緋野晴子の部屋

「たった一つの抱擁」「沙羅と明日香の夏」「青い鳥のロンド」「時鳥たちの宴」のご紹介と、小説書きの独り言を綴っています。

七回忌とダイヤモンド婚式

2013-05-29 21:44:39 | 空蝉
家族が多いと必然的に家族行事も多くなるものですが、それぞれの生活の都合があって、親族が一堂に会す

るのはなかなか困難なものです。 ということで、26日の日曜日は、祖父の七回忌と両親のダイヤモンド

婚式を同日開催することとなり、両親と、我々姉妹と、その連れ合いと、その子と、子の子で、総勢17名

が両親の家に集まりました。 

姉一家は前日から来て宿泊するというので、跡取り娘の私は大忙し。 両親の家から車で40分ほど離れた

所に住んでいますし、仕事も持っていますので、布団を干しに行くことができません。

(母にはもう無理です)

姉は 「干してなくてもいいよ」 と言うのですが、姉の娘婿までおいでになるとあってはそうもいきません

ので、我が家の布団を一週間前に運んだり、献立を考えたり、二人のベビーにおもちゃのプレゼントを用意

したり。 もちろん法事の用意もありました。 お墓と仏壇を掃除して、お供え物に花、仕出し料理、飲み物、

フルーツ、引き物、湯飲みやお椀などの食器、テーブル、座布団、お寺に持って行く物・・・等の用意。 

準備だけでかなりハードなんです。

前日の夜は姉一家を迎えて料理に腕を揮いました。 なんてウソで、お刺身に頑張ってもらって、あとは簡

単なものばかり作ったのですが、それでも7人+1歳児の食事の用意はそう楽ではありませんね。

みんなの布団を敷いてから家に帰る頃には、明日をのりきれるだろうか? と不安になるほど疲れていまし

た。

それでも今回の法事は我が家で会食した後、みんなでお寺へ行って拝んでいただきましたので、家で行うよ

りは楽でしたし、祖父の位牌の前で、一族が心置きなく思い出や近況を語り合うことができました。 

それから戻ってお墓に参って七回忌は終了です。あとはまた家でお茶しながらのお喋り。

と、その時、さて、さて、さて、のサプラ~イズ!

喪服を脱いで寛いでいるみなさんの前に登場したのは、なんと、ブルーのドレスにティアラをつけて、真っ

赤なバラのブーケを手にした81歳のお母様! そのあと、「いったい何なんだ?」 とばかりにやや抵抗し

ながら登場した蝶ネクタイのお父様! 85歳です。 知らされていなかった参会者たちもビックリ!

「ダイヤモンド婚式、おめでと~う!」 と拍手の渦がわくと、カメラのフラッシュラッシュ。

まるでテレビで見るスターの結婚記者会見のような有様となりました。 恥ずかしがりながらも嬉しそうな

母の表情が胸に染みます。初めは 嫌そうにしていた父も、「父さん、60年も一緒に来たんだね」 と言葉

をかけると、「うん」 と頷いて、少し目が潤んでいました。 ふたりにナイフを入れてもらったケーキをみ

んなでいただいて、幸せな気持ちになりました。ダイヤモンド婚式を準備してくれた二人の妹たちに感謝。

こうして、緋野家のにぎやかな家族行事は無事に終わりました。 

翌日、私は疲れから半分死んだようになっていました。「こんなにたいへんなことはもうたくさん」という気

持ちと、家族の笑顔が揃った幸せな気持ち、いったいどちらが大きいのだろう? とぼんやり考えていました

が、答えの出せない私でした。


愛の孤独

2013-05-20 18:22:33 | 空蝉
    
                   「 たった一つの抱擁 」 緋野晴子 (文藝書房)
   


井上ひさし氏の 「愛は時を喰う」 から引用させていただくと、

『心理学者によれば 「愛する」 とは 「しっかり結びついて片時も離れずいっしょに生活したい、と願う心」 だそ

うだ』 ということなので、そうしてみると私の結婚も、「片時も」 のあたりに若干の不安はあるものの、まあまあ

愛ある結婚だったということになりそうだ。 この定義によれば、利己か献身かは問題視されていないから。


富岡妙子氏も、 『人間が、愛するなんていってもタカのしれたことで、愛することはもともとモノスゴイことでは

ないのかもしれない』 と、おっしゃっている。(「アイスル・アイシナイ」 より)  

