真を通して人生を楽しみたい。
道具に凝るのもよし、撮影技術を磨くもよし、写真をテーマに楽しみ方を綴ったブログです。

東北地方太平洋沖地震 感じたこと 無力感

2011年03月17日 22時30分09秒 | 思ったこと

仙台に居る友人の安否がいまだに分からない。被災者の方々の絶望感や苦しみ、悲しみを思うとかける言葉もない。頑張ってくださいとしか言えない。


やっとブログを書こうという気になった。3月11日は実家のある山陰に帰省していた。よって、関東の直接の揺れや娘が体験した帰宅難民の辛さは味わっていない。幸い家族全員の安否や家の様子はその日の夜までにはわかりちょっと安心できた。
しかし、会社の様子は全くわからず、自分がいたらやっていただろう様々なことを考えて、上司や部下達に迷惑をかけているという負い目を感じていた。


おやじの初彼岸を迎えるに当たり、お袋ひとりでは何も出来ないのでその準備のために帰省し、3時前にテレビを付けたら地震のニュースをやっていた。50vm程度の津波警報が出ているということでテレビを見ているとたしかに津波はやってきた。岸壁に最初は少しあふれる程度に流れる水を見て、50cmとはこんなものなのかと見ていたらとんでもない、あっという間に大きな流れとなって、そこに積み上げてあったプラスチックの箱を押し流していく。そして、車までも浮かせていとも簡単に押し流していく。画面はヘリコプターからの映像に変わり、海岸から畑の中に流れこんでくるどす黒い津波の触手のような先端が丹誠込めて作られているビニールハウスを次から次へと飲み込んでいく光景が映しだされた。時間にして何分ぐらいであっただろうか、とんでもないことが起こっていることはわかった。
三陸海岸だけではなく仙台、福島、茨城、千葉までの広範囲で津波が押し寄せている。揺れによる倒壊の比ではない破壊力だ。上空からの映像は人が見えない。走っている車の中には人いることは確かだが、押し流される家の中にもたくさんの人が居たはずだろう。映像というものは非常だ。中にいて絶望に打ちひしがれる人の心は映し出さない。ただ物が壊れていく姿のみ伝えてしまう。その光景だけでも非現実で、とてもそのなかで必死に抵抗し、身の安全を確保しようとする人間の叫びを感じることはできない。ただ単に呆然とテレビを見続けるだけで、早く津波から離れろなどと大声を出して叫んであげることもできない。無力感を感じながら思考がストップしていたことを思い出す。



<水元公園にて>


東京の震度を表すテロップを見て初めて家族のことを思い出した。すぐに携帯で妻を呼んでみる。幸いに繋がって無事が確認された。過去経験したことのないような揺れであったと言っていた。子供たちのことを尋ねたが、彼女もショックで連絡をするということを失念していたようだ。すぐに子供たちに電話を入れたが、携帯の通信機能がすでに麻痺していた。河口湖の方へ行っていた次男とは繋がり話はできた。娘ともう一人の息子とは繋がらない。メールに切り替えて送信してみた。娘からは2時間ほどしてから返信が来た。通話はその日は全くできなかった。長男とは何もできなかった。
家族のあとは会社に電話を入れてみた。会社支給の携帯からは安否確認メールが来ていた。返信はしておいたがそれだけでは様子がわからない。しかし、全繋がらない。メールも音声も全く機能していなかった。通常の電話も通じなかった。このような結果で安否確認と言えるのだろうかと感じた。会社の同僚へ繋がったのは次の日の朝であった。東京でも大混乱が起こっていることはよくわかった。
ずっとテレビを見ながら、なぜ自分だけ地震とは程遠い山陰に居るのだろうかと不思議な気持ちになったことを思い出す。

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