これっぽっちもないときに
限って恋がやってくる・・・♪
(『モンタージュ』 by 槇原敬之)
空気が冷たくなってくると、あたたかさが欲しくなる。
暖房、鍋物、熱燗、お風呂・・・。
体から汗を、ほとばしらせてみると、
さすがに、気持ちも、すっきりする。
だけど、どんなに食べても、どんなに飲んでも、
どんなに点火しても、どんなに浸かっても、
なにか足りない!・・・と、感じることがある。
そう・・・それは・・・
「身近にいる“大切な人”」の存在。
あんまり、ここでは、“恋”の話をしない僕だけど、
決して、“恋”がキライな訳じゃない。
いつも、熱いっ!話をしているけれど、
僕だって、人の子、親父の子。
ついでに言えば、お袋の子。
素敵な女性を見れば、恋をする。
惚れられたら、大事にする。
近年では、「いんたーねっと」などというものにも手を出して、
さらには、「ぶろぐ」なんていうのもやってみて、
色々な出逢いも、重ねてきた。
僕は、どうも、キーボードを叩いていると、
“感性”とか“悟性”といったものが動き出して、
なにやら、“ロマンティック”なことも話し出すこともある。
それが、いろんなところで、人の目に触れて、
時には、気に入られることもあるらしい。
(もう、時効だからいいかな?)
数年前、ある掲示板を通して、
僕は、700Km向こうに住む女性と知り合った。
最初は、「友達」だったけれど、
いつしか、「恋人」のようなものになり、
やがて、「伴侶」気分にまで進展した。
そうなれば、
御簾の向こうに隠れているのも申し訳なくなって、
僕は、彼女に会いに行こうと決めた。
会って、本当に、互いに魅力を感じ合えるのならば、
その時にこそ、“恋”と認定しよう・・・と思って。
ところが、アクシデントが起きて、
(というか、僕の“天使”に注意されて)
“御対面”はキャンセルすることになった。
当然、相手の女性は、激怒した。
(怒るのなら、僕の“天使”に言ってくれ!)
その後、“天使”に懇々と諭されて、
僕の「恋(のようなもの)」は、幕を下ろした。
それ以来、僕は、ネットで恋をしていない。
いや・・・
本気で相手に入れあげるようなことは、していない!
こうした、webを通してでの交流は、
“心”と“心”は、ふれ合えるけれど、
やはり、ここは、“物質の世界(次元)”だから、
不本意な現実というものとも付き合っていかなければいけない。
あるいは、そんな現実のなかに住んでいるから、
時には、“妄想”というものも起きてくる。
誰も、“心”のままに語るから、
優しい言葉を受けると、
「あの人は、自分のことを好きなんだ!」
・・・そのように思い込んで、
自分ひとりで、恋心を燃やしてしまうことがある。
「玄関の向こうの世界とも付き合っていこう!」
僕は思う。
「恋愛は、忘れた頃にやってくる」
男女の出会いなんていうものは、
いわば、“犬のしっぽ”のようなものだ。
犬は、自分のしっぽを追いかけても、
絶対に、くわえることができない。
だけど、追いかけるのはやめて、前に進めば、
しっぽは、後ろからついてくる。
同じように、「恋がしたい!」と思っているうちは、
なかなか、思うような恋ができない。
だけど、恋することさえも忘れて、
前向きに人生を歩いて、
魅力ある自分づくりを続けていれば、
いつしか、追いかけられるようになるのだ。
前述の女性も、
僕が、なにも考えなくなった頃に現われた。
だけど・・・たぶん・・・
僕が、自分づくりを忘れて、思い入れてしまったから、
運命が遠ざかったのだろう。
“詩人”は、時々、孤独を感じる。
もしかしたら、孤独だからこそ、詩が生み出せるのかもしれない。
だけど、(全員とは言わないけれど)過去の時代に生きて、
現代にも継がれているような名作を遺した偉人たちの傍には、
いつも支える“誰か”が存在した。
作業中には孤独であっても、
一人の生活人に戻ったときには、
やはり、支え手がいたほうがいい。
“天使”は言う。
それは、僕に対してだけではない(と思う)。
すべての、“恋に悩む”人たちに対して・・・
すべての単身者よ
すばらしい恋と共にあれ
しかれども
恋に支配されてはならない
恋を支配せよ
ゆえにこそ
恋に従属を受けるがごとくに
魅力ある あなたであれ
あらゆる恋が 慕い求めてくるがごとき
輝かしき あなたであれ
無欲にして 希望をかなえよ
心が 白きものであればこそ
恋の彩りが 冴え渡るのだ
あなたの未来に
寄り添いの時が あるように!
ロマンティックな季節となりました。
今年、誰かと共に、
“聖なる時”を 迎えられますように。
『カルディアの翼』
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