緋野晴子の部屋

「たった一つの抱擁」「沙羅と明日香の夏」「青い鳥のロンド」「時鳥たちの宴」のご紹介と、小説書きの独り言を綴っています。

なかなか

2016-04-26 16:47:38 | 千里の道
出版の決まった新作 「青い鳥のロンド」 ですが、出版社さんの事情でなかなか飛び立ってくれません。

同じ出版社さんから出された本でテレビで紹介されたものがあり、それがブレイクして、受注への対応やらサ

イン会の開催やらで忙しいようです。小さな出版社さんですのでスタッフが少なく、編集長自ら動かなければ

ならないようで、電子書籍化の仕事も山積し、私の作品の前に手掛けていたものも何点かあり、それらが停

滞してしまっているとのことです。つまり、順番待ちです。

いつ頃の出版になるとまだはっきり言える状況ではありませんので、新作を待っていてくださる方にはたいへ

ん申し訳ありませんが、もうしばらくお待ちくださいね。

私自身は、もう少し手を入れられるかな? などと性懲りもなく思ったりして、ちょっと嬉しかったりしています。

そのくせどう書き直せば良くなるのか迷うばかりですし、これ以上直すところはないと自信を持って言えるよう

な出版でないとダメだとは思うんですけどね。 なにしろ、作品として自分の手を離れたとたんに、「ああ、もう

少し芸術的に書けなかったものだろうか」 とすぐに後悔して、出版を取りやめたくなるような未熟者なんです

から。 笑ってください。

このごろ、書くこと、発表することが、怖くなってきました。

想定外

2016-04-19 18:07:36 | 空蝉
想定外の地震が九州全土、四国、中国地方の一部にまで及んでいます。

新しい耐震基準を満たした住宅でも、本震級の大きな地震が何度も畳みかかってくるのでは、耐えようがあり

ません。

「想定外」と人間は言いますが、自然というものは、もともと人間の想定など遥かに及ばないものではないでし

ょうか。私たちは現代を科学が高度に発達した時代だと思いこんでいます。でも実際は、人間が知ることので

きた範囲など、まだほんのわずかに過ぎないのです。私たちは自らの依って立っているこの地面のことすら、

ほとんど分かってはいないのですから。 今回の熊本・大分地震はそれを教えているように思います。謙虚に

ならなければなりません。


鹿児島県には川内原発があります。今も稼働しています。そして、九州はその昔「火の国」と呼ばれたほど、

大きな火山のある島です。 想定外に連発する大・中地震の報を聞くにつけ、不気味で、考えたくないことを

想像してしまいます。3・11のトラウマかもしれません。 けれど、それを誰が被害妄想だと笑えるでしょう

か。笑えるほどに自然を分かっている人など、けっきょく一人もいないではありませんか。専門家という人たち

が、(その努力は尊敬と感謝に値するとしても)大自然に対して未だ頼りない存在であることを、私たちはもう

十分見てきたはずです。特に原発に関しては、様々な利害からか、まちまちな判断がなされています。

地盤や火山の活動を止めることはできません。けれど、原発を止めることはできます。停止・冷却中でも安全

とは言えませんが、稼働中よりも、もしもの時の対処は有利になるはずです。


決定権を持つ人たちに心からお願いします。

謙虚になってください。自然を侮ると取り返しのつかないことになります。

「まあ、だいじょうぶだろう」ではなく、地震が終息し、火山活動にも大きな影響なしという判断がきちんと出るま

で、ひとまず原発を止めて、もしもに備えてください。

近くに大地震が起こった時にそういう対処をすることも、安全基準に入れるべきではないでしょうか。

ことが起こってしまってから、「想定外でした」 などという言葉は、原発にはもう通用しません。



被災地の皆様、どんなに恐ろしく、悲しく、またお疲れのことでしょうか。お察しいたします。

けれど、どうか負けないで、頑張ってください。 

