80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

私は何がやりたいのか?

2016年04月28日 19時27分36秒 | 考える
ふと思う。

こうした状態が続いていくということ、
つまり、何もしない、互いに干渉し合わない、
共に傍観状態で過ごしていくというのも、
いわゆる 「面倒を見ている」 ということになるのだろうか?

当方が勝手に気を遣い、気をまわして、いろいろと考え、行動する。
当然、的外れ的なことも多いのだろう。
相手は、無論、有り難がるどころか、迷惑そうな素振りを見せる。 

(本音) うるさければ、迷惑ならば、自身で積極的に動けばいいと思うのだが、
逆に 「やりたいように、やらせてやっているのだぞ。」 という反応が見え隠れする。

多分・・・(?)・・・、そう、これは、私の深読みかとは思うのだが。

私は、彼、あるいは他人との付き合いに、一体何を求めているのだろうか?
私は、自分自身は何がやりたいのか・・・? 

よくよく考えてみると、誰かのために何かをやる。
それが何であれ、 「自分自身の心の癒やし」 になっているのかも知れない。
自らが、求め求めて、手に入らぬもの、憧れ、夢・・・の代用・・・。
だとしたら、それは随分と身勝手で、嫌らしい話になってくる。

未完成とすら言えない人間の対象になって、自分が身を滅ぼしかねない相手に
身を任す者にしてみれば、その結果がどうなろうと、一生一度の経験だ。 
冗談ごとでは済まない。

そうなのだ。
誰もが 「今」 体験していることは、一分一秒が、一生一度、そのものなのだ。

「あっ、しまった。 本当にごめんなさい!!」 では、到底済む問題ではない。
お互い、一歩間違えば、常に身を斬り、身を斬られる、
誰かのために、何かやるということは、それこそ真剣勝負の世界なのだ。

自分一人の体験として済ませるような問題ではない。
何を為すにしろ、常に「真剣勝負」として行動せねばならない。