80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

たとえば食事

2016年02月21日 08時34分27秒 | 考える
そろそろ (何度同じ言葉を使ったことか?) 他人の眼や心を
気にしすぎるのはやめたいと思う。
  

別に、見返りを求めているわけではない。
言ってみれば、こうすればこうなるべきだ・・・と、
相手が考えるのを、無理矢理求めているようで

考え出すと、我ながら不愉快になってくるばかりだ。

たとえば、食事。 
相手としては、遠慮して何も言わないのだろうが、
いやはや、こちらとしては遠慮されると、
却って余計に金がかかる。

つまり、逆にこちらが相手に気を遣って、
彼が好きなのは何だろうか?・・・とか、
これはちょっと食いそうにないな・・・とか、
いろいろ試してみたりと、
何だかんだと、余計な気と金を遣わざるを得ない。 

どうやら、「これは嫌いらしいな」 と思っても、
ひょっとすると、その日の体調もあるからなとか、
気を回して、も一度、買って出してみる。

端から、これこれは嫌いだと言ってくれたら、
そんな無駄が、一気に省けるのにと思ってしまう。 
遠慮なのだろう。


ある程度以上の遠慮は、金の無駄、時間の無駄、心配りの無駄、・・・。


ともかくも、一緒に飯を食い合う間柄だ。
嫌いな料理を無理して、もそもそ食う必要なぞ、どこにもない。

いずれにしても、遠慮は、互いに何もいいことはない。 
どうやら、その辺の呼吸が読めていない。

もっとも、逆に言えば、そう思うこちらにしても
相手の呼吸が読めていないということになるのだが。


食事一つとっても、人づきあいは、かくも難しい。
他人のこともさりながら、これは自戒すべきことでもある。
 


菠薐草 ・・・ 「ほうれんそう」 と読むらしい。 
70にもなろうというのに、まだまだ知らぬ事が多すぎる。

ずっと気ままに独り暮らしを続けてきたせいだろうか、
今になって、やり損ねてきたことやら、やらねばならぬことが、
どんどんと、押し入れの奥から飛び出してくる。

私は、なぜか、今、かなり焦っているらしい。

有島武郎 「或る女」 ・・・ 読まねば !! 

「きみの小説も読んだよ。
 ところで何が書いてあったかさっぱり思い出せない。
 いいかい、小説というのは、一行でもいいから、
 読者の記憶に残るところがないとだめなんだよ。」
   里見 [弓偏に享](とん) (有島武郎の弟) ・・・瀬戸内寂聴「奇縁まんだら」より


蹉跌 ・・・ つまづいて行き詰まること。
 

平成28年2月20日(土) 外出なし。

介護を思う (理想・・・)

2016年02月19日 19時58分14秒 | 考える
寝たり、起き上がったり、そうやって何度も動くことは、
案外 「リハビリ」 になりそうだ。

他人の 「リハビリ」 に手を貸すというのは、
翻って、自身のリハビリにもなるのではないか?
ふと、そんなことを考えた。

日々の食事記録は、今日の献立を考える参考になる。
食事のイメージを捉える。 
毎日の栄養を考えていくことは、自身の健康を管理することにもなるだろう。


記録は、本当に大切なアイテムだ。 

特に、私のように 「呆けかけ (?) 爺さん」 には、必要不可欠だろう。


ヘルパーさんの作業、動作をしっかりと観る。
母とヘルパーさんの会話、さらには献立も参考になる。
参考にせねばならない。


ヘルパーさんにまかせっ放し、こんな関係のままで良いとは思わない。
思えないけれど・・・。 


時間を自由に操れるのは、無職の特権だ。
まぁ、うまく利用するか、出来るかはともかくとして・・・。

時間をとって、「介護の技術」 を学び取っていくことも、
今後の自分にとっては、絶対に必要な事だ。

それが、引いては、自分自身の今後にも役立っていくはずだ。 

自身の腰痛克服 → 総合筋力、特に腹筋の強化。

勉強しよう。 
いずれ、暇なのだ。 (変な言い方かな・・・?)


