絆の法則

澤谷 鑛

見たいものを見る~浮遊の思いと人間の性~

2013-04-09 | Weblog
澤谷 鑛

 養成講座一期・二期・三期と三年間「しあわせな人生の実現をサポートする人材養成講座」で学んだ乕澤美香さんが、インターネットでのラジオ「☆みかっちRadio☆」に出てもらえないか? とのことで、「美人薄命の秘密」と題して前編・後編と二回にわたってスカイプを通して話させてもらいました。

 前編(別ウィンドウで開きます)
 後編(別ウィンドウで開きます)

 曽野綾子氏がある新聞に“「見たいものを見る」人間の性”と題して、こんなことを書いています。
 東大地震研究所の佐藤比呂志教示らによる立川断層の調査は、古い構造物の一部を断層と事実誤認しました。原因は「思い込みと調査不足」といいますが、「住民に周知する一般公開のスケジュールに間に合わせたい事情もあった」といいます。責任者の佐藤教授は、「非常に強い思い込み」から詳しい調査をしないまま一般公開したという事情を打ち明けています。「こういうものが見たいという強い欲求が誤りの原因。見たいものを見ていたということだ」といっています。
 曽野氏は、
「科学者としては、こういう姿勢はいけないということはわかっているのだが、私は、その発言の中で、実におもしろい発見をしたのだ。それは見たいと強く願っていることは見える、ということだ。」
 といいます。科学のロジックでなく、人生のある思いをみる、ということなのでしょう。そして、こんな話を書いています。

 ある時、老いた母が死の床にいた。息子はもう長い年月、会いにも来なければ、電話一本もかけてこない。こういう不思議な子どもが、最近の世間にはうんと増えている。
 老母は死ぬまでに、一度でもいいから息子が会いに来てくれることを願っている。今までのことをなじる気持ちなどさらさらない。もし会えば「元気だったの?」と尋ね、「仕事はうまくいっている?」と気にかけ、孫のことを「今度何年生になったんだっけ。お勉強は何が好きなの?」と聞こうと思っている。小遣いを入れた封筒も渡してやりたい。しかし息子は、そうした老女の最期の願いを叶えてやる気配はなかった。
 そんな話は、世間の至る所にある。私たちは誰でも、思いを残して死ぬのである。こちらが愛し続けていたなら相手のことはどうでもいい。こちらが憎むようになったらそのほうが悲惨だ。
 しかし最期の数日に、思いもかけない救いが現れる。病人の幻覚の中で、冷酷な息子が会いに来たのだ。孫をつれて……。その人の娘が、私に打ち明けてくれた話だ。これこそ幻の「断層現象」なのである。
「兄が母の見舞いになど来るはずはないんです。私たちは兄の正確な住所さえ知らないんですから。でも母は兄が会いに来てくれた、と言い張って亡くなりました」
 親に冷たかった兄は、娘にとっていまいましい存在なのだ。それなのに母が精神的な錯乱状態の中で、兄をいい息子だと思って死んで行ったことが許せないのだろう。
 しかしそれでいいのだ、とこのごろ私は思うようになった。その錯覚こそ、私流に言うと神様仏さまの贈り物なのだ。


 娘にとって兄は現実です。現実というよりも現象でしょうか。いまいましい思いの現われです。浮遊の思いです。
母にとって兄(息子)は、当然、浮遊の思いといっていいでしょう。いい息子なのです。それは錯覚なのですが、その錯覚こそ「神さま仏さまの贈り物」と曽野氏はいいます。それは道元のいう「仏向上」という存在の本体からつながるものだからなのでしょう。それは心を澄ませて「仏向上心」を得ることなのでしょう。
娘にとって母は、兄がいまいましい分だけ可哀そうということになります。これも浮遊の思いにほかなりません。

 曽野氏が母の「錯覚」=「浮遊の思い」を「神さま仏さまの贈り物」というのは、心を澄ませて息子のほんものと出会い、息子のまっさらさらのいのちを知ったのでしょう。将に冷暖自知しています。その意味では、錯覚とは言えません。錯覚と言えるとしたら、母のデトックスといえるでしょう。となると、娘も兄も大半がデトックスなのでしょう。それにしても、まっさらさらのいのちとのつながりがないわけではありません。否、ないはずがありません。

咲けば散り 散ればまた咲き 年ごとに
眺め尽きせぬ 花の色色


 これは二宮尊徳の和歌です。
 あの『鏡の法則』の野口嘉則氏が、この歌についてこのように書かれていました。

 松原泰道さんがご著書『般若心経入門』の中で、この尊徳の歌を紹介し、「咲けば散り」は「色即是空」に対応し、「散ればまた咲き」が「空即是色」に対応する、と述べておられます。
「色即是空」というのは、「物質的現象には実体がない(=空である)」という意味で、これを知ることによって僕たちは、「目に見えるものは、変化し滅びるものである」ということを悟ります。
「空即是色」というのは、「実体のない空(くう)から物質的現象が生まれる」という意味で、これを知ることによって僕たちは、「すべてのものは滅びていくが、ただ滅びるのではなく、滅びにより新しい価値が創造される」ということに気づきます。
咲いた花は散りますが、それは自然の大いなる循環の中で、新しい価値の創造につながっていきます。
尊徳の歌の「年ごとに 眺め尽きせぬ 花の色色」というのは、まさにこの「空」の視点から花を愛でているわけです。
もう一つご紹介したい言葉があります。
「花びらは散っても、花は散らない」
これは、仏教思想家の金子大栄が残した言葉なのですが、何を意味しているのでしょう?
竹内整一さんがご著書『花びらは散る 花は散らない』で、この言葉の意味を探っておられます。
この本の中で竹内さんは、子ども(娘)を亡くしたときの西田幾多郎の言葉を紹介しています。以下、要約してご紹介します。
「人は『死んだ者は帰ってこないのだから、諦めよ、忘れよ』と言うが、これは親にとって耐えがたい苦痛である。何とかして忘れたくない、せめて我が一生だけは思い出してやりたいというのが親の誠である。折に触れて思い出すのが、死者に対しての心づくしである。これは誠に苦痛なことであるが、親はこの苦痛を去ることを欲せぬのである。人間のスピリットは、他の物をもって償うことはできぬ。我が子を失って、人間の絶対的価値が痛切に感ぜられた」
「私は、我が子の儚(はかな)い死によって多大の教訓を得た。名利を思って煩悶していた心の上に、冷水を浴びせかけられたような心持ちがした。そしてすべての人の上に純潔なる愛を感ずることができた」
「今まで愛らしく話したり、歌ったりしていた者が、たちまち消えてしまうというのは、いかなる訳であろうか。もし人生はこれまでのものであるというならば、人生ほどつまらないものはない。しかし、人間の霊的生命はかくも無意義のものではない」
「いかなる人も、自分の子の死に対しては、種々の迷いを起こさぬ者はなかろう。あれをしたらばよかった、これをしたらよかったなど、思うて返らぬことながら、後悔の念に心を悩ますのである。しかし何事も運命と思うよりほかはない。我々の過失の背後には、不可思議な力が支配しているようである。己(おのれ)の無力なるを知り、己を捨てて絶大な力に帰依するとき、後悔の念は転じて懺悔の念となり、心は重荷をおろしたごとく、自ら救い、また死者に詫びることができる」(『花びらは散る 花は散らない』竹内整一著より)
すべての人は必ず死ぬ運命ですが、しかし、人間の霊的生命の意義は、死によっても失われないというのです。人は、その死によっても、生きる人にメッセージを残し、記憶を残していく。そして、それが連綿と受け継がれてきたのが人類の歴史であり、その背後には、大いなる運命の力(不可思議な力)があるのですね。
西田幾多郎の言葉を読んで、「ライオンキング」の中の曲「He lives in you.」を思い出しました。偉大な王であった父ムファサを亡くしたシンバに「彼(=ムファサ)は君の中で生きている」と語りかけるのがこの曲です。
亡くなった人たちは、僕たちの中で確かに生き続けている。そのことを歌った曲です。
人は死して後も生きている人の中で生き続けるのですね。
最後にもう一度、先ほどの金子大栄の言葉をその次の一節も加えてご紹介します。

「花びらは散っても花は散らない。形は滅びても人は死なぬ」

(野口嘉則氏Facebook頁より引用)


 ひとつだけ考えてみてください。
 あなたは浮遊の思いに、まっさらさらのいのちの息吹きを感じますか? デトックスの側面を感じますか?


