80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

風来居士 繰り言す

2016年04月13日 19時07分24秒 | 考える
繰り言 愚痴などを飽きもせずに何度も繰り返して言うこと。
     また、その愚痴など。


知人の名が覚えられない。
会合などで 「一言お願いします」 と言われると、すくんでしまう。   
弟に対しても、何も言えない。
自分自身の存在感が、日々失われていくような気がする。
咳、喘息が止まらない。
日ごと、体力が無くなっていくのを感じる。
集中力が無くなってきた。 ・・・

結果、いいか悪いかは別として、他人のために生きたいとは、翻ってみれば、
自分個人のために生きたい、ということの裏返しでしかないという気がしてきた。

自己矛盾、自己不満、自己卑下、自己否定、自己不安、自己不信、・・・等々。
身内を含む他人に対する不信感が抜けきれない。
それは、つまり自分自身に対する不信感にもなっているような気がする。
気がする・・・とは、本当はそうであってほしくないという意味だ・・・と思う。

信頼できる相談相手、「先生」と呼べる人が近くに存在しない。
いないはずもないのだろうが、こちらから気軽(?)に相談を持ち掛ける勇気がない。
ひょっとして、弟も私に対して、同じことを感じているのかもしれない。

隣に人がいればいたで、より孤独感がつのる。

以前なら・・・、10年、20年、30年前・・・、
いや、20歳の私ならどう感じ、どう動いただろうか?
・・・と言っても、今さら、それでどうにかなるはずもないのだが。 

難聴・・・障害とは悲しいものだな。
相手が、自分の大切な時間を使って、話しかけてきてくれる。
普通に喋ってくれている分には、ほとんど問題はない。
ただ、時折声が低くなったり、トーンが変わったりすると、もうダメだ。
その言葉がはっきりと聞き取れない。 
つなぎが分からなくなる。


いやはや、人は、年を取ると、一つや二つ、障害を抱え込む。
その時になって、それに対応するものを身につけようとしても、ボケかかった頭と、
パワーを失った体では、今さらどうしようもなくなってしまっている。

この時になって、初めて、自分の人生に対する無計画さに気付く。
体力、知力、財力、人脈、
・・・総てが、長い時間をかけて少しずつ積み重ねていくものだったのだと。
 

逆を言えば、総てが、時間の経過に対して、少しずつ消え去っていくものなのだ。

人生は長い。
しかし、人が思うほどには長くない。
 

「今」 ・・・ それは瞬時に消え去っていく。
直後に、「次の今」 がやってくる。

「今」が、途絶えることはない。
つまり、自分にも永遠に「今」が続いていくという勘違いをしてしまう。


明日は永遠にやってこない。
やってくるのは、いつだって現在でしかない。
そして、その現在は「瞬時」でしかないのだ。