歴史はロマンだと思いたいのです。
先にお断りしておきますが、ほんと何もないといえば叱られそうで…
せっかく発掘調査され、国の史跡にも指定されているのになぁ。
古代の何かを感じられないかと訪問しますが、やっぱり「石柱」やら「案内板」でしか
往時をしのぶことはできません。
説明によれば確かに「土塁跡」もわかります。(勉強のおかげか少し目が慣れてきたかな💦)
Wikipediaによれば
『国分寺(コクブンジ)・国分尼寺(コクブンニジ)は、
741年(天平13年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、
当時の日本の各国に建立を命じた寺院。
正式名称は、国分寺が金光明四天王護国之寺(コンコウミョウシテンノウゴコクノテラ)、
国分尼寺が法華滅罪之寺(ホッケメツザイノテラ)。
国分寺の多くは国府区域内か周辺に置かれ、国庁とともにその国の最大の建築物であった。
また、大和国の東大寺・法華寺は総国分寺・総国分尼寺とされ、
全国の国分寺・国分尼寺の総本山と位置づけられた。』
Adeac/より
「伊賀国分寺跡」
せめて「中門跡」にこのような模擬門(三河国国分尼寺中門)や「想像図」でもあればいいのにね、
「伊賀国分寺」に関してまだ探し切れていないので、また何かあれば「追記」したいと思います。
「金堂跡」
「講堂跡」
その辺りに「国史蹟石柱」
お隣に「東公園」があって、そこからも行くことができ、
地域の人たちのお散歩コースみたいになっていて、
奥に「国分寺跡」の敷地が見えます。
再び南側正面で、発掘記念にミニ公園化されたようで
クスノキと銀杏。
アップで見ればクスノキの枝が赤い。これは珍しいなぁと調べると…
≪5月ころに、新しい葉と交代し、新葉や葉の付け根の葉柄が赤いと「アカグス(赤樟)」と言われ人気≫があるらしい。
何はともあれ、
奈良時代にこんなお寺が全国に建っていたのかと、ロマンを感じることできないかと
歩いてみましたが、さて??
(旧市庁舎辺りに60数億使うんだったらその0.1%でもあれば何かできそうだけど、個人の見解ですゴメン)
ではまた
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ブログに活用するのでしたら、「利用規約」を熟読することをおすすめします。
慣れないことゆえしっかりと学習しようと思います。
ブログに活用というほどのことでもないのですが、時折mono5187さんに教えていただく空中写真の今昔を見ていると、そこにやはり歴史が垣間見えます。
うん百年前のことは無理にしても、ある程度古い時代の様子と見比べられたら面白いなぁと思っているところです。
頑張ってみます、moni5187様感謝いたします。