緋野晴子の部屋

「たった一つの抱擁」「沙羅と明日香の夏」「青い鳥のロンド」「時鳥たちの宴」のご紹介と、小説書きの独り言を綴っています。

一期一会というけれど

2023-02-18 17:43:08 | 時鳥たちの宴

つい先日のことです。ツイッターに思いがけない方から返信をいただきました。目

数年前に閉鎖されてしまったyahooブログのお友達で、ブログの閉鎖とともに音信不通になっていた方です。その頃のブロ友さんたちは、ごく一部の方を除いては、みんなどこかに散らばって行かれ、一期一会だなと思っておりました。

偶然私を見つけて声をかけてくださったのは、夢さんとお呼びしていた「夢追い人」さんです。「セイラさん」と懐かしい呼び名で呼ばれ、当時の空気が一気に蘇ってきました。ご縁のある方とは、また繋がっていくようです。ニコニコ

彼はあれからまた一冊出版し、この三月にもう一冊、新作を出すとのことです。夢を追い続けているんだなぁと、嬉しくなりました。さっそく彼の著書「遍路で辿るもう一つの伊豆」を購入し、Amazonにレビューを書かせていただきました。新作は「伊豆で宇宙の平和を願う」だそうです。

 

夢さんからは、私の「時鳥たちの宴」に次のようなご感想をいただきました。

本書を読んでいると直木賞を受賞した「青春デンデケデンデケ」が思い浮かびました。どちらも青春を題材にしており、読者はまぶしいばかりの青春を羨むが、主人公達はそのような実感はなく、悩み、苦しんでいるのに、どこが眩しいんだ、と主張している部分が共通していると感じました。

作者は、人の心のひだを、文章を使ってキャンバスに描き出そうとする画家を想起させます。しかも右手と左手を交互に使い分けて作品を描いている。

そして、時に、描いている作者自身がその中に登場する。しかし、それは実際の作者ではない。作者は作者にしか分からない方法で作品に登場している。どこに自身の実体験を投影させているのだろう? と、読者が描かれた絵の中に作者の姿を探しているのを、作者が楽しんでいる様子が目に浮かびます。

う~ん、夢さん、なかなか視点が鋭いではありませんか。笑

そうですね、作品は作者の投影ですからね。登場人物の誰かということではなく、あらゆるところに密かに登場している、と私自身も思います。

貴重なご感想を、ありがとうございました。 ショートケーキコーヒー

これを機に、また繋がったご縁を大事にしていきたいと思います。

 

限定販売の「時鳥たちの宴」は、出版社に、あと二十数冊を残すばかりとなりました。興味を持っていただけましたら、ぜひAmazonでお買い求めください。

内容紹介

ある日、三十歳になっている宮川遥のもとに、友人の大海豊から手紙が届きました。

遥は、大学時代に浮橋邸で催された「平安の宴」を思い出し、胸が小さく疼きます。あの七日月夜に、どこからか現れて、暗い竹林をさまよっていた黄色い蛍火……。その、魂を誘うような光の舞いを脳裏に浮かべてうるうちに、遥の意識は遠ざかり、記憶の奥に広がる、甘やかで異質な風の吹く世界へと引き込まれていきます。

そこは、国文学科の浮橋ゼミ。そこに集った若者たちに訪れた恋は、彼らに何を見せ、どんな痕跡を残したのか? そして、恋と愛のゆくえは?

青春純愛物語ではなく、男と女のドロドロ劇場でもない、一味違った恋愛小説です。

 

       

       


突然、訪れた介護

2023-02-12 18:34:38 | 空蝉

しばらくご無沙汰してしまいました。実は、昨年十二月、母が骨折で入院しました。

幸い軽くて、年末には退院できましたが、もともと膝が悪くて歩行が覚束なかったところへ、入院で筋肉が弱って、介護が必要な状態になってしまいました。それで、このひと月余り、初めての介護に奮闘していたというわけです。

今まで人様のお話は耳にしていましたが、なるほど介護って、自分でやってみると、ほんと!大変!! 😆 もう、腰や膝が痛くって、特に入浴の介助は大仕事です。夜中も二度トイレに付き添うので睡眠不足になり、わずかに空いた昼の時間が昼寝で潰れてしまいます。介護で最も辛いのは、自分の時間が無くなってしまうことだと、身を持って知りました。

 

お蔭で、母の骨と筋力は順調に回復してきて、今では一人でベッドから立ち上がり、部屋に付設したトイレに、なんとか一人で入れるまでになりました。シルバーカーに掴まれば庭を歩くこともできます。私もようやく、少しゆとりが出てきました。😊

と言っても、骨折の原因は膝が駄目になったことによる転倒です。昨秋、三度も転びました。

これまでは週に三日、母の家へ行って手伝いをしてきましたが、もう、一日も一人にはしておけず、何かと眼の離せない状態になってしまいました。

 

昨秋、転倒する前に、母自身が、あれだけ愛していた畑を、「もう、やれん。これでお仕舞いにする」と言いました。私は、(何を言ってるのよ。来年の春になったらまた、やると言うに決まっているのに)と思いましたが、母には自分の体の限界が分かっていたんですね。🥲

母の入院中に、私は畑に残っていた菜や里芋、大根などを残らず掘り上げて、大事に我が家に持ち帰りました。今までは、貰っても時々腐らせていた野菜が、とても愛しく大切なものに思われて、ほんの小さな芋でも、皮をむくのが面倒でも、けっして捨てずに調理しました。

 

いつかは来ると思っていたその時が、突然やって来ました。また、新しい生活の始まりです。

夜空の星を見上げながら、「なんとか乗り越えられますように。僅かでも自分のことを続けていけますように」と、私だけの守り神様に祈っています。🙏