絆の法則

澤谷 鑛

カミングアウト(後編)

2013-03-28 | Weblog
一心太助

カミングアウト(前編)の続きになります≫

そんな折、赤十字病院の障害者雇用の枠が空いてるということで、履歴書を送ったところ、一週間経っても二週間経っても返事がこない……。
この間も待つしかなかったのですが、この『待つ』という時間……一見時間を無駄に過ごしているように思われがちですが、その時間は実は後々の生活にとてもプラスになる重要な『間』でした。

赤十字病院からの結果を待つ間、はちみつさんの家族と接する時間……特に子供とコミュニケーションを取る時間がたくさんありました。
しかもただコミュニケーションを取るのではなく、はちみつ家の生活のリズムの中で、僕ができることをしました。
そのおかげで、徐々に距離を縮めることができました。

そうしているうちに、赤十字病院から『面接』の連絡を受け、そのさらに約1ヶ月後に晴れて職員として採用していただけることになりました。

正式に決まった時に、はちみつさんの家族からお祝いをしていただけたこと、そして、出勤初日には、はちみつさんのお母さんに赤飯を炊いていただけたこと、思ってもいなかったサプライズに涙が出ました。

『受け入れてもらえたのかな』……と。

もし、千葉に来て何の問題もなく、すぐに一緒に暮らせるような状態だったらどうなっていただろう……。
住むところもあって、仕事もあって……まるでスムーズにいっているように見えて安心したかもしれません。
しかし、もしそうなっていたら、家族として距離を縮めることができただろうか。
実際どうなっていたかわかりませんが、少なくとも『すぐに決まらなかった』ということが、いろんなことを感じ、考えるきっかけとなったのは間違いないと感じています。

また、子供とのかかわりも予想をはるかに超えて接することができ、毎日がワクワクでいっぱいという今までにない感覚を味わわせていただいています。

小学六年にもなると、当然『自我』が出てきます。正直なかなか言うことを聞いてはくれない時もあります(笑)。
ゲームや漫画に熱中して聞く耳持たない……その場では腹がたちますが、実はそれが妙に心地よいのです。腹が立ちながらも、愛おしささえ感じる毎日です。
なぜなら、その姿に子供としての本当のあるべき姿を感じているからかもしれません。

変にイイ子でいられるより、時々怒らせてもらえる方が安心して信じられるというか……一見矛盾のように感じますが、僕には『そのまま』で接してくれる子供にも感謝です。

ここまできたことに僕自身がたぶん一番びっくりしております(笑)。

最後に余談ですが、『なんとかなる』という言葉は、励ましでよく使っているのを見聞きしますが、使う方は自分が全ての責任を負う覚悟がないと言えない言葉だと思います。
そして、行動については、
『いつやるか? 今でしょう!(笑)』
……このフレーズ、某CMで聞いた方も多いと思いますが、本当にそうだと思います。
今を逃したら、同じチャンスは二度とおとずれない……。

ここだと感じたときは、一心不乱に取り組むとたくさんのギフトが舞い降りてきます。

まだ始まったばかりなので、これからがもっと重要になってくると思いますが、目一杯感情を分かち合いながら、信じあいながら生活していけたらと考えております。


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カミングアウト(前編)

2013-03-27 | Weblog
一心太助

今日(3/2)の「しあわせな人生の実現をサポートする人材養成講座」の集中講座では、『第5期に参加して』というタイトルで体験談を話(カミングアウト)させていただきました。

その話をこの日記に書かせていただきます。(話していない内容もここでは書きます。)

養成講座に入るきっかけは、はちみつさんの紹介で澤谷先生のセミナーに参加したのが始まりでした。

その当時は、女性が嫌い、という感情でいましたが、こんな僕も、今年の夏、結婚します。
そのお相手は、その『はちみつさん』です

養成講座の前半は、メーリングリストでは激しい内容で記事をあげていたりして(苦笑)、養成講座を積極的に楽しんでいたのですが(笑)、後半からは全く活動がなかったかと思います。

ある日、はちみつさんからメールを受け、その内容に直感的に全てに優先して問題を解決しないといけない……と感じ、僕の全てのエネルギーをそちらに費やすようになりました。

澤谷先生のブログやメーリングリストは読まさせていただいておりましたが、それに対するコメントを考えるだけの余裕が持てず、必要最低限の課題を提出するのが精一杯でした。

そんなとき、『一心太助さんの日記やコメントがないのはさみしい』というような内容のメールをいただいたりしました。が、『ごめんなさい。今はステージが変わってそこで取り組んでいることにいっぱいいっぱいなんです』と言うような内容でしかお返事することができず、ご心配をおかけしてしまったこともありました。

そんな中、はちみつさんとのやりとりで、最終的に千葉に住むということ、はちみつさんとの結婚を決意しました。

家族や周囲からは90%が反対され、公務員を辞めてまで夢に描いたヒーリングサロン……その夢は本物だったのか……自分にウソをついていないか……サロンが儲からないから逃げじゃないか……という厳しい意見を受けました。

しかし、千葉に住むことに不思議なことに僕自身不安はありませんでした。
確かに千葉で僕の生活を保証してくれるものは何もない……しかし、何故か直感的にその流れに光を感じ、千葉行きが当たり前、という妙な自信に満ち溢れていました。
この時点では、楽観的な気持ちでしたが、しかし、実際に千葉に住んでみると、僕が当初感じていたこととは違っていた現実がありました。

千葉に来たものの、実際彼女は既婚者であり、その当時は籍の上ではまだ離婚が成立していない状態でした。
千葉行きの判断はフライングだったか!? と思ったものの、後戻りする訳にもいかず、とりあえず職を探すことに専念しました。
とはいえ、不況だと言われるこの時代です。早々に見つかるわけがないと覚悟を決め、じっくりと探すことにしました。
面接を受け、結果を待つ……不採用。
再度面接を受け、結果を待つ……それも不採用。
それを何度となく繰り返していくわけですけど、刻々と時間が過ぎていきます。

それを見ていた彼女は不安が募ってきたのでしょうか。
『時間を無駄にしてる』とお叱りを受けました。
それでも今は待つしかなく、『何とかなる』『なるようになる』と言い続けました。

≪後編へ続きます≫


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咲かせましょうか

2013-03-26 | Weblog
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日本全国のあちらこちらで、桜の花が咲いてきました。
桜が咲いている姿はとても美しく、心を豊かに楽しくしてくれます。皆様、桜を楽しんでいらっしゃいますか?