そしてまた、『おそらく愛するにんげんといっしょにいると、愛していると思っているのに、あまりにその人間を

愛していないのに気がづいてサミシクて気が狂いそうになるのではなかろうか』 とも。

これは異性のパートナーを持つ人なら誰でも、いつかどこかで経験したと、思い当たることのある言葉ではな

いだろうか。 「愛されていると思っていたのに、愛されていなかった」 と相手に言われた経験に置き換える

ともっと分かりやすいかもしれない。

愛がそんなにモノスゴイことではないにしても、「しっかり結びついて片時も離れず」 にいたいと願うのが愛

ならば、願ってもそうはなれない孤独という苦悩が、愛には常につきまとうのだろう。


モーパッサンも 『男女の情熱が、快楽が、最高潮に達した時、各々は最も利己的であり孤独である』 と意味

深なことを言っている。しっかり結びついて離れずにいたいということは、他人と合体したいという欲求であ

り、恋をしてそうなれるかもしれないという夢を見たのに、結局そうはなれないことに気づいてしまうわけで、

そこに恋愛の悲哀がある。 愛し合う二人は、愛し合う前よりも強い孤独感に襲われることがあるのだ。


そういう意味で、福永武彦氏が 「自覚」 の中で愛について述べておられることは、たいへんに頷ける。

適当な部分的引用ができないので要約してみる。

「つまり、愛する者は自己を忘れてしばしば盲目的に行動するが、しかし人間の魂は決してそれだけで充たさ

れるものではない。決して自己を忘れることはできないし、また忘れたからといってその愛が美しいとは限ら

ない。自己の孤独を忘れて愛するという場合、その愛は単に孤独からの脱出であり、結局は相手の孤独をも

無視するということで、そういう所有欲は、相手の意識を占領したいというエゴイズムの間違った現われで

あり、はたして愛と呼べるかどうかも分からない。

愛とはすなわち、相手の魂(孤独)を所有し、癒し、埋めようとすることに他ならない。それによって自己の孤

独が救われるようなものではない。むしろ愛すれば愛するほど自己の孤独は意識され、孤独の持つ中毒作用

によって様々な忌まわしい情熱、- 嫉妬や、疑惑や、不安や、怒りなどを、同時に呼び起こすだろう。

いかなる場合にもエゴが働くのが人間であり、そのエゴのために愛はしばしば苦しく、痛ましく、醜いものに

変わったとしても、それは愛する者が人間であることの証拠にすぎない。

したがって、人を愛するならば、自分の孤独を深める危険をおかす覚悟を持ってせよ。」

というもので、なるほどと感服してしまった。 私は覚悟が足りなかったようで、だいぶ孤独の毒にあたってし

まったかもしれない。


佐藤春夫氏が、親友の谷崎潤一郎氏の奥さんを娶った話は有名だけれど、氏は 「恋愛至上かもしれない」

の中でこう言っておられる。

『少年少女に告ぐ、恋愛とはくれぐれも面白をかしいものではない。やつて見給へ』

私は恋は自覚できなかったが、愛はいくぶん分かる。 そのとおりだと思う。


私も母だったんだ

2013-05-13 21:42:54 | 空蝉
まだ大学生の末息子が、無理して母の日にとプリザーブドフラワーを送ってくれました。

プリザーブドフラワーとは、生きた植物の樹液を有機保存液に置き換えたもので、保存状態がよければ1年

でも枯れずに美しいままでいるのだそうです。 長く楽しめますが、そのぶんお値段が高い。

長男と違い、いつでも自分のことで頭がいっぱいで、甘えてくることはあっても、私の誕生日も母の日も忘

れていたような子が、いったいどうしたことでしょう。 すっかり驚いてしまいました。

息子は来年卒業です。 ・・・・・社会人になってお給料をもらえるようになってからで良かったのに。

生活費ぎりぎりの送金しかしていないのに、どうやって花代を捻出したのだろう? ちゃんと食べたのだろう

か?・・・・

嬉しさの裏で心配も大きく膨らみ、ありがたくも切ないような気持ちになった私です。

息子の気持ちが嬉しくて、さっそく写真を撮ってみました。 写真で見るとあまり分かりませんが、カーネ

ーションの色合いが微妙に違うんですよ。

ちなみに長男夫妻は、伝い歩きを始めた孫君をつれて母の日プレゼントを届けに来てくれました。 