遠方からですが、できるだけの支援と祈りだけは送らせていただきます。

早く地震が終息し、安心して眠ることができるようになりますように。 

渇きや空腹が解消されますように。 

避難生活が早く終わりますように。

歳をとるという焦燥

2016-04-13 12:08:39 | 空蝉
先月、さくらんぼの花が咲くころに誕生日を迎えた。 「おめでとう」と言葉をかけられて、なんだか居心地の悪

さを感じている私がいた。 またもう一年、歳を重ねてしまったかと思う。

この世に生まれ出るということは奇跡に近いほど珍しいことで、生まれ出たお蔭で、驚きに満ちたこの世界を見

ることができ、山あり谷あり、花あり嵐ありの冒険ができるのだから、誕生ということ自体は確かにめでたいこと

に違いない。 とは思うものの、「おめでとう」と言われて、体の芯のほうからじわじわ押しよせてくる、この焦燥

感はいったい何だろう?  自問してみる。


それは、どうやら老いることではないようだ。 老いに対して焦燥を感じたのは、もっとずっと若くて綺麗な頃だっ

た。そして今は、残りの人生が短くなることにも、恐れや焦燥を感じてはいない。生き物に与えられた有限な時

間を、素直に受け入れる心の準備はある。 だから、それはたぶん、過ぎていく時間の中身や密度の問題では

ないかと思う。

小さい頃、私はこの世界に生まれて、きっと何かいいことができると思っていた。 私が生まれてきた意味もそ

こにあるのだろうと思った。 ところが現実は、ただこの世界の片隅に生きているだけで精一杯で、他にどんな

いいことができたという実感もない。 「ただ生きているだけ」というその中身にしても、生きている喜びや楽しさ

を心から味わった時間が、いったいどれだけあったろうか? ああ、幸い二つ三つは、思い返せば思い浮かぶ

情景もあるけれど、日々の大半は日常のやりくりと、将来への備えのために「我慢」ですり潰してきたのではな

かったか。

我慢も悪いばかりではないだろう。 それが誰かの役にたっているならば、その我慢には意味がある。

今改めて数え上げてみると、私という存在がいなくなって困る人は、この世に四人。 そのたった四人だけが、

今のところ、私の生の意味を支えてくれている。 はて? では私は、私を必要としてくれる人が四人しかいな

いことを残念に思っているのだろうか? 私の存在が、もっと多くの人々にとって価値あるものであってほしい

と? いえ、いえ、そうではないだろう。 誰かの役に立っていると思えるのは嬉しいことで、それが多ければさ

らに嬉しいだろうとは思うけれど、それはやはり私の一番の望みではない。


私は、ほんとうは他人に依らない、私自身の内から発する、私の魂の喜びに繋がるような生の意味がほしかっ

たのだ。 そうだ。 そして私は小説を選んだ。 小説でいい。 小説で間違いないと思う。

だから、今分かった。 歳をとることへのこの焦燥は、つまり、小説が思うように書けていないことへの焦燥だっ

たのだ。

自分の「小説」を見つけたい。 会心の一作を仕上げたい。 そういう思いが小さな泡粒のように、体の底からじ

りじりと立ちのぼってくるのが分かる。

いつの日か、私は何の焦燥も伴わない、ひたすらにめでたい誕生日を迎えることができるのだろうか?

できるとしても、その日はまだまだ遠いな。 

どんなに遠くても、その日を目指して歩き続けることしかできないのだけれど。


桜の如き浪漫主義の文学

2016-04-06 21:35:29 | 文学逍遥
桜が、はらはらと散り始めています。 さあ、この桜がみんな散ってしまわないうちに、遠い日の文学のことな

どに思いを馳せてみましょうか。



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  清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みな美しき

