あ~、経理の仕事がやっと片付きました。 (肩コリコリ)
あとは2月に提出するだけ。まだ休みが2日残っていて嬉しい♪私です。
今のうちに記事の一つも書いておかなくちゃ。 ということで、さて、きょうは何を書きましょうか?
そうそう、経理をサボって映画「ノルウェイの森」を観ました。
だめですね。 やっぱり、小説を映画にするっていうのはだめだなあと思いました。
小説を映画化したもので映画のほうがいいと思えたものはまだありませんが、中でもこれは良くない方じゃないでしょうか。
と言っても、役者さんの演技とか場面の撮り方のせいではないと思うのです。人物の個性はよく表現されていましたし映像自体は良かったように思います。
そうではなくて、原作の描かんとするものが画面には収まりきらなかったのではないかと感じました。
実は私は原作を読んでいません。読んでいない私が見ると、この映画は腑に落ちない所が多いのです。
「ゲド戦記」を観た時の失望ほどではありませんが、それに似たものがありました。
この作品にはいくつかの不可解な愛が描かれています。
最愛の恋人に対して性的に反応できなかったR子。にもかかわらず、友人だった主人公のA男とはうまくいく。それでも自殺した恋人を忘れられずに死者を求め続ける彼女にとって、愛とはどういうものだったのか?
A男は、自殺した親友の彼女だったR子を愛するようになったのですが、それはどういう愛だったのでしょう?
不意に取り残された者同士の心の傷の共鳴? 恋人を失ったR子への同情が愛に変わった?
それとも、亡き親友の彼女だったということに何か特別な心因があったのか?
A男は映画の中で何度も「A君は優しい人でしょ」と女性たちから言われます。彼は優しいのでR子を愛し、彼は優しいのでM子を理解しようとし、やがて愛を感じる。彼は優しいので唐突に「抱いて」という女性S子も拒まない。そして愛に迷う。
「僕は今、どこにいるんだろう?」というA男の最後の台詞は効いていました。
最後のS子の行動は、過去の愛に何かあったのだろうとは想像させますが、なぜA男に「抱いて」になるのか、まったく不可解なままで、あまりに唐突すぎます。
また、どんな女性にも心を渡すことはせず、次々と新しい女性と関係するB男。彼も不可解な男性です。そんなB男を、それでも愛さずにはいられないK子の愛も、また不可解。
男女の愛は不可解なもの、そんなこともあるさと言ってしまえばそれまでですが、しかし、それではあまりに上滑りな作品ということになってしまいます。読む者がそれぞれの愛を考える手がかりになる事柄が、原作にはきっと何か表現されていたはずだと思うのです。それが映画の中には見つかりませんでした。
何かがごっそり抜け落ちてしまっているような気がするのです。R子の恋人はなぜ自殺したのか? 幼馴染でいつも一緒だったその恋人とR子とA男、三人の心理的関係はどうだったのか、愛以外の要因が何かあったのではないか? そのあたりが見えてこないと、どうも全体がはっきりしないように思います。
白黒の雪の森をさまようR子の姿は彼女の心の世界をよく表現していると思いました。「ノルウェイの森」のイメージに合っている気はしましたが、でも、それだけではこのタイトルにした理由が今一はっきりしません。
もっと奥に何かありそうなのに、大事な所に手の届かない歯がゆさばかりを感じる映画でした。
やはり、小説は「小説」という表現分野でしか十分に成立し得ない芸術なのではないでしょうか。
そんなことを思いました。それとも、私の鑑賞力の無さのせいかもしれませんが・・・。
などと書いていましたら、早、半日が過ぎてしまいました。お休みは明日までです。せっせと遊ばなくっちゃ。
外は朝から ちらほら雪世界。熱いお茶でも飲みながら今からビデオで「ロスト」を観ます。 では、また。
( A男のような優しさを持った男性は恐い 緋野 )
あとは2月に提出するだけ。まだ休みが2日残っていて嬉しい♪私です。
今のうちに記事の一つも書いておかなくちゃ。 ということで、さて、きょうは何を書きましょうか?
そうそう、経理をサボって映画「ノルウェイの森」を観ました。
だめですね。 やっぱり、小説を映画にするっていうのはだめだなあと思いました。
小説を映画化したもので映画のほうがいいと思えたものはまだありませんが、中でもこれは良くない方じゃないでしょうか。
と言っても、役者さんの演技とか場面の撮り方のせいではないと思うのです。人物の個性はよく表現されていましたし映像自体は良かったように思います。
そうではなくて、原作の描かんとするものが画面には収まりきらなかったのではないかと感じました。
実は私は原作を読んでいません。読んでいない私が見ると、この映画は腑に落ちない所が多いのです。
「ゲド戦記」を観た時の失望ほどではありませんが、それに似たものがありました。
この作品にはいくつかの不可解な愛が描かれています。
最愛の恋人に対して性的に反応できなかったR子。にもかかわらず、友人だった主人公のA男とはうまくいく。それでも自殺した恋人を忘れられずに死者を求め続ける彼女にとって、愛とはどういうものだったのか?
A男は、自殺した親友の彼女だったR子を愛するようになったのですが、それはどういう愛だったのでしょう?
不意に取り残された者同士の心の傷の共鳴? 恋人を失ったR子への同情が愛に変わった?
それとも、亡き親友の彼女だったということに何か特別な心因があったのか?
A男は映画の中で何度も「A君は優しい人でしょ」と女性たちから言われます。彼は優しいのでR子を愛し、彼は優しいのでM子を理解しようとし、やがて愛を感じる。彼は優しいので唐突に「抱いて」という女性S子も拒まない。そして愛に迷う。
「僕は今、どこにいるんだろう?」というA男の最後の台詞は効いていました。
最後のS子の行動は、過去の愛に何かあったのだろうとは想像させますが、なぜA男に「抱いて」になるのか、まったく不可解なままで、あまりに唐突すぎます。
また、どんな女性にも心を渡すことはせず、次々と新しい女性と関係するB男。彼も不可解な男性です。そんなB男を、それでも愛さずにはいられないK子の愛も、また不可解。
男女の愛は不可解なもの、そんなこともあるさと言ってしまえばそれまでですが、しかし、それではあまりに上滑りな作品ということになってしまいます。読む者がそれぞれの愛を考える手がかりになる事柄が、原作にはきっと何か表現されていたはずだと思うのです。それが映画の中には見つかりませんでした。
何かがごっそり抜け落ちてしまっているような気がするのです。R子の恋人はなぜ自殺したのか? 幼馴染でいつも一緒だったその恋人とR子とA男、三人の心理的関係はどうだったのか、愛以外の要因が何かあったのではないか? そのあたりが見えてこないと、どうも全体がはっきりしないように思います。
白黒の雪の森をさまようR子の姿は彼女の心の世界をよく表現していると思いました。「ノルウェイの森」のイメージに合っている気はしましたが、でも、それだけではこのタイトルにした理由が今一はっきりしません。
もっと奥に何かありそうなのに、大事な所に手の届かない歯がゆさばかりを感じる映画でした。
やはり、小説は「小説」という表現分野でしか十分に成立し得ない芸術なのではないでしょうか。
そんなことを思いました。それとも、私の鑑賞力の無さのせいかもしれませんが・・・。
などと書いていましたら、早、半日が過ぎてしまいました。お休みは明日までです。せっせと遊ばなくっちゃ。
外は朝から ちらほら雪世界。熱いお茶でも飲みながら今からビデオで「ロスト」を観ます。 では、また。
( A男のような優しさを持った男性は恐い 緋野 )