私にとって母の日といえば、長い間、自分が母や義母に感謝してプレゼントをする日のことでした。 

義母はもう亡くなり、母も欲しいものはもう何もないから来てくれるだけでいいと、プレゼントを固辞するよ

うになりましたので、近年はささやかな花とお弁当を持って行くだけです。 

いつの間にか時は移り、自分が母の日の感謝を受けるようになったことを思うと、感慨深いものがあります。

15歳の冒険

2013-05-09 13:49:45 | 空蝉
恋少なすぎる女にも、男性とのエピソードが何もなかったわけではない。 振り返ってみると、 私の身辺に

現れ、袖擦りあうも他生の縁で過ぎていった人は案外少なくないものだ。

15歳になった年の秋、私は生まれて初めて男の子というものとの付き合いをした。 私の入った高校の演劇

部は体育館の舞台袖の2階部分を部室にしていた。 ある日、部活を終えて帰ろうと体育館脇を歩いている

と、突然、目の前に立ちはだかるバスケット部のユニホーム。 え? 何? じゃまな人、と思った瞬間、

手紙を渡された。

電車に乗ってから読んでみると、付き合ってほしいという内容だった。 さあ、困った。 部活の行き帰りに

ちょくちょく見かける人だったので、まったく見知らぬ人というわけでもなかったけれど、もちろんほとん

ど知らない人。 どうも上級生のような気がした。

困り果てた私は母に相談してみた。すると、

「うちは女の子ばかりだから、それも勉強。お付き合いしてみたら?」と言うので、かなりの勇気がいった

けれど付き合ってみることにした。


最初のデートは豊橋だった。 同じ電車に乗り合わせ、到着までの30分間ほど、時々話しかけられては時々

返事をして、ずいぶん窮屈な時間を過ごした。 豊橋に着くと、行きたい所があるかと聞かれ、「特に無い」

と答えると、相手もどういう当ても無かったらしく、しばらく街中をぶらぶら歩いて、それから喫茶店に入

った。これが大いなる冒険だった。当時は高校生が喫茶店に入るのは禁止だったし、もとより私の家の近辺に

は喫茶店などという洒落たものは一つも無かったから。 喫茶店などに当たり前のように入るとは、この人は

もしかして不良だろうか? とドキドキしたのを覚えている。私は躊躇いを覚えたけれども、「それも勉強」

と言った母の言葉に勇気づけられて入ってみることにした。

何を話したのだったろうか? 相手は自分の人生の悩みのようなものを話し、私はただ聞いていて、向こうが

私に何かを質問するとそれに答える、そんな感じだったと思う。 ただ、「君にはまだ分からないと思うけど」

という相手の口癖と、そう言う時の優越的な表情が記憶に残っている。 彼は3年生だった。

それからまた二人で電車に乗って、ほとんど何も話さずに帰った。 私はもともと口数が少ない上に、前記事に

書いたように哲学病の最中だったからますます無口で、向こうもお喋りな人ではなかったのだと思う。

その日のことは、初めて入った喫茶店というものの印象が最も強烈だった。 知らない空間を見たことは、確か

に勉強になった。


それから手紙だけのやりとりが数回あって、2度めのデートは他校の文化祭だった。 この時私はすでにお付

き合いの無意味を感じていたけれど、付き合いというものは始めるに易しく終えるに難しいもので、 面白い

とは思えなかったのに出掛けていった。 それにしても、この時はまあ、いかにも馬鹿げていた。

当時はゴーゴーというダンスが流行っていて、あるクラスの企画がそれだった。入ろうと誘われたけれど、私

は嫌だったので他の展示を見て回ることにし、彼は入るということになった。

ところが約束の時間になっても彼はいっこうに出てこない。 展示に興味も湧かず所在ない私は、ゴーゴー教

室の前で一時間も立って待っていた。 やっと出てきた時の彼の弁はふるっていた。

「ごめん。君がいるのを忘れてしまってた」

その夜、私はこれ幸いと、無意味なお付き合いを終えるための手紙を書いた。 彼はその日のことを謝って、

何度かお付き合いの継続を申し出たけれども、私は固辞して、どうやらこうやら終わることができた。


この初めてのお付き合いから私は何を学んだろう?