さて、「桜が咲いている」の「咲」という漢字……
元々は「笑」という字でした。なので「咲う」と書いて「わらう」と読みます。
古では、「咲」と「笑」は同じだったのです。古事記の天の岩戸の場面や万葉集にも、わらうところで「咲う」と使われている箇所があります。

ちなみに「笑」の文字の成り立ちは、神に使える巫女が両手を上げて舞い、神がかり状態になっている様子を表したものです。要は、生命の源を支えてくれる天の恵みに対して巫女が舞い、神を楽しませようとする動作が「笑」なのです。ですから、「咲」は同じ意味となります。

ここにも、リアルなスピリチュアルが息をしているな、と素直に感じる私です。決して遥か彼方の、想像もつかないところにスピリチュアルがあるのではなく、私達が生きている現実の身近な暮らしの中に、ちゃんと溶け込んでいると思うのです。

また、「花が咲く」と表現する時に、「咲」の字を使ったのは、人が笑う時に口元がほころびるのが、花のほころびるのと似ているから、と言われています。「花」と「口」に「ほころびる」を掛けてくるのも、風流で情緒豊かだなと、素直に感じております。

「言葉を知る」世界から更に踏み込んで、「言葉を識る」世界へと自分自身が飛びこんで行った時、そこには、ぱっと花が咲く世界が現れてくるのではないかと思います。私自身の体験ではありますが、「言葉を識る」世界へどんどん入っていくと、理屈や理論で説明を完全に出来ないけれど、そこには、自分の中の大切な種子がどんどん育まれ、熟されていく感じに浸れるのです。
実際に「咲」の字を調べてみて、「笑」と同じだったことに驚き、花が咲いているのを見て綺麗だなと感じる自分の心にありがたみを感じさせていただきました。また、「笑う」ことが大切だとまでは思っていましたが、貴いことなのだ、深遠なるパワーに繋がっているのだなとも自覚が出来るようになりました。

桜を楽しみ、にっこりと微笑む時、桜も咲いていますが同時に、私達自身も咲いています。桜と一緒に素敵に咲き合っているのです。
桜を見ながら、どんな風に、自分自身を咲かせましょうか?
笑顔満載で、わくわくしながら咲かせましょうか。


さていよいよ澤谷先生とのコラボセミナーまであと一週間をきりました。
まだお席に余裕があるようです。皆様この機会にぜひご家族お友達をお誘いの上、桜満開の京都にいらして下さい。
皆様と共に、楽しくセミナーの時間が過ごせる事を、心より願っております。


澤谷 鑛 & 石川浩代 スペシャルコラボセミナー in 京都開催!!


澤谷 鑛 & 石川浩代 スペシャルコラボセミナー in 京都開催!!

「甦る日本のこころ」

「日本人のこころ」を再認識する事により、これからの時代を生きていく大きな力になると思います。まわりの人から信頼され、感謝され、愛されるしあわせのパスポートがここにあります。
桜の季節の京都に観光がてらいらっしゃいませんか?

日 時
2013年3月31日(日) 10:00~16:00

場 所
キャンパスプラザ京都

京都市 下京区 西洞院通塩小路下る

セミナー代金
10,000円

参加申し込み 
ホームページにて申し込み下さい。
http://www.kou-sawatani.com/sem-130331js.html


石川浩代さんのFacebookは、こちらからどうぞ

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咲くも花 散るも花

2013-03-26 | Weblog
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澤谷 鑛

 桜の花が咲きはじめました。
 桜の花の咲き出す後先は、百花繚乱、ですね。新しい出発のときです。可能性が花開く希望の季節です。つまずいても、また起き上がる力をもらえる花の季節のように思います。希望と絶望をつらぬいてひとつなのがいのちの展開なのかも知れません。

 いつのことだったか……。4月のはじめに満開の桜を見ました。その頃、連続的に北海道の講演会に行きました。
 5月初旬に函館に行きました。満開の桜が私を迎えてくれました。
 5月の半ばには、帯広に行きました。満開の桜でした。この時期、桜と水仙とつつじが一緒に咲くことに驚きました。ところが、満開の桜咲く上に真っ白な雪が積もりました。満開の桜に雪という風情は、私をよろこばせました。次の日、あれほど積もった雪もきれいに消えていきました。デトックスだ、と思いました。
 6月はじめ、根室と釧路で講演会をしました。釧路空港から根室までの2時間の道のりは、春爛漫桜満開の街道でした。極めつけは、根室の清隆寺でした。様々な種類の桜があり、美事に満開でした。桜前線の日本最後は、この根室だと聞きました。私は清隆寺で漢字ばかりの字余りで季重ねの俳句を作りました。

 春爛漫 桜満開 夢遍歴 


 人生は、将に夢遍歴なのかもしれません。

 人は、不完全な影なるものを嫌悪します。不完全を完全にしようとします。しかし、不完全を不完全のままに諦めたとしても、不完全がわかるということは、完全を知っているからです。だからこそ、完全なるものを思惟し、求めることが出来るのです。
 完全なるものは、完全であるがゆえに何も欠乏していません。何も欠乏していないということは満ち足りているから、何も意欲しないことになります。何も意欲しなければ何もつくりません。何かを意欲するということは、完全でない証でもあるといえます。
 人が生きる人生は、神が生きるのでも、仏が生きるのでもありません。神や仏が生きるのであれば、完全なるものですから、何の意欲もなく、何もつくらないでしょう。
 意欲は欠乏の感じであり、人生もまた欠乏からの意欲によってつくられるものなのでしょう。だから、夢遍歴と表現できるのかもしれません。
 それを知るためには、思惟と思考の違いを知らなければなりません。

数学者の藤原正彦さんが「人間にとって最も重要なことの多くが、論理的に説明できない」と言い、「論理は世界をカバーしない」と言って、1931年にオーストリアの数学者クルト・ゲーデルが「不完全性定理」というものを証明したことを書かれているところがあります。

【不完全性定理というのは、大ざっぱに言うと、どんな立派な公理系があっても、その中に、正しいか正しくないかを論理的に判定出来ない命題が存在する、ということです。正しいか誤りかを論理的に判定できないことが、完全無欠と思われていた数学においてさえある、とゲーデルは証明したのです。】
【この不完全性定理が証明されるまで、古今東西の数学者は、こと数学に限れば、どんな命題も正しいか誤りかのどちらか一つであり、どちらであるかいつかは判定できる、と信じ切っていた。ところがゲーデルはその前提を覆したのです。人間の頭が悪いから判定できないのではない。論理に頼っていては永久に判定できない、ということがある。それを証明してしまったのです。】
【論理的というだけなら、良い理由も悪い理由もいくらでもある。人を殺していけないのは、「駄目だから駄目」ということに尽きます。「以上、終わり」です。論理ではありません。このように、もっとも明らかのように見えることですら、論理的には説明できないのです。】



