4月16日午前、春に大規模な地滑りが確認された大網地区・七五三掛集落を訪問し、現地党支部の案内で、道路、畑地、住宅などを視察しました。
集落内は、道路、畑など地域全体に無数の亀裂が走り、公民館前の道路は50cmもの段差が生じ、車は通行不能の状態になっていました。
住宅も、敷地内のコンクリート面や家屋の土台のひび割れが発生し、玄関前の階段が大きく割れた家もありました。
私は、この集落内に近しい親類があって、2月には葬儀で同地内の注連寺に来ていますし、陥没した道路のすぐそばには親類の車庫があり、3月に立ち寄っている場所でしたので、変わり果てた姿に文字通り驚愕しました。
全7世帯中3世帯が集落外に避難していましたが、残された4世帯の内、3世帯の方と会ってお話を聞くことができました。
「2月ころ地盤が動いている気配が感じられたが、雪が溶けて明らかになった」
「夜寝ていると時々、地底から『ピシッ』というような何かが切れるような音が聞こえる」
「今後、地盤の動きは収まるのだろうか・・」
などなど、深刻な不安の声が聞かれました。
その後、朝日庁舎を訪問して市の対応を聞きました。
佐藤敏支所長から、「庁舎は地域警戒本部を設置して、応急復旧と、住宅・搬送など生活支援をおこなってきた。農業は何とか継続できる可能性がある。東北農政局が調査してきたが、まだ原因や対策は確定できる段階にない。推移を見ながら国や 県に抜本的復旧を要請していきたい」などの説明がありました。
庁舎では、緊急対策本部を設置して、各課がそれぞれの分野で住民の支援に当たっています。
毎日交代で庁舎への泊まり込みもおこなっています。
通常の仕事に加えての緊急業務で、相当の負担と思いますが、誰も泣き言を言わず、「我が事」として黙々と取り組んでいるようです。
この地域は、中越地震で大きな被害が発生した新潟県の山古志村と同質の地層だと言います。
4月まで雪に覆われるこうした地域も新しい鶴岡市の一部であり、旧鶴岡市の感覚では捉えられない問題を全市の問題として、「我が事」として取り組んでいくことが求められています。
そういうことを思えば、「合併したから」ということで(実際には支出削減のために)旧町村の施策を次々と廃止してきた市の姿勢がいかに危ういものであるか改めて痛感しました。