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台湾大好き

台湾の自然や歴史についてのエッセーです。

礁渓温泉

2013年05月13日 | 温泉

  礁渓温泉は、台湾東北部、宜蘭市にある賑やかな温泉街だ。街の中心にある「湯圍溝温泉公園」は湧き出た湯が街中を流れ、その小さな湯川に沿って遊歩道が続き、温泉を楽しむ人々がゆっくり散歩をする。ところどころに足湯があり、そのそばには飲み物やフルーツのかき氷などを売る屋台がならび、日本の温泉街を思わせる。

  その温泉公園のなかにひと際目立つ大きな看板を掲げている温泉施設があるが、その看板には「日式裸湯」と書いてあった。この日帰り温泉は、水着で温泉を楽しむ台湾では珍しく,文字通り日本人のように裸で入る温泉なのだ。

 入浴料はNT100元(日本円300円位)、日本の地方の公共温泉施設位の料金だが、台湾の物価と比べると高い気がする。建物は男女別に分かれており、木造のモダンな銭湯という感じだ。入口の暖簾をくぐり、靴を下駄箱いれて、一歩足を踏み入れるとそこはもう脱衣場だった。衣類を入れる四角の棚がならび、壁には大きな鏡、番台がないことを除けば、日本の銭湯と変わることはない。

 ガラス戸の向こうには、大きな浴槽があり、みな裸で湯につかっている。もちろん、タオルを浴槽に入れるのが禁止であるのは、日本と同じだが、そこの人達は、タオルそのものを浴槽に持ち込まず、日本式の入浴ルールはかなり厳格に守られていた。彼等は手ぶらで大事なところも隠そうとはせず、湯船の周りを堂々と闊歩していた。洗い場には石鹸やシャンプーが置かれているが、タオルはないので、すべて手で洗っているようだった。

 湯は無色透明、日本で一般的なアルカリ単純泉だろうか。わたしはタオルを頭に載せて湯につかっていると、「日本人?}といって、人のよさそうな中年の男が話しかけてきた。彼は、北京語や日本語それに英語をとり混ぜて、いろいろな情報を教えてくれた。この温泉は宜蘭市営であること、新婚旅行で日本に行ったこと、、湯には水を加えていないこと、この温泉の近くには、雰囲気の良いクラブのような店があること、自分は郵便局長で、宜蘭市の第二支局にいるから、暇があったら遊びに来ないかなどと話してくれた。

 おかげで、退屈もせず、楽しい時を過ごせたわけだが、帰り際に郵便局長さんは近づいてきて、自分の名前をいってくれた。そういえば、わたし達は、初めての出会いではあるが、自己紹介もしていなかったのだ。彼の名前は、黄さん、宜蘭の郵便局にいると念を押していた。チャンスがあれば訪問したいと思った。

以上


武陵農場(2)

2013年04月28日 | 旅行

 武陵農場は高原のリゾート地、亜熱帯に暮らす台湾人にとっては絶好の避暑地になっている。3月の下旬、私たち家族はそこの宿泊施設に泊まった。

 施設は木造の平屋で、内部はフローリング、トイレとシャワー室が独立しているワンルームマンションタイプ、トイレの音は部屋中に響き渡り、居住性はあまり良くない。しかし、暖房用のエアコンがあり、窓も二重になっているので、やはりホテルというべきなのだろう。そこに、布団を川の字に並べて寝た。

 気になるのは宿泊費だが、四人部屋で、NT4,400(日本円で13,200円位)、2食付きだ。一人当たりは、日本円で3,300円は、ホテルのグレードからして少し高いような気がしたが、夕食や朝食などは、管理センターでのバイキングであり、多彩な中華料理があり、悪くはなかった。

 宿泊した翌日の朝7時、気温11℃、風はなく少し肌寒く感じだが、すがしくて気持ちがいい。鳥の声が多く、きれいなソプラノでよく響くのは、日本の野鳥よりは体長が大きいためであろうか。

 宿舎の前は、大きな庭園になっている。その一角には木立に囲まれた池があり、大きな錦鯉が泳いでいる。池のまわりには、桜の木があり、どこまでも日本風味だ。池には黒い白鳥(こういう表現はおかしいかな?もしかすると白鳥とは別の種類なのかもしれない!)がいるが、そういえば、この黒い白鳥は「福寿山農場」にもいたが、台湾にはこの種の白鳥が多いのかもしれない。池の中程に架けられた橋には、「中正亭」と書かれた額があり、どこまでも蒋介石が追いかけてくる。

 木立の中の休息所には、屋根つきの広告塔があり、そこには蒋介石とその妻の宋美齢の大きな写真が貼られており、二人は仲むつまじく椅子に腰をかけて、中華鍋で何かを炒めているように見える。クリスチャンに改宗した蒋介石は、アメリカ流にファーストレディを実に大切に扱っているが、アメリカの援助を引き出すためには、必要かつ効果的な手段であったろう。

 そして、ここにもと言いたくなるが、庭園の中央には、伝統的な長い中山服を着た蒋介石の立像があった。1976年建立というから、蒋介石が亡くなってから、1年後に建てられている。建てたのは、息子の蒋経国に違いない。

 その立像には「永懐思徳」と文字が彫られている。確か「福寿山農場」の立像にも同じような文字があったことを思い出し、調べてみると、あちらは「永懐徳澤」であった。少し違うが、同じような意味なのであろう、「その徳」を永く忘れないでほしいと、いいたいのだ。