 ある養成講座生と話しながら、こんな句が心に浮かびました。

 散る桜 残る桜も 散る桜 


 良寛の辞世の句ですね。

 散る桜 残る桜も 散る桜 


 等しくやがては死を迎える運命を秘めている、という趣旨だと言います。これは満開に咲き誇っている桜の中にも、やがて散りゆく定めをみる。その生命と死の対比を情景の中に感じ取ることにより、よりいっそう生命の輝きを強く感じることが出来るという趣旨だと言います。
 散る桜も、残る桜も、生き切るのですね。お亡くなりになった方も、今、のびのびと楽しい人生を過ごす方も、厳しい人生に耐える方も、生き切っているのです。

 咲くも花 散るも花 なのですね。


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澤谷 鑛 先生が3月18日に☆みかっちRadio☆出演されました。
下記のブログで音声が聞けます。
☆みかっちRadio☆は、コチラ…

親愛なるマルちゃん。

2013-03-25 | Weblog
カモミール

私たちが働く施設がオープンして、まもなく3ヵ月が経ちますね。

あなたに初めて会ったとき、
「別会社の人と協力し合ってお仕事するけど、相手がこの人だったら大丈夫。うまくやっていけそう!」
って思ったよ。すぐに意気投合して、会社は違うけれど一緒にお昼を食べたり、仕事が終わってから待ち合わせて晩ごはんを食べに行ったりしたよね。ゲラゲラ大笑いして、楽しかったよね!

去年の夏に胆石の発作を起こして以来、何カ月ぶりかの仕事復帰だったし、体力的にやっていけるか? 最初は心配だったけど、マルちゃんと一緒に働けたから、心配はどこかに飛んでいったよ。おかげで今はすっかり元通りの体調です。ありがとうね、マルちゃん。

でもオープン後、だんだんマルちゃんとの関係はあやしくなっていったよね。
会社同士の関係もぎくしゃくし始めたよね。私たちがマルちゃん達の仕事を横取りしたと、いわれのないことでマルちゃん側の会社からクレームが入ったのには驚いたよ。
それにマルちゃん、この間はあからさまに嫌悪感をむき出しにした態度を取ったよね。
さすがに動揺したよ。何でこんなことになっちゃったんだろうって、悲しくて、腹立たしくて、裏切られた気持ちになりました。

昨日は仕事が休みだったから、そんなマルちゃんとのことをずっと考えていました。
社会人として働くようになってからも、同じようなことが何回かあったことにも気づきました。
小学校1年のときに、大好きだった幼馴染みのマミちゃんが急に私を仲間はずれにしたことも思い出しました。私は大好きな人に裏切られる……そんな誤った思い込みを心に持ち続けてきたように感じたりしました。

でも、これからどうしていくか、自分のなかの答えはまとまらなくて、ただ、マルちゃんがどんな態度に出ようとも、マルちゃんの会社がどんなことを言ってこようとも気にしないこと、これまで通りのスタンスでお仕事することだけは決めました。

そして、今日のことです。
実は今日ね、今までよそよそしかったマルちゃんの会社の上司の方が、初めて私に話かけてきたの。私の会社にクレームを言ってきた、あの方ですよ。
言葉に出しては言わないけれど、何となく私に謝っているように感じました。気のせいかもしれないけれど、気のせいじゃないと思う。
会社には会社の、その人にはその人の立場があるものね。何かやむを得ない事情でもあったのでしょう。

マルちゃん。
奇しくも今日、同僚のKさんとお昼を食べていて、マルちゃんのことが話題になりました。
「マルちゃんは上司から日々細かく指導を受けていて、上手く立ち回れずに悩んでいるんだって」
と教えてもらいました。
いつも明るくふるまっているあなたが仕事のことで悩んでいたなんて知らなかった!
私に悩んでいるとは言いたくなかったし、そんな風に見られたくなかったのでしょうね。
ごめんなさい。気づけませんでした。

そういえば、マルちゃんから、
「カモちゃんの対応は勉強になるよ」
と何度か言われたことがありました。
私にとって今の職場は、これまでの経験がフルに活用できる、何とも有難い所です。だから私は単純に褒めてもらったと受け止めて、そのあとすっかり忘れていました。

なぜマルちゃんがそう言ったのか? そんな風に考えたことは一度もありませんでした。
私も前の職場でマルちゃんのように大変な思いをしたことは、すっかり忘れていました。

あなたの態度の奥にある、心の声にやっと気づきました。
私はあなたの助けになりたい。そして協力しあっていい仕事をしたい。施設に来る人にいい時間を過ごしてもらいたい。
私に出来ることは、もっともっとありました。それだけのことをやりなさい、と求められていたことにやっと気づきました。

マルちゃん。
気づかせてくれて、ありがとう。

来月8日~17日にかけてインドに滞在し、その後この文章を改めてみたときにどんな感じがするのかな……と、そんなことを考えています。


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工藤新一。

2013-03-24 | Weblog

お客様とある分野の話になったときに
「なんでそんなに詳しいねん……。」
と、上長が後ろに立っていた。

今の会社には、関係のない経歴を言わずにトライした。
真っ白な自分でやりなおしたかったからだった。

「あ、あの、あの、テレビで言ってました!!」

どこかで聞いたセリフ……。あ、あいつか!!……と思った。
名探偵コナン。
7歳にしては、やたらと詳しい説明をした後、
「テレビで言ってたよ!」
「新一兄ちゃんに教えてもらったんだ~」

もし、工藤新一が高校生のままだったら、あたりまえだけど、眠りの小五郎も生まれてない。
そして、捜査上子供だから安心感を与えられることも沢山ある。
アガサ博士のコナンのための発明品も新一を助けたい一心で生まれてきたもの。

そして、繰り広げられる人間ドラマは、とても切なくて、やるせないこともあるけれど、探偵として本物になっていくためにコナンは、コナンになるしかない運命だった。

そういう話だから、当たり前!! なんだ、ですけどね(笑)。

ドラマの主人公じゃなくても、きっと、私たちもそうなのです。

あの事件がなければ、あの悔しさがなければ、あの、のっぴきならない事情がなければ、今の、魅力的なあなたはいない。
そんなあなただから、そんな風に思い、感じ、そんなあなただから、そんな行動を取れる。

たとえ、
「こうしていたら……もっとこうだったのに。」
という自分の中の完璧を求める声が亡霊のように付きまとったとしても、それさえも、コナンを輝かせている。本当はいるようでいない「工藤新一」。

私もまた、もっと親孝行できるんちゃうか。もっとこうできるんちゃうか……。
自分のなかの「こうだったら」という「工藤新一」を感じながら、過ごしていることに気付くことがある。

「工藤新一」がいるから、コナンは輝くし、コナンがいるから、新一がミステリアスになりぐっと輝く。

コナンがいて、完璧。
新一の存在感があって完璧。
絶望があって完璧。
後悔があって、自分が許せなくて、それが完璧。
ドラマをみるとよくわかる。

カウンセリングの師匠が
「自分を不完全だと見るのは、完全をどこかで知っているから」
と、よく言います。

自分の中に工藤新一がいるから自分がわかる。

不完全を抱えられるから、完璧に向かって今日一日を過ごす。

しかし実は、ドラマのように、それそのものが完璧。
今日もまた、完璧な一日。
どんな思いをしようとも!!