・彼がこの無口で無愛想な女の子に求めていたものは何かということ。 それはただ、自分を分かって認めて

(尊敬して)ほしいということではなかったかということ。

・付き合いは勉強でするものに非ず。 始めるは易く、終えるは難し.。ということ。

・喫茶店というもの

の3つだけだった。 だいたい母に相談したのが間違いだった。 一度の男性との付き合いも無く、二十歳で

嫁いでしまった母は、自分自身がいろんな男性を知ってみたかったのではなかったろうか。

15歳の無謀で滑稽な冒険だった。


恋少なすぎる女

2013-05-03 21:23:36 | 空蝉
「恋多き女」 とはよく耳にするけれど、私の場合は 「恋少なすぎる女」 だろう。

私には男女の愛がよく分からない。 恋はもっと分からない。

「って、あなた、すでに結婚して二人も子どもを産んで、その子育ても終わった頃になって今さら何ですか?」

とつっこまれそうだけれど、現実にそうなのだからしかたがない。 だいたい世間において結ばれた男女のうち

のどれほどが、自分たちの愛の中身を自覚しているだろうか? 韓国ドラマに出てくる愛し合っているらしい

カップル、自分の相手への愛に寸分の疑いも持っていそうにないカップルを見ると、ほんとうに羨ましいと思

う。こうした正真正銘の相思相愛は、現実にもあることなのだろうか?


ここで、誤解のないように書いておくことにしよう。 私はたぶん夫を愛していると思う。 彼の不幸を見過ごし

にはできないし、もし崖から転落しそうになったなら、助けられるかどうかを考える前にその手を掴むだろうと

思う。 自分はきっとそうするだろう、という想像ができるようになったのがいつからだったか、はっきりとは

覚えていないけれど、そういう想像ができるようになったことに私は心からほっとしている。 結婚する前は、

そういう想像をすることが怖かった。 確かに愛しているという自信が持てなかったのだ。

愛の自覚もないままに結婚した私は責められるべきだろうか。 けれど、愛を自覚することは私にはとても難し

いことで、だから私は戸惑いながらも、愛の代わりに 「この人と一緒に生きていきたい」 という気持ちに従っ

て結婚することにしたのだった。 もしも彼に愛を要求されていたら、この結婚は無かったろうと思う。

彼は私に対してとても熱心だったけれど、彼もやはり、愛という言葉は使わなかったように記憶している。

私は今も、夫が私を愛しているのかどうか知らない。


「恋少なすぎる女」 だったと言った。 確かに。 けれど、そう言い切ってしまうと、え? ほんとうにそうだ

った? という気もしてくる。 たぶん少し違う。 恋の心は常にあって、それが実体に向かわない恋だったとい

うだけだ。中学1年生の冬、私は人生最初の危機を迎えていた。 哲学病に罹ったのだ。 それから十代の終わ

りまでかなり強烈に罹患していた。それまでの信念や自信がすべて吹き飛び、価値意識が揺らぎ、夢や希望

は消滅し、正誤・善悪すべてが懐疑の闇に飲み込まれてしまった。 青春は明るいイメージで語られることが多

く、事実、明るい青春を過ごした人は多いのかもしれないけれど、 私の青春は、暗くて辛くて寒かった。

頭の中が哲学的悩みでいっぱいで、現実の恋をするほどのゆとりがなかったような気がする。

それでも心の中に恋はあった。 寒さを温めてくれる架空の恋人が常にいた。私が相手を愛しているかどうか

などは考える必要がなく、相手の気持ちを疑う必要もなく、絶対的に私を愛してくれる恋人だった。

彼は、実は今でも私の胸の奥深くにいる。


二十代に入ってすぐ夫に出会い、恋という意識のないまま5年間彼とだけ付き合って、そのまま結婚してし

まった私は、だから恋愛というものには、ほんとうに疎い。 恋とか男女の愛とかいったものの本質がどん

なものなのか、それを理解することなく生涯を終えてはならない。それではあまりに残念だ。

といって、今さら本物の恋をすることも望まない。どういう愛かは分からないにしても、とにかく夫に愛

を持っているのだから、恋などしたら悲劇にしかならないだろう。 よって私は、恋愛という私の人生の未

解決の課題を、小説で追求してみたいと思っている。 無謀だろうか?