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今創る未来があとからやってくる

2013-04-08 | Weblog

何かを体験することは、いつでも私たちの自由になります。いま自分が本を読んでいることを意識すること、手に本をもっていることを意識すること、「いまここ」に存在する体の感覚を意識すること、この目をとおして目のまえの世界を見ている存在を意識すること、これはいつでも、どこでもできます。けれども私たちは意識しません。意識せず、ただ無意識にすごす習慣が身についているからです。意識しないことによって、思考や感情、体への同一化が起こります。

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(2013/01/09)
やまがみ てるお

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こんにちは、悦月です。

知人のやまがみてるおさんが1月に『「いまここ」にさとりを選択する生きかた』を出版されました。そのなかですごくわかりやすい話がありましたので紹介します。

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ではここで、「右手をうえにあげたい」と考えてください。
右手はうえにあがりましたでしょうか?
「右手をうえにあげたい」といくら考えてみたところで、私たちの右手はあがりません。
どうしてあがらないのでしょうか?
それはたんなる思考だからです。思考は現実化しません。
現実化するのは思考したからではなく、私たちのなかの、それが起こることを確信している部分が、それが起こることを意図し、その結果を受け取っているからなのです。
ではじっさいに右手をうえにあげてみましょう。
感覚の違いに意識を向けておこないましょう。
いかがでしたでしょうか?
右手をうえにあげたときには、それがただ起こることを確信している部分があり、その部分がその結果をただ受け取っていることが確認できたでしょうか?
それが起こることを確信している部分が、それが起こることを意図し、私たちはその結果を受け取ります。
私はこれを「意図の力」とよんでいます。
私たちには「意図の力」があります。
これが宇宙が与えてくれた私たち自身の力です。
意図によって手にすることができるのは、出来事の結果ではなく、自分自身の行動です。
行動が変わることによって、私たちの受けとる結果に変化が起こります。
これによって世界の展開は変わっていきます。

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「思考は現実化する」とはいえど、いくらイメージングしてもアファメーションしても実現しない場合、表向きの思考と内心感じていることが違うのか、まちがったオーダーをしていて違うことが実現しているのか、はたまた実現しているけど気がついていないか、になると思います。

確かに右手を上げようと思うだけではあがらない。
自分の右手を見ながら「あがれ、あがれ」と思ったり、あがった状態をイメージしてみたりするとよくわかります。
まず自分でやってみて、違いを感じられてからこの続きを読んでください。

頭の中で「あがれ、あがれ」と言っている状態のとき、頭と腕の意識が別々に存在している感じです。腕が他者のような。
頭では「あがれあがれ」と言いながら、腕は「あがりたくない」と拒んでいる感じです。

右手があがった状態を体感でイメージしてみると、腕がぴくぴくとあがりたがりますが、まだあがってません。

腕があがるときは一瞬であり、「あがれ」と思う前に腕があがっている感覚です。
思考と行動が同時、あるいは腕の方が早いぐらいです。

脳の中ですでに腕があがっている状態になっているので、そのように肉体の腕があがると思ってもいいのではないでしょうか?

つまり「右手をあげよう」ではなく、
『すでに右手があがっている状態があるので右手をあげることになる』
ということですね。

もちろん右手をあげようと思ってからあげることもできますが、その過程においてもやはり同じことが言えると思います。

ある脳の実験で、意識による判断の7秒前に脳が判断しているという結果がでたそうです。
被験者が判断を下す7秒も前に、脳ではその行動が決定されている、
つまり被験者の意識にあがる7秒も前に、脳は認識しているわけです。

ここでいえば、腕をあげようと思う7秒も前に、脳はそうすることを決めているということです。7秒ってけっこう大きいですよね~。

そうだとすると、自分の顕在意識でこうしようと決める以前に、脳はすでにそれを決めていることになります。
つまり潜在意識の部分です。自分の意志より先に脳が行動を決めているわけです。

というところで、以前書いた『「ある」と知る』につながっていくのですが、この「知る」というのは、「意識による判断の7秒前に、脳が判断」している状態なのかもしれませんね。
知っているからそうなるのがあたりまえというわけです。腕があがるのを「知っている」からあがるわけです。

やまがみさんは、
『それが起こることを確信している部分が、それが起こることを意図し、私たちはその結果を受け取ります。』
と書かれています。

脳がすでに「ある」という結果を知っている(決めている)から、そうなるわけです。

もうすでに、今のシステムや世界観をどうにか変えようとエネルギーを注ぐより、新しい基盤でいかに新しい世界を構築していくか? に気持ちを向けるほうが実現しやすい時代となりました。個人においても世界や社会においても。

「今の世界を変えようとする」は「今こういう状況があるからどうにかしなきゃ」というスタンスです。
新しい世界は、そうなると「知って」いればそうなっていく世界なので、今がどのような状態かは全く関係ないんです。

もう「自分のここを変えれば」「……を達成すれば」というアプローチではなく、まずはすでにそのような状態になっていることを知って、それに伴う行動をしていくほうがいいと思います。
「結果が先にあって今の行動」という流れですね。

先日つぶやいていた「今創る未来があとからやってくる。」はこういうことです。
もう創造性の世界が始まってますね~。


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感情でつなぐ会話とは?

2013-04-07 | Weblog

こんにちは、クレアです。
以前、イチローが男性脳の人は話をする時に左脳を中心に使い、女性脳の人は左右両方の脳を使っているという内容をお伝えしました。

私たちのセミナーでは、これをわかりやすくご説明するために、男性脳では、「論理」「テーマ(知識)」「問題解決」の3つの視点で会話をし、女性脳は、上記プラス「感情」の4つの視点で会話をする、とお話しています。

この女性脳独特の“「感情」で会話をする”というのが、多くの男性脳の人たちにはなかなか理解してもらえません。そうなると、カップルの会話でどんなことが起こるのでしょうか?

私クレアとイチローの場合を例に挙げてお話しますね。

以前、イチローとの会話をしていて、お腹のあたりでなんかスッキリしないことがありました。その時の状況と会話を思い出してみると……

夜、空を見上げると、お月様が丸く光って見えました。それを見たクレアは、
「綺麗なお月様だね~ 今日は満月かな?」
と言いました。
それに対するイチローの答えは、
「わからない」
でした。

特に意味のある会話ではありません。でも、クレアは何かスッキリしない感じがしました。
このドンヨリ感は何なのか?!

クレアは、綺麗なお月様を見て、「わぁ、綺麗!」という「感情」を共有したくてイチローに話しかけたわけですが、真面目で誠実なイチローは、「今日は満月ですか?」とクレアから質問された、というモードで受け取ったのです。

確かに月は丸く見えるが、月の月齢カレンダーをチェックしたわけではないので、今、正確な回答はできない。でも、話しかけられているのだから何か答えなければ……

そう考えたイチローの返事が、「わからない」という言葉だったのです。

クレアは「感情」でつながる会話がしたかったのに対し、イチローは「問題解決」で会話を返してきたというわけです。

男性と女性の会話では、実はこのようなすれ違いが日常茶飯事、起こっています。パートナーと会話をしていてスッキリしないな……と思った時は、会話のすれ違いモードに入っていると言ってもいいでしょう。

こんな時、男性脳と女性脳の違いを知っていると、ストレスなく対処することができるようになります。

例えば、私の場合、イチローが「問題解決」モードで会話を返して来たら、こんなふうに言うようにしています。
「今は、満月かどうかを知りたいんじゃなくて、満月が綺麗だね! っていう感情を共有したいだけなの。だから、せめて、“わからない”と言った後に、“そうかもね”と言ってくれる?」

すると、クレアは「感情」で会話をしたかったのか! と気付いたイチローは、
「月が綺麗だよね! 満月かもね」
と、言い直してくれます。その言葉を聞くと、私がお腹の中で感じていたモヤモヤがその場ですっと吹っ切れるのです。

そして、私のモヤモヤ感を拭い去るために、わざわざ言い直してくれたイチローに、
「ありがとうね!」
と感謝を伝えます。

パートナーと会話をしていて、スッキリしない感覚を覚えたら、男性脳と女性脳の違いを思い出して、ぜひ、その場で感覚の違いをシェアしてみてくださいね。

そういう小さな会話の積み重ねが、心の通い合うコミュニケーションにつながっていきますから!