そして面白いのは、新一と蘭が追い求めているものは、本当はいつもいつもそばにある。いつもそばにいて、一緒に暮らしている。人生って、本当に面白い。


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火山とコーラとわさびと、そして

2013-03-23 | Weblog
フロウライト

ときどき、ニュートンという科学雑誌を、パラパラと読んだりするのですが、2013年2月号に、火山噴火の仕組みが紹介されていました。

大地震が起きた後に、震源地近くの火山が噴火することがあります。
これはなぜか? 実は、コーラを振ってから、キャップを開けると、噴水のようにコーラが飛び出すということと、同じ現象なんだそうです。
火山の下には、溶岩があります。これは高熱で溶けた状態、つまり液体で存在します。この溶岩の中には、水や二酸化炭素が、気体の状態で溶け込んでいるんだそうです。

地震で、溶岩が揺らされる。そして、地震の影響で、地盤に亀裂などが生じて、気圧が変化する。丁度、コーラのキャップを開けた状態になる。 そうすると、溶岩内の気体成分が、一気に発泡する。そして溶岩が、その勢いで噴出する。ということなのだそうです。

ところで、ペットボトルのコーラなら、噴き出すことを予防することができますよね。キャップを、少しだけ、回して、余分な気体成分だけを、外に逃がしてあげる。そうしておいてから、キャップを開ければ、噴出は避けられます。
プルトップの缶コーラや瓶のコーラでは、これはできません。
  ☆
話はかわりますが、コーラの炭酸ガスを逃がす話で、思い出したことがあります。

わさびを食べた後に、鼻がツーンとして、涙が出るなんてことありますよね。だから、わさびは嫌いという方も多いかも知れません。
あの、鼻ツン現象を緩和する方法があります。
鼻ツンが起きるとき、みんな、口を閉じて、鼻ツンと闘います。そして、鼻ツンが和らぐまで、待つのです。鼻ツンを緩和するには、口を開けて、わさびガスの逃げ道を作ってあげればいいのです。口を開けた途端に、鼻ツンは消えますよ。
  ☆
さて、火山の噴火やコーラの噴出というのは、心の問題とも、どこか似ています。

ネガティブな感情に蓋をして、大事にとっておく。そうすると、何かのきっかけで、心が揺さぶられたときに、心の底で、感情の圧力が増す。そして、蓋が外れた瞬間に、噴出する。

噴出も、開放ではありますが、周りに被害を与えてしまうこともあるかも知れません。
また、その噴出の傷みを我が身に受けて、口を閉ざして、これでもか、これでもかと、味わったりする。

ペットボトルのキャップを少し開けて、ガス抜きするみたいに、わさびを食べた後、口を開けて、ガス抜きするみたいに、心のガス抜きができればいいんだよね。
そうしたら、もっともっと、今ここが、楽園だと感じられるようになる。
  ☆
ときには、愚痴もいい、悪口もいい。不幸自慢もいい、ダメだしもいい。
そうやってネガティブを感じている自分に気づいていればいい。
それらは、口に出したからといって、現実化するものではない。口に出して、外に出したら、自然界の浄化作用が働いて、自然に浄化してくれる。

執着するために口に出すのか?
手放すために口にするのか?
そこに気づきがあるのなら、それらは手放されていく。自然に離れていくもんなんだよね。

愚痴もあり、悪口もあり、感謝もあり、賞賛もある。
感謝だけ、賞賛だけなんて世界は、きっと、つまらない世界になるよ。
愚痴もあり、悪口もあり、感謝もあり、賞賛もある。それでこそ、楽園となる。

そんな楽園が、今ここにある。
この世界が、その楽園なんだよね。


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人類の進化の時

2013-03-22 | Weblog
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マヤ・カレンダーは2012年12月21日に13バクトゥン(約5125年)の一区切りを迎えると言われており、それに人類終末論を絡めて語る人もいる。しかし、現地のマヤの人々で世界の 終わりを語る者は殆どいない。今この時期を区切りとする考え方は世界中に多数あり、その中の多くが男性の時代から女性の時代に移行すると言う。今現在が大きな変化の時代である事は世界を見れば誰の目にも明らかだろう。予言など関係なく、ボタン一つ、人為的ミス一つで人類に大きな危機が訪れる事は事実だし、自然災害による不安要素も非常に大きい。

女性は「心」や「感覚」、男性は「精神」や「思考」を表すという考えが各地の先住民などの文化の中にある。これは現代科学の「右脳」「左脳」「男女別の効き脳」の考えと同じように感じる。
どちらにしても男性から女性に移行するという事は暗に「思考」から「心」に移行すると言う事を言っているという事だ。
伝説や予言などを一切介さなくても、現在が人間に取って「心」を進化させなければならない時期だという事は目に見えている。

人類は近代、急速に「思考」の力を使って科学や技術を発展させてきた。その度に人類はより大きな力を持ってきた。刃物を使おうが、火を使おうが、人は失敗をして学んでゆく。刃物や火を使って間違いを犯せば、怪我をしたり、家を燃やしたり、人を傷つけてしまうかもしれない。それでも失敗しながら反省して学んで成長してゆく。
しかし、現代の状況を見るとどうだろうか。人類は原子力や宇宙開発、生物工学、遺伝子工学、ナノテクノロジーなどによって桁違いに大きな力を扱っている。もしも一つ間違いを犯せば一つの国や人類全体を殺しかねない状況になってきている。そしてそれを扱う人類は「思考」と「心」のバランスが崩れている。技術や物理的な力はあっても人間がそれを扱う能力を持っていない。赤ん坊に家の中で火の番を任せるような物だ。

今、人間は内面をバランスよく進化させる必要がある時期に来ている。そうしなければ自滅という形で淘汰される。他の生物の進化と何も変わらない。環境が変わり、生存の為に変化が必要となり、変化して生き残った物は進化した種と呼ばれる。
一人一人が自分自身の事、目先の事を考えると同時に、全体的な事、数世代先の事を常に考えながら世界のあらゆる部分で「調和」を創らなければならない。そうしなければ火を任された赤ん坊は家ごと自分を燃やしてしまうのは時間の問題だ。

