今日は絵画美術のお話を少しだけ。
東京に来て美術館へ足を運んだのは叔父の現代アートを観に上野だったか?あとはたまに気が向いた個展をふらりとながめるくらいでした。
しかしの版画は来日アンリバヴィエラの時衝動買いをしたことがありました。、ジョルジュバタイユを読んでいたころ、たまたま青山近辺だったか惹かれて来日記念の個展会場でのことでした。フランスかぶれではなくほんとたまたまのことでした。
写真なんかもファインアートにこだわるとかではなくロヘイユーのハイロードも個展でなにか惹くものがあったりして手に入れてみたい衝動がおきてそのばで本人の人間性が魂でも入れた作品のように激しくではなくやさしく訴えかけてくるような感じでそうなるのです。
最初は目利きの基準が自分の感性で選ぶのですが・・・。
五木玲子氏の作品も好きでポストカードなんかは大事にコレクションしています。
花には今見ると生老病死に似たエネルギーの激しさからさびしさ、慈しみがあり、苦悩から喜びを合わせ鏡のように見るものの心が反映される不思議な作品のような気がしてならない。衣食住をテーマにした作品を発表してもらいたいものです。以前のデッサンでみた中南米の老女を描いた作品が衣食住の匂いがでていたような気がしました。
花には的が間接的に生あるものの抽象がみるものに合わせ鏡のように心象を反映または増幅、緩和させる魅力をもっているように思ったりします。色彩方法から構図陰影さまざまに駆使されているように思われて仕方がないのです。きっとモノクロでの作品には光と影だけでみるものに、まるでロールシャッハのようにさまざまな感動や発見を影と光を合わせ鏡であるのを認めてかつ先に愛と呼べるものを希望や夢を持ちなさいといわれているような気がしました。
今日、山本コウタローさんの講演会ミニライブ~生きてほしい あなたらしくイキイキと~にも会場から帰るとき爽快さと思慮する感動をわかりやすく高揚感と生の実感を覚え、これもまた映像バーチャルデジタルとの対極にあるライブが五感をとうして感動をおぼえました。五木寛之氏と山本コウタロー氏表現手段は違うが僕なんかには同じ匂いとゆうか感動を覚えたよき日曜日でした。
nazeka