岩崎クレアさんのホームページ(クレア&イチロー公式サイト)

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夕暮れを完全に把握しました

2013-04-06 | Weblog

家族ゲームという映画を始めて観ました。
なんだかとても不思議な世界観で、観ている間は、なにやらさっぱりわからなかった。
引き込まれている感じもしないし、家庭教師役の松田優作が走れば、刑事にしか見えないし(笑)。
「なんなの、コレ。」
見せてくれた友人をも、その、冷ややかな感想で不快にさせる始末(笑)。

今、どうして、この映画に心開けなかったのか、何となく、わかった気がする。
それは、私が少なからず体験してきた時代と経験で、その辺にいつも転がっていた風景だったから?
「家族ゲーム」「受験ゲーム」。
「役割」と「ルール」の中で深まっていく孤立。
まさに、それは「ゲーム」。

コミュニケーションとは逆の世界。
まるで、いつかきっと経験した“自分ごと”だったんだなあって。
癒されていない自分ごと。癒されてない過去と対面すると感じつくしたくない感情があるために繭が心を覆う。大切な人と、交流できない不安や寂しさ。

交流したいがために演じる役割や献身なのに。良くしたいためにがんばっているのに、なのに、それこそが、触れ合いを遠ざけてしまうというパラドックス。

きっと、そんな寂しさを私も感じたことがあるのだと思った。

ただ、今、家族ゲームの映像がずっとアタマではなく体中を巡っているのは、その、寂しさや無味乾燥感や虚しさ。それを味わうことができるようになったからなのだと思う。

虚しさや虚無感。
その「繭」もまた、大切な感情なのだと思えるようになったから。
喜びや、悲しみや、歓喜や、怒りや悔しさ。
はっきりした感覚だけが感情ではなく、得体の知れないザワザワ感やはたまた装う「無感覚」というのも大切な感情なのだ。だから、そのままに感じればOK。

なんか気持ち悪い。なんか言葉にならない。
もう、それをそのまま勇気を持って感じてあげれば、まもなく、その奥に潜む本当に癒して欲しいものが顔を出す。
はっと、そう思えたとき、あの、「家族ゲーム」の中で横一列に並んだ「向き合えない」ことを風刺するような食卓の配置や家族のすれ違い具合も、それこそが、とても大切で愛しいものとして新たに自分の中に飛び込んできた。しっかり味わえた。

どう処理していいかわからないモヤモヤは、それこそが大切な感情で癒されるべきものがあると教えてくれている。
自分を守る「繭」という一見冷たくて動かない感覚。
それ、大切なステップなのだと感じた。

主人公の問題児の受験生に、
「夕暮れを完全に把握しました」
という台詞がでてくる。
わからないことをノートに書き出せと言われ、夕暮れ夕暮れと、何度もノートに書き、
「何やってんだ、オマエ」
「夕暮れを完全に把握しました」
怖い家庭教師に殴られる。松田優作がまた怖カッコイイ♪

何度も何度も書いて、夕暮れと言う文字ももう間違えないだろう。夕暮れと書くたびに映像が浮かんだだろう。自分だけの夕暮れ。

その夕暮れに空き地で主人公は、友人にいじめられたり仲直りしたり。
「夕暮れを完全に把握しました」
主人公は、家庭教師に冗談半分、若干嫌味で、そんなことを言うのだけれど……印象深い言葉。

夕暮れなんて、把握できるものじゃないのに把握しようとする。把握できるし、したいと思ったりする。
でも、そこが夕暮れと把握という言葉のギャップ。
人生や目的、が、実はそういうものなのかもしれない。
きっと、夕暮れのようなもの。

把握するために受験勉強したり、把握するためにいい会社に入ろうとしたり。
形もないのに把握しようとしてもがき、出来たと思ったり、また違った夕暮れをみて、驚いたり、感動したり。
でも、それこそが「満喫している」ということなのかもしれない。

「家族ゲーム」「人生ゲーム」をしっかりちゃっかり楽しんでいる。

本当は、その夕暮れを最初から知っているのに、その夕暮れを本質で理解しているのに、今日もまた、懲りずに夕暮れを把握しに出かけるのである(笑)。


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内面の奥深くにある神聖さ

2013-04-05 | Weblog
カモミール

私は、この身体ではありません。
この肉体は入れもの、容器にすぎません。
ふだん私と呼んでいるものは、私ではありません。
私は、思考や感情ではありません。
私と呼んでいるものは、存在しません。

インドで行われた7日間のリトリートに参加してきました。

参加すると決めたときから現地に到着するまで、頭と心のなかには様々な揺さぶりが湧きあがっていました。
旅費と高い受講料を払ってはるばるインドまで行くことを、家族や職場の人達にどう説明したらいいのか。どう思われるのか。そこまでして行く必要はあるのか。出発が近づいてからは、現地の気候、食べ物やトイレ、服装、電気、電話、薬、虫刺され対策は大丈夫か。一緒に行く仲間達とはうまくやっていけるのか。

宿泊先でもあるリトリートセンターは、まるで楽園のような所でした。
花々は咲き乱れ、木々は美しく生い茂り、鳥達はさえずり、犬達は道の真ん中をのんびりと歩いていました。全てがやさしく包まれていました。日差しさえもやさしく、到着した私たちを包み込んで歓迎してくれているようでした。

ひとりで過ごす朝の時間。
お砂糖とミルクたっぷりのお茶をいただいたあと、昇ってきた太陽に向かって目をつぶり、静かに自分と向き合いました。神聖な朝の光はやさしく身体をあたためてくれました。子供の頃から朝日を見るのが怖かった私は、そこにはいませんでした。

ヨガの時間。
そこには、うまくやろう、上手にポーズをとろうという私はいませんでした。
隣の人と手がぶつかっても、ただぶつかっただけ。相手の人が動きやすいように私が位置を工夫すればいいだけでした。すべてが平和で満たされていました。

食事の時間。
インドのベジタリアンフードを毎食頂きました。最初は生ものや乳製品を避けていましたが、そんな警戒心はすぐに溶けていきました。施設の人たちが外国人のために衛生面に気を付けているのが伝わってきて、感謝の気持ちが湧いてきました。日本食や肉類をしばらく食べていないことは忘れていました。

チャンティングの時間。
音痴なことを気にする私は、そこにはいませんでした。
隣にカントリーミュージックの演奏家が座ったときは、さすがに私のピッチのズレをどう思うのか気になったけれど、これは私の問題だと気づいたら、関係なくなりました。身体の内側で広がった振動に心も揺さぶられたのか、自然と涙が流れてきました。

プロセスワークの時間。
人前では絶対に動揺を見せない、と固く誓っていた子供の頃を思い出した私は、ボロボロ泣いて許せなかったことを許しました。ペアになってくれた人が「私も同じ経験があるの」と目を真っ赤にして言いました。二人で抱き合ってまた泣きました。愛と気づきがそこにありました。