今の人類が内面を進化させる事において具体的に今すぐ我々が出来る事は一人一人がしっかりと目を開き、「怒り」や「嫌悪」や「恐怖」、「過剰な欲望」を手放す事だろう。感情は大切な物だし、これらの感情は生存本能とも直結している。生物は弱肉強食の環境の中で知らない物を恐れ、警戒しながら競争の中で生き残る。時には怒りや嫌悪と共に敵と戦わなければならない。そして生存に必要な物を手に入れなければならない。それが当然の世界だ。

しかし、人類はこの仕組みにはもう合わないほどの強い力を既に持ってしまっている。他の生物を圧倒して世界中に広がり、国と国は相手をいつでも滅ぼせるほどの力を持ち、大 きな戦いが起これば確実に全人類を危険に陥れる。同じようにもしも大きな力を持つ物が自分の事だけを考えれば周りごと自分を滅ぼす事になる。つまり、生存の為に必要不可欠な事、サバイバル能力が意味するものが力を持って自分や家族を守り、必要ならば敵と戦うという事以上に、人類同士が如何に戦いを起こさないで調和の内に生きるか、そして大き過ぎる力を扱う物が自分自身だけでなく全体の事や先の世代の事を考えると言う事になっている。

戦いは「怒り」 や「嫌悪」、「恐怖」、「欲望」から産まれる。「怒り」「嫌悪」「恐怖」は「相手を知らない事」から産まれる。「過剰な欲望」は「自分を知らない事」から産まれる。つまり、これらの感情を一人一人が手放す事が人類の生存に大切な事だ。大きな力を持った人類に取って、これらの感情を手放し、調和を創る事に力を注ぐ事が生き残る為に最も必要な事だ。その助けになる事が、外の世界を知り、自分の内面を知るという事だ。知る事で「怒り」「嫌悪」「恐怖」「欲望」などを手放し、敵ではなく友を作り、調和の中に生きる事が人類に今必要な「進化」だ。これらの感情を持つ事はとても苦しい事だ。今人はこの変化が「必要」であると同時に、もうこの苦しみを抱て生きる必要は無いのだ。

言うまでもなく、これは非常に難しい事だ。なぜなら一部の人々がこのような生き方をしても意味が無いからだ。一部が調和を本気で目指し、そこに尽力する中、一部が欲望のままに侵略をするなら、この進化は絶対に起きない。
これは夢物語のように難しい事だ。しかしこの進化をしないならば、我々は自滅する事になる。ならば少ない可能性でも、一人一人が信じて目指す他は無い。
想像してみてほしい。もしも人類がこの進化を成し遂げたなら、どれほど素晴らしい世界が待っているのか。

この調和を一人一人からまた一人一人へ繋げてゆき、加速度的に進化が進む事を祈りながら。

【世界放浪徒然草】伊藤研人公式ウェブサイト
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伊藤研人さんのFacebookページ「世界放浪徒然草」はコチラ

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習慣を変える脳科学

2013-03-21 | Weblog

最近、次のような質問をいただきました。

「今の習慣を改めて、より良い習慣を身につけたいのですが、3日坊主どころか、1~2日しか続きません。どうしたら良いでしょうか? 脳科学で何かヒントがあれば、教えてください」

あなたも、同じような経験があるかと思います。
実は、この文章を書いているイチローも同じです。

カルフォルニア大学サンフランシスコ校のリベット博士の脳科学の研究をご紹介しますので、一緒に考えていただければと思います。

この研究とは、被験者の頭に脳波測定装置をつけ、以下の状況における脳の活動を調べるというものです。
テーブルとイスがある席に被験者を連れて行きます。被験者を椅子に座らせ、テーブルの上に左手を置いてもらい、右手には、実験装置のボタンスイッチを持ってもらいます。そして、被験者に以下の指示を伝えます。

「テーブルの上に置いた左手の人差し指を好きな時に動かして上げてください。その時、“指を上げる”と決めた瞬間に、右手でボタンを押してください」

この実験の流れを考えると、以下のようなプロセスが起きていると予想されていました。

1)被験者が指を上げると決める。
2)脳の中で指を動かすための変化が起こる。
3)指が上がる。

ところが、実験をしてみると、この予想とは違った結果が現われたのです。

それは・・・・・

・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・

1)と2)の順序が逆転していたのです。
つまり、まず脳の中で指を動かすための変化が起こり、300ミリ秒後に、被験者が指を上げる決断をし、600ミリ秒後に、指が上がる、というプロセスになっていることがわかったのです。
これは何を意味するのでしょうか?

まずは脳が判断をして、それが自分の意識に中に上がってきて、「指を上げる決断をする」と自覚ができる。その後で、実際の行動が起こります。
つまり、自分が行動を起こそうと自覚する前に、脳はすでに判断をしているわけです。

この「自分の意識に上がってくる前に脳が判断をしている状態」とは、無意識あるいは潜在意識で判断しているということです。

さて、「習慣を変える」ことに話を戻すと……

習慣を変えるためには、この無意識のレベルで変化を起こす必要があります。
言い変えると、無意識レベルで変化するところまで達すると、それは“習慣化”されたと言えるわけです。
では、無意識レベルでの変化をどのように起こせばいいのでしょうか?

その一つのやり方として、「上手い仕組み」を導入するという方法をご紹介しましょう。

その仕組みというのは、例えば、「マクドナルドの60秒サービス」です。
「マクドナルドの60秒サービス」は、注文から60秒以内に全ての商品を準備するというもので、“お客様をできるだけ待たせない”というコンセプトで作られたそうです。

顧客満足度を上げるために作ったサービスですが、実施しているうちに、おもしろい効果があることがわかりました。

どんなに無理と思える注文が来ても、(たとえば、ビッグマックを30個……など)60秒でお客様に商品を提供するにはどうすればいいのか?
優秀で手作業が早いスタッフがいても限界があります。
そこで、結果として生まれてきたのは“チームワーク”です。このサービスを導入後、スタッフ同士のチームワークが格段に良くなったということでした。

このように「上手い仕組み」を導入すると、自分が考える前に行動を起こすようになるので、習慣が変わっていくわけです。

つまるところ、習慣を変えるには、
“頭でいちいち考えずに、すぐ行動に移らざるを得ない仕組み”
を作ることが有効ということです。

このような点から習慣の変化を追求すると、意外とおもしろいことが見えてくるかもしれません。ぜひ試してみてくださいね!