今後の課題
「人の名を記憶する。」
  

本当の (?) 自分捜し

2016年02月18日 19時17分40秒 | 考える
「本当の自分」 捜しに心彷徨う。

微妙な心のすれ違い。
自分と他人、自分と自分・・・。
それは、ひょっとして心理的な違いばかりではなく、
事実、物理的 (?) なものなのかも知れない。

今さら、「あの頃」 に戻る必要なぞはない。
そう、あの頃、私はいつも夢を見ていた。
その夢が実現したか、しないかに関わらず、
  (正直、良く分からなくなっている。)
結局、過去の夢の上に、今日があり、明日があるのだ。

いつも夢の中だった。
ずっと夢の中にいたような気がする。
 

目に見えるものだけが実在するわけではない。
また、目に見えないからといって
実在しないと決めつけるわけにはいかない。



いくら、詩を書いても、小説を書いても、
結果が出なけりゃ、ゴミの山だ。
平成25年 (2013年) 5月6日 (月) のノートより
 

男はなぜ旅に出ようとするのか?
男は、常に(?)、新しい出会いを求めている。
常に新しい出会いを求めて、旅に出る。  
出会いを夢見て移動する。

旅の中で、新しい出会いの中で、
自分自身を発見しようと考えているのかも知れない。


人にはそれぞれ 「自分の時間」 がある。
その時間の中で自分自身を生かす。
もっとも良く、自分を生かしていく算段をするべきなのだろう。
 

おまけの人生

2016年02月17日 16時21分17秒 | 考える
結局、本人の問題、本人の自覚なんだよな。
つまり、人は、自分自身で変わっていくしかないのだ。

ハタからどうのこうの言ってみても、
突然、気持ちとか、何かが変わるわけじゃあない。 

たまさか変わったように見えても、
それこそ、たまたまタイミングが重なったという、
ただそれだけのこと。
それに尽きる。 

だからと言って、何にも言わねば、
こちらの 「役目」 が終わらないような、
そんな気がしてぇ~、なぁらないのぉ~・・・♪ 

結局、それって、こっちの 「気休め」 以外の何物でもない。

まぁ、のんびり構えて、地道にやるしかない。 


何かやりたければ、まず 「やれる状況を構築する」 ことが先決。
買い物には、ともかく金が必要なのだ。 


私の人生は、今後、いつ終わっても、おかしくない。
そういう年齢に入っている。
今や、 「おまけの人生」 に身を置いているというわけだ。 

総ての人の時間が、同じように過ぎている・・・、
そんな保障は、どこにもない。
もしかすると、私の一日は他人の半日に過ぎないかも知れない。
逆に他人の3日間が、私の一日と同じなのかも知れない。

若者と年寄りの時間経過が、それぞれ異なって感じられているとは、
よく言われている。 

ある人は、情熱的に、1日を活発に過ごし、
またある人は、同じ1日を退廃的に過ごす。

ある人はいつまでも若々しく、ある人は急激に歳をとる。


サム・ウルマンの 「青春」 に言う。
 人は時間の経過だけで歳をとるのではない。 ・・・
と。 

兄に会った

2016年02月16日 17時26分17秒 | 考える
平成28年2月15日(月) 晴れのち曇り

久々に、兄に会った。
私のブログ、しっかりと読んでくれているらしい。
 
感謝 !!  ・・・・・ 

兄と話して、悩みが総て雲散霧消とは言えぬまでも、
何となく、そして少しだけ、
解決 (?) の糸口がつかめたような気がしている。

少しだけ・・・?
いやいや、それでも大きな変化の土台だ。 

人には、各自、それぞれの価値観がある。
ちょっとの変化 ちょっとの価値 ・・・だ。

要は、必要以上に悩むことはない。
お前さんは、保護者なんぞではない。
そう、ただの風来居士、風来個人でしかないのだ。

共に独立した、しかも 60代の男同士が、同じ屋根の下で暮らしている。
ただそれだけの、ごくありふれた光景なのだ。

ありふれた? ・・・ かなぁ? 
まっ、いいや !!
とにかく、そういう事にすぎないのだ。

それより何より、私は今、「私」が欲しいと思っている。

退職以降、一人暮らしを続けていると、
自分の影が薄くなって、だんだんと見えなくなってくる。

自分の立ち位置、役割が分からなくなってきている。 
その確認のために (と言っては失礼かも知れないが)、
自分の横に、「別の個人」 が存在するのは、
むしろ歓迎すべき事なのかもしれない?


まずはあるがままを受け入れてみる。
目の前の 「請求書」 は、取りあえず支払っておく。 
その後は・・・、まぁ、・・・何とかなっていくのだろう。

今は、そんな気がしている。