 但し、「その徳」が何を意味するかについては、そう簡単ではない。蒋介石と共に大陸から渡ってきた外省人にとっては、蒋介石は命の恩人であろうが、昔から台湾に住んでいた人々にとっては、その反対であり、複雑な思いにとらわれるにちがいない。

 農場の中央にある道路に沿ってつくられた「杉並木」を歩いてみる。長さは100m足らずだが、日射しを遮り、涼しい風が流れる癒しの空間だ。並木道に建てられている説明文を読んでみる。1970年頃に吉野杉を移植したとあるが、杉並木の補修のため、日本から輸入して植えたのであろうか。種類は「柳杉」というらしく、日本、台湾、中国に分布しているとある。

 照りつける日射しを遮る並木道は、日本人が考える以上に、台湾人にとっては有難いものなのであろう。案内板には、この杉並木は、40年くらい経っており、散歩する人の心を和ませると書いてあった。

以上


武陵農場

2013年04月28日 | 旅行

 「武陵農場」は中央山脈の渓谷に開かれたリゾート施設だ。渓谷とはいっても標高は1700mから2200mほどあり、高原地帯に変わりはない。前に書いた「福寿山農場」から車で1時間くらいの距離にあり、ここもやはり、蒋介石の息のかかった国民党により開発された。「福寿山農場」が山の上ならば、「武陵農場」は高山を流れる川の近くにあり、二つの農場はそれほど離れていないことから、開発にあたっては、多少違った風景になるような場所を選んだと思われる。

 「武t陵農場」の所在地は、「台中市和平区平等里武陵路3號」となっている。この住所をみて考えるのだが、どうしてこんな山奥の土地に「和平区」などと名付けたのかと不思議に思うことがある。その理由は意外と単純、ここはかっては平和でもなければ、平等でもなかったからだ。

 この山奥はもともとは山地原住民の居住地であり、漢民族や日本人が来る前、何千年も暮らした彼等にとっての平和な山だったのでる。そこに異民族が侵入して、山地原住民の生活を脅かす。当然戦いがおこり、人が殺されて生活が失われて悲惨な時期があった。だからこれからはそんなことのない土地、つまり「平和で平等な」土地になるようにとの願いが込まれれているのだ。

 ちなみに、1930年(昭和5年)日本人134人が山地原住民に殺され、その報復として数百人の原住民が日本人の殺された、いわゆる「霧社事件」があった地域は、現在「仁愛郷」と名前がかえられている。事件が悲惨であればある程、新しくつけられた名前は、その事件に反比例して、崇高なものになるようである。台湾にはこのような理由でつけられた地名が多いような気がする。

 三月下旬の気温は昼間で17度くらい、そこかしこに植えられた桜が咲いており日本の関東地方のような季節感であろう。そして、ここにも「杉並木」がつくられており、「福寿山農場」の杉並木ほど長くはないが、蒋介石の好みが実現されている。

(続)


梨山

2013年04月16日 | 旅行

 梨山は中央山脈の中にある街だ。所在地は「台中県和平郷」、東西往貫公路の中間地点であり、そこから北へ行けば、宣蘭に出るし、南に行けば埔里にいける交通の要所だ。昔は、もっと栄えていたそうだが、今は地方の田舎町という感じ。標高は1700m位、山岳地帯のオアシスのような街で、険しい山道を通ってきた人にとっては、ほっとする場所であるようだ。

 その街の中で、ひときわ目立つ立派な建物が「梨山賓館」というホテルだ。伝統的な中国風の建物で、一見大きな廟か寺院のようにもみえる。台北にある円山大飯店をご存じだろうか、桃園空港から台北に近づくときに見える、中国風の屋根をもつ大きなホテルに驚いた人も多いと思うが、そのホテルを小さくしたような感じである。

 トイレ休憩で、ホテルの中に入ると、受付に流暢な北京語を話す日本人女性がいた。仲間に、日本人だから話してみれば、と言われて、話しかけると確かに日本人であった。仲間に聞いてみたが、彼女の北京語は大変きれいだという。彼女の名前はOさん、北海道の旭川の出身だという、もとOLだったそうだが、台北の大学の1年間語学留学をして、その後、縁があってこのホテルで働くことになったという。

 Oさんは親切にホテルを案内してくれた。この「梨山賓館」は蒋介石や宋美齢がそこを訪れた時の宿舎でしていたホテルで、蒋介石の執務した部屋は当時のままで保存されているし、また宋美齢が泊まっていた部屋は今でも営業用としてつかっているという。

 Oさんは、北京語や日本語を交えて丁寧に説明してくれた。歳は30歳位だろうか、その立ち居振る舞いに好感があり、このような日本人を見れば、日本を知らない外国人も日本を好きになるのではないかと思い、同じ日本人として誇りに思えた。

以上


福寿山農場(3)天池

2013年04月14日 | 旅行

 福寿山農場からさらに標高の高い地点に行くことができる。そこは「天池」といい、蒋介石の別荘「達観亭」がある。

 農場から天池までは約5km、そこにも「杉並木」がつくられている。そこを通って山頂の「達観亭」に行く蒋介石を喜ばせようという魂胆だったらしい。確かに日差しの強い台湾では、このような日陰は人の心に安らぎを与えてくれるだろう。

 天池とは、標高2,580mに自然に湧出した池のことだ。直径は20メートル位の円形の小さな池で、台湾で一番高い所にあるという。  季節は三月、気温は8度、夏でもそう高くはならないだろう。総統は、ここで静かにもの思いに耽ったらしい。建築されたのは、民国58年(1969年)蒋介石82歳の時だ。

 写真を見たい方は、福寿山農場の公式サイト(福寿山農場で検索)をのぞいてみればいいだろう。

以上