リトリート最終日の夜。
インド、日本、シンガポール、マレーシア、オーストラリア……様々な国から集まった人達と沢山ハグをして、無事の終了と一緒に過ごせた喜びを分かち合いました。英語が堪能だったらと思ったけれど、そんなことよりも伝えたいことが溢れるくらい、ありました。

出発の日の朝、早めに集合場所に行くと、施設の長と思われる御仁が見送りに来ていました。
食事は口に合うか、宿泊は快適か、何度か声をかけてくれた方です。お世話になった感謝の気持ちを伝えると「こっちにおいで」と声をかけられました。
その場所に行ってみると、まさに今昇ってきた太陽が眩しく光を放つ、そんな景色が目の前に広がっていました。その場所で御仁は、私のためにマントラを唱えて下さいました。
英語で解説してくれた内容は、なぜか帰国までの道のりでほとんど忘れてしまったけれど、確実に心に残ったものがあります。

“内面の奥深くにある神聖さ、大いなるもの”

インドは寛容で、神聖さに満ち溢れていました。

ナマステ


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しあわせな人生を実現する方法

2013-04-04 | Weblog

しあわせな人生の実現をサポートする人材養成講座で学ぶこと3年。
その前から心の事を学ぶのは好きでしたが、養成講座生となったことで「鏡の法則」や「引き寄せの法則」というものにふれるようになり、しかもそれに振り回されることがなくなりました。

法則は法則で、人生にいろいろな影響を及ぼしますが、法則が生きているわけではなくて生きているのは人間です。澤谷先生がよく言われる、
「神が生きるのでも仏が生きるのでもない。人が生きるのだ」
というお言葉は、日を追うごとに深く私の中に染みこんでくるのです

さて、先生の元で学び始めてからしばらくすると、親の思いを知ることが多くなります。
何か痛い思いをすれば、
「ああこれは、あのときに母に味わわせた思いだ」
と気づくようになります。何か腹立たしいことがあれば、
「ああ、あのときの父は、こんな怒りを抱えていたんだろうな」
と思いを馳せるようになります。
自分自身が関与していない出来事でも、心が苦しくなれば、
「ああ、私と母が争うのを見ていた頃の弟は、こんな思いをしていたのだろうか」
と思い至ることが出来るようになります。

その思いを馳せること、思いやることは、そのまま心のデトックスになりますが、養成講座生となってしばらくはそれで心が晴れることがあまりありませんでした。
デトックスしている、と言われても、「それがどうした」と言いたい思いが渦巻いていたのです。
「あのときの母の思いがわかったからと言って、どうなると言うんだ。目の前のこの問題は何一つ変わらないじゃないか」
そう思う事が多々あったのです。

そんなあるとき、私の中に思い出された言葉がありました。
映画「天空の城ラピュタ」での、印象的なシーンです。
あまりにも危険な道が目の前に現れたとき、仲間は行くべきではないと言いました。しかし主人公はその危険な道を指さして言います。
「父さんが行った道だ。父さんは、帰ってきたよ」
正確ではないかも知れませんが、その台詞が頭に鳴り響いたのです。
私が辛い思いを味わうとき、その思いを過去に両親や家族や祖父母に味わわせていたことを思い出します。そして、この台詞を思い出すのです。
「母が(父が、弟が、あるいは祖父が)通った道だ」
彼女ら、彼らが通った道です。私が通り抜けられないはずはない。

そのように思う事で、しっかりと現実に向き合い、向かっていくことが出来るようになりました。

実を言えば、実際に両親がそのように思っていたかどうかはわかりません。
私が「母は私を愛してくれなかった」と考えることが、ただの思い込みに過ぎないように、「母は私を彼女なりに愛してくれた」という考えもまた思い込みに過ぎません。
あるいは、「父は自分の事しか考えていなかった」という思考も、「父はこのように心を砕いていてくれたのだろう」と思う事もまた、どちらも思い込みに過ぎません。
思考は所詮思考に過ぎず、いかようにでもこね回せる粘土細工のようなもので、実態がありません。

では、確かなものなどこの世にはないのだろうか?
その答えは、未だ私にはわかりません。ただ思う事は、どうせ思い込み、浮遊の思いに過ぎないのなら、自分をしあわせにするものを選んでいこう、ということです。

この世にはしあわせになる方法が山ほど溢れていますが、どれでも紐解いて行くと最後は『しあわせな人生を実現する方法は「自分自身をしあわせにする思考を選ぶこと」』だということが言えると思います。
ではそれを選んでいる『自分』とはなんだろうか。
それが、主体的道具として心を使うその人の本質、ということになるのでしょう。

家系のデトックスを進めることに意味がないわけではありませんが、それだけに捕らわれることには意味がないことは、実感としてこの3年間に掴んだことです。大切なのは、その先なのです。

思考の中からどれを選ぶか。相手の思いを思いやる方が気持ち良く、母が通った道だから大丈夫と思う方が安心出来る。だから私はこれを選ぶ。そして、その「自分をしあわせにする思考」を元に、まっさらさらな目の前の現実を見る。
新たな『思い込み』を構築しないように細心の注意を払いながら、目の前の出来事にはただの「私」で飛び込んでいく。そのように生きたいと思います。

半年ほどご相談をお受けしている、難しい状況にいらっしゃるクライアントさんとのやりとりに悩む日が続いています。悩みながら、同じように悩ませていた母の気持ちを思います。けれども、それは気づいた時点で「気づき」ではなくなります。握りしめることなく手放して行くものなのです。

残るのは、目の前のまっさらさらな現実。
ご相談者さんが私にメールをくださる、というそのことだけです。

目の前のその方に、私と母とのやりとりは関係がありません。ただそういう経験を持っている私が、どのような声かけをするか。それだけです。
常に「この現実を引き寄せている私の心」のデトックスは続きます。同時に、目の前の出来事にどう対応するのかは、今、このときに選び続けるものです。
「私と周りの人をしあわせにする思考」を選び取り、それを元に行動する。その積み重ねをこれからも続けて行きたいと思います。

行動がなければ、人生とは言えません。ぐるぐる思考の螺旋の中に閉じこもっていた日々は、もう終わりを告げたのだと、最近実感しています。

3年間、ありがとうございました。


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浮遊の思い

2013-04-03 | Weblog

ご相談のメールをお受けしている中で、大変に苦しい状態におられる方がいらっしゃいます。お若い方なのですが、おうちの状況も、学業も、男女関係も、なにもかもに躓いて、苦しんでおられるのです。
躓くほどにご自身の心の闇と、目指したい光の間でご自身を分裂させ、文字通り身を引き裂く苦しみの中を通っておられます。

半年、やりとりを続けさせていただいておりますが、変化が見えない状況に、私自身の対応に自信がなくて澤谷先生に相談してみようと思い立ちました。

メールをさせていただき、Skypeの予約を入れたとき、先生は返信のメールに一言、
「浮遊の思いを感じます」
と返してこられました。
「浮遊の思い・・・??」
さっぱりわからないその言葉に頭の中は「?」でいっぱいでしたが、ただなんとなく感じるものがあったので、返信にはこう書きました。

 浮遊の思い、ですか。
 それはこの方が、でしょうか。
 私が、でしょうか。
 両方、ですかね。

そして、Skypeでお約束した日を待ちながら、またひとつ家系のデトックスを体験しました。
私はこの方が、ご自身の中に力を秘めていると信じて対応してきました。しかし、信じ切れているかと言えば、あと一歩のところで信じ切れない。
どのバランスで癒しの道のどこを通っておられるのか、全て把握出来るわけではないから、どこで声をかけるべきか、どこが切り込みどころでどこが温めどころなのかのさじ加減が上手に出来ない。
そうした迷いの中で、なんとか抜け出す道を掴んでいただきたいと心を砕き、迷い、時に自分を責め、時に相手の力を信じ切れずに悩むこの時間を、かつて私は母に味わわせました。