  ***

岩崎一郎(イチロー)氏
京都大学卒業後 米国ウィスコンシン大学に留学し、ノーベル賞受賞教授の下で博士号取得、旧通産省主任研究官、米国ノースウェスタン大学医学部准教授を歴任。渡米中の転機から、3000人に声をかける実験・特訓を行い、これを元に最新の脳科学研究を取り入れた独自のコミュニケーション理論・実践法「PPM会話法」を確立。会話下手を徹底的にケアする個人トレーニングは定評がある。著書に『誰とでも仲良くなれる人の聞き方・話し方』(クロスメディア・パブリッシング)、共著に『出逢いの法則』(中経出版)、共訳書に『世界中の女性を幸せにした魔法の恋愛書』(中経出版)。



岩崎イチローさんのホームページ(クレア&イチロー公式サイト)

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日々の暮らしを大切にする稽古照今

2013-03-20 | Weblog

私は今までに 色んなセミナーや勉強会、講座などに参加させていただきました。
そこで行き着いたのは……「日々の暮らしを大切にする」という、とてもシンプルなものでした。

「日々の暮らしを大切にする」にあたって、私は一つの行動指針を設けました。 それは「稽古照今」(けいこしょうこん)です。聞き慣れない言葉かもしれませんが……。

太安万侶(おおのやすまろ)が編纂した『古事記』の序文にある言葉で、「古きを稽(かんが)え、今を照らす」という意味です。稽(かんが)える=考える、です。

「古より先人達が培ってきたものを、色々と考えながら身の内に取入れて、今、生きている自分の暮らしに活かして行く道」


と、私は捉えています。
ちなみに、武道、茶道、華道などの「お稽古する」は、ここから来ています。

「温故知新」とよく似ています。温故知新は皆様ご存知かと思います。意味は、前に学んだことや昔の事柄をもう一度調べたり考えたりして、新たな道理や知識を見出し自分のものとすること。古いものをたずね求めて新しい事柄を知る、です。

私の捉えた感覚ではありますが、「稽古照今」と「温故知新」の違うところは、「稽古照今」は、新しい事柄を知る、の域に留まらず、更に、「今を生きる全てを照らし、道とする」ところまで踏み込んでいるところではないかなと思います。

このように、言葉の説明だけすると、難しく感じられるかもしれません。要は、私自身が「稽古照今」を行動指針として、日々の暮らしを大切にする、具体的な事ですよね(笑)。

一例ではありますが……。

私の場合は歴史が好きなので、あらゆるものを「歴史の観点」で見ることをしています。
物の歴史、物質の成り立ちとは? とか、生命の歴史、生命の受け継がれてきているDNAとは? とか、この洋服が私の手元に来るまでの道のりの歴史、手にするまでの物語を歴史と準える、この言葉の語源は何だろう? と調べて探る、この道具の謂われは何だろう? などなど。

で、こういうことを色んな方とお話ししていくと、「ああ、私の場合はね」とか「僕はここに歴史を感じるよ」とか、皆様が、生き生きと自分自身を語って下さるのですね。そういう時は、私は非常に嬉しくて楽しくて、私自身も生き生きとさせていただいています。

この一連の流れが、私の中では「日々の暮らしを大切にする」事にあたるのです。


3月31日の、澤谷先生とのコラボセミナーにおいては、お集まりしていただいた皆様それぞれが、「私の場合はね」や「僕はここに感じるものがあって・・・」というように、まずはなっていただけると、とても嬉しく思います。
要は「そういえば、自分の場合は」と、ご自身の体験に準える想起がまずは大切なのではないかと思います。

そして、お一人お一人の個性の価値が、更に熟されていくきっかけとなっていただければ幸いです。

熟されていく世界とは、「元々その種子がある」という大前提の元に歩みを始めていく事です。
皆様には「その種子」がすでに存在しているのです。

皆様と共に、楽しくセミナーの時間が過ごせる事を、心より願っております。


澤谷 鑛 & 石川浩代 スペシャルコラボセミナー in 京都開催!!


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「甦る日本のこころ」

「日本人のこころ」を再認識する事により、これからの時代を生きていく大きな力になると思います。まわりの人から信頼され、感謝され、愛されるしあわせのパスポートがここにあります。
桜の季節の京都に観光がてらいらっしゃいませんか?

日 時
2013年3月31日(日) 10:00~16:00

場 所
キャンパスプラザ京都

京都市 下京区 西洞院通塩小路下る

セミナー代金
10,000円

参加申し込み 
ホームページにて申し込み下さい。
http://www.kou-sawatani.com/sem-130331js.html


石川浩代さんのFacebookは、こちらからどうぞ

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卒業のシーズン

2013-03-19 | Weblog
谷川和英

3月は、卒業のシーズン。

すでに、高等学校や中学校では卒業式が終わっているかと思いますが、小学校では連日卒業式の練習が行われています。
もしかすると、お近くの小学校では今日が卒業式というところもあるのではないでしょうか。

小学生から中学生、中学生から高校生、高校生から大学生。
呼び名が変わるだけで、ずいぶん大きくなったような気がします。

実際に卒業する子どもたちは、どんなことを感じているのでしょうか。

最近の大人は、とかく忙しく、自分のことに精一杯で、子どもたちの声を聴くことができないことも多いです。
ついつい「自分にとって都合のよい子どもになってほしい」と、要求するばかりなので、親子のコミュニケーションがうまくいっていない事例も多いです。

親や教師が、子どもの声に耳を傾けることができるかどうかということは大切ですね。

きっと子ども時代にしっかり話を聴いてもらえた親は、自分も気づかないうちに話を聴ける親になっているのでしょう。

難しいのは、自分がやってもらえなかったことを自分の子どもに対してすること。頭では「こうすればいい」と、わかっていても、なかなかうまくはいきません。

よりよいものを次世代にバトンタッチするため、自分に何ができるか……問い続けていきたいものです。

養成講座も、3月は入れ替わりの季節。5期から6期へ……
「しあわせな人生の実現をサポートする人材養成講座」によき風が吹きますように……

桜の開花も、もうすぐです。


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どうしたら孤独を抜け出せるでしょう

2013-03-19 | Weblog
澤谷 鑛


Q どうしたら孤独を抜け出せるでしょう

 私は、いつでもどこでもすぐに孤立してしまう性格です。小学校時代から友だちができず孤立しました。男の子からはブスとかいわれていじめられ、中二の時にはとうとう登校拒否にもなりました。今は短大の寮にいますが、三人部屋で私だけ浮いてしまってどうしようもありません。これ以上の孤独には耐えられません。どうしたら孤独から立ち直れるか、教えて下さい。(京都府:18歳女性)

