マルグーシュの最盛期は紀元前16世紀から前13世紀までです。
ゴヌール(写真)がこの偉大な農耕文明の首都でした。
長方形の城塞都市で、儀礼神殿、レンガ造りの建造物、半円形の砦などがありました。
この首都の中心には、巨大な城壁で囲まれた豪華な宮殿が建設されました。
今、私たちがゴヌール・デペと呼び、観光する遺跡がそうです。
この宮殿の構造は、古代オリエントの建築史の影響を全く持たない
特異な建築様式となっています。
ここからは、玉座や謁見の間、天文台跡、葬送に使われた独特な部屋跡などが
発掘されており、太古の時代には既に高い技術や知識を持った人々が
暮らしていたことをうかがい知ることができます。
宮殿からさほど離れていない場所に、壁と床が白い石膏で覆われた、
豪華に造られた神殿がありました。
神殿のいくつかの部屋には、壁に沿って高い壇の上に高さ1mのクムスと呼ばれる
大きな瓶が並べられていました。
その瓶には、宗教儀式に使われたコーマ(またはサオマ)と呼ばれる
特別な飲み物が入れられていました。
この飲料はケシ粒などを原料に作られました。
考古学的には世界最古のケシと大麻の痕跡がマルグーシュで発見されています。
この飲料はゾロアスター教において広く使用されていたものです。
「ソ連のシュリーマン」と呼ばれる考古学者で探検家のヴィクトル・シリアニディは、
この場所に「善悪二元論」のエッセンスを持つ宗教、即ち後のゾロアスター教の
発芽があると考えています。地球における最初の世界宗教の誕生です。
ゾロアスター教の聖典「アヴェスター」にも、この飲み物のレシピが記載されています。
マルグーシュでは4つの拝火教寺院の跡が発見されています。
考古学者たちは、新興の預言者として北部アフガニスタンで侮辱され傷ついた
ツァラトゥストラは、砂漠の中の道をマルグーシュまで渡ってきたと考えています。
彼はここで最初の伝道を初め、「アヴェスター」の思想が生まれ、
広まっていったと思われます。
「アヴェスター」には、ツァラトゥストラに従った最初の人たちが
暮らした土地として7つの地名があげられていますが、
その1つ「モウル」は、どうやらマルグーシュのことのようです。
その後、ムルガブ川の河床の位置が変わったため、人々は上流のメルブへと移動し、
ゴヌールの町は捨てられたと言われています。[つづく]
(田中 貴子)
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