アダルトチルドレンという言葉を知るか知らないかの頃、母に対して何度か過去の育て方を責める言葉をぶつけたことがありました。
主にメールでしたが、最たるものは、
「私はあなたに愛されなかった」
という言葉でした。
母から満足のいく返信があったことは一度もなかったので、私はてっきり、
「またあの子が変なこと言っとるわ」
と思われているだろうと思っていました。

後に会話のついでに父から、
「あの子が『愛されなかった』って言っている、って母さんが悩んでいたぞ」
と聞いたり、その後の母とのメールのやりとりで、どうやら母は母の土俵で真摯に向き合っていたのだということがわかりました。
それは私の望むものではなかったけれど、母なりに精一杯向き合っていたことがわかりました。

私が相談をお受けしている女性の方に、どうお答えしようか毎回心を砕くその過程は、間違いなく数年前に母に味わわせた思いです。そしておそらく、長年味わわせ続けた思いでもあります。
それは今回初めて気づいたわけではありませんが、改めて澤谷先生にお話しを伺ってみようと思った時に思い出された気づきでした。

そうしたお話しを先生とさせていただくなかで、先生は「浮遊の思い」についてお話しくださいました。
例として奥様を自殺で亡くされたという方のお話しや、ご夫婦の間に問題を抱えておられる方のお話しを交えながら、分かりの悪い私がわかるまで説明してくださいました。
私がこの女性のご相談者さんを引き寄せているのだ、と。そしてそれは、私が辿ったように母の思いを知るためである。(ここまでは自分で気づいていました)

しかし、そもそも母に対し「愛されていない」と思ったのは、根拠のない思い込みでしかない。思い込みをさも本当のことであるかのように握りしめ、それに従って行動し、母に心の刃を向けました。元はただの思い込みに過ぎなかったのに。

その根拠のない思い込みが「浮遊の思い」だと、先生は教えてくださいました。他にも私が持っている「浮遊の思い」はたくさんあって、
「父は母が一番大事だから私のことは大事じゃない」だとか、
「自分の存在意義の証明のために子どもを利用した母は許せない」だとか、
「母は子どもがいなければ離婚したかったのだから、子どもが大事じゃないに違いない」だとか、それはもうたくさんあるのです。

でもそれは思い込みに過ぎないと今はわかっているから、それに従って行動することはありません。
それはただ根っこもなく浮遊するだけの、力を持たない思いに過ぎないからです。

自分の中の、根を張った思いの方を軸に、過ごしていきたいと思います。

浮遊する思いに囚われることなく、どっしりと根を張った思いの上に、人生を構築して行けたらと思うのです。


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「澤谷 鑛 & 石川浩代 スペシャルコラボセミナー」in 京都(3/31)感想文

2013-04-02 | Weblog
20130331.jpg

3月31日(日)に開催した 澤谷 鑛 & 石川浩代 スペシャルコラボセミナーin 京都 も、お陰様で大好評のうちに終了いたしました。

講師、スタッフ共々、参加者の方々の声に励まされ元気をいただいています。 どうも ありがとうございます。

いつものように、いくつか、ご紹介させていただきます。


 
【Aさん・女性・滋賀】
石川さんのお話は笑顔が絶えずとても楽しく、特にワークは今に集中するという事に意識できて、とても素晴らしかったです。ありがとうございました。

 
【Bさん・女性・大阪】
今日も全て素晴らしいセミナーでした。興味深く、とても楽しかったです。
石川さんのお話はわかりやすく、身近なところにあるスピリチュアルな日本の心に(見えない所に敬意を払う等)とても感動し、涙が溢れそうになりました。引き出していくワークも楽しく、意識を向けることの大切さを感じました。石川さんのセミナーは是非シリーズ化というか、連続講座にして頂きたいと思いました。
澤谷先生はもちろんのこと、竹本さんのワーク、渡辺さんのお話と、盛りだくさんでとても興味深くあたたかいセミナーでした。本当に今日参加して良かったです。
今までの日常が輝きだしていくような気がします。是非意識を向けて生活していこうと思いました。今とても気持ちがよく晴々としています。ありがとうございました。

 
【Cさん・女性・兵庫】
・ 相手を思いやる
・ “道”に高めてゆく
・ well organized
このような日本人性の根底がなんなのか知りたかったが、多少思っていた中身と違っていた。外国人に説明するのに何かヒントがあればと思ったが、やはり色々自分で勉強しなければいけないと思っている。

 
【Dさん・女性・福井】
とても楽しく講演を聞けて良かったです。時間が短く感じもっともっと話を聞きたかったです。
私は介護をしております。楽しく介護をしようと言う話をさせて頂く事になり講師初デビューが5月に決まっており、参考にさせて頂きました。本当にありがとうございました。

 
【Eさん・男性・大阪】
澤谷先生、石川先生の講義が相互に呼応していて非常に面白い時間を過ごさせていただきました。本日のセミナーには必然的に引き寄せられた気が致します。ありがとうございました。

 
【Fさん・男性・埼玉】
今、暮らしの中での習慣や、使っている言葉の中に「日本人の精神」がある事に気づかせて頂きました。無宗教国家なんだと思っていましたが、日本人である事自体、スピリチュアルな存在なのだと自覚させていただきました。また欧米発信の心理学に夢中になっていましたが、ユングやフロイトは実はそれより1500年前に確立された仏教の唯識論の研究をしていた事がわかり、その唯識論は日本の神道や仏教で成熟した物である事を教えて頂きました。もっと日本の事が知りたくなりました。ぜひ今後も続けてください。ありがとうございました。/p>


【Gさん・女性・大阪】
石川さんは、わたしたちの中には、普段意識していなくても、もともと高い精神がある。
参加者の方が、ご自身の奥さまが東日本大震災があった時に、自分の体で赤ちゃんをかばっておられた。しかし、ご自身は全くそのことを覚えていなかった、という体験談をシェアしてくださいましたが、そのように、普段意識しなくてもそれはもともと備わっているものであり、その「高い精神」は、頭で分析したり捉えられるようなものではないのだということ。それを自分の中に再認識していくことの大切さを語ってくださり、三分間と時間を区切ってお互いが褒め合ったり、しあわせなことを出しあう楽しいワークを通して、その再認識を集中して行うことを、体でも経験させてくださいました。
また、澤谷先生は、命や本物といったものは、思考ではなく思惟でしかつかめないのだということや基本的な心の働きについてのお話。物質のほうが根源的で、心や精神は物質から派生するとする唯物論や逆に、心こそがすべての根源であるとする、引き寄せ、鏡の法則のような唯心論、どちらとも違う仏教の唯識論のお話を、興味深く語ってくださいました。とても深いお話で、1日のセミナーでは到底、その全てを伺うことは無理だと感じられました。
石川さんが、古くから伝わる縁起を担ぐ言葉の使い方を、実例を挙げて語ってくださったのに対し、澤谷先生は言霊学に基づいて、「大和」という言葉のそれぞれの音の説明を一字ずつお語りくださるなど、日本語の奥深さ、一字一字に祈りを込め思いを込める日本人の感性が、世界の中でどれだけ特殊であるのか、どれだけみずみずしい感性がそこに溢れているのかが感じられて、お話を聞きながら魅了される思いでした。
日本人が古くから持っていた、世界でも類稀な深く高い精神の素晴らしさについては以前から感じており、もっともっとそのことについて学びたいと願わされていた矢先に、このセミナーに出会えて、日本や日本語の美しさ、その感性の深さ、命の輝きを深く知り、ご自身でもそれを存分に生きておられる二人の先生方からコラボでお話を伺えるというのは、本当に楽しい時間でした。
日本人の素晴らしさを再確認して更に開花させることの大切さ、世界の中でも際立った特質を持っている日本人なのですから、それを国際社会の中で十分に発揮し、社会化させることで日本人がもともと持っていた美点や素晴らしさを、再び更に本物としていく必要性を教えられ、身震いするようなわくわくを感じさせられるセミナーでした。
続編の開催を楽しみにしています。ありがとうございました。

 
 