と詠ったのは、人も知る、与謝野晶子。

  やわ肌の熱き血潮に触れもみで寂しからずや道を説く君

これもまた、人口に膾炙している彼女の歌。彼女の大胆な恋愛賛歌に胸がときめくのは、当時の若者たちだ

けではないだろうと思う。けれど、封建社会の因習・感覚を引きずっていた明治という時代にあっては、それ

らの歌がどんなに革命的に響いたことか、当時の人々の心の震え・血潮のたぎりは想像するに難くない。


明治20年代半ば、文学は北村透谷によって、「現実の模写」を超えて宇宙の精神につながる 「想」の世界に

開かれ、自由になった作家の精神は、文学の中にのびのびと自我(感情)を開放し、恋愛や自然・異国・古代

への憧憬といった抒情的作品を生んでいった。 それがつまり、明治30年代に一世を風靡した浪漫主義だ。

泉鏡花・国木田独歩・高山樗牛といった小説家にも浪漫主義の傾向は窺えるけれども、浪漫主義が抒情を旨

とする性格上、その表現土壌は詩歌のほうが適していたようで、代表的作品・作家は詩歌の世界に多い。

浪漫主義のベスト3は、与謝野晶子・島崎藤村・土井晩翠 だろうか。

高村光太郎・石川啄木・北原白秋・木下杢太郎・田山花袋 なども初期には浪漫主義に足を浸していたようだ

が、やがて様々な文学的潮流にさらされて、各々の資質にふさわしい表現形式に落ち着いていく。

島崎藤村も、浪漫詩を書いたのはごく初期の数年にすぎなかった。けれどもその数年に、「若菜集」「一葉舟」

「夏草」「落梅集」と相次いで出版し、日本近代詩の黎明を告げる詩人となっている。 


しかし、日清戦争(明27)後の社会の動揺と、日露戦争(明37)による混乱、社会主義運動の興隆といった現

実は、人々の目を否が応でも浪漫的夢想から現実の生そのものに向けさせていくことになったようだ。深まる

社会問題の中で、妻子を抱えた浪漫詩人たちも現実と向き合わざるをえなかったのだ。そのころ輸入紹介され

たゾライズムをきっかけに、日本文学は自然主義へと急転回し、日本式自然主義というものが築き上げられて、

その後永く文壇に君臨することになる。 藤村も自然主義の風が吹き始めると詩筆を折り、その後は自然主義

の小説家として再生していった。

そうしてみると、浪漫主義はわずか10数年の間、人々の魂を狂おしく魅了して、自然主義の風に儚くも散って

いった、まるで美しい桜のような文学だったではないかと思う。

けれど、浪漫主義は散り去ったからといって、その残された作品の価値が無くなったわけではない。どころか、

彼らの謳いあげた詩歌は、その後の長い歴史の風雪に耐えて人々の心に生き続け、現代においても知らぬ人

のないほど親しまれているのだ。

  島崎藤村 (初恋)

     まだあげ初めし前髪の
     林檎のもとに見えしとき 
     前にさしたる花櫛の
     花ある君と思ひけり
     やさしく白き手をのべて
     林檎をわれにあたへしは
     薄紅の秋の実に
     人こひ初めしはじめなり

 なんという、やわらかく、優しく、快い響きを持った詩だろう。そして、みずみずしい生命感にあふれている。

  土井晩翠 (荒城の月)

     春高楼の花の宴
     めぐる盃かげさして
     千代の松が枝わけ出でし
     むかしの光いまいずこ

 叙事詩的で、漢詩ふうの哀調がなんとも美しい。詩句に従順につけられた曲のメロディーが耳に蘇る。

こうした浪漫詩は平成の今においても、私たちの胸底深くに潜んでいる、人間の魂の生き生きとした躍動や、美

への憧憬を呼び覚ましてくれる。

ただ、その感動は、封建の楔から人々の魂が解き放たれたという、古き良き時代のものであるからこそ、我々

に訪れるのであり、現代作家が、いささか解放されすぎた感のある現代社会において浪漫作品を書いたなら、

きっと鼻持ちならないものになるだろうとも思う。つまり、文学の流行り・廃りは、時代とともに変遷していくという

ことだ。


では、現代に迎え入れられている文学は? さしずめ村上春樹流の <なんとなく共感> 文学だろうか。

して、この次は?

明日を開く文学は、もっと別の方角から、もっと確かな姿で、やって来るのではないかと私は思っている。