MIYAGI VILLAGE

夏は雷、冬はからっ風、人は義理人情を重んじる・・・。

都市計画を語ってみるtest

2006-11-14 22:32:42 | 政治・経済
今週の金曜にテーマカレッジで発表を行うので、それに対する勉強を行っています。

テーマは「満州国首都・新京の都市計画」

えぇ、けっこう難しいテーマですよ。

しかしながら、新京の都市計画を学ぶことは非常に重要であることを俺は中国旅行で認識せざるをえなかったのです。なぜなら、新京の都市計画は日本人が行ったものの中で史上最大の大きさの都市計画であり、この計画が日本の都市計画史における最大の華ともいうべきものであると確信するからです。

戦後の東京を見て欲しい。

雑多な町並み、個性のない町並み・・・、はっきりいって美しさが感じられない街に育ってしまった。これは、戦後焼け野原となった東京が無秩序に成長拡大してしまったことによる。

江戸の頃にさかのぼると、東京は士農工商に別れた機能的な街であり、江戸時代においては十分な機能を有していた。しかし、時代は明治に移り、都市そのもののあり方が変容した。歴史的な日本家屋ではなく、西洋の技術を取り入れた近代的な街へ生まれ変わる必要性が現れる。しかしながら、すぐにはその計画は実行に移せず、東京は維新後もインフラ設備不足の二流都市となる。

これに一石を投じたのが関東大震災であった。多くの犠牲者を出した、関東大震災ではあったが、これを機に東京は計画都市へと生まれ変わる。欧米の都市を参考に、下水道の完備した、緑の多い街へと生まれ変わった。

(このときに生まれた美しい道のいくつかは、今高速道路の下に埋もれ、暗く日の届かない道になってしまい、また、歩車分離のなされた美しい軌道敷きの道は、車の交通量増加という理由で無秩序に拡大され、美しさのない無機質なものとなっている。緑多き公園は高層建築の下に消えた・・・。)

この東京復興を指揮したのが東京市長・後藤新平である。この後藤が新京の街をつくることになる・・・。

とまぁ、こんな感じで、日本の都市計画の集大成とも言うべきものが中国大陸の小都市で行われたというわけ。

何もない更地から、あれだけの街を創造したという日本人の力を俺は研究したいと思ったんですねー。

まだまだ、調べたりないんですけど、とにかく金曜日に向けて頑張りたいと思っています。頑張って本読むぞー。しかし、東京の都市計画も学べてラッキー、本当にいい機会だと思います。

満州の開拓計画はマジで勉強になるんで、オススメです!