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桜さん 今年もしあわせにしてくれて ありがとうね

2013-04-02 | Weblog

桜さん 今年もしあわせにしてくれて ありがとうね今年も桜を眺めることができて、本当にしあわせです。

朝、目覚めて今日も生きられることが嬉しくて
夜、休む時に一日を無事に生きられたことに感謝しながら
明日が来るのをとても楽しみに眠る日々です。

こんなに生きていることを嬉しく感じる日々が、自分にやってくるとは思っていませんでした。
生まれて初めてのことに感じますが、記憶にはない生まれたての幼少の頃にはきっと感じていたのだろうなぁ……と思います。

最近、2歳半になった子どもが怒って泣き始めると、手がつけられない状態になってしまいます。
うちの子の場合は、「抱きしめてあげる」というのも抵抗して暴れるから無理なので、泣き止むまで見守るしかないみたいです。
この強情なところは親譲りでしょう(^_^;)

昨日は、子どもと二人の時に泣き止まなくなり、このままではわたしのイライラが伝わって、子どもは余計に泣き止まないと思いました。
夫にTELしようと思いましたが、自立しようと思っているところなのに、頼ってはいけないと我慢していまいた。
でも、子どもが辛そうなので、どうせ出ないだろうけどTELしました。
やはり出ませんでした。
それで、ふっと力が抜けた気がしました。
あるがままの状態を認められた瞬間だったみたいです。
子どもも次第に落ち着いていきました。

「依存をやめようとしてはいけない」
その言葉の意味が理解できました。

依存をしてしまう原因になっている潜在意識の部分を変えなければ、現状を変えようと我を張っても無駄なことなのです。
わたしが無理をして、なんとかしようとあがいていることが子どもに伝わっているのでしょう。
また子どもが教えてくれました。
いつもありがとうね。
わたしもあなたと共に成長していきます。

花のように、ただ、あるがままに生きていきたいと思っていました。
自分のすべてを認めて、ありのままでいることがどんなことなのか、ようやく腑に落ちた気がします。
ありのままに生きるしかできない。
未熟なわたしは一生かけて成長し続ければいいのです。

こんなにも未熟なわたしをありのままに受け入れ、生かしてくれている宇宙すべてに感謝です。
ありがとうございます。


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美人薄命の秘密(後編)

2013-04-02 | Weblog

「そこが、考えどころなんだけどね。」

誰かの想念の影響で……

私の中に根深く残る「依存」に似たそんな思いを澤谷先生は……さらっと、切って捨てた。

両親が、小さいときに……
先祖が、周りのあの人たちの思いが……

世の中には、確かに法則がある。成功するためのノウハウも沢山ある。

リンゴから手を離すと落ちるし、お金は、使わなければ貯まる。
投資すればリスクはあるけどリターンもある。
読者登録をすればある程度返してくれる。
笑顔で生きていれば、福は来る。

「美人薄命」という法則もまた、落としどころとしては、恨みを持った想念に纏われるよりも祝福の想念を受け取り、そして、その運命を享受していくというところが大切であると、私の中でのストーリーはどこか決まっていた。

しかし、私が語る中に眠るどこか「人任せ」な本質を澤谷先生は見逃さなかった。

法則さえも自分の責任なのだ。
自分自身がどう生きていくかである。
ある意味、まったく持って他人の想念は関係ない。

と、この次の体験談へと続いていく。

去年の夏、編集者の玉井孝夫さんにご紹介いただき、遠山温子さんの引き寄せの法則セミナーというものに参加した。全国で、あまりの人気に会場をどんどん大きくしている今、まさに一番旬なセミナーの一つと言ってもいいかもしれない。

「いい気分であることがなにより大切」
「神社に神はいないから!」
「月の下で、まだ財布ふってない? 関係ないよ~!!」

とにかくありのままの本音トークが繰り広げられる。
笑ったり涙しながら、参加者はどんどんと奇跡を起こす。

実は、温子さんの言っていることも、まさに、100パーセント自己責任と言ってる。

トイレを掃除することが、いい気分であるならばしたらいい。
神社に行っていいきぶんになるなら行けばいい。

でもね、関係ないよ、と彼女は言う。

あなたの気分はあなたが一番良く知っている。
あなたを知るのはあなたしかいない。
責任をもって人生を生きなさい。
あなたが気分良くなることはなあに?

人生が変わるのは、自分がそれを作り出していると心底わかることが始まり。
あなたを幸せにできるのは、法則ではない、あなた自身です。

澤谷先生もまた、そう語りかけました。
何よりも強い真実の体験というものを通して。

続きをお聞きいただければ嬉しいです♪

  Vol.6 澤谷鑛先生に聞く 『美人薄命の秘密』 後編
  → Go to みかっちRadio

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3月の「絆の法則」(gooブログ)の10,000位以内の順位

2013-04-01 | Weblog
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 gooブログでは、総合10,000位以内(アクセス人数とアクセス数)
に入ると知らせてくれます。3月のgooブログの「絆の法則」のデータを
表示します。                       (澤谷 鑛)
=============================

3/ 1(金)①3,092位 澤谷 鑛 卒業とスタート
               3月の「絆の法則」(gooブログ)の順位
3/ 2(土) 5,000位 Emiko  再び、マウナケアにて☆
3/ 3(日) 4,828位 乕澤美香 マイナスの動機がないだけで
3/ 4(月) 5,233位 ついてるレオ 運がいい人!
3/ 5(火) 4,135位 澤谷 鑛 結婚に取り残されている気がして
               横山奈津子 甦りの鳳凰
3/ 6(水) 5,266位 有貴   どのような環境でも心の美しさを保ち続けた女性
3/ 7(木)⑤3,507位 岩崎クレア 楽しく会話をするためのコミュニケーション能力
3/ 8(金)次3,901位 石川浩代 身に覚えがあるかと思いますが……
3/ 9(土) 5,147位 伊藤研人 とてつもない日本(前編)
3/10(日)⑨3,871位 伊藤研人 とてつもない日本(後編)
3/11(月)⑧3,832位 七田 厚 興味を持つ
3/12(火) 4,342位 澤谷 鑛 占いについて
               さくらみるく 螺旋
3/13(水) 4,098位 乕澤美香 美人薄命
3/14(木)④3,421位 石川浩代 和の身近なお品
3/15(金) 4,656位 黒部真理子 母の思い(上)
3/16(土) 4,049位 黒部真理子 母の思い(中)
3/17(日) 5,263位 黒部真理子 母の思い(下)
3/18(月) 5,007位 NAO  子どもとの幸せなひととき
3/19(火)⑩3,878位 澤谷 鑛 どうしたら孤独を抜け出せるでしょう
               谷川和英 卒業シーズン
3/20(祝)②3,290位 石川浩代 日々の暮らしを大切にする稽古照今
3/21(木) 5,249位 岩崎イチロー 習慣を変える脳科学
3/22(金) 4,802位 伊藤研人 人類の進化の時
3/23(土) 5,312位 フロウライト 火山とコーラとわさび、そして
3/24(日) 3,917位 乕澤美香 工藤新一。
3/25(月) 4,480位 カモミール 親愛なるマルちゃん。
3/26(火)③3,407位 澤谷 鑛 咲くも花 散るも花
               石川浩代 咲かせましょうか
3/27(水)⑥3,632位 一心太助 カミングアウト(前編)
3/28(木)⑦3,735位 一心太助 カミングアウト(後編)
3/29(金) 4,366位 Emiko デニスからの手紙
3/30(土) 4,133位 Emiko 千羽鶴に祈りを込めて
3/31(日) 4,741位 はちみつ おばあちゃん達が教えてくれたこと(^^)

美人薄命の秘密(前編)

2013-04-01 | Weblog

「生き生きと、宇宙を飛び回っているようだったね」
ちょっと大げさな表現に、当時の自分自身を思い出し、確かにそうだったかもしれない……と感じました。

“みかっちRadio”の中で、カウンセラーの澤谷鑛先生が、そう形容してくださったのは、「しあわせな人生の実現をサポートする人材養成講座」一期生として学んでいたときの私のことです。

