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746) 私的岩手通史の旅 第27回

2010年07月01日 | 私的岩手通史の旅
 なんだりかんだり言っても、周囲の話題についていけないとうまくないので、結局サッカーW杯の日本対パラグアイ戦の中継を観てしまいました。とはいえ睡魔に勝てず延長戦以降は夢の中でした。結果は皆様ご存知のとおりですが、世界各国の首都を覚えた小学5年生時の「パラグアイ=アスンシオン」という記憶を思い出した自分に感心した数日間でもありました。


第27回 東北38年戦争 14 (奥州市水沢区 小谷木橋からの北上川)

 エミシ軍征討のため紀古佐美(きのこさみ)率いる朝廷軍は789(延暦8)年3月初旬に多賀城を発ち、衣川に陣を張りました。一方エミシの側も阿弖流為・母礼らの率いるエミシ連合軍を組織し朝廷軍に立ち向かう準備をしており、対峙したまま1ヶ月以上が過ぎました。

 桓武天皇は1ヶ月以上動かない朝廷軍に対し怒り、叱責された紀古佐美率いる朝廷軍は6月にようやく北上を始めました。朝廷軍の作戦は軍を2つに分け、北上川の左岸・右岸をそれぞれ征討しながら北上し、数キロ上流にある巣伏(すぶし)村で合流するというものでした。

 写真は奥州市水沢区にかかる小谷木(こやぎ)橋の中央から北上川を撮ったものですが、この両岸を朝廷軍は北上していったことになります。両岸に分かれた朝廷軍はエミシ軍の抵抗を受けながらもこれを退け、合流点である巣伏村を目指して北上していきました。


(上流から見るので右が左岸、左が右岸です -奥州市水沢区上小谷木 2020/02/13-)

 東北38年戦争の中でも有名な「巣伏(すぶし)の戦い」はこうして始まりました。しかし、エミシ軍はこの朝廷軍の作戦を見抜いており、反撃に転じるのです。

 小谷木橋はココです



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