(テルエル/サルバドールの塔)
先週、スペイン・アラゴン州の旅行会社の方が来社されて、
10月に予定している『スペイン・アラゴン王国の旅』の打ち合わせを行いました。
現在、パンフレットを作成中なのですが、その中で、
中世アラゴン王国の簡単な略年表を作成しましたので、下にも記載しておきます。
アラゴン州観光局によると、「アラゴンの魅力は寛容性と多様性」とのこと。
たったこれだけの年表からも感じ取れます。
714年
わずか3年前にイベリア半島に侵入[711年]したイスラム教徒がピレネー山麓に到達。キリスト教徒はピレネー山中に逃避。
イスラム教徒はアルバラシン、ダローカ、テルエル、サラゴサ、アルケサルにアラゴン地域の拠点に構える。
8世紀中頃
キリスト教徒の反撃開始。ピレネー山中のテナ谷などで、モサラベ様式の教会建築が始まる[~11世紀]。
1035年
アラゴン北西部にて、ハカを都にアラゴン王国が誕生。同時期にアラゴン北東部では、アインサを都にソブラルベ王国が誕生(後にアラゴン王国に併合)。
ハカ、アインサ両市を拠点に本格的レコンキスタ(国土回復運動)の開始。
11世紀後半
アラゴン北部でフランスから導入されたロマネスク様式[~15世紀]の建築が始まる (サン・ファン・デ・ラ・ペーニャ、ハカ大聖堂、ロアーレ城など)。
1096年
レコンキスタの南下に伴い、ウエスカに遷都。
1118年
レコンキスタのさらなる南下でエブロ川に到達。サラゴサに遷都。
12~13世紀
アラゴン王国が最盛期を迎える。シチリアの晩祷事件[1282年]でシチリア王を兼ねるなど゛、ギリシャ・アテネから、南イタリア・ナポリ、シチリア島、サルデーニャ島、南フランス・モンペリエ、プロヴァンス、コルシカ島、マヨルカ島、カタロ-ニャ、バレンシア、ナバーラまでを治めるアラゴン地中海帝国が誕生する。
アラゴン南部に残ったアラブ職人によるムデハル様式の建築が始まる[~15世紀] (テルエル、サラゴサ、ダローカなど)。
1479年
カトリック両王の結婚によるアラゴン王国・カスティーリャ王国の統合より、スペイン王国が誕生。
*ムデハル様式*
レコンキスタ(国土回復戦争)の後、12~14世紀にイスラム教徒の装飾技術とキリスト教徒の建築技術が独自に融合した建築様式です。スペイン側の要望に応じて、当時「ムデハル」と呼ばれたキリスト教徒支配地域に残ったアラブ人職人たち(改宗しモリスコと呼ばれました)によってあみ出されました。特にアラゴンではレンガ造りの鐘楼が特徴的で、釉薬をかけた陶製タイルを使い、想像力を駆使して装飾されています。テルエルやサラゴサ等、アラゴン州のムデハル建築群は世界文化遺産に登録されています。
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