初めて学ぶカウンセリング、すばらしい仲間や憧れの方々との出会い、一日一日が、驚きと感動の連続でした。

まっさらさらなその時を生きるという自分、そうしながらも過去のデトックスをしていく自分、この二つの側面を感じながら人生を展開していく。

どちらが欠けても、人生のほんとうの姿は観えて来ない。本当のカウンセリングはできない。と澤谷先生は常におっしゃっていました。

人生はいつもいつも、新しい。新しい人生を行きながらも、私たちは過去にも生きていると言えるかも知れません。過去がなければ「自分が誰なのか」わかりません。
その過去こそが、ある意味「セルフイメージ」であるのですが、セルフイメージは自分の人生の操縦桿です。
いくら思考で軌道修正しても、自分の自分に対する、根底にある根深~い思いが自分を創っているといえます。

電車の中で、ふと、自分がどんな表情で座っているのか、感じられたことはあるでしょうか?
私は、気付くとぎゅっと目をつぶって、過去のいやな思いをリフレインしてしまっていたり……
これは、疲れたほほや口元をしているんだろうなと、ふと、われに返るえることもありました。

車窓に映る自分はまなざしを落としていませんか?
セルフイメージは、いくらおしゃれをしても、一時的に気分が高揚しても、メトロノームが真ん中にもどってしまうように、ベースとなる自分を形作っています。

自分自身と向き合いながら、過去をつねにデトックスしながら、セルフイメージを常に更新しながら、生き生きとまっさらさらの人生を生きていくこと。

確かに、澤谷先生がおっしゃるように、これが「しあわせな人生の実現」の秘訣と言えるのではないかと思います。

澤谷先生との“みかっちRadio”の50分は、セミナーともまたちょっと違う、カウンセリングともまたちょっと違う、それこそ、澤谷先生との過去、不思議な「絆」を感じながら、今までにないまっさらさらな50分……とっても貴重な時間が展開していたような気がします。

タイトルは『美人薄命の秘密』。

「美人薄命」とは、他者の想念のなせる業?
良くも悪くも人生を左右する「想念」。平たく言えば「思い込み」ですが、嫉妬ややっかみの思いはれを受ける人の運命を捻じ曲げるほどのパワーを持ち、わかりやすいところで言えば、美人に災難が降りかかるとの説があるそうです。

果たして本当に美人は薄命なのでしょうか?

前編は25分ほどとなっております。
ぜひ、お聞きいただければ嬉しいです♪

  Vol.6 澤谷鑛先生に聞く 『美人薄命の秘密』 前編
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おばあちゃん達が教えてくれたこと(^^)

2013-03-31 | Weblog
はちみつ(^^)

2日前、お休みの日に歯医者さんの治療が終わって、お迎えを待っていた時のことです。

ショッピングセンターのイオンの前にはベンチがたくさん置いてあって、そこに座って待っていました。そしたら私の横に「よっこいしょ(^^)」って、ちょっと体格のいいおばあちゃんが腰かけて、こちらを見てニコッと(*^_^*)微笑んでくれました。
「ご家族の方とお待ち合わせですか?」と話し掛けたら、「うん、ま~そうね」と言われていたけど、あちこちを見渡して落ち着かない素振り。立ち上がったり腰掛けたり、カートをおしながらウロウロしたり、また戻られて私に微笑む(*^_^*)

このおばあちゃん、一体どうされたんだろう?
そういえば、ちょっと不安そうな表情されてるな~。
そんなこんなで、あまりお話をすることはなかったけど、私に微笑みながら何かを心配されているな~と思ったら……
「お~い! どこいってたんだよ~! 勝手に一人であっちこっち行くなって行っただろ? 探し回ったじゃないか!」と、息子さんらしき人が迎えに来ました。お買い物袋をいっぱい抱えて……(笑)。

どうやら、おばあちゃん、一緒にお買い物をしていたらおトイレに行きたくなっちゃったらしく、息子さんに何も伝えないまま……逃亡しちゃったらしい(^^;;
でも、おばあちゃん優しいんだよね。
「うん、ごめんね(^^)」
「トイレ行ってたのか? まったくも~!」
「うん、ごめんごめん(^^)」
息子さんにそう言うと、あまり会話も交わしてないのに、私にニコッと微笑みながら会釈をしてくれて、「じゃあ、気をつけてね」って息子さんと出口の方に向かわれました。
「はい、ありがとうございます(^人^)おばあちゃんも、お気をつけて(^^)/~~~」

そっか、おばあちゃん、息子さんが探し回ってないか、不安で、心配で、仕方なかったんだ。 でも……何も伝えないまま、おトイレに逃亡しちゃたおばあちゃん、ちょっとバツだけど……(笑)。
おばあちゃんは、「私が息子にくっついて歩かない方がお買い物がはかどるし、おトイレに行きたくなっちゃったって言うとお買い物を中断しておトイレに着いて来てくれるから、そっと一人で行って息子の所にもどればいいや」って、思っていたのかな?(^^)
でもお互いに探し回っちゃったもんだから(笑)、おばあちゃんは、ここにいれば息子さんがきっと見つけてくれると判断して私の横に腰掛けたんでしょう。

そういえば私も、お母さんには結構キツイ言葉ぶつけちゃうんだよな~(^^;;
お母さんは私の言うこと、やることを予測した上で、まあるくことが収まるように寄り添ってくれているんだけどね!
「私は母親だから、お前の言うこと、やることは分かってるよ」みたいになると、素直に「ありがとう」って優しさを受け取ればいいのに、ちょっと“カチン”と来てしまう……(笑)
お母さん、いつまでもダダっ子の甘ったれでゴメンなさい。それもまたよしd(^_^o)で、流してくれ!(笑)そして、ありがとう(^人^)

そして、おばあちゃんと息子さんの後ろ姿をそっと見送っていたら……
あっ、緑色のフリースがお揃いだ(*^◯^*)(笑)お二人、いつまでも仲良しで! お母さんの優しさに気づかせてくれて、ありがとうございました(^人^)

それから、数分後……
今度はちょっと杖をつきながら、ニコニコと微笑みながら、別のおばあちゃんが隣に腰掛けてくれました。本当に本当に優しいほっこり和む笑顔で、挨拶を交わす前からもう全身で、「私は幸せよ(*^_^*)」って、言われてるような……そんなおばあちゃんでした。

「あら、こんばんは。もう、外は暗くなって来たのね。これから歩いて帰るから(^^)」
「こんばんは、そうなんですね! 今ちょうど、車の迎えを待ってるとこなんですよ。暗くなるとお足下が見えないので、お一人でしたら乗れますので、ご一緒にいかがですか? おうちは、どの辺ですか?」
「うち? 駅の階段を渡って、少し歩いたところよ。でも、娘が一緒だから大丈夫よ。ありがとう(^^)」
「そうでしたか。じゃあ、安心ですね」
「そうなの(^^)今もね、うちは女二人だから、お買い物に来るとお夕飯の支度はしないの。 男がいないと、気楽なものよ(笑)。二人で美味しいものを頂いて、運動がてら歩いて帰るのよ。」
「そうですか、お買い物の日のお楽しみですね! 何を召し上がったんですか?」
「今日はね、和食屋さんで天丼(*^_^*) 美味しかったわ、お腹いっぱい!」
「うわ~、いいですね~! うちは食べ盛りの息子がいますので、10キロのお米を買って担いで、これからも夕飯の支度です(^^;;(笑)」
「ま~たくましい(笑)」