A 愛されたいと求めるより愛する自分になることによって

☆孤立し浮いてしまって孤独!?☆
 あなたは、いつでもどこでも孤立し、あなただけが周囲から浮いてしまって、耐えられないほどの孤独感にさいなまれる、と言われます。
 それは、自分の中にもう一人の自分(仮に“自分A”とします)がいて、自分Aが孤立し浮いてしまっている自分(仮に“自分B”にします)をなんとかしたいと思っているのです。
 自分Aは、こうありたいという自分であり、自分Bは現実に現れている自分です。自分Aは理想ですから、孤立している自分Bに不満足なのです。
 自分Bが本来のあなたであれば、孤立しても不満はないはずです。ところが、あなたは自分Aの完全さが本来の自分の姿であることを心の底で知っているのです。だから、なんとかしたいと思うのです。

☆イヤな自分をひねくり回すな☆
 あなたのご相談の長いメールには、中学生時代の登校拒否やいじめのことも書かれていました。いわゆる環境不適応といわれるもので、環境やさまざまな条件に調子がうまく合わないのです。調和できないのです。なぜでしょうか?
 調和できない人は、自分のことばかり考えているからです。それも、こうありたいという自分Aであれば、明るく、楽しく、うれしく、はつらつとした自分であり、周囲からも受け入れられる可能性が大です。
 しかし、暗く、悲しく、切なく、陰鬱な自分Bであれば、自らもふくめて誰でも敬遠したくなります。イヤな自分をひねくり回すのはやめることです。

☆こうありたいという自分を勇気をもって表現せよ☆
 人が喜びを感じ、生き甲斐を感じるには、自分の中の可能性やすばらしい能力が、目に見える形で表現されたときです。イヤな自分をひねくり回すのではなく、こうありたいという自分、最高の自分を、あなたの実生活に、かけがえのない人生に、勇気をもって表現することです。
 人は最高の自分を表現し、まわりに認められたときにグングン伸び、自信もわいてきます。あなたは決然として、自分を自分の“主人公”としなければなりません。それはAの自分がBの自分の主人公になるということです。

☆自らが求めているものを人に与える☆
あなたは中学時代に仲良くなりたい人と仲良くなれず、その人を恨んだ、と言われます。人は誰でも愛されたいのです。これは当然の気持ちです。仲良くなりたいと思う人はなおさらです。
 しかし、「愛されたい、愛されたい」と求めるだけの受け身の態度では、失望を味わうことになります。あなたは仲良くなりたい人を恨んだ度合いだけ、その人に「愛されたい」と求めたのです。
 愛されることを失った人は、孤独であり、寂寥感に襲われます。それでは愛を失った人はいかにすべきでしょうか?
 自らが求めているものを、人に与えることです。自らがしてもらいたいことを人にしてあげることを試みて下さい。愛が与えられることを求めず、愛を与えることを心がけることです。自分のできることをまわりの人にしてあげて、相手に喜んでもらい、その時自分がどんなにうれしいかを感じるのです。そういう訓練をしなければなりません。
 自分のおかれた環境に不平不満をいい、甘える前に、今、断固として現実にアクションを起こし、全力投球して下さい。自信を回復する道を見いだし、自分が変われば世界が変わることを目の当たりにします。


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子どもとの幸せなひととき

2013-03-18 | Weblog

いつもは、わたしがお風呂から出ると、
子どもは夫の布団の中で気持ちよさそうに眠っています。

2月の3週間は、夫が夜勤だったので、
わたしが添い寝をして眠りました。

とても幸せな時間を過ごせました。

「誠は 父さんがいて幸せだね 
 かあちゃんは 誠がいて幸せだね
 かあちゃんのところに生まれてきてくれて ありがとうね」 

と話しながらお布団にもぐっていたら
子どもも 

「誠 幸せだねぇー
 かあちゃん 幸せだねぇー
 じいちゃん ばあちゃん 幸せだねぇー」

と時折はなすようになりました。

子どもが時々、かあちゃんは今いい子にしているのかなぁ?
という感じでわたしの様子を見に来てくれます。

親は子どもを無償の愛で子育てするといいます。
愛に有償も無償もないのでしょうけれど……

でも、いつも愛を注いでもらって、見守ってもらっているのは、
わたしの方なんだなぁ……
と感じています。

この世に生まれて来たのが、先か後かの違いで、
愛することに差はないのでしょうね。

あたたかい愛をありがとうございます。

子どもとの幸せなひととき


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母の思い(下)

2013-03-17 | Weblog
黒部 真理子

≪母の思い(中)記事の続きになります≫

千葉県から都内に向かう電車の中で、私はなんとなく小さな子供さん達に目が行っていました。山手線に乗り換えてからも、降りてからもそうでした。
……電車や街の中には、こんなにも子供が多かったのだな。子供に縁がなく興味すらない私なのに、いつもとは何かが違って見えていました。

ベビーカーの中で眠っている子、よちよちと歩いている子……。
小さな赤ちゃんを抱っこしているお母さん。
……この子も違う。……この子も違う。
私は子供の目を見て何かピンと来るものを探していました。
……私は、何をしているのだろう。
さりげなく目をそらしては、私は何事もないように街を歩いていました。

用事を済ませ、山手線に乗ったら車内には目の前にまたベビーカーがあり、また「この子も違う」と思いました。
……何が違うのだろう。
ふと、ショッピング街でさっき見かけた小さな赤ちゃんを抱っこしていたお母さんが目に浮かび、それが自分のあるべき姿だったような気がして、なんとも切ない思いが込み上げてきました。
そのあるべき姿になれなかった自分が今の自分であること。
仕事でもうまくいかず、役立たずな自分。どう頑張ってもうまくいかなかった。
やるせなさと、こんな自分の情けなさが込み上げてきて、言い訳したい気持ちになってしまいました。胃がぎゅっと締まる感じがして、体の奥の内臓がびくりとうずくような感覚がし、心の中で誰かの声がしました。

「わたしの赤ちゃんはどこにいるの?」
「私の赤ちゃん!」
「私の赤ちゃん!!」
「私の赤ちゃん!!!」
「私の赤ちゃんを返して。」

山手線から乗り換えて千葉に戻る電車の中で、息苦しくなって深呼吸をしながら、その切ない思いを聞き続けました。急な体調不良で私はもうすぐ倒れるかもしれない、と思いましたが、私はすべてを受け取る覚悟をしました。

「どこにいるの、私の赤ちゃん。」
「私の赤ちゃん。」
「私の…」

確かにはっきりとどこかから私にはその声は聞こえていました。初めて聞くのに、どこかで聞いたことのあるような女性の声でした。私はその声にどこか甘い心地良さを感じるのでした。不器用でも誠実で一生懸命な感じの女性の存在が感じられました。

あなたが私を産んでくれたのですか?
あなたが私のお母さんなのですね?

