バラでも桜でも花ばかり撮っていると、後で見返した時その時の感動は何だったのだろうか思う時がある。ファインダーを覗いて、構図を決めてシャッターを押すわけであるが、何を伝えたかったのだろうかと思う時がある。
パソコンに取り込んでRAW現像を行なっている時、眠くなってしまう時がある。そんな時は現像処理をやめたり、眠い写真をすべて消してしまったりしている。感動なしにとった写真は現像しても感動はない。消しても悔いはないだろう。
人物やイベントなどの「花」プラス「何か」の写真は記録としての意味があるかもしれない。しかし、花単体の写真を残す場合は、残す理由になるインパクトが必要だろう。情景を表す言葉でも良いかもしれない。
下の写真は柱に絡まる蔦のようなバラを切り取ったものだ。そのような場合、「バラの柱」などと名前をつけておくと、後で見た時、なぜその写真をとったのか動機がわかると思う。
又、花だけの写真を撮っていると花図鑑になってしまう。下の写真はどうしてシャッターを押したのだろうか。多分、形と色が綺麗で密集していないバラを写したかったのだろう。
花には様々な色や形があるのでついつい写したくなってしまう。フィルムではないので気に入らなければ消せば良いという安易な思いも働くようになってきたかもしれない。しかし、写真とはそんなものではないと思う。
もっと観察力や感性を磨いて、シャッターを推したい気持ちを抑えながら撮ることが重要なのではないかと思い始めている。
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