なんて、げんちゃんをネタにお話していたら……(笑)(^^;; 娘さんがお買い物を終えたらしく、お買い物袋を持っておばあちゃんのところに。 私に軽く会釈をしてくれて、「お待たせ! さぁ、帰りましょう(^^)」と、片手をおばあちゃんに差し出し、おばあちゃんは娘さんの手を握り……
「よっこいしょ! こうやって、娘の手を貸してもらって立つのよ(笑)。じゃあ、またね! 重いもの持って帰るんだから、気をつけて帰ってね(^^)」
「ありがとうございます(^人^)おばあちゃんも、駅の階段、お気をつけて!」
「はい、ありがとう(*^_^*)」
そう言われると、杖をつきながら、出口の方に向かわれました。娘さんもとっても温かい笑顔で「さよなら(^^)」と挨拶をしてくれました。
娘さんに手をかりて「よっこいしょ」って立ち上がるのも、お二人で食事をする時間も、お買い物をする時間も待つ時間も、他愛もないお話をしながら一緒に歩む時間も、すべてを満喫されているという感じでした。

娘さんはおばあちゃんの一歩一歩に寄り添い、見守るように……。今までは娘さんが寄り添われ一歩一歩を見守られて来たけど……今度は娘さんがおばあちゃんに寄り添われて、一歩一歩を見守っているんだね。

うちのお母さんは、まだまだ現役バリバリの理容師だけど、いつかは私にも、おばあちゃんと娘さんと同じような時間がくるのかな(*^_^*)

おばあちゃんと娘さんのお二人、どのような人生を歩まれて来られたのかはわからないけど……もしかしたら、何かお辛いことがあったからこそ、今ここの『手のひらの中の幸せ』をお二人共、感じてらっしゃるのかもしれないな~(^^)
おばあちゃん、私にその事もあわせた上でしあわせ話を聴いて欲しかったんだね!
こちらこそ、おばあちゃんの笑顔とお話に和ませていただきました。おすそ分け、ありがとうございます(^人^)本当に穏やかに和やかにお話してくれたけど……

お母さんにとって、娘と一緒に過ごすささやかな時間でも、こんなに嬉しいものなんだ。気づかなかったよ、ゴメンね。週一日しかないお休みは、一人でゆっくりさせてあげたいなって思っていたけど……実はそうでもなかったんだね。

お母さんはたばこを吸うからいつも邪険にしちゃって、私の方に来る煙りを手ではらったり、「あのね~、美味しいドーナツも煙と一緒に口に入ったら、美味しくなくなっちゃうでしょ⁈」とか、イヤミ言っちゃったりして……(^^;;
お母さんが相手だと、何でこんなにアホタレになっちゃうんだろうか?(^^;;(苦笑)

「もうちょっと、お母さんの気持に寄り添ってあげなさい」
って、おばあちゃんと娘さんが気づかせてくれたんだ。それから、しあわせをおすそ分けしてくれたんだね! おばあちゃん、娘さん、ありがとうございます(^人^)

これからはお母さんの気持にもっと寄り添って、お母さんと二人の時間も大切に過ごします! そうすると今日のコーヒー代はどっちが払うで、もめたりするんだけど(笑)。お互いに、おごるのもおごってもらうのも……実は嬉しかったりするのに……

あ~、素直じゃない嫌なところはよく似てしまって、イラっとしちゃう……悲しいかな、鏡の法則! でもでも、それもまたよしd(^_^o)(笑)
お母さん、これからはもっともっと、た~くさん二人の時間も満喫しようね!!
こんな娘ですが、これからもヨロシク~(*^◯^*)


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千羽鶴に祈りをこめて

2013-03-30 | Weblog

お風呂からあがった夫が少し興奮気味に言いました。
「みんなでシェーンに千羽鶴を折って送ったらどう?」

千羽鶴!!

遠い昔の出来事が鮮やかに思い返されました。
それは、重度のアトピーで学校を休みがちだった次男をクラスメートが見舞ってくれた時のこと。
当時、次男は小学校2年生でした。
ある日、学校を休んでいる息子と二人で家にいるとドアホンが鳴りました。
ドアを開けると、玄関前に2年1組の子どもたちが笑顔で立っていました。
驚いてる私に、
「これ、みんなで作りました。K君が早く元気になりますように。」
と言いいながら千羽鶴を差し出してくれたのです。

「千羽鶴」と聞いた途端、その時の感動と感謝の思いが一気に蘇ったのです。

「いいわね!!! やりましょう!」

ネットで探してみると、「千羽鶴用キット」なるものがありました。
千羽鶴用折り紙(20色)が1020枚、糸、ビーズ、説明書でワンセット。
早速注文しました。

日本人の母親とアメリカ人の父親の元に生まれたデニスは、母親のふるさと日本が大好きです。これまで、度々、ミシガンを訪れた私たちに対して、いつも最大限のおもてなしをしてくれました。

2年前の東日本大震災で起きた原発事故の際には、放射能の影響を心配して、
「すぐにミシガンに越してらっしゃい!」
と私たちに熱心に呼びかけてくれたのもデニスでした。
いつも誰かの為に真心を尽くして生きているデニスと彼女の家族のために、何かしてあげたいと思わない人はいないでしょう。
義妹夫婦や姪たちにも千羽鶴作成の協力をお願いすると、皆、口々に、「喜んで!!」と快諾してくれました。

全員で8人なので、一人当たり折る枚数はかなり多くなりましたが、みんなの気持ちの中に、一刻も早くシェーンに届けたいという想いがあったのでしょう。仕事の合間に、育児の合間にと折り紙に専念してくれたようです。
それぞれが異なる場所で、思いをひとつにして鶴を折ってくれたのです。

あちこちに分担された千枚の折り紙が綺麗な千羽の鶴になって、私の手元に帰ってきました。
あとは、針と糸で千羽鶴を全部繋げればよいのです。

デニスとシェーンに思いを馳せながら一人黙々と鶴を繋げていく時間、それはとても静謐なひとときであり幸福な時間でした。意識が宇宙大に広がっていき、やがて、何もかもを優しく包み込んでしまいたくなるような気持ちが溢れてきました。

そんな瞑想状態での作業が5日間続き、遂に、千羽鶴が完成しました!!!

メッセージカードを添えて、明日、航空便で送りたいと思います。

どうか私たちの祈りが天に届きますように☆


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デニスからの手紙

2013-03-29 | Weblog

クリスマスシーズンになると、必ず届いていたXmasカードが、昨年の12月には送られてきませんでした。
米、ミシガン州に住む従妹のデニスは思いやりに溢れた愛深い人。
こちらは忙しさにかまけてクリスマスカードを書かないこともあるけれど、この30年間、彼女から Xmasカードと、近況報告を知らせる手紙と、家族の写真が届けられなかったことは、一度もありませんでした。
12月中に届かないことはあっても、1月中には、必ず届いていたのです。

それが今回は届かない。
どうしたのだろう……

少し心配になってきた頃、デニスから長い手紙が届きました。

そこには、
次男のシェーンが医者からガンと宣告されたこと、
手術を受けて現在は治療のため、彼と二人でテネシー州に住んでいること、
まだ23歳という若さなのに病魔に侵されている彼が不憫でたまらない、
という切々とした思いが書かれていました。
そして、手紙の最後は、
“どうか彼のために祈ってください”
という言葉で結ばれていました。

デニスからの手紙
我が家の子どもたちが小学生の頃、夏休みを利用して一か月余りミシガン州の従妹たちの家に家族で滞在したことがあります。
デニスと我が家の子どもたちは同年代なので、夏休みの間中、彼らは毎日のように一緒に遊んで過ごしました。今でもお互いに大変楽しい思い出として心に残っているようです。

事情を理解した私たちは、早速、テネシー州にいるデニスに電話をかけました。

夫や娘と遠く離れて、シェーンの看病と通院に付き添う日々を送っているデニスは、私たちの声を聞くと堰を切ったように話し始めました。

かれこれ一時間近く話したでしょうか。

息子の平癒を願う彼女の気持ちが痛いほど伝わってきました。

涙ながらに語る彼女のシェーンへの思いに深く共感できるのは、私も子を持つ母ゆえになのでしょう。

電話を切ったあと、夫と二人で顔を見合わせました。
今、私たちがデニスやシェーンのために出来ることはなんだろう……。


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