返事はありません。
もう誰も信じられないという思いと、自分の力のなさがやるせなくて……そして、どう頑張っても平凡な幸せさえ手にできず孤独になってゆく、そんなやりきれない悲しみがそこにはありました。その切ない思いは、重苦しい絶望と心の痛みを伴って遠のいてゆきました。その心の痛みは私がそれまで色々な所でさんざん感じてきたものとよく似ていました。

私は自分の母が苦しんだことを知りました。
それだけ苦しむほどの愛があったのだということにも、その時、気付くことができました。今までの私の苦しみは、私に与えられた「愛」であったということを知った出来事でした。

もし、今までの私の人生が苦しい人生ではなかったら、私は母のその思いを一生知ることはありませんでした。
私が感じてきた知らない人から監視されているような感覚は、そばにいたかったという母の思いだったのかもしれません。

私はどんな人だか全く知らなかった自分の「母」という人に対して、初めて感謝を感じました。

そして、仕方がなかったとはいえ、私のことを切に求めてくれていた母に対して、私は母を求める気持ちがなかったことを申し訳なく思いました。
私も自分が必要とされていないことを思い知らされる辛さと寂しさをしばしば感じてきました。これもまた母の思いだったのです。

私には母が生きているのかどうかすらわかりませんが、電車を降りるまでの間、母の無事と幸せを心から祈りました。


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母の思い(中)

2013-03-16 | Weblog
黒部 真理子

≪母の思い(上)記事の続きになります≫

私の実家は祖父が事業で少しばかり成功していたため、私がまだ幼かった頃には、家にはお手伝いさんの女性が2人いて、車も国産車と外車が一台づつありました。

一方、私の親は私にとって尊敬できる人達ではありませんでした。
私の母は私が物心つく前に私を置いて家を出て行って、一度は親戚の男性と一緒に私を引き取りに来たらしいのですが、祖母が私を別の親戚の家に預けて母とは会わせませんでした。母とはそれっきりでした。まだ赤ちゃんの頃だったので私には記憶はありません。

父は浪費癖があり、祖父の貯えを使い切って、実家を貧乏のどん底に転落させてしまいました。父の再婚相手となった人は若くて気の強い派手好きな女性で、私とは性格が合いませんでした。

私の両親はそんな人達ではありましたが、祖父がまだ元気でお金があった頃はそんな家庭でもまだなんとかなっていました。
祖父が高齢になり体力的に弱ってきて、父が新しい事業に手を出すようになってからは、かつての当たり前だった生活が夢のように思えるようになってゆきました。

父は祖父母のお金を使い切りましたが、私が働いて貯めたわずかな貯金も使ってしまいました。それでも次々に借金をしてきては、返済に間に合わず私にお金を要求するのでした。
父は寝たきりになった祖母の介護も私に押し付けて新しい家族と実家を出てしまっていました。細かいことはここでは省略しますが、祖父が亡くなった後も私は父親夫婦からはひどい仕打ちをされ、面倒なことや嫌なことを押し付けられてきました。

いつまで続くかわからない祖母の介護をしながら仕事にも行かなければならない私の生活は2年ほど続きました。その間に私はすっかり疲れ果て、うつ病になってしまいました。一時は祖母と心中をすることも考えました。

祖母のことが終わって、私はやっとの思いで貯めたわずか数十万円のなけなしの貯金を持って、父親夫婦から逃げるようにして黙って引っ越しをしました。私にとって、親は私のことを守ってくれるような人たちではなかったのです。
私は自分の両親のような無責任な生き方はしたくないと、反面教師にしてきました。
そんな親から自分が愛されてきたなんて思えるだろうか、むしろ彼らのせいで私がどれだけ苦労したかの方をわかってもらいたいという気持ちで私は憤りを感じるのでした。

もしかして、私は今までそんな気持ちだったから今までの人生がうまくいかなかったんだろうか?
ここまで来たら、怒りや恨みつらみに執着するより、思い切って発想を変えることを選ぶしかありません。
私にとっての人間関係は、考えてみたら加害者と被害者しかなくて、自分はいつも被害者になってしまっていましたし、いつまでもそんな人間関係しか築けない自分でいたくもありませんでした。

澤谷先生には何か変化を感じたらメールすることにはしていました。

頻繁にメールするつもりではなかったのですが、結果としてカウンセリングの翌日からしばらくの間はほとんど連日メールをしていたような気がします。

幸いなことに、私はまず親に対しての恨みをデトックスすることができました。
(詳しくは、昨年10月17・18・19・20日と澤谷先生のブログに載っています。)

デトックス後は、怒りがおさまってだいぶ穏やかな気持ちにはなりましたが、それだけでは自分の価値観も自分を取り巻く状況も、何も変わりそうもありませんでした。まだ親に感謝できる状態でもありませんでした。

先生から1月19日の都内のセミナーのお知らせをいただき、カウンセリングも同時に申込んで参加することにしました。

なぜか私は、その時、腹が立ってしょうがない人が出てきていました。男性と女性、それぞれ1人づつの2人の人のことでした。朝のセミナー前にカウンセリングを受け、セミナーの1日は無事に過ぎてゆきました。

後日、その腹が立ってしょうがない男性のことについて考えていたら、そのセミナーでお会いしたMさんから短いメールが届いて、私は自分が以前にストーカーらしき不審者に悩んでいたことを思い出しました。それは、自分が知らない人達からの影響を沢山受けてきたことを思い出すきっかけとなってゆきました。

その、気になってしょうがない2人も、それぞれ私にとってよく知らない人達なのでした。私がなんとなく覚えてはいても、彼らは私のことなんて、全然覚えていないのかもしれません。
よく知らない人なのに気になるのはなぜなんだろう……。知らない人からのメッセージとは、一体何なのか?
そう言えば、母と私も知らない人同士なのでした。
母は私がどんな大人になったのかを知らないままで、私は母がどんな人なのか全く知りません。知らない者同士でも深いご縁があることもあるのだなと思いました。

その1月19日の澤谷先生のセミナーの日に私がいただいた課題は、母親の気持ちを理解することでしたので、その後もずっと私はあてもなく何かきっかけを探していました。何の記憶もない自分の母親のことを理解するのは私にとって難題でした。

顔もわからず、何の思い出もなく、親と言うより本当に知らない人なのです。知らない人の気持ちを私はどうやって理解することができるのか? しかも母になったことのない私が母の気持ちをどう理解するのか? どう考えても手がかりがないので、自分の身に起きていることからヒントを得るしかありませんでした。

澤谷先生は時々「引き寄せ」という言葉をお使いになるので、私が引き寄せいているこの現実から必要なことを導き出せるのかもしれない、などと考えてみたりしました。

それから数日後の2月3日のことでした。

≪母の思い(下)へ続きます≫


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